《スヘルデ》 完成: 1868年10月、アントウェルペン 初演: 1869年2月、フランセ劇場、 ペーテル・ブノワ指揮 出版: ペーテル・ブノワ財団 (アントウェルペン) §音楽学校の校長に 1867年、アントウェルペンに音楽学校が設立され、ブノワはその初代校長となります。この学校がフランデレン人のための、そしてフラマン語によって運営される組織機構となることを条件に彼は就任を受諾したのでした。(建国当初のベルギーでは政治・経済はもちろん教育・文化面においてもフランス語が支配的だったのです) §フランデレン運動、ヒールとの交流 このような社会情勢の中で、ブノワは作家で詩人のエマニュエル・ヒール(1834-99)と出会います。彼は文芸の分野におけるフランデレン運動 (フラマン語の復興を目指すムーヴメント) の旗手のひとりでした。 二人はすぐに意気投合し、ブノワは1866年、ヒールの台本によるオラトリオ「リュシフェル」を発表し賞賛を浴びます。次いで書かれたのがこの《全三部からなるロマン的・歴史的オラトリオ「スヘルデ」》です。 ブノワはその後もヒールの台本や詩に作曲し、二人の協同作業は長く続いていきました。 §オラトリオ「スヘルデ」 主な登場人物: 詩人、芸術家、青年、少女、フランデレン(ネーデルラント)史における実在の人物たち 第1部、その冒頭で響くゆったりとしたコラールのような和音進行がさっそく私たちの心を掴みます。 詩人がスヘルデを讃え、二人の若者が愛を語ります。そして船乗りたちの合唱が「出航だ!」と叫びます。 第1部を通して流れる明るくのびやかな音楽はブノワとヒールによる ”フランデレン民族への呼びかけ、励まし“ のように感じられます。 第2部は一転して戦いの場面の連続に...いわばフランデレン(ネーデルラント)の歴史絵巻のようです。 登場するのは次の人物(の霊魂)たち: ニコライ・ザネキン...中世、騒乱の時代の蜂起のリーダー ヤコブ・ファン・アルテヴェルデ...15世紀の政治家、自治都市連合の指導者 オラニエ公ウィレム...16世紀、スペインの圧政に対し立ち上がったネーデルラントの貴族 これらのテキストは泥臭くいささか国粋主義的でもありますが、ブノワの音楽はほんとうに素晴らしい! アルテヴェルデのアリアは全曲中の白眉ですし、ウィレム沈黙公の歌う旋律はのちに “Het Lied der Vlamingen (フランデレンの歌)“ と名付けられ現在でも親しまれています (ヒールが新たに詞をつけました)。 第3部では詩人および芸術家による哲学的なバラード、二人の恋人の愛の歌、そしてフランデレンの人々 (船乗り、漁師、貿易商etc.) のうたうスヘルデへの感謝の歌が絡み合いながら進んでいきます。 やがて聖堂の鐘が鳴り響き、大編成の合唱によって上記オラニエ公のテーマが朗々と歌われ大団円となるのです。 『愛の川スヘルデ、皆の恩恵のために流れよ、自由の祖国ネーデルラントを!』 §追記 ドナウやヴルタヴァ(モルダウ)もそうであるように、”川“ というものはやはりアイデンティティの象徴たり得るのだなと改めて感じます。 オラトリオ「スヘルデ」の物語と音楽について詳しくまとめた記事へのリンクです。 少し長いですが、ご興味がありましたらぜひご覧くださいませ。 その1 その2 その3 その4 その5 【参考音源】 ・フラス指揮、BRT交響楽団&合唱団他、ヘンドリクス(sop)、ドゥヴォス、デュモン(ten)、フェアブリュッヘン、ヨリス(bar)、フィッセル(bas) (1966年録音) Eufoda 1021 (LP、2枚組) ・ブラビンス指揮、ロイヤル・フランダース・フィル、フランダース放送合唱団、オランダ放送合唱団、ファン=ロイ(sop)、ファン=デル=リンデン、ファン=デル=ヘイデン(ten)、ファン=メヘレン、ベリク(bar) (2013年ライヴ録音) Royal Flemish Philharmonic RFP009 (CD、2枚組) 長い間、フラス指揮のレコードが入手可能な唯一の音源でした。2014年にブラビンス指揮による新しい録音がリリースされ、素晴らしい音質でこの大曲を聴くことができるようになりました。 フラス指揮による演奏へのリンクはこちら↓↓ (アルテヴェルデのアリアは41’40”〜から) |
2024年08月21日
ブノワを知る10曲 (5)
posted by 小澤和也 at 17:13| Comment(0)
| 音楽雑記帳
2024年08月17日
ペーテル・ブノワ 生誕190年
きょう8月17日は フランデレンの作曲家ペーテル・ブノワ (1834-1901) の誕生日。 ブノワって...誰? 皆さんきっとそう思われることでしょう。 世代としてはドイツ・ロマン派の巨匠ブラームス (1833-97) とほぼ同じ、またベルギー生まれという点ではセザール・フランク (1822-90) と同郷。 (もっともフランクはパリで活躍したワロン人ですが) §ベルギー・フランデレン地方の小都市ハレルベーケ生まれの作曲家・教師。ブリュッセル音楽院にて学ぶ。1857年、カンタータ『アベルの殺害』でベルギー・ローマ賞受賞。ドイツおよびボヘミアに留学、そののちオペラ作曲家を志しパリへ出るも成功せず、ブリュッセルへと戻る。 § 1867年アントウェルペンに音楽学校を設立、フラマン語 (ベルギーで話されるオランダ語) による音楽教育の確立のために尽力する。 (当時ベルギー国内では政治・経済・文化等あらゆる面でフランス語とその話者が優位であった) この学校は1898年王立音楽院として正式に認められる。1893年、フランデレン歌劇場を設立。1901年アントウェルペンにて死去。 § ブノワはその後半生を母国語での音楽教育に捧げたため、没後はナショナリストのレッテルを貼られてしまう。また教育者としてのイメージが先行し、ベルギー国内ですら「誰もが名前は知っているけれど作品は知らない」という状況である。 § 実際、彼の中期以降の作品には劇音楽『ヘントの講和』、カンタータ『フランデレン芸術の誇り』(別称: ルーベンスカンタータ) やいくつかの子供カンタータなど、啓蒙的・教育的な作品が多い。そしてテキストにフラマン語を用いているため国外ではまず演奏されない。 § しかしブノワの作品はそれだけではない。20〜30代に書かれた『宗教曲四部作』、『フルートと管弦楽のための交響詩』、ピアノ曲集『物語とバラッド』などナショナリズムの色眼鏡にとらわれることなくもっと広く聴かれてよい佳品も多い。 昨年、『荘厳ミサ』(上記『宗教曲四部作』の第二作) を東京で上演しました。 ↓そのときのブログ記事がこちら↓ http://kazuyaozawa.com/s/article/190580476.html みなさまにもペーテル・ブノワとその作品を知っていただけますよう願ってやみません。 そしてそれが実現するよう、これからも発信を続けていきたいと思います。 |
posted by 小澤和也 at 07:32| Comment(0)
| 日記
2024年08月02日
【珈琲道】プロの味
定期的に豆を購入しているお気に入りのカフェ。 この春から店内飲食とテイクアウトをお休みされていたのだが、最近テイクアウト営業を再開されたと知る。 これは嬉しい! 〜というわけで、仕事帰りにさっそく立ち寄った。 本日マスターは不在、若旦那さんのワンオペ。 挨拶もそこそこに 『プロの淹れる珈琲の味をずっと待ち焦がれていたんです!』 と一方的に思いをまくし立ててしまった。 《でもほんとうにそう思っていたのだ... この店でいただく珈琲は僕にとっての“メートル原器“なので、それを味わうことのできなかったこの数ヶ月間は実に辛かったのだ》 ミッションコンプリート。 今回はグアテマラをオーダー。 (このお店の同じ豆がちょうどいまわが家にあるので味の比較のために) 美味しい! 紙カップゆえの若干の風味の変化を差し引いてもやっぱり美味しい。 帰宅してグアテマラを淹れてみた。 当然ながら自分好みの味ではあるが... 道のりはまだまだ遠いなあ。 これぞ楽しき珈琲道。 |
posted by 小澤和也 at 23:28| Comment(0)
| 日記