![]() 最近読み返した本である。 著者のエトヴィン・フィッシャーは僕の大好きなピアニスト。 1886年生まれであるから、フルトヴェングラーと同年ということになる。 彼は先の大戦を挟んだ20年余りの間に多くの録音を遺した。 僕が初めて聴いたレコードはフルトヴェングラーとのベートーヴェン『皇帝』協奏曲。 そして "決定的に" 彼に惚れ込むきっかけとなったのが、バッハの『平均律クラヴィーア曲集』である。 なんとエスプレッシーヴォなバッハ! ことに「バスがよく歌う」のだ。 さらにはモーツァルトの協奏曲、シュナイダーハン&マイナルディと組んだトリオでのベートーヴェンやシューマン、どの演奏も佳い。 さて、 久々に手に取ったこの本。 フィッシャーの音楽観・作曲家観が、深い愛情と知識とをもって語られている。 〈ベートオヴェンのピアノ曲集〉 ここでフィッシャーは 〜現代のピアニストは、ベートーヴェン演奏においてあまりに多くを知り過ぎ、教育され過ぎているのではないか〜 といったことを述べている。 『…われわれを震撼すべきこれらのもの(=ベートーヴェンの音楽のもつ根源的な力)に対して、われわれはもう不感症になっているのだ。』 彼は、若い演奏家が取り上げるべきものとしてディアベリ変奏曲、op.77の幻想曲、バガテル集などを挙げ、これらの作品から、ひいてはベートーヴェンの音楽からファンタジーを、戯れを、そして常に清新な気分で楽曲に向き合う心を感受せよ、と訴えている。 〈ヴォルフガング・アマデーウス・モーツァルト〉 冒頭のこの一文に、彼の思いのすべてが込められているのではないだろうか。 『誰かに対して、なにか特別の好意を示してあげたいと思うときにはいつも、わたくしは、ピアノに向かってその人のためにモーツァルトの作品を一曲演奏するのがつねである。』 なんという美しい心。 〈 ローベルト・シューマン〉 フィッシャーはこの悲劇の天才についても章を設けている。 ただし… それはあっけないほどに短く、そしてどこか切ない。 印象的だったのは、彼が文中でシューマンを『尊敬する友人』という言葉で表していること。 ベートーヴェンを『創造者、崇高な精神の持ち主』と形容、モーツァルトについては『神の世界の人』と表現しているのと比べると実に興味深い。 僕にとってフィッシャーは、単に優れた音楽家であるだけでなく、「詩人」そして「思索する人」として心から尊敬する存在なのだ。 |
2014年09月19日
音楽を愛する友へ
posted by 小澤和也 at 17:45| Comment(0)
| 日記
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