2014年09月19日

音楽を愛する友へ

 
最近読み返した本である。
著者のエトヴィン・フィッシャーは僕の大好きなピアニスト。
1886年生まれであるから、フルトヴェングラーと同年ということになる。
 
彼は先の大戦を挟んだ20年余りの間に多くの録音を遺した。
僕が初めて聴いたレコードはフルトヴェングラーとのベートーヴェン『皇帝』協奏曲。
そして "決定的に" 彼に惚れ込むきっかけとなったのが、バッハの『平均律クラヴィーア曲集』である。
なんとエスプレッシーヴォなバッハ!
ことに「バスがよく歌う」のだ。
さらにはモーツァルトの協奏曲、シュナイダーハン&マイナルディと組んだトリオでのベートーヴェンやシューマン、どの演奏も佳い。
 
さて、
久々に手に取ったこの本。
フィッシャーの音楽観・作曲家観が、深い愛情と知識とをもって語られている。
 
 
〈ベートオヴェンのピアノ曲集〉
 
ここでフィッシャーは
〜現代のピアニストは、ベートーヴェン演奏においてあまりに多くを知り過ぎ、教育され過ぎているのではないか〜
といったことを述べている。
『…われわれを震撼すべきこれらのもの(=ベートーヴェンの音楽のもつ根源的な力)に対して、われわれはもう不感症になっているのだ。』
 
彼は、若い演奏家が取り上げるべきものとしてディアベリ変奏曲、op.77の幻想曲、バガテル集などを挙げ、これらの作品から、ひいてはベートーヴェンの音楽からファンタジーを、戯れを、そして常に清新な気分で楽曲に向き合う心を感受せよ、と訴えている。
 
 
〈ヴォルフガング・アマデーウス・モーツァルト〉
 
冒頭のこの一文に、彼の思いのすべてが込められているのではないだろうか。
 
『誰かに対して、なにか特別の好意を示してあげたいと思うときにはいつも、わたくしは、ピアノに向かってその人のためにモーツァルトの作品を一曲演奏するのがつねである。』
 
なんという美しい心。
 
 
〈 ローベルト・シューマン〉
 
フィッシャーはこの悲劇の天才についても章を設けている。
ただし…
それはあっけないほどに短く、そしてどこか切ない。
 
印象的だったのは、彼が文中でシューマンを『尊敬する友人』という言葉で表していること。
ベートーヴェンを『創造者、崇高な精神の持ち主』と形容、モーツァルトについては『神の世界の人』と表現しているのと比べると実に興味深い。
 
 
僕にとってフィッシャーは、単に優れた音楽家であるだけでなく、「詩人」そして「思索する人」として心から尊敬する存在なのだ。
 
 
posted by 小澤和也 at 17:45| Comment(0) | 日記
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。