2015年03月21日

ベートーヴェン Op.80 考

 
 
 
ベートーヴェンの「ピアノ、合唱と管弦楽のための幻想曲」を勉強している。
俗に「合唱幻想曲」と呼ばれているこの作品、初めて聴いたときには正直なところその素晴らしさがよくわからなかった。
 
先日、このことをTwitterでつぶやいたところ、何人かのお仲間から興味深いお話を伺うことができた。
そのなかから、テノールの山枡信明さんとのやり取りを適宜編集しつつ挙げてみる。
(山枡さんからはご承諾を頂戴しました)
 
 
O:ベートーヴェン「ピアノ、合唱と管弦楽のための幻想曲op.80」。
どう捉えるか。不思議な曲だ。
 
Y:合唱幻想曲、私もとらえどころがないと感じていたのですが、去年アンスネス独奏・指揮、マーラー室内管と一緒に演奏して納得してしまいました。
構成の必然を感じることができたと言うか。
魅力的でした。
 
O:ご教示ありがとうございます。
「構成の必然」、肝に銘じたいと思います。
 
Y:ピアノ部分を「前座」と受け取ると、後半がとりとめなく思えてくるかも知れませんね。
ピアノ部分にある萌芽がオーケストラに発展し、そして最後に合唱で花開くという感じでしょうか。
 
続)そういうことから言うと、合唱幻想曲でピアノ奏者が指揮をすると、全体の有機的つながりが出やすいのかも知れません。
コンセプトの統一というか。
 
続)ピアニストが弾きだす最初の一音からすでに、合唱入りの終結までの大きなアーチが頭のなかに描かれているべきという訳かもしれません。
それではじめて曲が感動をもたらすのでしょう。
 
続)合唱幻想曲はやはりピアノ協奏曲の超変種と見れると思います。
ピアニストのアンスネスもピアノ協奏曲全曲チクルスの一環としてこの曲を提供しています。
 
O:御意。
恥を忍んで告白しますと、最初聴いた時(20歳頃でしたでしょうか)にはまさにピアノを前座として捉えていました。
「合唱幻想曲」という俗称にも惑わされていたかもしれません。
 
Y:私も全く同じでした。
それで勝手に第九などと比較して 「???」などと思っていたのです(笑)。
「第九の習作」など言われますが、それはこの作品を矮小化するかも知れませんね。
 
O:そうなのです!
ミミ|ファミレド|ドシラシ|ドドレミ|ミレ〜
という一見平易な音列がまた強烈に「歓喜の歌」を連想させますから(笑)
原題の「ピアノ、合唱と管弦楽のための幻想曲」を素直に受け止めれば、見方も自ずと定まりますね。
 
Y:それにしても、最近のアンスネスの演奏、オーケストラが入ってくる瞬間とさらに合唱が入ってくる瞬間、どちらもゾクッとするほどの感興でした。
 
 
実に腑に落ちた山枡さんとの会話であった。
解説書などでは広義のカンタータ、あるいは『第九交響曲』のプロトタイプであるかのように紹介されることも多いが、そこにこだわり過ぎると本質を掴み損ねてしまうのだ。
「合唱幻想曲」のニックネームは要注意であろう。
 
〈楽曲メモ〉
作曲は1808年。
同年12月22日、ウィーンにて初演。
田園交響曲や交響曲第5番もこの日披露された…大失敗だったと伝えられている。
 
大きく分けて三部からなる自由な構成。
第1部はピアノ独奏によるカデンツァ的な導入部分である。
初演時はベートーヴェン自身による即興で行われたとのこと。
第2部に入ると、件の「第九に類似した主題」が初めて現れ、テンポや調性を変えつつ変奏が繰り返されてゆく。
 
 
 
そして第3部。
ピアノによる導入に続き、満を持して前述の主題が重唱そして合唱で朗々と歌われる。
テキストはクリストフ・クフナーによる作詩と言われるが詳細は不明。
比較的平易な人間賛歌・芸術賛歌である。
 
 
posted by 小澤和也 at 22:04| Comment(0) | 日記
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