2015年12月02日

【読書ノート】「美を求める心」

小林秀雄「考えるヒント 3」(文春文庫) 所収。
その中から、最近読み返し改めて心に響いた言葉をランダムにピックアップしてみた。
まず、「絵画や音楽はどうすれば "解る" のか?」という問いかけから、この評論は始まる。

『見るとか聴くとかいう事を、簡単に考えてはいけない。(中略) 見ることも聴くことも、考えることと同じように、難かしい、努力を要する仕事なのです。』

『物の形だとか色合いだとか、その調和の美しさだとか、を見るという事、謂わば、ただ物を見るために物を見る、そういうふうに眼を働かすという事が、どんなに少いかにすぐ気が附くでしょう。』

『見ることは喋ることではない。言葉は眼の邪魔になるものです。』

『画家が花を見るのは好奇心からではない。花への愛情です。』

『美しいものは、諸君を黙らせます。美には、人を沈黙させる力があるのです。これが美の持つ根本の力であり、根本の性質です。絵や音楽が本当に解るという事は、こういう沈黙の力に堪える経験をよく味わう事に他なりません。』

そして話題は "詩作" の領域へと移ってゆく。

『言うに言われぬものを、どうしたら言葉によって現すことが出来るかと、工夫に工夫を重ねて、これに成功した人を詩人と言うのです。』

ここで小林は、山部赤人の歌
「田児の浦ゆ打出でて見れば真白にそ富士の高嶺に雪は降りける」
を例に挙げ、このように続ける。

『歌人は、言い現し難い感動を、絵かきが色を、音楽家が音を使うのと同じ意味合いで、言葉を使って現そうと工夫するのです。(中略) 歌人は、そういう日常の言葉を、綿密に選択して、これを様々に組合せて、はっきりとした歌の姿を、詩の型を作り上げるのです。すると、日常の言葉は、この姿、形のなかで、日常、まるで持たなかった力を得てくるのです。』

『歌や詩は、わからぬものなのか。そうです。わからぬものなのです。(中略) 歌は、意味のわかる言葉ではない。感じられる言葉の姿、形なのです。言葉には、意味もあるが、姿、形というものもある、ということをよく心に留めて下さい。』

『赤人は、富士を見た時の (中略) 感動に、言葉によって、姿を与えたと言った方がいいのです。(中略) そういう強いが不安定な感動を、言葉を使って整えて、安定した動かぬ姿にしたと言った方がいいのです。』

そして筆はいよいよ核心に迫りゆく。

『美しいと思うことは、物の美しい姿を感じる事です。美を求める心とは、物の美しい姿を求める心です。絵だけが姿を見せるのではない。音楽は音の姿を耳に伝えます。文学の姿は、心が感じます。』

『今日の様に、知識や学問が普及し、尊重される様になると、人々は、物を感ずる能力の方を、知らず識らずのうちに、疎かにするようになるのです。物の性質を知る様になるのです。物の性質を知ろうとする知識や学問の道は、物の姿をいわば壊す行き方をするからです。』

『立派な芸術というものは、正しく、豊かに感ずる事を、人々に何時も教えているものなのです。』

"美" に携わる一人の人間として、長く心に留めておきたい言葉である。
posted by 小澤和也 at 23:30| Comment(0) | 日記
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。