2015年12月04日

伝記 ペーテル・ブノワ(12)

 
 
§第6章
 
[母国へ戻ってーそしてパリへ]
 
(前回からのつづき)
 
ブノワはパリで、『テ・デウム』(『宗教曲四部作』第四部として[訳注:正しくは第三部として])といくつかの小品を作曲した。
それらの中で特に記憶されるべき12曲[訳注:正しくは15曲]からなる『物語とバラッド集』は、ブノワの全ピアノ作品のうちの最良のものに属し、その評価はフランデレンをほぼ征服した。
以前は繰り返し演奏されたのだが、現在では〜残念なことに〜その機会は少なくなっている。
『弦楽四重奏曲』『フルートと管弦楽のための協奏曲』もこの時期の作品だ。
 
次いでブノワは、2つの仕事に出会う。
彼は新聞や雑誌のために記事を書き、その中で数多くのコンサートや音楽イベントの批評を執筆した。
また同時に、パリ在住のベルギー人からなる合唱団「Les Enfants de la Belgique」の指導者として、パリやその周辺都市において多くの公演を行った。
そして彼はさらに「ブフ・パリジャン」との楽旅に出る。
フランス各都市での上演が準備され、1863年にはブリュッセルやウィーンでも公演が行われた。
 
これらの機会はブノワに、熱心にそしてたゆまず仕事を続ける日々をもたらすとともに、ブノワの才能を成熟させ、また彼の芸術的見識を拡げ洗練させるのを助けた。
彼は芸術家として進むべき方向を見出しただけでなく、フランデレン人としての自己のライフワークが明確になったことに気付いたのである。
諸外国〜ドイツ各都市およびパリ〜との接触は、彼の個性をより強いものにした。
彼はフランデレンの人々のもとへ戻り、精魂をこめて彼らに奉仕しようと考えたのだった。
 
彼は旧名「ピエール・L. L. ブノワ」を捨て、以降の作品では「ペーテル・ブノワ」として登場する。
1863年3月、ブノワは「ブフ・パリジャン」を離れた。彼のここでの仕事は1年足らずであったが、その日々は彼に多くの知識と経験を与えた。
数ヶ月後、彼はブリュッセルへ戻り、そしてまもなくこの祖国において自由な創作の領域を見いだすのである。
 
 
(第6章 完)
 
 
 
 
 
 
 
 
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posted by 小澤和也 at 08:38| Comment(0) | 音楽雑記帳
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