2015年12月22日

伝記 ペーテル・ブノワ(14)

 
§第8章
 
[ブノワ最初のフランデレン語歌曲]
 
1863年6月、ブノワはこの年の『ローマ大賞』審査員に任命される。
私はここで、ブノワがパリで作曲した2つの大作、『テ・デウム」『レクイエム』について皆さんに関心を向けていただきたいのだ。
 
この年の7月21日、ベルギー国王レオポルド1世の即位32周年に際しブリュッセルで『テ・デウム』は演奏される。
この作品は聴衆に大きな感銘をもたらした。
この会に列席していたファンデンペルボーム大臣は賞賛の意を述べるとともに、ブノワが望むものを尋ねた。
ブノワの答えは明快であった。
彼は、その当時西フランデレンの小さな村の収税吏兼水門管理者だった父親のためによりよい職を請願したのである。
大臣はその謙虚な申し出に対して、有利な処遇を快く施したのだった。
そしてこの出来事は、ブノワの高潔な側面を表すものとして知られることとなる。
 
2年あまりをかけて、ブノワは『レクイエム』を作曲・完成させる。
これは混声合唱、管弦楽とハープのための大規模な楽曲となった。
1830年[訳注:ベルギー独立の年]の戦士への回想として、このレクイエムは1863年9月23日にブリュッセルの聖ヘデュラ教会において初演された。
音楽形式的にも、また着想としてもまったく新しく、強い個性をもったこの作品は、『テ・デウム』のときと同様、聴く者に大きな感動を与えたのだった。
 
ここでひとつの例えを引用することをお許しいただこう。
それはブリュッセルの画家ヴィールツによるもので、彼はこの『宗教的四部作』を次のように描写したのだった。
《『クリスマスカンタータ』は細流であるー『荘厳ミサ』は小川ー『テ・デウム』は大河ーそして『レクイエム』は大洋である!》と。
 
『テ・デウム』と『レクイエム』が準備され演奏される間、ブノワはフランデレン史上の3人の英雄たち(アンビオリクス、ディルク・ファン・デン・エルザス、ウィレム沈黙王)と、フランデレン民族の存在を表す擬人化された3つの時代による、オペラ劇場のための大規模な国民的三部作を作曲する計画を着想する。
しかしながら、多くの困難がこの決意を遂行することを妨げるのだった。
 
1863年12月、ブノワはレオポルド1世の生誕73周年に際して作曲したカンタータをリエージュにて指揮、その3ヶ月後(1864年3月)には擲弾兵連隊のためのカンタータを書き終える。
そして彼はブリュッセル、リエージュ、アントウェルペンで演奏会の準備を整えた。
それらの演目はほぼ彼自身の作品であったといわれている。
 
彼はまたヘントにおいて、1864年に王立合唱協会の指揮者として出演する。
そこでの心のこもった歓待を受けて、ブノワはその後まもなくこの協会のために男声合唱曲『収穫者たち』を書いた。
テキストはヘントの詩人ナポレオン・デスタンベルフによるもので、この作品は今なお広く合唱界においてポピュラーな作品である。
1865年には新たにブリュッセルで彼自身の作品による演奏会が、そしてもう一度ヘントでも演奏会が開かれた。
 
 
(第8章 つづく)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 14:11| Comment(0) | 音楽雑記帳
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