2016年07月26日

続:「魔王」と「ハンノキの王」

 
 
ひと月ほど前にこのブログで触れた「魔王」と「ハンノキの王」のちょっとした謎。
知り合いのピアニストYさんより、これについてより詳しく書かれた文献の所在を教えていただいた。
実に明快、すっと腑に落ちる内容であるので、ここに引用させていただこうと思う。
 
『ことばと解釈ーディトリヒ・フィッシャー=ディスカウのこと』
「みすず」2012年8月号所収、著者は三上かーりんさん。
お二人の対談がこのエッセイの主題であるが、それに先立って、歌曲における詩の、そしてその解釈の大切さを示す例として、三上さんが『野ばら』とともにこの『魔王』を挙げられている。
 
〜以下引用〜
 
詩はゲーテの〈Erlkönig〉(エルケーニヒ) です。
ゲーテはヘルダーがヨーロッパ各国の民謡を集めた詩集からこの着想を得ました。その詩集でヘルダーはデンマーク語の Ellerkonge (妖精の王) を Erlkönig (はんの木の王) と訳してしまった。
ところがヘルダーのこの誤訳の「はんの木の精霊」というイメージが広く受け入れられてしまう。ゲーテは、そのイメージに助けられて、木に憑りつく【原文ママ】精霊の像をふくらませていったのです。木の精ですからじっと動かない。枝を広げて子どもの乗る馬を待ち構えている。子どもには木の精が見えるのに、父親にははんの木にしか見えない。
日本では Erlkönig をもとのデンマーク語に近い「魔王」と訳しました。これではゲーテの木から精霊が浮かぶというイメージが抜け落ちてしまう。精霊が木にしか見えない父親の現実主義と、その精霊に向かってゆく子どもの恐怖というコントラストがすっぽり抜け落ちてしまう。魔王が空を飛んで子供【原文ママ】を追いかける訳ではありません。
 
〜引用ここまで〜
(改行は小澤が適宜施しました)
 
ヘルダーの仕事を「誤訳」と断じていらっしゃる...やはりそうなのだろうな。
しかし結果として、ゲーテにこれだけのインスピレーションを与えたわけであるから、実に「怪我の功名」だったことになる。
 
 
この話題、もしかしたらあとちょっと続きを書くかもしれません...
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 23:51| Comment(0) | 日記
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