2016年10月14日

ネーデルラント小史

 
 
 
僕が使っているオランダ語参考書 (オランダ語の基礎/白水社刊) のとあるページに、「ネーデルラント小史」と題した短い文章がある。
もちろんオランダ語だが、ネーデルラント (現在のベルギーおよびオランダのある地域) の歴史について実に簡潔に、そして分かりやすく述べられているのだ。
参考書の巻末にある本文の和訳から自由に引用させていただき、ここに紹介したいと思う。
 
 
かつてネーデルラントにはゲルマン民族が住んでいました。紀元前56年にカエサルがネーデルラントの大部分を征服し、この地域はローマ帝国の一部分になりました。
その後、フランク族がこの地域を征服しました。フランク族はフランク語、現在のオランダ語を話していました。ネーデルラントはフランク王国、後のフランス王国の一部分となりました。
 
中世にはフランドルの諸大都市はヨーロッパでもっとも豊かな貿易中心地でした。15世紀にネーデルラントはブルゴーニュ王国の一部になり、黄金時代を迎えました。
16世紀にはネーデルラントはハプスブルク帝国の一部分になりました。この時期にネーデルラントの大部分はプロテスタントで、スペインのカトリック王に対して反乱を起こしました。しかし、スペインの軍隊はネーデルラントの南部を奪還することに成功しました。
ネーデルラントの北部はスペイン人を止めることができ、独立共和国となりました。この共和国はヨーロッパのもっとも重要な貿易大国となり、全世界へ商船を送りました。南部はハプスブルク帝国の一部にとどまりました。
 
1795年にナポレオンがネーデルラントを征服しました。1815年に、ナポレオンのワーテルローでの敗北の後、ネーデルラントの北部および南部は王ウィレム1世の支配下で再び統一国家となりました。
しかし、南部ネーデルラントはウィレム1世の方針に不満で反乱を起こしました。これがベルギーの独立につながりました。この時からネーデルラントは2つの独立した国家からなります。
(引用ここまで)
 
 
貿易・商業の要衝であったことから「ヨーロッパの十字路」とも呼ばれ、常に周辺大国から狙われ数々の戦いの舞台となってきたネーデルラント。
ことにベルギーは、言語の線引きと宗教上の線引きが複雑に絡み合い、隣国フランスおよびオランダ (もとはひとつの国!) と絶妙なバランスをもって位置している。
ベルギー王国の波瀾の歴史、興味は尽きない。
 
ちなみに、我がペーテル・ブノワが生まれたのはベルギー独立の4年後、1834年である。
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 18:01| Comment(0) | 日記
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