2016年12月19日

「エロイカ」を振りながら

 
 
湘南アマデウス合奏団のプローべへ。
(18日、藤沢市内)
来春の演奏会へ向けての本格的な練習がこの日からスタート。
この半年は「エロイカ」交響曲を中心に何回かの合奏をご一緒する。
 
第1楽章はソナタ形式。
ロマン的情感がいまにもあふれてこぼれ落ちそうな、その一歩手前ギリギリで (それでもしっかりと) 均衡を保っている、エネルギーに満ち満ちた音楽だ。
気分に溺れてしまうことなく造形美の実現を目指す...決して簡単ではないけれど、なんとやり甲斐のある表現行為だろう。
 
悲哀を帯びた、それでいて高貴な佇まいを損なうことなく綴られる第2楽章「葬送行進曲」、3本のホルンが大活躍する野趣に富んだ第3楽章スケルツォを経て、音楽はフィナーレへと一気に流れ込む。
 
その終楽章の "器" にベートーヴェンは、(ソナタでもロンドでもなく) 変奏曲を選んだ。
旋律主題はバレエ音楽『プロメテウスの創造物』で用いられたもの。
 
 
楽章中盤に入ると、音楽はにわかに熱を帯びてくる。
フガート部を経てクライマックスへ。
そしてPoco andanteの大団円へと到達する部分を指揮していて、僕はこのうえない幸福感を覚えたのだった...創造主の存在を確信するかの如くに。
 
『expression という言葉は元来、物を圧し潰して中身を出すという意味の言葉だ。古典派の時代は形式の時代であるのに対し、浪漫派の時代は表現の時代である。圧し潰して出す中身というものを意識しなかった時代から、自明な客観的形式を破って、動揺する主観を圧し出そうという時代に移る。形式の統制の下にあった主観が動き出し、何も彼も自分の力で創り出さねばならぬという、非常に難しい時代に這入るのであります。ベエトオヴェンは、こういう時代の転回点に立った天才であった。』
(小林秀雄「表現について」より自由に引用)
 
ベートーヴェンの音楽は、やはり僕にとってのライフワークだ。
 
posted by 小澤和也 at 09:02| Comment(0) | 日記
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