2019年02月20日

見て、聴いて、考えて、感じる音楽の愉しみ

 
第17回 小金井音楽談話室
ヴィルタス・クヮルテットの演奏会へ。
(15日、宮地楽器ホール 小ホール)
 
談話室へ出かけるのはおよそ2年ぶり、
ヴィルタス〜を拝聴するのはなんと2016年の秋以来だ。
(あのベートーヴェンからそんなに経ってしまったのか...)
 
【過去ログ】
小金井音楽談話室でのベートーヴェン体験:2016/9/28
 
 
プログラムは
ショスタコーヴィチ/四重奏曲第3番ヘ長調 op.73
ベートーヴェン/四重奏曲第13番変ロ長調op.130
(終楽章〈大フーガ〉版)
という実に魅力的なもの。
 
窓口でチケット精算、開場前に頂戴したパンフレットに目を通す。
コンサートのディレクターである足立優司さんによるプログラムノートがほんとうに素晴らしい!
これを拝読できただけでもう、(きょう来てよかった!) と思うほどであった。
 
 
ショスタコーヴィチ/第3番は1946年の作である。
足立さんのノートによれば「戦勝気分に席巻される社会に対してシニカルな視線が注がれ」た曲。
この作品の実演に触れたのはこの日が初めてであった。
これまで正直なところ聴きやすい音楽ではなかったが...この日は違った。
奏者の方々から3mほどの距離で体験するショスタコーヴィチ。
四つの楽器から放たれる音の飛ぶさまが見える。
呼吸が、リズムが、休符すら見える。
これには魂を抉られない訳がない。
 
(この距離で聴きました)
 
 
そして後半のベートーヴェンへ。
アダージョ〜アレグロ、ソナタ形式の第1楽章、疾走するプレスト第2楽章、ポーコ・スケルツォーソと題されたアンダンテの第3楽章、ドイツ舞曲風の第4楽章、美しいカヴァティーナの第5楽章アダージョ...これらに続いて作曲者の脳裡で当初鳴り響いていたのは「巨大なフーガ」であった。
ところが初演の後の出版にあたり、この終楽章は別の音楽に差し替えられ、この〈大フーガ〉は独立した楽曲として新たな作品番号 (Op.133) を与えられる。
 
この日のヴィルタス・クヮルテットの演奏は初演時の構成に立ち返ったものであった。
僕にとってもよく耳に馴染んだ名曲であるがゆえ、ところどころ (あっ...) と思う瞬間も無くはなかったが、ベートーヴェンの原初の理念に沿った形であの深遠なカヴァティーナに続けて〈大フーガ〉を聴くことができたというのはやはり貴重な、そして圧倒的な体験であった。
 
聴きながら、次のような言葉を思い出していた。
「第三期の特徴は矛盾するものや対立的なものの綜合であり、それらの平然たる混在にあるが、若しもこの大フーゲが変ロ長調四重奏曲の終楽章に置かれて居たならば、この四重奏曲こそその様な特徴を最も明確に現はして居たものであらう。」
(諸井三郎著『ベートーヴェン絃楽四重奏曲』より)
 
 
〈大フーガ〉が終わる。
鳴り止まぬ拍手...時計の針はとうに9時を回っている。
微かに、ほんのかすかに (アンコールにOp.130の第6楽章を) と期待していたのだが...
その希望が、叶った。
〈大フーガ〉よりずっと軽妙なロンド形式のアレグロ。
実質的にベートーヴェンが生涯の最後に書いた曲である。
 
ヴィルタス・クヮルテットの皆さま、そして足立さんに改めて感謝を。
 
 
 
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 00:13| Comment(0) | 日記
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