2019年11月18日

ブロムシュテットxステンハンマルxブラームス

 
NHK交響楽団 
第1925回定期演奏会を聴く。
(16日、NHKホール)
 
§ステンハンマル: ピアノ協奏曲第2番ニ短調 Op.23
§ブラームス: 交響曲第3番ヘ長調 Op.90
 
10月初旬に飛び込んできたソリスト&曲目変更の報には正直なところやや面喰った。
巨匠の域に到達したピーター・ゼルキンのピアノはぜひとも聴いてみたかったし、演目も彼の父ルドルフの十八番であったマックス・レーガーであったから。
 
 
ヴィルヘルム・ステンハンマル (1871-1927) はスウェーデンの作曲家・ピアニスト・指揮者。
北欧における後期ロマン派に属する音楽家である。
【参考】
グリーグ (ノルウェー)...1843-1907
ニールセン (デンマーク)...1865-1931
シベリウス (フィンランド)...1865-1957
 
 
4つの楽章は切れ目なく演奏される。
第3楽章からフィナーレへと向かうattaccaはシューマンの第4交響曲を、ピアノの音の重ね方はブラームスの響きを連想させた。
また一方で金管の用法はシベリウス風な瞬間を、弦のうねるような幅広いユニゾンではラフマニノフの “華麗なる土臭さ” を感じた。
 
N響との初共演を果たしたマルティン・ステュルフェルトは繊細で美しい音色の持ち主。
ところどころ先走りしそうになる箇所もあったが、ブロムシュテットさんの厚いサポートに守られつつこの演奏機会に恵まれない作品に申し分なく光を当てていた。
アンコールでこの作曲家の小品を聴くことができたのもうれしかった。
(3つの幻想曲Op.11〜第3曲)
 
 
 
いよいよ...後半のブラームス。
「そのお齢からは想像できないような、推進力でぐいぐいと運んでゆく演奏」を勝手にイメージしていたのだが、その予測はみごとに覆された。
第1楽章冒頭より、一音一句をゆるがせにしない明確なフレージングおよびダイナミクスの処理。
「知」にしっかりと裏付けされた、心の奥底から湧き上がるアゴーギク。
そして思わず (これだ!) と膝を打ったのが「管と弦との絶妙な音量バランス」であった。
この曲でブロムシュテットさんは弦セクションに「意味なく大きな音」を決して求めていなかった気がする。
そこに現れたのは...
管楽器のすべての音の軌跡、ブラームスが書き遺した筆のあとであった。
この先すべての楽章を通して、fとff、pとppの違いがはっきりと描き分けられるのだ。
 
第2〜第3〜第4楽章がほぼ切れ間なく演奏されたのも印象的であった。
[これは2013年にN響とこの交響曲を演奏した際にも行われていたので新機軸というわけではないが]
第2楽章でのクラリネット&ファゴットの内面的な響き、第3楽章での素晴らしいホルンおよびオーボエのソロの音色が忘れられない。
ブロムシュテットさんのタクトは真実を語り、哀しさ、寂しさ、愛しさ、懐かしさetc....聴く者それぞれの心に普遍的に届く感情を「“美”をもって」表出していた。
 
フィナーレ最後の音が静かに消え (第3交響曲はすべての楽章が弱音で終わる)、訪れた長い静寂...そしてあたたかな拍手喝采。
ブロムシュテットさんがコンサートマスターへしきりに促すも、オーケストラは誰一人立ち上がらず聴衆と共にマエストロへ拍手を送り続ける。
これがいつ果てるともなく続く...と思いきや、ブロムシュテットさんが突然指揮台に上がりながら指で“3”の合図を。
第3楽章がアンコールされたのだ。
(定期公演ではまず行われないことではないかしら)
 
熱いものが頬を伝わるのをそのままに、僕はブロムシュテットさんの背中と右手をじっと見ていた。
このうえなく豊かな、音楽による心の対話の時間であった。
 
posted by 小澤和也 at 00:15| Comment(0) | 日記
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