先の見えない新型コロナウィルス禍、それに伴い数多くのコンサートや演劇などのイベントが開催中止を余儀なくされるなか、2つの公演のライヴ配信が大きな話題を呼んだ。
びわ湖ホールのヴァーグナー『神々の黄昏』(3月7&8日)、そしてミューザ川崎シンフォニーホール/東京交響楽団の演奏会 (3月8日) である。
僕はそれぞれを部分的に視聴したのだが、実にいろいろなことを考えさせられた。
ヴァーグナーの初日を観ながらのツイートより:
《美しい映像と(脳内で充分に補完できる)素晴らしい音響。
そしてここには決して姿を現さない舞台スタッフ・音楽スタッフほか全ての関係者お一人おひとりの「仕事」が結集されてゆくさまを僕は想像する...
感動と感謝で胸がいっぱいに。》
僕自身のことも含め (中止となった立川の『トゥーランドット』!)、オペラの現場で公演のために動く人々の姿を想い起こさずにはいられなかったのだ。
翌日、東響のライヴを観ながら僕はこんなことを呟いていた。
《びわ湖の『指環』同様、この音楽会に関わる全ての方々の心意気に感動。
ただ昨日と決定的に異なるのは無人の客席がずっと映し出されていること。
これが僕には辛い...あまりに辛い。
この厳しい状況が一日でも早く終息しますように。》
(そうなのだと納得していたとはいえ) 無人の空間へ向けて渾身の音楽を奏でていた楽団員の皆さんの心境はいかばかりであったろう。
サン=サーンスの交響曲が終わると同時に画面上は拍手とブラヴォーの弾幕 (画面を埋め尽くすほどのコメント表示をこう呼ぶのだそうな) が怒涛のように流れ続けていた...
《6万数千人のオーディエンスの拍手喝采がオケとマエストロに届きますように。》
この日は改めてヴァーグナーを視聴。
ジークフリートの死の場面からブリュンヒルデの自己犠牲〜終幕まで。
美しい舞台と精緻な音楽...これは間違いなく “歴史的瞬間” だ!と僕は感じた。
《芸術への献身、無償の愛、心意気...言葉にするとあまりに陳腐であるけれど。
2つのライヴ配信をきょう体験して、音楽に対する向き合い方、自分はどうあるべきかということを改めて学んだ気がする。》
『神々の黄昏』終演。
静寂の中、粛々と続くカーテンコールに再び胸を締め付けられる思いがした。
そんな僕の気持ちをほんの少し和らげてくれたのが、完全に下りた緞帳の向こう側から聞こえてきた拍手と歓声であった。
インターネットによる今回の試みはもちろん成功であったと思う。
クラシック音楽ファンの裾野を広げることにも貢献したに違いない。
それでも...
たくさんの人々に視聴されて良かったね、で済んでほしくはないし、ましてや今回の公演関係者の方々の懸命の努力と決断を美談として扱われておしまい、となっては困るのだ。
現在のこの状況がひと段落したら...
みなさま、ホールへそして劇場へお運びください。
そこには真に生きた音楽、そして表現が溢れていますから。