一向に出口の見えない新型コロナウィルス禍。 仕方のないことだが、こういった時世では芸術や文化はいつも “後回し” だ。 実に歯痒く、そして苦しい。 ネット上でこんなニュースを目にした。 【文化大臣、文化機関と芸術家への支援を約束ーグリュッタース大臣「予期せぬ緊急事態と困難への対応」】 (2020.3.11. 連邦政府報道情報局 (BPA) より) さすがは文化国家ドイツである。 この記事を読みながら、僕はとあるエピソードを思い出していた。 20世紀の大指揮者フルトヴェングラーの未亡人エリザベットさんの遺した回想録にある、第二次大戦中のベルリンでの話として述べられている文章である。 “前夜の空襲で家を破壊され、焼け出されたはずの知人がコンサート会場に来ている。 被災は誤報かと思って訊ねてみたら、 『いや、未明の空襲でたしかに家はやられました。でも、そうなってみると、フルトヴェングラーの演奏会へ行く以上のどんないいことがぼくにできるでしょう』 と答えたという......。” [中野雄著: 丸山眞男 音楽の対話 (文春新書) より引用。文中の改行は小澤が施しました] 戦争と伝染病感染拡大とを同列に扱うことはもちろんできない。 でもこれだけは確実に言えるはずだ。 『どのような極限状態にあろうとも、人間には芸術が、音楽が絶対に必要である』 |
2020年03月27日
芸術のもつ力
posted by 小澤和也 at 17:35| Comment(0)
| 日記
この記事へのコメント
コメントを書く