1766年 (エステルハージ家の楽長に昇格した年) 〜1773年頃がハイドンの交響曲創作における最初の充実期とされていることは以前に述べた。 (メルクール、哀しみ、告別、マリア・テレジア、受難などのニックネームを持つ40番台の交響曲はすべてこの時期の作品) 〜ではその後の作品はどうだったのだろう?〜 1784年にハイドンはパリのオーケストラから交響曲の注文を受ける。 その結果生まれたのが6曲からなる有名な「パリ交響曲集」(第82-87番) だ。 これら2つの時期に挟まれた1774-84年頃のハイドンの交響曲はいかにも地味である。 演奏会等で取り上げられる機会も少ないように思われるし、音楽学者ランドンの著作にも『ハイドンのこの時期の交響曲は最上の作品とはいえない』『重い責任を背負いながら任務を果たし、むしろあたふたと交響曲を作曲し(...)』などといったどちらかといえばネガティヴな記述が見られるのだ。 (ちなみに “重い責任”“任務” とはエステルハージ宮におけるオペラ上演である) 以下、この時期の作品とされている24曲を列挙する。 (作曲年代および表記順序はあくまで僕の個人的な分類・参考データである) その際、便宜的にさらに3つの時期に区切ってみた。 【前期】 §1774年 第54番ト長調、第55番変ホ長調『学校の先生』、第56番ハ長調、第57番ニ長調 §1774/75年 第60番ハ長調『うかつ者』、第68番変ロ長調 §1775/76年 第66番変ロ長調、第67番ヘ長調、第69番ハ長調『ラウドン』 §1776年 第61番ニ長調 【中期】 §1778/79年 第53番ニ長調『帝国』、第70番ニ長調、第71番変ロ長調 §1779年 第63番ハ長調『ラ・ロクスラーヌ』、第75番ニ長調 §1780年 第62番ニ長調、第74番変ホ長調 §1781年 第73番ニ長調『狩』 【後期】 §1782年 第76番変ホ長調、第77番変ロ長調、第78番ハ短調 §1783/84年 第79番ヘ長調、第80番ニ短調、第81番ト長調 一瞥して気付くのが「調性の選択」だ。 24曲中、短調作品はたったの2曲 (第78番、第80番)しかない。 長調のうち最も多いのがニ長調 (7曲)、次いでハ長調と変ロ長調が4曲ずつとなっている。 1766-73年頃の作品群において短調が5/19曲あったこと、ロ長調 (シャープx5) やへ短調 (フラットx4) といった調号の多い調性も用いられていたことを思うとその変化は興味深い。 楽章構成は24曲中 ・第60番...全6楽章 ・第68番...第2楽章にメヌエット、第3楽章がいわゆる緩徐楽章 の2曲を除きすべて「急-緩-メヌエット-急」の形をとる。 彼の集大成である「ザロモン交響曲集」、そしてその後の古典派交響曲に見られる楽章配置の “鋳型” が既にこの頃確立されていたということになろうか。 第1楽章はすべてソナタ形式で書かれ、うち7曲にゆったりとした序奏をもつ。 楽器編成においては、1776年の作品である第61番以降フルートが恒常的に用いられるようになった以外は大きな変化はないが、ファゴットやチェロがBassパートから独立して動くようになりオーケストラの色彩感が飛躍的に増している。 上に挙げた順でスコアを読み込み音源も聴いたのだが、ハイドンの実験精神とユーモアは変わらず健在である... ルーティンワークのようにさらさらと書いたような作品は皆無といってよい。 (この項つづく) |
2020年08月11日
【音楽雑記帳】ハイドン交響曲 (2) 1774-1884 その1
posted by 小澤和也 at 17:31| Comment(0)
| 音楽雑記帳
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