2020年09月30日

3つの「くちなし」(1)

 
先日出かけた田三郎歌曲リサイタルの余韻が僕の中でいまだに漂っている。
なかでも最後に聴いた「ひとりの対話」...
これが脳裏から離れない。
高野喜久雄の紡いだ重く、深くそして厳しい言葉たち、それらに呼応して痛切・峻烈を極めた田三郎の音楽。
 
その終曲「くちなし」が単独で取り上げられることの多い名曲であることを僕は不覚にも知らなかった。
前奏がゆったりと流れ出した瞬間に会場の空気がふわっと和らいだ、あの驚きと動揺も忘れ難い。
 
このときの思いを追体験するために、田三郎歌曲集の楽譜をさっそく購入。
楽譜の風景は実に美しかった。
 
 
巻末に収められている詩をここに引用させていただく。
 
 
くちなし
高野喜久雄 詩/田三郎 曲
 
荒れていた庭  片隅に
亡き父が植えたくちなし
年ごとに  かおり高く
花はふえ
今年は十九の実がついた
 
くちなしの木に
くちなしの花が咲き
実がついた
ただ  それだけのことなのに
ふるえる
ふるえるわたしのこころ
 
「ごらん  くちなしの実を  ごらん
熟しても  口をひらかぬ  くちなしの実だ」
とある日の  父のことば
父の祈り
 
くちなしの実よ
くちなしの実のように
待ちこがれつつ
ひたすらに  こがれ生きよ
と父はいう
今も  どこかで父はいう
 
〜歌曲集『ひとりの対話』より
 
 
どうしても彼の詩集を手元におきたくなり、比較的入手の容易な自選詩集を古書サイトで購入。
さっそく「くちなし」のページを開いて...
ハッとした。
詩の “たたずまい” がまるで違うのだ。
 
 
くちなし
 
 
くちなしの木に
くちなしの花が咲き  実がついた
ただそれだけのこと
なのに心は  鳴り出して
もう鳴り止まぬハープのようだ
「ごらん  くちなしの実をごらん
熟しても  口をひらかぬ  くちなしの実だ」
とある日の  父の声までそれにまじって
 
〜詩集「二重の行為」より
現代詩文庫 40 高野喜久雄 (思潮社刊、1971年) 所収
 
 
全部で四連からなる歌詩のうち第一および第四連がすべて省かれている。
かつて庭にくちなしを植え、“わたし” に生きざまを説いた父の姿はここには描かれない。
一方で、生命の力と神秘に感嘆した “わたし” の心のふるえるさまを鳴り止まないハープの響きにたとえている点がどことなく面白い。
 
ともあれ、歌詩の第四連の存在を既に知っており「ひたすらに こがれ生きよ」という父のメッセージがこの詩のエッセンスであると思っていた僕は、この現代詩文庫版「くちなし」の良さをまだ味わえていないのが正直なところだ。
 
こうなってくるともう、詩集「二重の行為」の初出の版である1966年刊行の「高野喜久雄詩集」を見るしかないではないか!
 
〜ということでふたたび、古書店の通販サイトをあれこれ探し回ることに。
 
(この項つづく)
 
 
余談ですが...
現代詩文庫版を購入した際、とっても素敵な一筆が添えられていました。
 
 
幾度となく古書のネット通販を利用しているけれどこんなことは初めて!
じんわりとあたたかな気持ちになりました。
posted by 小澤和也 at 22:48| Comment(0) | 日記
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