2021年04月17日

ケルテス48回目の命日に

 
4月16日はハンガリーの名指揮者イシュトヴァン・ケルテス(1929-1973)の命日。
久しぶりに彼のディスクを何か聴くとしよう、と手に取ったのがウィーンフィルとのこの2曲。
 
 
§シューベルト: 交響曲第6番ハ長調D589
(1971年4&10月録音)
屈託のない明るさ、溌剌としたリズム、そして溢れる歌心...
作品のもつ魅力とケルテスの若々しい音楽性とが見事に調和した演奏。
 
第1楽章、序奏に続く主部Allegroをケルテスは心持ち速めにとり、当時シューベルトが大いに感化されていたイタリアオペラの序曲のスタイルをくっきりと描き出している。
また第2楽章において我々は、ウィーンフィルとの厚い信頼関係から滲み出たであろう親密な音楽を聴く。
 
唯一意外だったのが終楽章のテンポである。
作曲家の指定はAllegro moderato、その主題もややおっとりとした曲想であるにもかかわらず、ケルテスはこれを第1楽章主部よりもさらに速く始めるのだ。
実は、この楽章のコーダ(結尾)の楽想は上記アレグロ・モデラートよりもずっと速く演奏されるべきもので、指揮者は皆この部分の扱いに頭を悩ませるのだが、ケルテスは楽章冒頭から速めのテンポをとることでこの問題をあっさりと解決している...いかにもケルテスらしいやり方、ということになるだろうか。
 
 
§モーツァルト: 交響曲第40番ト短調K.550
(1972年11月録音)
言わずもがなの名曲、名盤である。
モーツァルトの晩年の不遇を思い、またト短調が彼にとっての宿命的調性であるがゆえに、後世の我々はこの作品に対してさまざまに思いを巡らせてきた。
そして「苦悩」「愁傷」「疾走する哀しみ」といったキーワードがイメージとして定着する。
 
しかしケルテスはこの交響曲に「暗さ」の解釈を施していないように思える。
スコアに対するひたすら忠実なアプローチ。
「楽譜通りにやれば佳いモーツァルトになるのだ」
という揺るぎない確信を持っているかのようだ。
テンポは常に自然であり、ウィーンフィルの音色も明るい。
それでいて、流れ出る音楽は実に表情豊かなのである。
端正だがロマンティックでもあり、微笑みを見せつつも密やかな涙がある。
posted by 小澤和也 at 01:09| Comment(0) | 日記
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