2023年10月05日

守るべきもの、そして「よき聴き手」であること

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第22回 小金井音楽談話室
ヴィルタス・クヮルテット定期演奏会
を聴く。
(10月4日、宮地楽器ホール 小ホール)

前回公演 (メンデルスゾーン&ツェムリンスキー) が昨年11月であったと記憶しているのでほぼ一年ぶり。
このシリーズの素敵な点はまず何といっても “演奏者との距離感” である。
ヴィルタスの皆さんの息遣いや視線のやり取りがひしひしと伝わってくるのだ。
そしてもうひとつの魅力がこのコンサートのディレクターでご案内役を務められている足立優司さんの楽曲解説だ...そう感じているのは僕一人ではないはず。

この日のプログラムは
モーツァルト: ニ長調KV499
バーバー: ロ短調Op.11
ブラームス: イ短調Op.51-2
という幸福感あふれるもの。

いわゆる「ハイドン・セット」全6曲ばかりが注目されとかく影の薄い印象のあるこの四重奏曲だが、ヴィルタス・クヮルテットの演奏はしなやかさと力強さを併せもった実に見事なモーツァルト解釈であった。

続くバーバーはやはり中間楽章モルト・アダージォが白眉。
僕の愛聴ディスクであるクロノス・カルテットの演奏がついつい脳裏をよぎってしまった(コンサートのきき手として決して褒められた態度ではない) のだが、静謐感を前面に出したクロノスのアプローチに対し、この日の演奏はあたかも作曲当時のバーバーの心情にとことんまで共感し尽くしたような熱い音楽であった。
悲痛なクライマックスから突然の静寂を経たのちに回帰する主題、ここでは冒頭と異なりヴァイオリンに加えてヴィオラがユニゾンで加わるのだが、心もち強く奏されたその1オクターヴ下の、すべてを包み込むような深い響きに打たれた。

そしてブラームス。
交響曲と同様、「偉大過ぎた先人」のあとに何ができるのかという苦悩にも似た重圧とそれに対するブラームスの見事な解答をしっかりと音化した演奏を存分に堪能した。
さらには、全曲を通して ”すべてあるべき箇所にピタリと決まった“ 内声を聴かせてくださった2ndヴァイオリン・對馬佳祐さんに心からの “ブラーヴォ!” をお送りしたい。

帰途、電車の中でプログラムノートに改めて目を通す。
『〜いつの頃からかそれ [=音楽文化] は守り伝えていくものではなく ”消費“ される対象となり、かつて文化の最も洗練された姿のひとつであった芸術がその身にまとっていた輝き (アウラ) も、既に失われて久しい』
『音楽が美しく作曲され、演奏されたとしてもそこに聴き手がいなければ、音楽は「目的」を持ち得ない』
足立さんの紡ぐ言葉の数々に、この日の演奏に劣らぬほどの感銘を覚えたのだった。
(プログラムノートより引用させていただきました)

佳い時間でした。
ヴィルタス・クヮルテットの皆さん、足立さん、ありがとうございます。
posted by 小澤和也 at 01:03| Comment(0) | 日記
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