きょう8月17日は フランデレンの作曲家ペーテル・ブノワ (1834-1901) の誕生日。 ブノワって...誰? 皆さんきっとそう思われることでしょう。 世代としてはドイツ・ロマン派の巨匠ブラームス (1833-97) とほぼ同じ、またベルギー生まれという点ではセザール・フランク (1822-90) と同郷。 (もっともフランクはパリで活躍したワロン人ですが) §ベルギー・フランデレン地方の小都市ハレルベーケ生まれの作曲家・教師。ブリュッセル音楽院にて学ぶ。1857年、カンタータ『アベルの殺害』でベルギー・ローマ賞受賞。ドイツおよびボヘミアに留学、そののちオペラ作曲家を志しパリへ出るも成功せず、ブリュッセルへと戻る。 § 1867年アントウェルペンに音楽学校を設立、フラマン語 (ベルギーで話されるオランダ語) による音楽教育の確立のために尽力する。 (当時ベルギー国内では政治・経済・文化等あらゆる面でフランス語とその話者が優位であった) この学校は1898年王立音楽院として正式に認められる。1893年、フランデレン歌劇場を設立。1901年アントウェルペンにて死去。 § ブノワはその後半生を母国語での音楽教育に捧げたため、没後はナショナリストのレッテルを貼られてしまう。また教育者としてのイメージが先行し、ベルギー国内ですら「誰もが名前は知っているけれど作品は知らない」という状況である。 § 実際、彼の中期以降の作品には劇音楽『ヘントの講和』、カンタータ『フランデレン芸術の誇り』(別称: ルーベンスカンタータ) やいくつかの子供カンタータなど、啓蒙的・教育的な作品が多い。そしてテキストにフラマン語を用いているため国外ではまず演奏されない。 § しかしブノワの作品はそれだけではない。20〜30代に書かれた『宗教曲四部作』、『フルートと管弦楽のための交響詩』、ピアノ曲集『物語とバラッド』などナショナリズムの色眼鏡にとらわれることなくもっと広く聴かれてよい佳品も多い。 昨年、『荘厳ミサ』(上記『宗教曲四部作』の第二作) を東京で上演しました。 ↓そのときのブログ記事がこちら↓ http://kazuyaozawa.com/s/article/190580476.html みなさまにもペーテル・ブノワとその作品を知っていただけますよう願ってやみません。 そしてそれが実現するよう、これからも発信を続けていきたいと思います。 |
2024年08月17日
ペーテル・ブノワ 生誕190年
posted by 小澤和也 at 07:32| Comment(0)
| 日記
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