NHK交響楽団 第2020回定期演奏会を聴く。 (10月20日、NHKホール) プログラム前半はオネゲルの交響曲第3番「典礼風」。3つの楽章それぞれに『怒りの日』『深き淵より』『我らに平和を与えたまえ』というカトリックの典礼にちなんだ副題が置かれ、宗教的で強いメッセージ性を帯びた作品である。三管編成、多くの打楽器にピアノも加わった大オーケストラから生み出される響きは時に凄絶を極め、聴く者に不穏な感情を呼び起こす。 それでもこの作品は決して“描写音楽”ではないと個人的には思う。作曲家はこの曲に深遠なテーマを持たせているが、その表出手段のベースにあるのは“抽象の美”だと感じるからである。 そのことを私に確信させてくれたのがブロムシュテットさんの音楽づくりであった。楽想がどれだけ激しさを増しても、マエストロの音楽は美しさを微塵も損なわない。音量や音色、そして表情づけ...それらの全てがぎりぎりのところで均整を保っている。 N響の機動性は実に見事であった。弦楽器群のアンサンブルの確かさはもちろんのこと、管セクションの充実がこの高密度な演奏を生み出していたと思う。楽曲の輪郭線としてのソロ楽器の見事さはいうまでもないが、この日客席で強く感じたのは1st以外のいわゆる“内声パート”の存在感だ。オネゲルの書法がそれを求め、オーケストラは素晴らしい演奏でそれに応えたのだった。 後半はブラームスの交響曲第4番ホ短調、押しも押されもせぬ名曲だ。第1楽章冒頭はさりげなく、しかし万感の思いをこめて歌われる。しかしそれは情動的な揺らぎ、節回しというよりは覚醒した意識の中でコントロールされた微妙な(楽譜にない)ニュアンスの変化や楽器間バランスの出し入れから生まれる柔らかさとしなやかさだ。 その先も、マエストロは百戦錬磨のこのオーケストラに対して細部に一層の彫琢を施した精緻な表現をひたすら要求してゆく。その音楽は寂寥感を帯びてはいるが決して枯れてはいない。結果として、前回協演時(2013年)とも(これは当然として)、またゲヴァントハウス管との近年のレコーディング(2021年)とも異なった新しいアプローチが実践されている。 ブロムシュテットさんはどこまで進化を続けるのだろう! 第2楽章以降も、旋律は磨きぬかれ、複数楽器の音色のブレンドは限りなく美しく、楽段ごとのテンポの移行も鮮やかである。 ブラームスがこの交響曲にこめた憧憬、諦念、諧謔、古典美への回帰...マエストロはこれらを“抽象の美”の語彙でもって完全な形で描き切った。 ずっと口には出さなかったこと。 2022年に同じNHKホールでマーラーを聴き ─この年にブロムシュテットさんは大怪我をされ、以来腰掛けての指揮を余儀なくされた─ 、さらに翌2023年の来日が体調不良によりキャンセルになったとき、 (ああ、これでもう聴けないのかも...) と思ったのだった。 この危惧は今回良い方に外れ、私たちは再びブロムシュテットさんの音楽に触れることができた。 このうえなく幸せな時間であった。 ブロムシュテットさん、 これからも、どうぞお元気で。 |
2024年10月21日
ブロムシュテットさんのオネゲル、そしてブラームス
posted by 小澤和也 at 09:26| Comment(0)
| 日記
この記事へのコメント
コメントを書く