きょう3月8日は フランデレン(ベルギー)の作曲家ペーテル・ブノワ(1834-1901)の命日。 十数年前に彼の音楽と出会って以来、ブノワ研究は私にとってのライフワークとなりました。 ずっと以前につぶやいたブノワの生涯と作品についての連続ツイートを再掲します。 (1) ペーテル・ブノワは1834年8月17日、南西フランデレンの小さな町ハレルベーケに生まれました。ブリュッセルで学び、カンタータ「アベルの殺人」でベルギー・ローマ大賞を受賞。ドイツ他に留学後パリへ移り、オペラ作曲・指揮を志しましたが成功しませんでした。 (2) ブノワはその後アントウェルペン(アントワープ)へ赴き音楽学校を設立します。そこで彼はフランデレン語(オランダ語)による音楽教育に尽力、母国語による歌曲やオラトリオなどを数多く作曲しました。 (3) ブノワはその晩年、アントウェルペンにフラームス(フランダース)歌劇場を設立、また彼の音楽学校はフランデレン王立音楽院として承認され、パリやブリュッセルなどのそれらと肩を並べるに至ったのでした。 (4) 「宗教曲四部作」(1859-63)... 1.クリスマス・カンタータ 2.ミサ・ソレムニス 3.テ・デウム 4.レクイエム…壮年期のブノワの代表作。カンタータを除く3曲で、彼のトレードマークともいえる二重合唱が用いられています。素朴さとロマン性を併せ持った佳品です。 (5) ピアノのための「物語とバラッド集」(1861)、ピアノと管弦楽のための交響詩(1864)、フルートと管弦楽のための交響詩(1865)… 母国に伝わる民謡・伝説からインスピレーションを受けて作曲されました。特に「フルートと〜」はロマン派期にこの楽器を用いた数少ない協奏的作品として要注目。 (6) カンタータ「フランデレン芸術の誇り」(1877)… 1870年代前半、ヴァーグナーの影響を受け神秘的・内省的作風に傾いていたブノワが、そのスタイルを一変させて広く大衆にアピールした壮大な頌歌。「ルーベンス・カンタータ」という愛称でより知られるようになります。 (7) ルーベンス・カンタータ、そのテキストは愛国心にひたすら訴えかける微笑ましいものですが、その音楽は平明な人懐こさを持っています。きっと一般市民も混ざってコーラスパートを歌ったことでしょう。児童合唱の歌う「すべての鐘を鳴らそう〜」のくだりはグッときます。 きょう、ヴォーカルアンサンブルのレッスンでいつもご一緒する団員Aさんからすてきなプレゼントをいただきました。 ![]() 1934年、ブノワの生誕100年を記念して発行された切手です。 国名の表記が二ヶ国(フランス/オランダ)語でなされているところがいかにもベルギーらしい。 未使用、しかもこんなに美しいコンディションで残っているものなのですね。 Aさん、ありがとうございます。 さて ─ ペーテル・ブノワ作品を聴いていただくための小さなプロジェクト、現在準備中! 近日公開いたします...ご期待ください。 |
2025年03月08日
ペーテル・ブノワの命日に
posted by 小澤和也 at 22:26| Comment(0)
| 日記
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