2011年01月25日

フルトヴェングラー考

グスタフ・ハインリヒ・エルンスト・マルティーン・ヴィルヘルム・フルトヴェングラー。
1886年1月25日、ベルリンに生まれる。
…というわけで、今年はこの大指揮者の生誕125周年なのだそうだ。
(アニヴァーサリー企画のCDもよく売れているらしい)


久しぶりに、フルトヴェングラーの録音をいろいろと聴きながら、彼の代表的著作「音と言葉」を読んで過ごす。
ベートーヴェン、ヴァーグナー、ブルックナー、ブラームスなどの作曲家について論じたものや、「作品解釈について−音楽の宿命的な問題」他の実際的な論述など、その内容は多岐にわたっている。
(ただし、どの章においてもその文体は重く難解だ)


今日じっくりと読んだのは
「偉大さはすべて単純である」という最晩年の論文。
現代における音楽界の危機について、厳しく指摘したものだ。
(理論万能の演奏表現、あるいは作曲家と聴衆の間の乖離、etc.)
この「現代」とはもちろん、これが書かれた1954年当時のことを意味する。
だが、これをそっくり「今」に当て嵌めても通用するように思うのだ。


ブルックナーの「第9交響曲」を聴く。
フルトヴェングラーがデビューの際に選んだ作品である。
楽曲そのものの持つ悲劇性と、彼の音楽創りのベクトルとが見事なまでに一致していて、このうえなく痛切な響きとなって表現されている。
実に感動的な演奏だ。


未だ前世紀の余韻の中にあった古き佳き1920〜30年代から、ドイツの最も暗い「第三帝国」時代、そして戦後の混乱・変革期に至るまで…
真に激動の時代に生きたマエストロであった。
posted by 小澤和也 at 23:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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