2011年03月14日

僕に出来ること

地震発生から3日目の夜。
あれから、折にふれ考えていた。
僕に出来ることはなんだろう…

そして思った。
月並みだけれど、人として、できることを当たり前にやるだけだ、と。
節電、募金、献血。
そして被災地とそこにいる方々を思い、無事と平穏を祈る。
あとは…
これまで通り、音楽をし、音楽について考え、音楽の持つ喜びや力を伝えてゆく、
それしかないのだな。


この次からまた、今までと同じように音楽についてここに綴っていこう。
posted by 小澤和也 at 02:27| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記
この記事へのコメント
こんばんは、夜分遅くに失礼いたします。
信じられないことが起こってしまいました。
様々な大災害がいっぺんに。
また制御できないものをつくってしまいました。
とにかく今は被害を最小限に留めるしかないと思います。
また改めて被災者の方の無事を祈る次第です。
という自分も2007年3月25日(日)午前9:42に
能登半島地震を経験しました。
時間にして40秒ほどでしたが、店内のあらゆるものが落ちて割れました。店内は一面酒浸しとなり、
もとに戻るまで1週間かかりました。
しかし今回のそれはケタ違い。しかも約2分。長いです。
為す術もないまま家屋が倒壊し津波が襲いかかり、
火災が発生した。想定内なんて言葉はどこにあったのでしょう。
ここ石川県にも原発はあります。羽咋市の北に位置する志賀町。七尾市から半径20〜30kmしか離れていません。
だからもし、日本海であのような複数のプレートが同時に破壊されたら…。簡単に能登地方は消えてなくなります。
でもこのようなことは志賀原発が建設される前から「石川県が消える日」などというショッキングな本が話題になっていたので、どうしようもないことはあるのだと思っています。今から20年以上前のことですが、その時は小学4年生。担任の先生は普段は明るく面白い先生でしたが、社会科の授業で原発の話題になると、放射能が発生したらどこまで逃げれば助かるかとか、爆発したらどうなるかとか怖いことを平気で言うので苦手でした。また生来神経質な性格ですが、当時原発のトラブルのことを考えすぎて放射能の進む方向を変える装置(6万円ほど)なんてわけのわからないものを買おうとさえ思いました。
その結果、その時から白髪が生えました。
さて、また長く書いてしまいました。
東京地方も大変ですね。地震情報を調べてみると
11日と12日の15:00ごろに東京湾を震源とする震度3の地震が気になって仕方ないのですが、揺れはありましたか。
とにかく一日でも早く復興を願うばかりです。
Posted by norisuke at 2011年03月15日 01:02
norisukeさん、コメントありがとうございます。
未だに余震が止まず、落ち着かない日々が続きますね。
福島のことも気掛かりです。
今はとにかくすべてにおいて冷静に考え、行動したいですね。
元気を出して過ごそうと思います。
Posted by ozawa at 2011年03月17日 22:51
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