2012年10月03日

愛聴盤(32)〜ノイマンのマーラー

 
§マーラー/交響曲第3番
  ヴァーツラフ・ノイマン指揮 チェコフィル
('94年録音)
 
 
マーラーの音楽に何を求め、何を見るか。
僕にとってのそれは、年月の経過とともに、また僕自身の音楽的素養の深化(していると仮定して…)につれて、少しずつ変わってきた。
 
10代の頃…
御多分に洩れず、ワルターやバーンスタインの録音によって僕はマーラーの世界を知った。
そしてその後、ショルティに度肝を抜かれ、テンシュテットに魂を激しく揺さぶられもした。
これらの名指揮者の演奏すべてが「マーラーの真実」を語っているのだと思う。
 
第3番をはじめて聴いたのは中学生の頃、たぶんFM放送で流れていた若杉弘/ケルン放送響の演奏だったと記憶する。
(この時はたしか、特集が組まれていて、他にカラヤンの第4、ギーレンの第7、インバルの第9などが放送されたのではなかったかしら…
今思えば、マーラー理解の洗礼を受けたような一週間であった)
それから、クーベリックの2枚組LP(当時、数少ない廉価盤だった)を小遣いをはたいて買い、全音のミニスコアを見ながら聴いたものだった。
マーラーに関する本や雑誌も、手当たり次第に貪り読んだ。
 
こうして僕の中で、マーラーのイメージが形作られていった。
華麗な極彩色的音響、激しい感情表出、さらには極めて強い「部分部分」の存在感。
 
それゆえ、長大な第3交響曲はなかなかの難敵(?)であったのだが…
このノイマン盤との出会いが、僕にとっての「作品の景色」を大きく変えた。
ここに聴くチェコフィルの響きは実に柔らかく、「部分」の誇張によって全体が犠牲になることが決してない。
瞬間瞬間を切り取ったような巨大な音の塊の代わりに、常に流れる歌がある。
そして何よりも…
(最終的に表題は除かれたが)マーラーが全6楽章を通して語ろうとしていた「森羅万象のありよう」なるものがかくも見事に、かつ作為なく表現されているのだ。
 
全曲を聴き終える。
静かな、真に静かな感動。
現在の僕の心に最も深く響くマーラーは、これだった。
 
作品のキャラクターと指揮者ノイマンの美質との、このうえなく幸福な結び付きが…ここにはある。
 
 
posted by 小澤和也 at 01:58| Comment(0) | 愛聴盤
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