東京オペラシティにて、「ヨハネ受難曲」を聴く。 ![]() 今日はキリスト教の暦における《聖金曜日》=復活祭前の金曜日。 それを意識していたわけでは全くなく、かねてより一度聴いてみたいと思っていたバッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)の演奏会があるということで、どちらかといえば軽い気持ちでチケットを求めたのであった。 ![]() 午前中は家で予習。 新宿で打ち合わせをひとつ済ませ、オペラシティへ。 演奏会というよりも何らかの儀式に臨むかのような、そんな場内の雰囲気。 ![]() 鈴木雅明さんの音楽創りは、速めのテンポの中ですべての音、すべてのフレーズに強い意味付けを施したものに感じられた。 レチタティーヴォはもちろん、コラールにさえ緊張感が漲っており、やや意外に思いつつも圧倒された。 BCJの独唱・合唱・オーケストラの技術は、おそらく現在考えうる最上のレベルのものではないだろうか。 個人的には、ソプラノソロと通奏低音に深く感銘を受けた。 (もちろんエヴァンゲリストも!) ただ一点、これはよく分からないのだけれど… 座席が3階正面だったため、声楽/器楽のバランスが常に理想的、とはなっていなかったようにも思えた。 もっと小さな空間で、ステージに近い位置であったら、より言葉を強く感じることができたかもしれない。 ともあれ、第二部、イエスが十字架に付けられる辺りからの音楽は凄まじかった。 その場にいてふと思ったのは、 「いま自分はここで…単に聴いているのではなくて、何かを "体験" しているのだな」ということ。 最後のコラールの音が消えてからも、しばらく放心状態であったと思われる。 (実はよく覚えてないのだ) 吉田秀和さんだったか、(これは「マタイ」についての言及だったと思うが)「こういった "大きな" 音楽は一生にそう何度も聴けるものではない…」といったようなことを氏の著書に遺しておられたと思う。 これを初めて読んだ時はあまりピンとこなかったのだけれど、今日はこのことがとてもよく解るような気がする。 貴重なバッハ体験であった。 |
2013年03月29日
聖金曜日のバッハ
posted by 小澤和也 at 23:08| Comment(2)
| 日記
ご感想,とてもよくわかりますし,特に「体験」というのは私もいつかのブログで書いた記憶があります。
今日のBCJヨハネは,私がこれまで聴いたたぶん3つの中でも違うアプローチだと思いました。
会場については,私も普段神戸松蔭の300人ほどのチャペルで聴いておりますので,オペラシティは古楽オケのように言葉をしゃべる音楽にはやはり大きすぎる…と思います。
それもあって,私は2F下手のステージに近いところに取りました。
コメントありがとうございます!
2階下手、ステージ寄り…さすがです。
バルコニー席を眺め、
「あそこだったらもっと言葉が聴けただろうな」
などと考えながら鑑賞しておりました。
次の機会には、もう少しコンパクトな空間でカンタータを聴きたいと思います。
いずれまたお目にかかれますように!