2013年07月19日

伝記 ペーテル・ブノワ(5)

 
§第2章
[ペーテル・ブノワの少年時代]
 
(前回からの続き)
 
とりわけ彼の祖父は稀有な人物であった。
この善良な老人は学校へ通わなかったので、いわゆる "インテリ" ではない。
しかしながら彼は聡明で感受性が強く、気さくな人柄だった。
彼はハレルベーケでは有識者と見なされていた。
彼の村で幾度か(近隣の村でも一度)式典があり、祖父は詩をもって祝宴に光彩を添えるべくそこへ招かれた。
彼はたいてい、フランデレンの英雄たちについて、そして彼らがいかにして苦しみに耐え自由のために戦ったかについて語ったのだった。
 
祖父は人々を魅了した。
彼らは祖父の話に傾聴し、彼の言葉で無駄に消え去るものはひとつもなかった。
また興味深いことに、彼はそれらの言葉を前もって紙に書くことをしなかった。
朗読をしなければならない時には、その場ですぐ作品を創った…
彼は詩を即興で読んだのである。
 
誰もが彼に対して尊敬の念を抱いていたこと、そして人々が彼を学識豊かな人とみなしていたことに何ら不思議はない。
祖父はフランデレンの歴史、さらには様々な薬草や植物とそれらの持つ医学的な力についても理解していた。
そして自然現象や太陽、月、星々についてもよく説明することができたのだった。
その話し手はペーテル少年の良き友でもあった…
彼らはよく一緒に長い散歩をし、祖父はあらゆる物事について語った。
このようにして、自然への賞賛とあらゆる創造物への愛が少年の心の中に育まれ、ペーテルは自分の国やその国民、その歴史を理解し慈しむことを学んでゆく。
 
家族以外では、近隣の村出身のオルガニスト、ピーテル・カルリールを大きな支えであると感じていた。
ペーテルは彼にオルガンとピアノを学ぶ。
このカルリールは有能な音楽家であり、彼の生徒にとっては真の友であった。
彼は幾度か、演奏会やオペラのためにブリュッセルやヘントに移り住み、そこから帰ると、彼が聴いたものについて生徒に熱っぽく語るのであった。
それらの話はペーテルの想像力を大いに掻き立てた…
自分も音楽を創る…作曲するのだ、と。
 
作曲については不充分な教育しか受けておらず、また賛同も得られなかったが、彼は敢えて挑戦した。
1850年9月3日ー当時ブノワはようやく16歳ー、寄宿学校において厳粛な授賞式が行われた。
プログラムには(もちろんフランス語で!)このように印刷されていた…『この音楽は、本学生徒ピエール・ブノワによって作曲され指揮される』。
 
この地での最初の成功は、重大な第一歩へのひとつの刺激となっただろうか?
そうであったに違いない…
なぜならばこの時以後、ペーテル・ブノワはこの分野を深く研究することを望み、まもなくカルリールを介してブリュッセルの音楽院の生徒として迎え入れられたのである(1851年)。
 
しかし、首都ブリュッセルでの彼を追ってゆく前に私(著者)は、彼の受けた普通教育についていくつか語らねばならない。
 
(第2章 完)
posted by 小澤和也 at 20:16| Comment(0) | 音楽雑記帳
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