ここのところ、仕事の合間にモーツァルトを聴くことがまた多くなってきた。
最近無性に惹かれるのが、1776〜79年頃、いわゆる「ザルツブルクでの鬱屈期」の作品たちだ。
(77〜78年のパリ楽旅期はひとまず措くとしよう)
それらはあたかも、彼の音楽に理解を持たないこの街に嫌気を覚えつつも、大きく翅を広げようとする直前の "さなぎ" のような。
例を挙げれば、
・ハフナーセレナード
・ピアノ協奏曲「ジュノーム」
・戴冠式ミサ曲
・交響曲第33番変ロ長調
・ディヴェルティメントニ長調KV334
・協奏交響曲KV364
…etc.
我々はウィーンでのモーツァルトの八面六臂の活躍を、そしてかの地でのさらなる円熟を知っている。
でも実際にはこの「鬱屈期」において、既にモーツァルトの音楽は充実し切っていたのだと思う…『若さの完成形』とでも言おうか。
このあたりまで書いて、ふと気付いた。
この時期には「変ロ長調」の傑作が多いのではないかしら?と。
上に挙げた交響曲の他にも
・ディヴェルティメントKV287
・ピアノソナタKV333
・ヴァイオリンソナタKV378
やや後年になるが
・グランパルティータ(13管楽器のセレナード)KV361
など。
この「清澄でありながらかすかに仄暗い」変ロ長調が、この時期のモーツァルトの心情を表しているのかもしれない…
そんなことを考えてみた。
単なる偶然かもしれないけれど。