2014年01月25日

「フルトヴェングラーの第九」考

 
1月25日。
ドイツの大指揮者フルトヴェングラーの誕生日(1886年生)に際し、久しぶりにじっくりと彼のディスクを聴く。
 
取り出したのはこれ。
§ベートーヴェン/交響曲第9番
1954.8.22. ルツェルン音楽祭でのライヴ
 
亡くなる3ヶ月前の録音である。
…ということで、とかく『最晩年の淡々とした境地』『衰えからくる弛緩』『枯れた演奏』などと強調されることが多いのだが、僕は必ずしもそうは思わない。
 
第1楽章冒頭こそやや手探りの出だしにも聞こえるが、ほどなくして堂々たるベートーヴェンが姿を現す。
オーケストラはフィルハーモニア管(ロンドン)だが、マエストロの意向に沿った重心の低いサウンドを奏でていると思う。
 
参考までに、これまた名演との誉れ高い1951.7.29.の演奏(いわゆるバイロイトの第九)との演奏時間の比較をしてみたい。
第1楽章…17'41"(B)/17'45"(L)
第2楽章…11'53"/11'50"
第3楽章…19'28"/19'27"
第4楽章…24'51"/25'06"
合計……  73'53"/74'08"
第4楽章以外では両者にほとんど差がないことがわかる。
 
ライヴのフルトヴェングラーといえば、テンポの大きな揺れがトレードマークのように語られるが、この演奏ではそれが慎重に制御されている。
「遅くする」方への変化はこれまで通りなのだが、いわゆるアッチェレランドは実に客観的・理知的なのだ。
これは僕の勝手な想像だが…
もしもフルトヴェングラーがセッション録音でこの交響曲を遺していたならば、この「ルツェルンの第九」のような演奏になったのではないだろうか。
 
第2楽章スケルツォの激しい推進力(それでいて抜群の安定感!)、
そして第3楽章アダージョでは限りない安らぎと張り詰めた集中力との奇跡的な共存が見事である。
 
「ルツェルンの第九」は何といっても録音が良い。
(僕が聴いているのは仏Tahra盤である)
音がいいから、想像で補う必要がない。
だから楽に聴ける。
その恩恵を最も感じ取れるのが第4楽章だ。
冒頭の低弦によるレチタティーヴォ、「歓喜の主題」のピアニッシモ、そして鮮明なコーラス…
すべてが美しい。
あとはもう、どこまでがフルトヴェングラーでどこからがベートーヴェンなのか、そんなことがどうでもよくなるような感動的な音楽だけが流れてゆく。
 
ほとんど考えると同時に書いていたので、脈略のない文章になってしまった。
レトルトカレーの昔のCMではないが、
「バイロイトもいいけどルツェルンもね!」
と言いたかったワケである。
ここに書けなかったことも含め、敬愛するフルトヴェングラーの音楽について考えるよい時間となった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 23:36| Comment(2) | 日記
この記事へのコメント
第九の最高の演奏として、フルトベングラーの演奏がよく取り上げられますね。

クラシック音楽ファンなのですが、トスカニーニやワルターやフルトベングラーの演奏はほとんど聞いていないんです。高校の頃、カラヤンのベートーベン交響曲全があって、これにはなじんでいたのですが、こういった大家の演奏のレコードは高くて、こづかいでは買えなかったんです。

その後「艶」のないベートーベンの音楽をあまり聞かなくなり、最近になってまた聴き始めました。

今では、ヤルビー・ヤンソンス・ティーレマンの演奏を気分によって聞いています。
Posted by ほくと at 2014年02月19日 23:33
ほくとさん

ヤルヴィ、ヤンソンス、ティーレマン…
現代ベートーヴェン演奏の正統、まさに直球ど真ん中ですね!
さすがです!
私がフルトヴェングラーなど往年の巨匠の演奏を敬愛するのは(もちろん「好きだから」なのですが)、より「作曲家の時代に近い」音楽であることを感じることができるからです。
機会がありましたらご一聴ください。
Posted by ozawa at 2014年02月20日 14:04
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