2024年08月17日

ペーテル・ブノワ 生誕190年

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きょう8月17日は
フランデレンの作曲家ペーテル・ブノワ (1834-1901) の誕生日。

ブノワって...誰?
皆さんきっとそう思われることでしょう。
世代としてはドイツ・ロマン派の巨匠ブラームス (1833-97) とほぼ同じ、またベルギー生まれという点ではセザール・フランク (1822-90) と同郷。
(もっともフランクはパリで活躍したワロン人ですが)


§ベルギー・フランデレン地方の小都市ハレルベーケ生まれの作曲家・教師。ブリュッセル音楽院にて学ぶ。1857年、カンタータ『アベルの殺害』でベルギー・ローマ賞受賞。ドイツおよびボヘミアに留学、そののちオペラ作曲家を志しパリへ出るも成功せず、ブリュッセルへと戻る。

§ 1867年アントウェルペンに音楽学校を設立、フラマン語 (ベルギーで話されるオランダ語) による音楽教育の確立のために尽力する。
(当時ベルギー国内では政治・経済・文化等あらゆる面でフランス語とその話者が優位であった) 
この学校は1898年王立音楽院として正式に認められる。1893年、フランデレン歌劇場を設立。1901年アントウェルペンにて死去。

§ ブノワはその後半生を母国語での音楽教育に捧げたため、没後はナショナリストのレッテルを貼られてしまう。また教育者としてのイメージが先行し、ベルギー国内ですら「誰もが名前は知っているけれど作品は知らない」という状況である。

§ 実際、彼の中期以降の作品には劇音楽『ヘントの講和』、カンタータ『フランデレン芸術の誇り』(別称: ルーベンスカンタータ) やいくつかの子供カンタータなど、啓蒙的・教育的な作品が多い。そしてテキストにフラマン語を用いているため国外ではまず演奏されない。

§ しかしブノワの作品はそれだけではない。20〜30代に書かれた『宗教曲四部作』、『フルートと管弦楽のための交響詩』、ピアノ曲集『物語とバラッド』などナショナリズムの色眼鏡にとらわれることなくもっと広く聴かれてよい佳品も多い。


昨年、『荘厳ミサ』(上記『宗教曲四部作』の第二作) を東京で上演しました。
↓そのときのブログ記事がこちら↓
http://kazuyaozawa.com/s/article/190580476.html

みなさまにもペーテル・ブノワとその作品を知っていただけますよう願ってやみません。
そしてそれが実現するよう、これからも発信を続けていきたいと思います。
posted by 小澤和也 at 07:32| Comment(0) | 日記

2024年08月02日

【珈琲道】プロの味


定期的に豆を購入しているお気に入りのカフェ。
この春から店内飲食とテイクアウトをお休みされていたのだが、最近テイクアウト営業を再開されたと知る。
これは嬉しい!

〜というわけで、仕事帰りにさっそく立ち寄った。
本日マスターは不在、若旦那さんのワンオペ。
挨拶もそこそこに
『プロの淹れる珈琲の味をずっと待ち焦がれていたんです!』
と一方的に思いをまくし立ててしまった。

《でもほんとうにそう思っていたのだ...
この店でいただく珈琲は僕にとっての“メートル原器“なので、それを味わうことのできなかったこの数ヶ月間は実に辛かったのだ》

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ミッションコンプリート。
今回はグアテマラをオーダー。
(このお店の同じ豆がちょうどいまわが家にあるので味の比較のために)

美味しい!
紙カップゆえの若干の風味の変化を差し引いてもやっぱり美味しい。
帰宅してグアテマラを淹れてみた。
当然ながら自分好みの味ではあるが...
道のりはまだまだ遠いなあ。

これぞ楽しき珈琲道。
posted by 小澤和也 at 23:28| Comment(0) | 日記

2024年07月11日

御殿場の空に響いた “An die Freude”

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Mt.Fuji交響楽団 第14回定期演奏会
─真っ青な富士山と真夏の第九─
盛会のうちに無事終演。
(2024.6.30. 御殿場市民会館)

指揮: 福田夏絵
独唱: 尾形志織(S)、実川裕紀(Ms)、高橋大(T)、倍田大生(Br)
Mt.Fuji交響楽団ならびに同合唱部


『”第九“ の合唱指揮をお願いできませんか?』
マエストラからオファーを頂いたのは昨年7月だった。
公募による約100名の合唱団、練習は週1ペースでおよそ半年間、10代の児童生徒さんも募りたい、とのこと。
(面白そう...どうなるか分からないけれど...でもきっとうまくいく...)
大いなる期待と ”根拠のない自信“ を抱きつつ快諾する。

8月、楽団事務局長のOさん、合唱部運営のキーパーソンIさんとさっそく都内でミーティング。
待ち合わせたバスタ新宿のむせ返るような暑さが、そして演奏会への思いを熱く語られるお二人の姿が今も忘れられない。

11月、御殿場市内の広々とした美しいスタジオにてオリエンテーションおよびキックオフ。
この日までにエントリーしてくださったメンバーは100名超、うち ”第九“ 未経験者が約4割いらっしゃると伺い改めて気を引き締める。
(独語発音と音取りにはしっかりと時間をかけよう...発声に関しても基礎の積み重ねを大切に...結果は必ずついてくる!)

初回稽古の日、メンバーにこう伝えた。
『これから演奏会までの7ヶ月の間に ”グラウンドを3周“ します。もし1周めで難しいと感じても次にまた同じコースを走りますから心配いりません』
合唱パートの第一声 
”Deine Zauber binden wieder…” 
から最後のページ、Maestosoの
“Freude, schöner Götter Funken!” 
に到達するまでおよそ2ヶ月半をかけた。
歌詩をひたすら読み込み、音取りに際しては敢えてヴォカリーズで (独語を外して) 繰り返し歌った。

”2周め“ も思いのほか時間がかかったが、(ここで焦っては全てが水の泡になる) と自分に言い聞かせながらじっくりと歩を進める。
この時期にソリストによるヴォイストレーニングを実施できたのは実に大きかった。
実川さん、倍田さんに心からの感謝を。

皆さんの歌声に変化が現れ始めたのは5月末頃だったか。
(通算で第18回めあたり)
1回の稽古 (正味110分ほど) の中で初めて全ての箇所を歌うことができたのだ。
そして6月8日稽古後の僕のツイートにはこうある。
『この日が来ることを信じ(中略)プローベを重ねてきました。きょうの皆さんの奏でる音楽は点と点とがしっかりと結びつき一本の線となって滔々と流れていました』
〜この瞬間を待っていたのだ!〜

公演一週間前、会場の大ホールにて独唱、オーケストラとの合同プローベ。
ここから本番当日までの合唱団の進化 (深化) は目覚ましかった。
メンバーお一人お一人の瞳は輝き、声はひとつとなって堂に満ちていた。

本番はもちろん会心の歌声。
終演後、舞台袖にて皆さんと言葉を交わす。
緊張から解放された安堵の面持ち、弾ける笑顔、達成感に溢れた表情...
(このお顔を見るために自分はここまでやってきたのだ)
そう思えてならなかった。


Mt.Fuji交響楽団および関係の皆さん、演奏会のご盛会おめでとうございます。
また今回のご縁をくださったマエストラ福田さん、毎回の合唱稽古を支えてくださったコレペティトゥーア伊藤早紀さん、津田有紀さん、梅ヶ谷瑞穂さん、開演直前まで合唱団と僕との橋渡し役を献身的に務めてくださったIさんに厚く御礼申し上げます。

そして─
今回、半年あまりにわたってともに旅をしてきた合唱部の皆さんに、これからも素晴らしい ”音楽との出会い“ ”歌う歓び“ がありますように。
またご一緒しましょう!
posted by 小澤和也 at 00:31| Comment(5) | 日記

2024年05月31日

念願の斑鳩紀行


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午前8時。
静寂に包まれた法隆寺西院伽藍はえも言われぬ美しさ。
目で、耳で、肌で...すべての感覚を研ぎ澄ませ、遠く飛鳥時代の空気を感じてきました。


中宮寺の菩薩半跏像も素晴らしかったです。
古拙の微笑、頬に触れる繊細な指先、そして思惟に深く沈む眼差し...

心洗われるひとときでありました。
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posted by 小澤和也 at 10:50| Comment(0) | 日記

2024年05月08日

“An die Freude” に寄せて

1824年5月7日、
ケルントナートーア劇場 (ウィーン) にて
ベートーヴェン作曲
“シラーの頌歌「歓喜に寄せて」による終結合唱を伴う大交響曲”
が初演される。

シラーが「歓喜に寄せて」を書いたのは1785年晩秋のことである (25-26歳)。
その頃の彼はマンハイムでの亡命生活を余儀なくされ、経済的にも行き詰まっていた。
そこに手を差し伸べたのが、以前にシラーへファンレターを送っていたライプツィヒのケルナーとその友人達である。
彼らはシラーの窮状を知るや即座に彼を招き入れ、数年間にわたり生活面・金銭面での援助を惜しまなかった。
こうした温かな友情への感動を『不滅の友愛の記念碑』(内藤克彦氏の著作より)として歌ったのが “An die Freude” である。

1803年の「シラー自選詩集」によれば「歓喜に寄せて」は全8節、96行から構成されている。
各々の節は8行の先唱部分プラス《合唱》と記された4行が続く形をとる。
そしてベートーヴェンが付曲したのは全96行中のうち36行、全体の4割足らず ─ 特に詩の後半部は全く用いられていない ─ なのだ。
(それでもベートーヴェンによるその “4割” の選り抜き方は実に見事だなと個人的には思う)

先日、縁あってシラーの原詩にじっくりと向き合う機会を得た。
以下に拙訳を掲げる。
太字がベートーヴェンによって採用された部分であるが、今回それ以外の60行を改めて知ることができたのは僕にとって大きな喜びであった。



歓喜に寄せて
フリードリヒ・シラー


歓喜よ、神々の美しい閃光よ、
天上の楽園から来た乙女よ!
私たちは炎に酔いしれつつ足を踏み入れる、
聖なる者よ、そなたの聖所へ。
そなたの不思議な力は再び結びつける、
時流が厳しく分け隔てたものを、
すべての人間は兄弟となる、
そなたの柔らかな翼の憩うところで。

《 合 唱 》
抱き合おう、何百万の人々よ!
この口づけを全世界に!
兄弟よ、 星空の上に
愛する父は住みたもうに違いない。


ひとりの友の友になるという、
大きな成功を勝ち取った者、
一人の優しき妻を得た者は、
喜びの声を互いに合わせよう!
そう、この地球上でたった一つの魂でも
自分のものだと呼べる者も (声を合わせよう)!
そしてそれを成し得なかった者はひっそりと
泣きながらこの集いから出てゆくがよい!

《 合 唱 》
この大きな環に住む者は
共感を尊べ!
それは (私たちを) 星々へと導く、
あの未知なるものの鎮座するところへと。


この世に生くるものはすべて
自然の乳房から歓喜を飲み、
善き者、悪しき者、みな
自然がつくったバラの道をたどる。
歓喜は私たちに口づけとぶどうの枝と、
死の試練を受けた一人の友を授ける、
肉欲は虫けらに与えられ、
智天使ケルビムは神の御前に立つ。

《 合 唱 》
ひざまずくか、何百万の人々よ?
創造主を予感するか、世界よ?
星空の上に主を探し求めよ、
星々の彼方に主は住みたもうに違いない。


歓喜は永遠の自然の中の
力強い発条である。
歓喜が、歓喜こそが回す
大いなる世界時計の歯車を。
それは蕾から花々を、
天空から恒星たちを誘い出し、
それは天球を回す、
先見者の遠眼鏡もまだ見ぬ宇宙の中で。

《 合 唱 》
天空の華麗なる地図の中を
星々が楽しげに翔けゆくように、
兄弟よ、自らの道を進め、
勝利へと向かう英雄のように喜びに満ちて。


真理の炎の鏡の中から
歓喜は探究者へ微笑みかける。
徳の険しい丘の道へと
それは耐え忍ぶ者を導く。
信仰の光輝く山々の頂に
歓喜の旗が風にはためくのが見え、
打ち砕かれた棺の裂け目を通して
それが天使の合唱の中に立つ (のが見える)。

《 合 唱 》
勇気をもって耐え忍ぶのだ、何百万の人々よ!
よりよい世界のために耐え忍ぶのだ!
あの星空の上で
大いなる神が報いたもうであろう。


人が神々に返報することはできないが、
神々と等しくあろうとするのは素晴らしいことだ。
悲嘆 (に暮れる者) も貧困 (に喘ぐ者) も手を挙げ、
愉快な者たちとともに楽しもう。
遺恨や復讐は忘れよう、
不倶戴天の敵も赦そう。
涙を彼に強要することのないよう、
悔恨が彼を苛むことのないよう。

《 合 唱 》
罪科の帳簿などは捨ててしまおう!
全世界が和解しよう!
兄弟よ、星空の上で
神が裁くのだ、私たちが裁いたように。


歓喜が杯の中に湧き出る、
黄金の葡萄酒のうちに
残忍な者たちは優しさを飲み、
絶望 (する者たち) は力強い勇気を (飲む)。
兄弟よ、お前たちの席から飛び上がれ、
なみなみと注がれた大杯が巡ってきたときには、
その泡を天に向かって撒き散らそう。
このグラスを善き精霊に!

《 合 唱 》
星々の渦が褒めたたえるもの、
熾天使セラフィムの賛歌が褒めたたえるもの、
このグラスを善き精霊に
星空の上のはるか彼方にある善き精霊に!


重い苦悩にあっては確固たる勇気を、
無実 (の者) の涙するところには救いを、
堅い誓いには永遠を、
友にも敵にも真実を、
王座の前では男子の誇りを ─
兄弟よ、たとえ財産や生命にかかわろうとも ─
功績には栄冠を、
偽りの悪党には没落を。

《 合 唱 》
この神聖なる集いをより密に、
黄金の葡萄酒にかけて誓おう。
この誓約に忠実であることを、
星々の審判者にかけて誓おう!


(訳: 小澤和也)
posted by 小澤和也 at 02:45| Comment(0) | 日記

2024年03月25日

『愛の妙薬』ご来場御礼

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立川市民オペラ 2024『愛の妙薬』、おかげさまで二日間の公演を無事終えることができました。
お運びくださったみなさま、応援してくださったみなさま、そして心に留めてくださったみなさまに御礼申し上げます。

僕は今年もまた誰も知らない、誰も見ることのない真っ暗な空間 (でも僕にとって愛すべき職場です)より華の舞台へ向けて、ペンライトでもってひたすら指揮をしていました。
市民オペラ合唱団、素晴らしい歌声を聴かせてくださいました...Bravissimi!!

2019年『こうもり』以来5年ぶり “本来の” オペラ形式で、オーケストラもピットに入っての公演となりました。
元の形に戻す...それだけでも簡単なようで決してそうではなかったでしょう。
主催ならびに関係の方々のお骨折りはさぞ大変なものだったと思います。

コーラスサポートのみなさんには今回も大いに助けていただきました...ありがとうございます。
そして盟友、音楽スタッフの仲間たちにも心からの感謝を!
posted by 小澤和也 at 23:05| Comment(0) | 日記

2024年02月10日

世界のオザワ

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202426日。

指揮者・小澤征爾、都内の自宅にて死去。

享年88歳。


嗚呼。

ついにこの日が訪れてしまった。



10代の僕にとってあなたは正にアイドルであり、それ以降はその存在自体が僕の人生における “指標” であった。

北極星のように、遠くにありながら常に方向性を示してくれる方であった。



ドキュメンタリー “OZAWA”

https://m.youtube.com/watch?v=X3OiEdS5-9Y

1985年の作品。

この番組をVHSに録画して何百回観たことか。

ヨーヨー・マとの対談中、突然の「カメラ止めてよ!」。

酔っ払って熱く説教する小澤さんとどこか冷めた十束尚宏さんの不思議なやり取り。

指揮レッスン生に向かっておどけながら「(それじゃ) 18分茹でたパスタ(みたいな指揮だよ)!」

etc. etc.


ぜんぶ憶えている。



小澤さん、

ありがとうございました。

そして長い間おつかれさまでした。

どうぞ安らかに。

posted by 小澤和也 at 00:19| Comment(0) | 日記

2024年01月01日

新年のご挨拶

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新年あけましておめでとうございます。

昨年はペーテル・ブノワ研究会 (PBI =Peter Benoit Instituut) を立ち上げ、PBIヴォーカルアンサンブルの自主公演を敢行しました。
次回、いよいよ悲願である “Requiem-mis” の上演に向け、本年はその準備に邁進する所存です。

みなさまのご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げます。
今後とも『音楽ノート』をどうぞよろしくお願いいたします。

令和6年元日 小澤和也
posted by 小澤和也 at 21:40| Comment(0) | 日記

2023年11月23日

ファンファーレオルケスト初体験

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洗足学園音楽大学ファンファーレオルケスト 第35回定期演奏会
(11月17日、洗足学園 前田ホール)
を聴く。

ファンファーレオルケスト (以下FO)、呼び名だけは知っていたものの、実際の演奏に触れるのは今回が初めて。
ブリティッシュスタイルのブラスバンドに近いのだろうと勝手に想像していたのだが、いざ聴いてみて驚いた。
(サキソフォンが加わるだけでこれほどにしなやかな響きになるのか...!)

指揮がJ. ヴァンデルロースト、そしてメインプログラムが氏の自作やP. スパークの最新作ということで、それだけでも魅力たっぷりなコンサート。
だが僕にとってのこの日いちばんの “お目当て” はペーテル・ブノワの『幻想序曲』であった。
(ブノワがFOのために曲を書いていたとは不覚にも知らなかった)

《Peter Benoit: Ouverture fantastique》
1856年、ブノワ21-22歳の頃の作品。
カラビニエリの楽隊のために書かれた。
(管楽器奏者であった弟エドモントの入隊に際しての便宜への返礼に、ということらしい)
ゆったりとした序奏を伴った典型的なソナタ形式。
ウェーバーやメンデルスゾーンなどの初期ロマン派のスタイルを思わせる。
序奏〜主部とヘ短調を軸に進み、最後にヘ長調に転じて大団円...という流れはベートーヴェン『エグモント序曲』と同じ。

アドルフ・サックスによるサキソフォンの発明が1840年代 (特許取得が1846年)、その後FOがベルギーやオランダで普及していったのが19世紀後半以降であるから、ブノワの『幻想序曲』はこのジャンルにおける最初期の作品のひとつということになるだろう。

プログラム前半では管弦楽曲のいわゆる「編曲モノ」(オッフェンバック&サンサーンス) も演奏されたが、この手のナンバーは演奏以上に「アレンジ」が上手くないと聴いていて楽しめないな、というのが正直な感想。
後半のオリジナル作品はどれも素晴らしかった...
中でも『ノッキング・アット・ヘヴンズ・ゲート』、そしてアンコールで (2度も!) 演奏された『モンタナ』。

コンサート全編を通してサックス (殊にソプラノ) の存在感が絶大だった。
一方で、フリューゲルホルンはどのように使われどう聞こえるべきなのかが最後までよく分からなかった...少なくとも僕の席からは。

〜などとついつい仕事人の耳で聴いてしまったけれど、終わってみればとても幸福なFO初体験であった。
posted by 小澤和也 at 00:48| Comment(0) | 日記

2023年10月12日

ブルックナーの命日に

1011日はブルックナーの亡くなった日。

(1896年没)

何かCDを聴こうかとも思ったのだけれど、昨日の『ブロムシュテットさん来日見合わせ=N響とのブルックナー公演中止』の報が未だ胸に重くのしかかり、今ひとつ気分がのらない。


その代わりにこちらを聴くことにした。


NHK-FM

《大作曲家の時間 ブルックナー》

最終回

(Youtubeにアップされている音声)

番組前半

https://m.youtube.com/watch?v=O_yoRr9gEkQ

番組後半

https://m.youtube.com/watch?v=hrP5Hv9x7A8


31回にわたってオンエアされたシリーズ最終回は第9交響曲の第3楽章を、土田英三郎氏の綿密な解説とともに聴くものであった。

(当時はこのような専門的・学術的な内容の番組がリスナーにおもねることなく放送されていたのだと思うと感慨深い)


前半ではアダージォの全編にわたる解説ののちシューリヒト&ウィーン・フィルの名録音が流され、後半は未完に終わった第4楽章のスケッチをこの放送のためのピアノ演奏 (pf: 草野裕子を用いて紹介してゆくという実に貴重な記録


録音を聴きながら改めて調べてみると...

この《大作曲家の時間 ブルックナー》は19839月〜翌年3月の放送だったようだ。

土曜朝の番組だった記憶がある。

当時僕は高校生、毎週オーディオタイマーをセットして登校、帰宅してから貪るようにエアチェックを聴いていた。


この最終回も部分的にではあるがよく憶えている。

上述の第4楽章フィナーレスケッチのピアノ演奏があたかも「最後の審判」の場面のように僕の心をえぐったのだ。

1楽章のそれ以上に激しく厳しい第1主題、少しも歌謡的でない第2主題、壮麗な呈示部結尾のコラール主題と順に聴き進みつつ、(ブルックナーがいかに巨大なフィナーレを構想していたかに思いを馳せる。

さらに第1主題モティーフによるフーガの主題が紹介された後、コラール主題の再現が18小節にわたって鳴り響き...


演奏は突如停止。


(これでブルックナーの楽譜は終わっています...これ以後はコーダを含めてまったく書かれていません」

(土田氏のナレーション)


ブルックナーの筆が止まった瞬間...

この部分を繰り返し聴いてはいつも泣きそうになっていたおかしな少年だったことをここに告白する。


あれから40年経った今でもいわゆる「第4楽章の補筆完成版」に一向に食指が動かないのは、この体験が原因かもしれないな、と思ったりもする。

そしてもし...

「愛する神」がブルックナーにこのフィナーレを書き上げるだけの時間をお与えになっていたら...

posted by 小澤和也 at 01:42| Comment(0) | 日記