![]() 立川市民オペラ2023 マスカーニ『カヴァレリア・ルスティカーナ』、二日間の公演が無事終了した。 (2023.3.18&19 @たましんRISURUホール) 感染症拡大予防の観点からオーケストラピットが使用できず、舞台前面がキャストおよびコーラスのアクティングエリアとなりオーケストラはその後ろに配されるという特殊な舞台設計となったこのたびの公演。 当然ながら指揮者はオーケストラのすぐ前に立つためソリストも合唱も指揮を直視することができない。 そこで彼らが頼りにするのは1階客席最前列に置かれたモニタ画面 (ここにマエストロの指揮姿が映し出される)、そして客席最後方から送られるペンライトの合図である。 ![]() ![]() 僕は今回もこの役を担当、ガラスで隔てられた小部屋に籠り2本束ねたライトを振り続けた。 例年と同様に 「できるだけ簡潔に、かつ効果的なペンライトの光の軌跡をもって如何にコーラスのクオリティを磨いてゆくか」 という命題を自らに課しながら。 合唱のアンサンブルは両日を通して実に素晴らしかった。 演奏中これほどまでにメンバーとの一体感を覚えたことはかつてなかったのでは...と思えるほど。 ![]() プログラムの第1部は『管弦楽が奏でるヴェリズモオペラ』と題し、レオンカヴァッロ、ジョルダーノ他のオペラ間奏曲が披露された。 今回が立川市民オペラとの初共演となったTBSK管弦楽団 (ゲストコンサートミストレス: 三輪紫乃) は若いメンバーを中心に編成された素晴らしい市民オーケストラであった。 ![]() (初日組キャストの皆さん他と) 会場にお運びくださいましたお客さま、応援してくださった皆さまに改めまして御礼申し上げます。 合唱団の皆さん、ご盛会おめでとうございます&お疲れさまでした! コーラスサポートメンバーの皆さんにはどんなに感謝してもし足りない思いです。 そしてこの数ヶ月間ご一緒してくださった音楽スタッフの仲間達にも心からの敬意を! |
2023年03月23日
ご来場御礼
2023年03月08日
歌曲『我が母国語』… ペーテル・ブノワの命日に
![]() きょう3月8日は フランデレンの作曲家ペーテル・ブノワ (1834-1901) の命日。 その後半生をアントウェルペンでの音楽教育に捧げたため、彼の作品は現在ほとんど知られていない。 そんな中、演奏の機会が比較的多い作品のひとつに歌曲 “Mijn Moederspraak (我が母国語)“ がある。 ![]() クラウス・グロートによる原詩は低地ドイツ語で書かれている。 1889年5月、この詩人の生誕70周年を記念してアントウェルペンで開催された祝賀会において初演された。 柔和で素朴な主題旋律と子守歌のようなゆったりとした伴奏音型、一方で副主題は毎度絶妙な転調を施され、さまざまに色合いを変えつつ進んでゆく。 僕の好きな演奏はこれ。 レイチェル=アン・モーガン(メゾソプラノ&ハープ) ユリウス・サッべによる現代オランダ語訳での歌唱。 当時のベルギーの公用語はフランス語、政治・経済・教育などあらゆるシーンでフランス語が圧倒的優位であった。 かかる状況を打破すべくフランデレン地域の母語であるフランデレン語 (≒オランダ語) の復権のため長く闘ってきたブノワにとっても、この『我が母国語』は深く心に響く詩であったことだろう。 以下、原詩およびいくつかの翻訳を参考に日本語訳を試みました。 (熟れていない箇所ばかりですが、できるだけダイレクトに置き換えてみた結果です) ご笑覧いただければ幸いです。 『我が母国語』 我が母国語よ、あなたは何と美しく響き 私にとって何とこころ安くあることか! 私の心が鋼や石のようであるときでも あなたはその驕りを払ってくれる あなたは私のこわばった首をたやすく曲げる 母がその腕でしたように あなたは私の顔に優しくささやく すると全ての苦悩は和らぐ 私は無邪気な子供のようだ 悪の世界はそこにはない あなたの息吹が春風のように 私の胸を健やかにする 祖父は私の手を組んで そして言った「祈りなさい!」と 「父なる神よ」と私は始める その昔にしたように 私は深く感じ そして理解する 心がそのように告げている そして天上の平安が私を包み 全ては再び幸福となる 清く公正なる我が母国語よ 古の有徳なる言葉よ! 「父よ」とその口が発すると それは祈りのように私に響く 私をこれほど優しく愛撫する音楽はない これほどに美しく歌う夜鶯はいない 今にも涙が頬を伝ってゆく 谷間を流れる小川のように |
2023年02月23日
『カヴァレリア』プレコンサート
立川市民オペラ2023 『カヴァレリア・ルスティカーナ』 のプレコンサートへ。 (2月22日、@たましんRISURUホール・1階市民ロビー) 好天にも恵まれ、フロアいっぱいに立見客が出るほどの大盛況であった。 曲目はもちろんマスカーニ『カヴァレリア〜』からのナンバー。 まずトゥリッドゥによるシチリアーナ 「乳色の夜着まとうローラよ」 Ten: 鈴木俊介さん 続いてサントゥッツァとルチーアによるシェーナ 「教えてください、ルチーア母さん...」 Sop: 江水妙子さん(写真右)/MSop: 浅井美保さん(写真左) ロマンツァとシェーナ 「お母さんも知るとおり」 上記シチリアーナとともにこのオペラ随一の聴きどころのひとつ。 江水さんの熱唱が光る。 そしてシェーナの結び、浅井さんの歌うルチーアの祈りの言葉「この娘を救いたまえ、御身サンタマリア!」は痛切このうえない。 pf: 冨田優さんの独奏で「間奏曲」も披露された。 このオペラを知らなくとも [聴いたことのあるメロディだ!] と思った方も客席に多くいらっしゃったことだろう。 司会の宮ア京子さんから本公演のご案内があり、最後に全員で唱歌『故郷』を演奏しプレコンサートはお開きに。 ご出演の皆さん、お疲れさまでした! 立川市民オペラ2023 『カヴァレリア・ルスティカーナ』 本公演は3/18(土)および3/19(日)です! 詳細はこちら↓ みなさまのご来場を心よりお待ち申し上げます。 |
2023年02月08日
若き俊英たちとの共演
こちらも年を大きく跨いでしまいましたが... 第1回世田谷音楽コンクール・入賞者記念コンサートVol.2 2022.11.26 @トッパンホール 無事終演しました。 〜「クラシック音楽の理解と普及」「音楽文化の活性化」「音楽を通じたまちづくりの促進」を目指す〜 島影有希さん (世田谷音楽指導者協会(SMTA)・代表理事) の高い志のもと開催された「世田谷音楽コンクール」。 第1回はピアノ部門が開催されました。 そのF部門 (大学生および大学院生) における入賞者の方々とのコンチェルトによる共演。 オーケストラは2018年に『ラ・ボエーム』でご一緒した世田谷フィルの皆さんでした。 この日の演奏曲目は ♪モーツァルト/協奏曲第20番ニ短調K.466 〜第1楽章 独奏: 田中由惟さん (銅賞) ♪ショパン/協奏曲第1番ホ短調Op.11 〜第2、第3楽章 独奏: 梶原美依さん (銀賞) ♪ベートーヴェン/協奏曲第5番変ホ長調Op.73 〜第1楽章 独奏: 金子備安士さん (金賞) (写真左から: 田中さん、小澤、金子さん、梶原さん) 3名の若きソリスト達、全身から音楽が溢れ出ていました。 学舎での研鑽の時期にこうした演奏の機会を得、さぞ励みになったことでしょう。 素晴らしい経験をされたと思います...ほんとうにおめでとう! コンクールならびにコンサートを主催されたSMTAさまにも心からのお祝いと御礼の言葉を。 音楽を志す若人に彼らの力を発揮させる機会を供し、さらには地域のオーケストラとの共演の場を設ける... なんて素晴らしいことでしょう! この取り組みが今後ますます発展していきますよう願ってやみません。 世田谷フィルの皆さん、素晴らしい響きでソリストを支えてくださいました。 当日は休憩無し85分のステージリハーサル、そして本番も3曲一本勝負とハードな一日だったかと思います。 各作曲家が脳裡に描いていたであろう(と僕が考える)サウンドがホールを満たす瞬間が何度もありました。 ほんとうにお疲れさまでした。 (追記) 「第2回世田谷音楽コンクール開催のお知らせ」がSNSで発信されましたね。 (Instagram: smta_ongaku) 次回は弦楽器の部門も設けられるとか。 ますます実りある会となりますように! |
2023年02月02日
「音楽ノート」満13年
この「音楽ノート」を書きはじめてから本日で満13年となりました。
拙ブログをご覧くださっている皆さまに心より御礼を申し上げます。
日々の営みのなかで私の心を震わせてくれる音楽について、これからも愚直に綴っていこうと思います。
また、ここしばらく停滞気味であった我がライフワーク、ペーテル・ブノワと彼の音楽についても精力的に発信し続けたいと考えています。
そして一人の音楽家としてこの深遠なる芸術に対し真摯に向き合い、その美を追求するために努力してゆくことを改めてここに誓います。
今後とも「音楽ノート」をどうぞよろしくお願いいたします。
2023年2月2日
小澤和也
2023年01月25日
『椿姫』ご来場御礼

年を跨いでしまいましたが...
オペラチックナイトVol.9ヴェルディ『椿姫』
2022.12.24-25
@シアターχ
お蔭さまをもちまして全2公演を盛会のうちに終演いたしました。
お運びくださったお客さまに心より感謝いたします。
ヴィオレッタ荒牧小百合さんはじめ素晴らしいキャストの皆さま、本番直前まで進化を止めなかった愛すべき合唱団、ダイナミックかつ精緻な響きで歌唱を支えてくださったアンサンブルの皆さまとともにヴェルディ芸術の真髄と向き合うことのできた、夢のような時間でした。
そして何といっても田丸一宏さんの美しい演出が光ります。
公演時のいくつかの画像をぜひご覧ください。
舞台写真その1
舞台写真その2 (撮影: 笛木雄樹)
さらに田丸さんがこの演出にこめたメッセージ、「愛する男性の為に自分を犠牲にした女性” という人間像の美化〜〜女性はこうあるべきという〜〜デュマ・フィスまたはヴェルディという男性が作り上げた清く美しい女性像」(氏のプログラムノートより抜粋)
としてのヴィオレッタの姿に強く強く心を打たれたのでした。
公演から早一ヶ月が経ちましたが、舞台上のさまざまな場面、一瞬一瞬の音と光がいまでも脳裡に甦ってきます。
2023年01月01日
新年のごあいさつ

あけましておめでとうございます。
当地は快晴。
近所の神社に参拝し、無病息災を願いつつこの一年の更なる飛躍を誓う。
頂戴した賀状を一枚一枚繰るのも正月の楽しみだ。
昨春に「コーラスが命の綱です」と素敵なお言葉をお寄せくださったKさん、今回のメッセージは「音楽の力を杖に今年も楽しませていただきます」であった。
(よし...杖になれるよう頑張ろう...)
みなさまのご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げます。
本年も『音楽ノート』をよろしくお願い申し上げます。
令和5年元日 小澤和也
2022年10月17日
ブロムシュテットさんのマーラー

NHK交響楽団 第1965回定期公演を聴く。
(10月15日、NHKホール)
ブロムシュテットさんが転倒して入院、当面の演奏会をキャンセルとの報を知ったのは6月の末だった。
(ああ...)
僕の脳裡に暗雲が立ちこめた。
快方に向かっているらしいとはいえ、彼の年齢での転倒事故となると音楽家人生にとっては致命的ではないのだろうか?
(どうか10月の来日に間に合いますように...いえ、せめてお元気で復帰なさってください...)
祈りは通じた。
ブロムシュテットさんは9月中旬にストックホルム・フィル、同月末にベルリン・フィルに客演し指揮活動を再開。
そして今週無事に来日されN響とのリハーサルを開始した。
以上のような経緯があってのこの日の演奏会、僕にとってはブロムシュテットさんの指揮でマーラーが聴けるだけで既に奇跡であった。
開演予定時刻より5分押しで団員の方々が舞台へ。
会場を包み込むような温かな拍手。
と突然、拍手の音が急変したではないか!
コンサートマスターにエスコートされ、ブロムシュテットさんが登場されたのだ。
NHKホールでこれほどに大きな、否、嵐のような激しい拍手を聴いたのは初めてだった。
第1楽章が始まる。
ここ数年のブロムシュテットさんの音楽的志向と共通する、どこまでも澄みきった各楽器の音色、充実した内声 (レコードなどではあまり聞こえないバスクラリネットやコントラファゴットの動きが実に鮮明であった)、そして過度な “情念的表現” を排した純度の高い “歌” がそこにはあった。
座って指揮をするブロムシュテットさんの上体の動きはかなり小さくなっていたものの、打点 (拍を示すための手の動き) は十分に明瞭であった (ように私には見えた)。
オーケストラも必死にマエストロの意図を汲み取っていた。
だが...
楽章の大詰め、フルート、ホルンおよび低弦を中心としたアンサンブル的に最難関ともいえる箇所 (第382小節〜) でそれは起きた。
ホルンだけが糸の切れた凧のように離れて行き、そのまま還って来なかったのだ。
痛恨の極み。
N響でもこのようなことが起きてしまうのか...
第2楽章はレントラー舞曲の形をとった、アイロニーに満ちた音楽。
「ゆったりと」「やや速く」「きわめて遅く」と作曲者によって示された3つの楽想が自在に展開し運ばれてゆくのだが、ブロムシュテットさんはそれらの対比を (かつてのバーンスタインやテンシュテットが激しく描き分けていたほどには) 大きく取っていなかったように思えた。
プログラムノートには「マーラーに独特の “意図的に愚劣に作られた” 音楽」という言葉でこの楽章について説明がなされていたが、ブロムシュテットさんの音楽では常に「美」と「抑制」が全体を支配していた。
「ロンド・ブルレスケ」と題された第3楽章においてもその流れは継承されていて、“狂気すれすれの” “苦悩する天才” マーラーの戯画化された姿はそこにはなかったように感じた。
そして第4楽章。
冒頭、ゆったりとした美しい主題を奏でる弦楽合奏...それを指揮するブロムシュテットさんの後ろ姿が突然、何倍にも大きく見えたのは僕だけだろうか。
バーンスタインやテンシュテットによるレコードでは諦念のため息、あるいは慟哭のようにも聞こえるこのアダージォの音楽を、ブロムシュテットさんはひたすら美しく、あたかも救済と再生の音楽であるかのようにオーケストラを導いていた。
最後の音が静かに消える。
長い長い沈黙。
そして割れんばかりの喝采へ。
(ブラヴォーの一声は要らなかった...かな)
僕も懸命に手を叩きながら、こんなことを考えた。
〜ブロムシュテットさん指揮のマーラー第9 交響曲の音楽的志向は、音楽書やレコード解説などでしばしば書かれまた語られているような “作曲者の辞世の歌” あるいは “死への静かな眼差し” といった文言から最も遠く離れたところにあるのではないか〜
僕の耳が (もはや習慣的に) “演奏上の瑕疵に気づかずにいられない” 聴きかたをしてしまうゆえ、この日の演奏に手放しで感動することは残念ながらできなかったが、それでも終演後には改めて “音楽に触れるよろこび” そして “人の心のあたたかさ” がしっかりと胸の奥に刻まれているのを感じたのだった。
2022年09月15日
“No” の意味…ラ・トラヴィアータ考

ヴェルディ「ラ・トラヴィアータ」第2幕。
舞台はパリ、ヴィオレッタの友人フローラの邸宅での華やかなパーティーの場面。
そのクライマックス直前にヴィオレッタとアルフレード、そして宴の参加者たち (合唱) との次のような短いやりとりがある。
Alf. : Or tutti a me.
Tutti: Ne appellaste?.. che volete?..
Alf. : Questa donna conoscete?
Tutti: Chi? Violetta?
Alf. : Che facasse non sapete?
Vio. : (Ah! taci.)
Tutti: No.
アルフレード: さあ皆さん、僕のところへ集まってください。
一同(合唱): 私達を呼びましたか?いったいどうしたのです?
アルフレード: この女性をご存じですね?
一同(合唱): 誰?ヴィオレッタを?
アルフレード: 彼女が何をしたかご存じないでしょう?
ヴィオレッタ: (ああ、黙っていて。)
一同(合唱): いいえ。
この幕の前半...
喧騒のパリを離れ郊外でアルフレードとの同棲を始めたヴィオレッタのもとへ彼の父親ジェルモンが突然現れる。
旧弊氏ジェルモンは愛息と高級娼婦との愛の生活を咎め、彼と別れるようヴィオレッタに強くもとめる。
アルフレードとその家族の幸福のためにとその要求を受け入れた傷心のヴィオレッタは、彼に置き手紙を残し家を出る。
真相を知らぬまま不信感に駆られているアルフレードはヴィオレッタから「いまは男爵を愛している」(もちろん本心ではない) と聞かされ逆上...そして先の場面となる。
嫉妬に怒り狂ったアルフレードは一同の前でヴィオレッタを激しく罵倒、ヴィオレッタは気を失って倒れるのだった。
ここで...
最後に一同が発する「いいえ」、僕はこれを最近までずっと、アルフレードの言葉に対する返答
「いいえ、(彼女が何をしたかを) 知りません」
という意味だと思っていた。
直前の (括弧書きの) ヴィオレッタの言葉が “独白” である、と理解していたのだ。
ところが、である。
先日『ラ・トラヴィアータ』の台本とその対訳を読んでいてあることに気づいた。
そこではヴィオレッタのこの台詞に括弧が付いていないのである。
Alf. : Che facasse non sapete?
Vio. : Ah! taci.
Tutti: No.
そうすると、この “No.” は
「いいえ、知りません」ではなく
「いや、黙っていないで(話しなさいな)」
というニュアンスに変わってくるのでは、という疑問が生じてくる。
どうにも気に掛かって仕方ないので、ネット上で閲覧できるいくつかの楽譜で当該箇所を調べてみた。
以下、出版社名(都市)、出版年、ヴィオレッタの歌詞の順に記する。
Escudier(パリ)、1855 …… Ah! taci.
Hofmeister(ライプツィヒ)、1860 …… (zu Alfred) Ah! taci. *
Escudier(パリ)、1864 …… De gràce! **
Ricordi(ミラノ)、1868 …… (Ah! taci.) ***
Ricordi(ミラノ)、ca.1883 …… (Ah! taci.)
*) 伊/独語歌詞。独語で (アルフレートに向かって) とト書きあり
**) 仏語歌詞。「お願いだから!」
***) 出版社名は正しくは R.Stabilimento Tito di Ricordi
楽譜上でも括弧のない版があった!
少なくとも初期の印刷譜ではヴィオレッタのこの言葉は独白扱いでなかったことがわかる。
そして1868年、Ricordi社版で初めて括弧が付けられる。
印刷ミスとは考えにくい。
やはりヴェルディの指示とみなすのが自然であろう。
“No.”
たったひと声ではあるがこうして見るとさまざまな捉え方ができるものだなと、実に興味深く思えたのであった。
(追記)
今回あれこれ調べているうちに、台本自体にも年代によって違いのあることがわかった。
最初期のものでは、この “No.” がなんと【アルフレードの言葉として】書かれている。
ヴィオレッタ「ああ、黙っていて」
アルフレード「いいや(黙ってなどいられるか)」
こんな感じだろうか。
そのあたりの変遷、機会があればまた深掘りしてみたいと思っている。
2022年06月06日
杏仁豆腐とコーヒー、そして…

読みかけの本を持ってぶらりと喫茶店へ。
とろとろ杏仁豆腐と東ティモール/サントモンテをオーダー。
よくよく思い返すとこの組み合わせでいただいた記憶がほとんど無いのだが、運ばれてきた瞬間に
(これはきっと間違いなく美味しい!)
結果は予想どおり。
自家製杏仁豆腐の優しくなめらかな舌触り、そして当然ながらあんずの果実との相性が抜群!
またコーヒーは豆の選別にこだわっている (お店のメニューより) というだけあってすっきりと純度の高い味わい。
淹れたてよりも少し冷ましてからのほうが味の個性が際立っていた...これはあらゆる品種にいえることだと思うが。
この日携えていたのは若松英輔さんの『種まく人』(亜紀書房刊)。
これまでに僕が手にした若松さんの本はたかだか数冊であるが、どの著作にも、そしてそれらの中のどの文章にも丹精の尽くされたやわらかな手触りのようなものを感じる。
”〜家を失い、路上で暮らしていたあの一人の男性は、その姿をもって生きることの困難を体現していた。〜“
(上掲書所収「賢者の生涯」より)
“〜身を切られるような試練にあって聴いた「フルートとハープのための協奏曲」は、あのときの私にしか訪れることのない慰藉の音楽だった。〜“
(同「音楽の慰め」より)
ページを繰りながら目頭にどうしようもなく熱いものを感じ、心を取り繕おうと咄嗟に傍らのスマートフォンで珈琲豆の銘柄を検索したりして気を紛らわせた。
美味しいコーヒーとデザート、そして良書のお蔭で、この日も豊かな時間を過ごすことができたのだった。