2024年11月30日

フルトヴェングラーのセッション録音 - 1949年 -

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11月30日はフルトヴェングラーの命日。
亡くなったのが1954(昭和29)年であるから没後70年になる。

私は10代の頃からフルトヴェングラーのレコードのファンであるが、ここ最近はもっぱら彼の(戦後の)セッション録音ばかり聴いている。
「フルトヴェングラーの芸術の真髄はライヴにこそある」「スタジオでのフルトヴェングラーは不完全燃焼」などと巷では言われているようだ。
私もその例にもれず、入門はいわゆる「バイロイトの第九」であり、戦時中の鬼気迫る実況録音盤の数々であった。
それらの演奏には確かに聴く者を否応なく彼の音楽世界へと引きずりこむような不思議な力がある。

では ─ 
彼のセッション録音には音楽的な魅力がないのか?
もちろん「No」である。
熱狂や閃きの代わりに、そこにあるのは緻密な思索の音楽だ。
そして現在の私はそれを聴くことにこのうえない喜びを覚えているのだ。

〜過去の投稿はこちら〜
音楽ノート/フルトヴェングラーの命日に(1947年のセッション録音)
2019.11.30. 記
音楽ノート/フルトヴェングラーのセッション録音 -1948年 -
2020.12.1. 記


引き続き、1949年のスタジオ録音を以下に挙げる。
すべてSP録音である。

§メンデルスゾーン: フィンガルの洞窟 (2/15)
§ヴァーグナー: ジークフリート牧歌 (2/16,17)
§ヴァーグナー: タンホイザー序曲 (2/17,22)
§ヴァーグナー: 「神々の黄昏」より「ジークフリートのラインへの旅」 (2/23)
§ヴァーグナー: さまよえるオランダ人序曲 (3/30,31)
§ブラームス: ハイドン変奏曲 (3/30,4/2)
§ヴァーグナー: ヴァルキューレの騎行 (3/31)
§ベルリオーズ: ラコッツィ行進曲 (3/31)
§モーツァルト: アイネ・クライネ・ナハトムジーク (4/1)
§ヴァーグナー: マイスタージンガー第1幕前奏曲 (4/1,4)
§ブラームス: ハンガリー舞曲第3,10&1番 (4/4)
§ヴァーグナー: 「マイスタージンガー」より「徒弟たちの踊り」 (4/4)
§ブラームス: ヴァイオリン協奏曲/メニューヒン、ルツェルン祝祭管(8/29-31)

メニューヒンとのブラームスを除いてオーケストラはすべてウィーンpo、2月および3月下旬〜4月初旬に集中的に組まれたセッションにおける録音である。
この年は交響曲の録音がひとつもなく、半数以上がヴァーグナーというのが面白い。
フルトヴェングラーがそれを望んだのか、それともEMI(レコード会社)の意向だったのだろうか...
また、上記ヴァーグナー7タイトルのうち「タンホイザー」と「ラインへの旅」はそれぞれ1952年、1954年に同じウィーンpoと再録音しており、録音が良いこともあって一般的にはそちらの方が知られている。

これらの中から今回じっくりと聴いたのはブラームスの2曲。
協奏曲は独奏者への評価が今ひとつというのもあり話題に上がることの少ない録音だが、フルトヴェングラーのタクトにぴったりと寄り添うルツェルン祝祭管の
ときに厚く、ときに繊細な(第2楽章アダージォの美しさ!)響きからは、47年録音の第1交響曲や次に挙げるハイドン・ヴァリエーションとともにフルトヴェングラーの「ブラームス観」の一端を感じることができる。

ハイドン・ヴァリエーションはおそらくフルトヴェングラーの十八番だったのだろう、私の知る限り7種類の演奏がレコード化されている。
(うちセッション録音は2種類、残りの5つはすべてライヴ収録である)
冒頭の変奏曲主題(いわゆる「聖アントニー・コラール」)が鳴り始めたその瞬間から、ウィーン・フィル独特のオーボエの古雅な音色が私の心を捉えて離さない。
加えてこの独奏を支えるホルンやファゴットらのブレンドされた響きも実に味わい深い。
このほんの2分ほどの音楽を聴きながら、原曲 (伝ハイドン/ディヴェルティメントHob.ll:46) が管楽アンサンブル曲であったことが改めて強く思い起こされるのだ。
続く各変奏曲も、管弦のバランスのとれた明瞭な録音のおかげもあって、美しい画集を1ページずつ繰ってゆくような愉しみと歓びがある。
そして終曲へ...この壮麗なパッサカリアにおいていよいよフルトヴェングラーの熱いパッションが“過不足なく”発揮され大団円となる。


この年の他の録音のなかではヴァーグナー「ジークフリート牧歌」が個人的には大好きである。
紛れもなくヴァーグナーでありながら室内楽的な細やかさをもったその筆の運び、ウィーン・フィルの名人芸、そしてフルトヴェングラーの語り口、これらのすべてが完璧なバランスで音化されている...
『これぞ芸術である』と言わんばかりに。

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posted by 小澤和也 at 21:01| Comment(0) | 日記

2024年11月29日

牧野正人先生


日本を代表するバリトン歌手・牧野正人さんの訃報をSNSで知りました。
闘病されているのは以前から存じ上げていましたが...まさか...こんなに早く...


牧野先生に初めてお目にかかったのは1987年でした。
私が当時所属していた大学サークル合唱団の記念演奏会にご出演いただいたのです。
フォーレ「レクイエム」で素晴らしい“Libera me”を聴かせてくださいました。
牧野先生の堂々たるお姿を私はステージ後方から眩しく見つめていました。

そんな“神様”のようなお方が終演後のレセプションで
『それではナポリ民謡“Santa Lucia”を歌います!』
(一同大歓声と拍手)

ところが、聞こえてきた詞は「黒田節」だったのです。

酒は飲めのめ 飲むならば
日の本一の この槍を
...

状況が飲み込めず呆気に取られて聴いていると、牧野先生は指を一本、二本と出しながら
『一(いち)樽、二(に)樽...』
そしてニヤリと笑って
『サンタ〜〜・ルチーア!』

一瞬の静寂ののち...
会場が嵐のような喝采に包まれたあの光景を今でも昨日のことのように思い出すことができます。

それから十余年が経過し、オペラの現場で牧野先生とふたたびご一緒できることになろうとは...
マルチェッロ(ラ・ボエーム)、アモナズロ(アイーダ)、そして何といってもジェルモン(ラ・トラヴィアータ)...!
すべてが宝物のような時間でした。

(あの時の学生指揮者が私であったことなど、先生は決して憶えていらっしゃらないだろうな...次にお会いしたらお話ししなければ...)

ずっと思っていたのですが...
叶いませんでした。


牧野先生の声とその姿から、私は多くのものを学びました。
ただただ感謝の気持ちでいっぱいです。
ありがとうございました。
どうぞ安らかに。
posted by 小澤和也 at 11:59| Comment(0) | 日記

2024年11月14日

「三行で撃つ」との一ヶ月

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この一ヶ月間、自分でも驚くほど集中して「ある本」を読んだ。
これほどに熱を帯びた読書体験は最近ではほとんど記憶がない。

日々のメモ、そしてSNSへの呟きを振り返ると、やはりこの本についての言及が多かった。
そこで、まったく個人的な興味からであるがそれらを改めて並べてみることにした。
私自身の記憶、しかもたかだか一ヶ月前のことであるのに...憶えていないものである。
こうしてみずからの言葉や思考を俯瞰し客観視するのは楽しい作業であった。


『Twitter 24/10/06
きょう届いた本、延べ3.5hかけて #読了。
その内容とは関係なく「あ、これ読みたい!」と思った時の心の“温度”が冷めぬうちに一気に読み切れたことに対し脳から快楽物質が出てきて自分でもびっくり...そしてその物質がこれほどに気持イイものだとは!』

一連のきっかけとなったのはこのツイートである。
「きょう届いた本」というのは勝田茅生さんのヴィクトール・フランクルについてのテキスト本であり、「ある本」とは別のものだ。
(“X”のことを私は今でも“Twitter”と呼びならわしているので、ここでもそのとおりにします)

『Twitter 24/10/07
‎数日中にまた本が2冊届く予定。
‎きょうのやり方で味を占めた...』

その翌日、夜遅くに仕事から帰るとその本が届いていたのだった。
そして...

『10月8日【読書メモ】
三行で撃つ 近藤康太郎 著
26時少し前から読み始め30時半過ぎに読了。
無茶で馬鹿なことをしたものだと思うが、そうしたかったのだから仕方ない。
(例によって眠くはならなかった)
ともかくも読み終えた。
実践する。
「書くこと」に真剣に取り組む。』
(以下、本文を読みながらのメモ書きが続く)

「ある本」との出会いはこうして訪れた。
直前の“一気読み”成功体験に便乗するかたちで私は「三行で撃つ」をのべ5時間ほどで”トラック1周目・完走“したのだった。

『10月9日の日記
夜更かしして「三行で撃つ」一気に読了。(その代わり午前中はダウン)』

「三行で撃つ〈善く、生きる〉ための文章塾」
近藤康太郎著(CCCメディアハウス刊)
タイトルにもあるようにこれは「文章の書き方、その実用書」(「はじめに」より引用)である。

『Twitter 24/10/10
今からでも
「書く人」になれるだろうか。』

近藤さんの本にさっそく感化されている... “撃たれて”いる。
日記によれば、私はこの日から【読書ノート】を取り始めている。

『Twitter 24/10/13
近藤康太郎著「三行で撃つ」、熱に浮かされるように一気に読了し、いまトラック2周目に入っている。読みながら(今からでも「書く人」になれるだろうか)などと考え始めた自分に驚いている。近藤さんの文章はクールで、しかも熱い。メモを取る私の指先も熱くなる。
(ツイートのつづき)
近藤さんのお名前は寡聞にして存じ上げなかった。TwitterのTLで偶然この本のことを知り、気づけば何かに導かれるように手に取っていた。もし書名が「三行で撃て!」だったら“通り過ぎて”いたかもしれない。
良書との出会いに感謝。』

『10月13日の日記
6am 起床
三行で撃つ 読書ノート進める
編集者さんとTwitterで繋がる。嬉しい』

上のツイートに対して本書の編集者である「編集Lily」さんが返信をくださった。
思わず声が出る。
欲しかったおもちゃを買ってもらえた子供のようにうれしかった。

『10月16日の日記
書く決心を固める。
近藤康太郎さんの「三行で撃つ」が背中を押してくれたと思う。』

そう、
私には書きたいものがあったのだ。
これについてはいずれまた触れたいと思っている。

『Twitter 24/10/16
トラック2周目、絶賛進行中。
「早く進みたい」「一言一句漏らさず読み取りたい」「このままずっと終わってほしくない」...これら三つの思いが交錯する。この本に完全に魅せられている。』

『Twitter 24/10/26
「目の前が広々と開けること、周囲が明るくなることを、古来、日本人は「おもしろい」と表現してきた。「おもしろし」とは、本来、そういう意味だったのだ。」
〜近藤康太郎著「三行で撃つ」より』

『Twitter 24/10/27
ある本に惚れ込んで、抜き書きを始めた。うまくまとめられたときは気持ちがよかった。いい感じで抜き書きを続けていた...途中までは。
ある章から急にそれができなくなった。抜きようがなくなった。すべてが大切なメッセージに思えてきたのだ。
(ツイートのつづき)
抜き出すのをやめた。ひたすら読む。読んで考える。しばらく置く。薄れる。また読み返す...その繰り返しになった。
きっとこれでいいんだ。硬いアスファルトの路面に大型車の轍ができていくように。
そのくらいこの本に惚れ込んだのだ。』

この頃には一日に一度かならずこの本を手に取ること、じっくりと味わいながら少しずつ読み返していくことが日々のルーティンになっていた。

『Twitter 24/11/04
抜き書きの必要性とその効用について論じた、私がいまこの本の中でもっとも激しく“撃たれている”項を読みながら抜き書きをしている。
快感、だ。』

『Twitter 24/11/06
1時間の #読書 タイム。
今朝はこのうえない達成感を覚えた。
(仕事したわけでもないのに)とは言わないでおこう...

『Twitter 24/11/11
タイマーをセットして30分だけ読書した。バッハの短いオルガン・コラールをエンドレスで小さくかけながら。
捗った。
脳が喜んでいるのがわかる。
この感覚、忘れないでいたい。』

同じ日のツイート。
『「文章を書いて生きる人間になれたのは、自分の努力などではない。その確信が、自分の手のうちに、ありありとして、在る。」
私がいまいちばん好きな本の中の文章。
烏滸がましい物言いだが、“文章を書いて”を“音楽をして”に置き換えると私自身の心境にぴたりと当てはまる。
(ツイートつづき)
同じ本からの引用。
「書き言葉は生命を持ち得る(...)新しい意味が付け加わっていく。新しい読み方、解釈、ときには創造的な誤読がなされる」
この部分を読んで咄嗟に「フルトヴェングラーのベートーヴェン演奏」が頭に浮かんだ。
書き手の想いに沿って、いつしかそれを超えて鳴り響く「創造物」。』

ここで近藤さんのおっしゃっている
「(書き言葉においては) ときには創造的な誤読がなされる」
のくだりが僕にはしばらく難解であった。
しかし何回目だっただろうか、読み返していて、昔読んだ本にあった
「演奏とは(...)いわば“追創造”とも称すべき行為である」
という丸山眞男の言葉を思い出すともに近藤さんの論旨の一端が理解できた気がしたのだった。
創造的な誤読とは...
作者(作曲家)の意図をも超えた優れた解釈のことなのだな、と。

この日最後のツイート。
『「三行で撃つ」、二度目の読了。
ノートを取りながらのトラック2周目はキツかった。でも楽しかった。
何かが私の中で啓いた。
良書との出会いに改めて感謝。』

『11月11日の日記
三行で撃つ 読書ノートを書き終える』


ジャンルは異なれど、同じ表現者の端くれとして今回の読書体験は実に刺激的だった。
猛烈に(書きたい!)と思う自分がここにいる。
これからも、善く生きて、mojoを引き寄せ、創作の女神と交信するためにいっそう精進したい。
そして...
「三行で撃つ」と一緒に届いた本(結局一ヶ月間“積ん読”にしてしまった)、同じく近藤康太郎さんの「百冊で耕す」を読むのが今からとても楽しみなのである。
posted by 小澤和也 at 12:46| Comment(0) | 日記

2024年10月21日

ブロムシュテットさんのオネゲル、そしてブラームス

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NHK交響楽団
第2020回定期演奏会を聴く。
(10月20日、NHKホール)

プログラム前半はオネゲルの交響曲第3番「典礼風」。3つの楽章それぞれに『怒りの日』『深き淵より』『我らに平和を与えたまえ』というカトリックの典礼にちなんだ副題が置かれ、宗教的で強いメッセージ性を帯びた作品である。三管編成、多くの打楽器にピアノも加わった大オーケストラから生み出される響きは時に凄絶を極め、聴く者に不穏な感情を呼び起こす。

それでもこの作品は決して“描写音楽”ではないと個人的には思う。作曲家はこの曲に深遠なテーマを持たせているが、その表出手段のベースにあるのは“抽象の美”だと感じるからである。

そのことを私に確信させてくれたのがブロムシュテットさんの音楽づくりであった。楽想がどれだけ激しさを増しても、マエストロの音楽は美しさを微塵も損なわない。音量や音色、そして表情づけ...それらの全てがぎりぎりのところで均整を保っている。

N響の機動性は実に見事であった。弦楽器群のアンサンブルの確かさはもちろんのこと、管セクションの充実がこの高密度な演奏を生み出していたと思う。楽曲の輪郭線としてのソロ楽器の見事さはいうまでもないが、この日客席で強く感じたのは1st以外のいわゆる“内声パート”の存在感だ。オネゲルの書法がそれを求め、オーケストラは素晴らしい演奏でそれに応えたのだった。


後半はブラームスの交響曲第4番ホ短調、押しも押されもせぬ名曲だ。第1楽章冒頭はさりげなく、しかし万感の思いをこめて歌われる。しかしそれは情動的な揺らぎ、節回しというよりは覚醒した意識の中でコントロールされた微妙な(楽譜にない)ニュアンスの変化や楽器間バランスの出し入れから生まれる柔らかさとしなやかさだ。

その先も、マエストロは百戦錬磨のこのオーケストラに対して細部に一層の彫琢を施した精緻な表現をひたすら要求してゆく。その音楽は寂寥感を帯びてはいるが決して枯れてはいない。結果として、前回協演時(2013年)とも(これは当然として)、またゲヴァントハウス管との近年のレコーディング(2021年)とも異なった新しいアプローチが実践されている。

ブロムシュテットさんはどこまで進化を続けるのだろう!

第2楽章以降も、旋律は磨きぬかれ、複数楽器の音色のブレンドは限りなく美しく、楽段ごとのテンポの移行も鮮やかである。
ブラームスがこの交響曲にこめた憧憬、諦念、諧謔、古典美への回帰...マエストロはこれらを“抽象の美”の語彙でもって完全な形で描き切った。


ずっと口には出さなかったこと。
2022年に同じNHKホールでマーラーを聴き ─この年にブロムシュテットさんは大怪我をされ、以来腰掛けての指揮を余儀なくされた─ 、さらに翌2023年の来日が体調不良によりキャンセルになったとき、
(ああ、これでもう聴けないのかも...)
と思ったのだった。
この危惧は今回良い方に外れ、私たちは再びブロムシュテットさんの音楽に触れることができた。
このうえなく幸せな時間であった。

ブロムシュテットさん、
これからも、どうぞお元気で。

posted by 小澤和也 at 09:26| Comment(0) | 日記

2024年10月14日

しあわせ気分のイタリア語


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↑書き取ったイタリア語(本文参照)


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(おお、これは...!)

新開講のNHK Eテレ・イタリア語講座「しあわせ気分のイタリア語」を観た。

10月はEテレ語学講座の“新学期”だ。
イタリア語講座の第1回放送は毎度チェックしているのだが、たいていは

Buon giorno! (こんにちは)
Grazie! (ありがとう)
Buono! (おいしい)

などから始まり、ゆったりと進んでゆく。
初学者を対象とするならば当然だ。
ただ私にはこのペースがもどかしく、視聴が続かないということが常であった。

1a puntata(第1回)を録画で見て驚いた。
ナビゲーターの川尻アンジェロさん(モデル/俳優)を筆頭に主な出演者がネイティヴの方々ばかりなのだ。
キアラ・ジュンティーニさん(食品バイヤー)
クラウディオ・クオモさん(アーティスト)
シルヴィア・サッケッティさん(モデル)

キーフレーズの解説は講師(張あさ子先生)が日本語でなさるのだが、4人の会話はすべてイタリア語である。
そしてそこに日/伊双方の字幕がつくのだ。

(これは勉強になる!)

字幕のイタリア語を少しずつ「書き取って語彙を増やし」、「文法を咀嚼」しながら「耳を鍛える」。
私がやりたかった学習法そのものだ。
しかもそれらが学習のためにこしらえた例文ではなく、beh, dai!, Eh,…といった間投詞も含めた生きた言葉のやり取りなのがうれしい。
(敢えて訳せば 「そうですね、」「それいけ!」「えーっと...」だろうか)

この半年間の新たな目標がひとつ増えた。
〜とここに宣言して自ら退路を断つことにする。
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posted by 小澤和也 at 11:25| Comment(0) | 日記

2024年10月03日

「レコード芸術」雑感、レコ芸ONLINE創刊に寄せて

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10〜20代の頃は熱心な「レコ芸」ファンでした。
初めて本誌を手に取ったのは中二の秋。(表紙が厳しい面持ちの巨匠カール・ベームだった)
クラシックを聴き始めたばかりの“ブラバン少年K”には著名アーティストの居並ぶ新譜月評が、さらには往年の名演奏家の歴史的遺産を回顧する特集記事の数々が ”古典に触れそこから学ぶ“ うえでの良き指針となりました。
某有名評論家氏からの影響で「ベートーヴェンの交響曲はやっぱり奇数番がフルトヴェングラー、偶数番がワルターだよね」などと当時から生意気な口を叩いておりました。

そののち、音楽を “我が道” と定めたことをきっかけに「レコ芸」購読を敢えて封印しました...一つの ”けじめ“ だと当時の私は考えたのだと思います。
あれからさらに四半世紀が経ちました。昨年の「レコ芸」誌休刊の報は(薄々予感していたこととはいえ)やはりショックでした。久しく離れてはいましたが紛れもなくかつての自分の ”居場所“ のようなものでしたから。
そこへ立ち上がったクラウドファンディングの話題!微力ながら私も参加しました。

そしてきょう、この日。
デジタル端末の操作も覚束なく配信での音楽を未だ聴いたこともない私ですが、“ついて行ける” 範囲で永く愛読者でいようと思います。

「レコ芸ONLINE」のますますのご発展を願ってやみません。

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posted by 小澤和也 at 21:56| Comment(0) | 日記

2024年09月28日

コーヒーショップにて


レッスンからの帰り道。
某大手コーヒーショップでブレンドを啜りながら原稿のチェックをしていたところ、店員さんから優しく声をかけられた。
『こちらの限定販売豆の試飲をしていただいているのですが...いかがでしょうか?』
勧められるままに、小さな紙カップに注がれたゲイシャブレンドをいただく。
作業の手を止められてしまったことにほんの少し苛立ちを覚えながらも、その店員さんの落ち着いたたたずまいとやわらかな話しぶりにもやもやはほどなく消え、ごく自然な流れで始められたセールストークを伺うことに。

『お味はいかがでしたか』
「以前にパナマゲイシャのシングルオリジンを飲んだことがあるんですが...確かにあの独特の香りと舌触りがしますね」
『いつもブラックでお召し上がりになるのですか』
「はい」
『どんな種類の豆がお好きですか』
「エチオピアのモカ系などよく飲みますがマンデリンも好きですね」
『マンデリン、私も好きなんです』
etc.

店内飲食では比較的よく利用するのだが、実はこの店の豆を買ったことはない。
パッケージが200g入りであること、そして[賞味期限=12ヶ月]という点が残念ながら僕を「その気にさせない」のだ。

『他の豆よりはお高いのですが...本日はセール価格になっております。いかがですか』
我が家にはいま未開封の豆が100gあり、きょう持ち帰っても持て余してしまうことになるのでその旨を正直に伝える。
すると ─
『きょうお求めいただいて後日またお持ちいただければその場でお挽きすることもできますよ(ニッコリ)』
(なるほど、そういうことか)
「私はいつも敢えて少量ずつ買って、一杯淹れるごとに自分で挽いて飲んでいるんですよ(ニッコリ)」
『そうでしたか!コーヒー、とてもお好きなのですね』
「ええ、まあ...」

もう二言三言を軽く交わしたのち、
店員さん、にこやかに退出。
何やら妙に“通”ぶっているイヤミな客だと思われてしまっただろうか(苦笑)

店員さんとのやり取りはとても楽しかった。
(あの物腰の柔らかさと専門知識の豊かさはどう考えてもアルバイトではないな...商品開発部門のベテラン社員さんかもな...)
などとぐるぐる考えてしまった。

豆が100g売りで焙煎日が明記されていたならば(もちろん大手では難しいだろう)買っていたかもしれない。

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posted by 小澤和也 at 10:35| Comment(0) | 日記

2024年09月18日

【ペーテル・ブノワ試聴記】3つの無言歌より「舟歌」

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ペーテル・ブノワ作品の新譜を聴く。

「月の光に」
〜フランダースのロマン派ピアノ曲集
川口成彦(pf)、他

2022年リリースのCD。
(いずれ手に入れよう...)とのんびり構えていたら2年近く経ってしまった。

ブノワの作品は次の3曲。
・舟歌 op.2-2
・幻想曲第3番 op.18
・幻想曲第4番 op.20

このうち「舟歌」が初めて聴く曲だ。
「舟歌」は1858年9月(ブノワ24歳)、留学先のベルリンにて作曲された「3つの無言歌 op.2」の第2曲。
(他の2曲には標題は付けられていない)
題名からはメンデルスゾーンが連想されるのだが、果たしてその通りのこぢんまりとした性格的小品。
op.2として3曲通して聴けたならばまた違った感興が浮かぶかもしれない。

2つの「幻想曲」、殊に第3番 op.18はおそらくすべてのブノワ作品中もっとも有名なものだと思う。

↓この曲についての少し詳しい解説へのリンク↓
http://kazuyaozawa.com/s/article/190768135.html (小澤和也 音楽ノート)

この他にもブノワはそのキャリア最初期にマズルカ、カプリチオ、スケルツァンドなどのサロン風小品を多く手掛けた。
当時多くの作曲家がそうであったように、ブノワもパリでの成功を目指していたのだ。

川口成彦さんの流麗かつ鮮烈なフォルテピアノ演奏は実に美しく、聴く者の心を震わす。
ブノワの全ピアノ作品を録音してくださらないだろうかと真剣に願うものである。
幻想曲op.18の第二中間部で見せた即興的パッセージには思わず(おおっ!)と声が出た。

その他の収録曲は以下の通り。
・C.L.ハンセンス(1802-71)
ピアノフォルテのための協奏曲 (作曲者による六重奏編曲版)
・J.ファンデルヘイデン(1823-89)
フランダースのロマンスによる奇想曲 op.4
・P.ファンデン=ベルへ(1822-85)
月の光に(即興曲) op.17
シンプルな旋律 op.29
サロン風マズルカ op.30
ピエ=ララ 〜 17世紀フランダースの流行歌によるピアノのための幻想曲 op.24

3名ともブノワより前の世代の作曲家である。
ハンセンスはブノワが「彼から管弦楽法と指揮のレッスンを受けた」として伝記に名前の挙がるモネ劇場の指揮者...彼の楽曲は今回初めて知った。
ファンデルヘイデンはパリでグノー、フランクら作曲を学んでいるそう。歌曲やオペラ作品からのパラフレーズや変奏曲など、主にピアノ曲を作曲。
そしてファンデル=ベルへ。
「裕福な家庭に生まれたアマチュア音楽家、自費出版で作品を発表」などという経歴を見て驚いたが、ヒラー、タールベルク、シュルホフら著名な音楽家への師事歴もあってもう一度びっくり。

ここに聴く作品はどれも心地良い響きで気楽に楽しめるものばかり...素晴らしいピアノフォルテの響きを優れた録音で味わえる愉しいアルバムだった。
posted by 小澤和也 at 20:30| Comment(0) | 日記

2024年08月17日

ペーテル・ブノワ 生誕190年

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きょう8月17日は
フランデレンの作曲家ペーテル・ブノワ (1834-1901) の誕生日。

ブノワって...誰?
皆さんきっとそう思われることでしょう。
世代としてはドイツ・ロマン派の巨匠ブラームス (1833-97) とほぼ同じ、またベルギー生まれという点ではセザール・フランク (1822-90) と同郷。
(もっともフランクはパリで活躍したワロン人ですが)


§ベルギー・フランデレン地方の小都市ハレルベーケ生まれの作曲家・教師。ブリュッセル音楽院にて学ぶ。1857年、カンタータ『アベルの殺害』でベルギー・ローマ賞受賞。ドイツおよびボヘミアに留学、そののちオペラ作曲家を志しパリへ出るも成功せず、ブリュッセルへと戻る。

§ 1867年アントウェルペンに音楽学校を設立、フラマン語 (ベルギーで話されるオランダ語) による音楽教育の確立のために尽力する。
(当時ベルギー国内では政治・経済・文化等あらゆる面でフランス語とその話者が優位であった) 
この学校は1898年王立音楽院として正式に認められる。1893年、フランデレン歌劇場を設立。1901年アントウェルペンにて死去。

§ ブノワはその後半生を母国語での音楽教育に捧げたため、没後はナショナリストのレッテルを貼られてしまう。また教育者としてのイメージが先行し、ベルギー国内ですら「誰もが名前は知っているけれど作品は知らない」という状況である。

§ 実際、彼の中期以降の作品には劇音楽『ヘントの講和』、カンタータ『フランデレン芸術の誇り』(別称: ルーベンスカンタータ) やいくつかの子供カンタータなど、啓蒙的・教育的な作品が多い。そしてテキストにフラマン語を用いているため国外ではまず演奏されない。

§ しかしブノワの作品はそれだけではない。20〜30代に書かれた『宗教曲四部作』、『フルートと管弦楽のための交響詩』、ピアノ曲集『物語とバラッド』などナショナリズムの色眼鏡にとらわれることなくもっと広く聴かれてよい佳品も多い。


昨年、『荘厳ミサ』(上記『宗教曲四部作』の第二作) を東京で上演しました。
↓そのときのブログ記事がこちら↓
http://kazuyaozawa.com/s/article/190580476.html

みなさまにもペーテル・ブノワとその作品を知っていただけますよう願ってやみません。
そしてそれが実現するよう、これからも発信を続けていきたいと思います。
posted by 小澤和也 at 07:32| Comment(0) | 日記

2024年08月02日

【珈琲道】プロの味


定期的に豆を購入しているお気に入りのカフェ。
この春から店内飲食とテイクアウトをお休みされていたのだが、最近テイクアウト営業を再開されたと知る。
これは嬉しい!

〜というわけで、仕事帰りにさっそく立ち寄った。
本日マスターは不在、若旦那さんのワンオペ。
挨拶もそこそこに
『プロの淹れる珈琲の味をずっと待ち焦がれていたんです!』
と一方的に思いをまくし立ててしまった。

《でもほんとうにそう思っていたのだ...
この店でいただく珈琲は僕にとっての“メートル原器“なので、それを味わうことのできなかったこの数ヶ月間は実に辛かったのだ》

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ミッションコンプリート。
今回はグアテマラをオーダー。
(このお店の同じ豆がちょうどいまわが家にあるので味の比較のために)

美味しい!
紙カップゆえの若干の風味の変化を差し引いてもやっぱり美味しい。
帰宅してグアテマラを淹れてみた。
当然ながら自分好みの味ではあるが...
道のりはまだまだ遠いなあ。

これぞ楽しき珈琲道。
posted by 小澤和也 at 23:28| Comment(0) | 日記