2019年07月16日

拙編 ドーデー/アルルの女 (2/2)

 
前回投稿のつづきです。
 
 
ドーデー『アルルの女』(1872)
全3幕5場からなる戯曲
 
【主な登場人物 (再掲)】
§フランセ 
(カストゥレの農家の老主人。フレデリの祖父)
§バルタザール
(フランセの農家に長く仕える羊飼いの老人)
§フレデリ
(農家の若主人。フランセの孫)
§ローズ
(フランセの息子の嫁でフレデリ&リノサンの母親)
§マルク
(ローズの兄。船乗り)
§リノサン
(フレデリの弟。白痴)
§ミティフィオ
(馬の番人。アルルの女の情夫)
§ルノーばあさん
(カストゥレの近くに住む老婆。バルタザールのかつての恋人)
§ヴィヴェット
(ルノーばあさんの孫娘、ローズは彼女の代母)
 
 
【第2幕第2場】カストゥレ農家の台所
 
[♪No.15: 間奏曲]
・第1景
マルクと水夫が早朝の狩に出かける支度をしているところへローズがやってきて、大切な話があるから行かないで頂戴、と告げる。楽しみにしていた狩をお預けにされて不満顔のマルク。
 
・第2景
そこへヴィヴェットがやってくる。6時の船で祖母の待つ村へ帰るとのこと。朝食の準備が間に合わず慌てる彼女にマルクは『そいつは俺が引き受けた』と親切に応対する。船の座席を取るためにヴィヴェットは急ぎ出てゆく。
 
・第3景
マルクの独白。『陽気で誰にでも優しいあの娘が行ってしまうなんてほんとに残念だ...ベル・アルセーヌ号(マルク所有の船)の甲板を、ああいう可愛い、小鳥みたいな娘っ子が飛びあるくの、悪かあない!』
 
・第4景
バルタザールがやってきて、長靴を履いたまま懸命に火を起こしているマルクをからかい、マルクも罵り返すが、そこではたと気づく。『そうか!お前も招ばれたんだね?...今朝、家のものの寄合いがあるらしいんだよ...』
 
・第5景
フランセとローズも加わり家族会議が始まる。ローズはフランセに、このままではフレデリが傷心の苦しみのうちに死んでしまう、アルルの女との結婚を許してやりたいと訴える。家の名誉を重んじるフランセは大反対。バルタザールも『あばずれをこの家に入れるなんて!』怒りのあまり暇乞いをするバルタザール、それを止めようとするフランセ、出たければ出て行けばいいとローズ。バルタザールは続ける。『この家には長いこと一家を導く主人がいない』
 
・第6景
フレデリが台所へ下りてくる。ローズは息子に『お前、死んじゃいけない、アルルの女がどんなひどい女でもいいから嫁にお貰い...』と告げる。フレデリはその言葉に深く感動する。『許してくれるんですね、お母さん...』しかしフランセはじめ一同の顔色を見てさらに言葉を継ぐ。『いいえ、いけません...私はあの女を貰いません...うちの名を名乗らせる女はそれにふさわしい女だけです...』
 
・第7景
折しもそこへ、ヴィヴェットが船着場から戻ってくる。フレデリは彼女を引き寄せ『お祖父さん、どうです?この子なら、うちの娘と呼んでも恥ずかしくはないと思いますが...ヴィヴェット、私の心の悩みを癒す女になってくれないか?』嬉しさのあまり言葉を失うフランセとローズ。ローズの胸にすがるヴィヴェット。バルタザールは啜り泣きながら『よく言ってくれた、神様がきっと祝福してくださるよ!』
[♪No.16: フィナーレ(フレデリとヴィヴェットの愛のモティーフ)]
 
 
[♪No.17: 間奏曲(メヌエット)]
【第3幕第1場】カストゥレの農家の前庭
 
[♪No.18: 間奏曲(カリヨン)]
・第1景
聖エロワの祭りの日。フレデリとヴィヴェットの婚礼を控え、花々で飾られた前庭。忙しく立ち回る召使達とそこへやってきたバルタザールが言葉を交わしている。『羊に囲まれて幸せに一生を終えたい...これがわしの星回りさ』とバルタザール。
 
・第2景
マルクが登場。これからルノーばあさんがここへやってくると聞き、彼女とは昔いい仲だったのだろう?とバルタザールに冗談半分で水を向けるが、バルタザールは激怒する。『その話だけは禁物だ!ちょっとでも言ってみろ、承知しないからな!』
 
・第3景
[♪No.19: メロドラマ〜ルノーばあさんのモティーフ]
フレデリとヴィヴェット、フランセ、ローズそしてルノーばあさんらが盛装して入ってくる。久々に訪れたカストゥレの農家のあちらこちらを懐かしく眺めるルノーばあさん、そしてバルタザールとの久々の再会。長い抱擁...二人は思い出を語り合う。
[♪No.19: メロドラマ〜バルタザールとルノーばあさんの愛のモティーフ]
 
・第4景
ヴィヴェットはフレデリが今でもアルルの女のことを忘れていないのではと密かに気にかけていた。それが例の手紙のせいだと知ったフレデリは彼女に空っぽの上衣のポケットを見せる。『手紙はバルタザールが今朝返しに行ったよ』『嬉しい!』フレデリはヴィヴェットを抱きしめる。
[♪No.20: メロドラマ(フレデリとヴィヴェットの愛のモティーフ)]
 
・第5景
そのときミティフィオがバルタザールのところへやってくる。彼は今夜アルルの女をさらって逃避行に出るつもりだとバルタザールに告げる。そのやり取りを物陰から目にしたフレデリは逆上、槌を手にミティフィオに襲いかかる。フレデリに飛びつくバルタザール。『放せ、まずあいつだ。それからアルルの女だ』ローズが二人の間に割って入る...そこへ松明の灯り、聖エロワ!聖エロワ!と叫びながら庭へと入ってくるファランドールの一隊...歌と太鼓、そして踊り。
[♪No.21: ファランドール]
 
 
【第3幕第2場】養蚕室
 
[♪No22: 間奏曲]
・第1景
中庭では婚約の祝宴が続いている。
[♪No.23: 合唱(三人の王の行列、ファランドール)]
中に納屋や養蚕室、子供部屋のある高い塔の建物の一室にひとり佇むローズ。彼女だけはフレデリの異常に気づいていた。『今夜も寝ないで見張らなくちゃ...』
 
・第2景
そこへフレデリが現れる。ローズは息子の本心を聞き出そうとするが、フレデリは話をはぐらかしてしまう。『何でもないんだよ...俺はただ忘れようとしてるんだ』彼は寝室へと戻ってゆく。
 
・第3景
ローズの独白。『かわいそうに...あの恐ろしい恋が、まだあの子を離さないのだ...女は行ってしまった。それであの子は死のうとしているのだ...』『子供ってものはなんて恩知らずなんだろう!...ああ!母親って惨めなもの...何もかもくれてやって、何も返しては貰わないのだ...』
[♪No.24: 合唱(三人の王の行列)]
 
・第4景
そのときリノサンが寝室から出てきて、今夜は何もなさそうだよとローズに伝える。
[♪No.25: メロドラマ(白痴のモティーフ)]
部屋でのフレデリの様子などを語るリノサン。彼はもうイノサンではなかった。すっかり智慧づいた彼の顔を驚きのあまりじっと見つめるローズ。『お母さん、あたいの名はジャネだよ...この家にはもうイノサンはいないよ』
 
・第5景
ふたたびローズひとり。『この家にはもうイノサンはいない、って?もしそのために不幸が起こったら...いや、神様は子供を一人返してくださって、別の子供を取り上げるなんてことはなさらない...』ローズは寝室へ入ってゆく。
[♪No.26: メロドラマ(ローズのモティーフ、フレデリの苦悩のモティーフ)]
 
・第6景
午前3時。『夜が明ける...山羊は一晩じゅう闘った。そして暁け方に...』半狂乱のフレデリが現れる。『あの男に抱かれている女の姿が見える...ああ!いまいましい幻!』そう呟くと納屋へ向かう階段を上がって行く。『フレデリ!どこへ行くの?』『あれが聞こえない?あいつがあの女をさらってゆく...待ってくれ!』『開けておくれ、フレデリ!...お前と一緒に死なせておくれ!』懸命に戸を叩くも開かない。ローズは狂ったように階下へ走り窓を開け、恐ろしい叫び声をあげて倒れる。
 
・第7景
リノサンがローズのそばに跪く。『お母さん!お母さん!』駆けつけて庭を見たバルタザール『ああ!...』やってきたマルクに『あれをごらん!恋で死ぬ男もいる!...』
[♪No.27: フィナーレ(フレデリの苦悩のモティーフ)]
 
ー 幕 ー
 
 
 
 
 
 
 
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2019年07月14日

拙編 ドーデー/アルルの女 (1/2)

 
 
ドーデーの戯曲「アルルの女」を櫻田佐の訳で読む。
(岩波文庫刊)
“農家の青年が都会の女に寄せる熾烈な恋慕、子を思う母の痛ましい愛、可憐な乙女の恋心、老人達の慎ましやかな情熱”(訳者序文より引用)を描いた佳作。
これにビゼーが “流麗な音楽を付して一層の光彩を加えた”(同前)のである。
 
以下、僕自身のための備忘メモを兼ねて各景ごとに要約を試み、ビゼーによる付随音楽 (全27曲) が物語にどのように寄り添っているかをまとめてみようと思う。
ビゼーの音楽が挿入されている箇所に
[♪No.7: パストラール(間奏曲と合唱)]
のように曲番号とタイトルを記す。
 
 
※櫻田訳の文中、主人公フレデリの弟の名前は「ばか」となっている...これではあんまりなので、ここではビゼーのスコアに記されている “L’INNOCENT”(リノサン) という呼称を使うことにした。
(“innocent” とはフランス語で「無垢な人、幼児、世間知らず、うすのろ」のことである)
 
 
 
アルフォンス・ドーデー (Alphonse Daudet)
『アルルの女』L’Arlésienne (1872)
 
 
【主な登場人物】
§フランセ 
(カストゥレの農家の老主人。フレデリの祖父)
§バルタザール
(フランセの農家に長く仕える羊飼いの老人)
§フレデリ
(農家の若主人。フランセの孫)
§ローズ
(フランセの息子の嫁でフレデリ&リノサンの母親)
§マルク
(ローズの兄。船乗り)
§リノサン
(フレデリの弟。白痴)
§ミティフィオ
(馬の番人。アルルの女の情夫)
§ルノーばあさん
(カストゥレの近くに住む老婆。バルタザールのかつての恋人)
§ヴィヴェット
(ルノーばあさんの孫娘、ローズは彼女の代母)
 
 
【第1幕】カストゥレの農家
 
[♪No.1: 序曲]
・第1景
豪農の老主人フランセとそこに仕える羊飼いバルタザールが、フレデリの嫁取りについて話をしている。
[♪No.2: メロドラマ(白痴のモティーフ)]
フレデリは3ヶ月前にアルルの街で見初めたある女性にすっかり心奪われているのだ。
 
・第2景
[♪No.3: メロドラマ(白痴のモティーフ)]
リノサンがバルタザールにおとぎ話の続きをねだる。彼は「スガンさんの山羊」の物語を話して聞かせる。『勇ましい山羊は一晩中闘った...そして夜が明け、とうとう山羊は体を横たえ、狼は山羊を食べてしまった』
リノサン『すぐ食べられてしまう方がよかったのに...』
 
・第3景
ヴィヴェットが農場の手伝いのために隣村からやってきた。彼女はフレデリに密かに想いを寄せている。バルタザールは、家族の中にイノサンがいることはその家にとっての守護(おまもり)になる、その子が智慧づいたら家族の星回りが変わるかもしれない、とヴィヴェットに話す。
[♪No.4: メロドラマ(白痴のモティーフ)]
 
・第4景
そこへやってきたローズがヴィヴェットに、フレデリの結婚話が進行中であること、そしてアルルの女の素性を知る彼の伯父マルクをフレデリが馬車で迎えに出かけていることなどを話す...ヴィヴェットは激しく動揺する。
 
・第5景
フレデリが「良い報せ」を持って街から戻ってくる。はしゃぐフレデリ、そして落胆するヴィヴェット。バルタザール『一方が幸福になると片方が不幸になる...これがうき世だ』
 
・第6景
アルルの女とその家族に会ってきたというマルクはフレデリの結婚相手を褒めちぎる。『俺を信用してくれ...父親も母親も娘も...純金だよ、あの家の香甘酒(ラタフィア)のように』
 
・第7景
マルクの猟銃、獲物袋、長靴などを背負って彼の部下である水夫が入ってくる。フランセ、ローズらは祝杯のための麝香葡萄酒(ミュスカ)の準備を始める。
 
・第8景
かわいそうなヴィヴェットの心情を案じつつひとり佇むバルタザール。同時に彼女の祖母で自分がかつて愛したルノーのことを思う。
[♪No.5: 合唱とメロドラマ(ミティフィオのモティーフ)]
そこへ一人の男がやってくる。『旦那はいるかね?』しかし男はフランセとだけ話をしたいと言って中へ入ろうとしない。
 
・第9景
その男ミティフィオはフランセに、フレデリが嫁に取ろうとしている女は二年前からの自分の情婦であること、女からの恋文もここに持っていることを話す。
[♪No.6: メロドラマとフィナーレの合唱〜メロドラマ(ミティフィオのモティーフ)]
驚き戸惑うフランセは孫にこれを見せて女を諦めさせるからと手紙を預かり、ミティフィオは出て行く。
 
・第10景
バルタザール『女は布地のようなものだ。蝋燭の光で選んじゃ駄目だ』
フランセ『ああ、なんて言おうか...』
 
・第11景
喜びの絶頂にいるフレデリにフランセは手紙を見せる。『いけない...コップをお棄て。その酒はお前には毒だ』手紙を読むフレデリ。『ああ!...これは...』彼はは苦しそうに叫ぶと倒れるようにがっくりと座り込む。
[♪No.6: メロドラマとフィナーレの合唱〜フィナーレの合唱]
 
 
【第2幕第1場】カマルグのヴァカレス湖の畔
 
[♪No.7: パストラール(間奏曲と合唱)]
・第1景
マルクが蘆の茂みに隠れて狩の獲物を狙っている。そこへローズとヴィヴェットがフレデリを捜しにやってくる。マルクは彼女らが声を上げたせいで嘴太鶴(フラミンゴ)を逃してしまったと悔しがる。
 
・第2景
フレデリはまだ見つからない。彼の行方を心配する女二人。ローズはヴィヴェットに、失意のフレデリを助けてほしい、お前からあの子へ想いを伝えてほしいと頼む。
 
・第3景
[♪No.8: メロドラマ(白痴のモティーフ)]
リノサンはバルタザールにばかり懐き母親の言うことを聞かない。ローズ『この子は私達よりお前の方が好きなんだね』。バルタザールはローズに、リノサンにもっと愛情を注いでやらなくてはいけない、この子はこの家の守護神(まもりがみ)なのだからと強くたしなめる。
[♪No.9: メロドラマ(白痴のモティーフ)]
ローズはリノサンを抱きしめると、ひとり家へ帰ってゆく。
 
・第4景
リノサンが羊小屋の奥に隠れていたフレデリを見つける。
[♪No.10: メロドラマ(フレデリの苦悩のモティーフ)]
苦しい、いっそ死んでしまいたいと漏らすフレデリに、バルタザールは彼自身の若い頃の苦い恋の思い出を語る。『この恋をしてから何年もたったけど...今でもその話をすると涙が零れるほど、わしはその人を思っているのだ...』
牧童たちの呼び声が遠くから聞こえてくる...日暮れ。
[♪No.11: 合唱]
 
・第5景
アルルの女がミティフィオに宛てた恋文を何度も読み返しては悲嘆にくれるフレデリ。
[♪No.12: メロドラマ(フレデリの苦悩のモティーフ)]
そんな彼のそばへやって来て話しかけるリノサン『読んじゃいけないよ、泣いちまうんだもの』。代わりに面白い話を聞かせてあげる、と「サガンさんの山羊」の物語を話しだす...そのうちにリノサンは眠ってしまう。
[♪No.13: メロドラマ(子守歌)]
 
・第6景
そこへヴィヴェットがやってくる。フレデリの気持ちを自分へ向けさせようと懸命に話しかけるヴィヴェットだったが、フレデリは終始冷たい態度。『俺はお前なんか好きじゃないんだ...どこかへ行っておしまい、その方がいい...放っといてくれ』彼は走り去る。
 
・第7景
泣き崩れるヴィヴェット、驚くリノサン...ローズが駆けつける。そのとき、フレデリの出て行った方角で銃声が響く。不吉な予感に立ちすくむ二人。しかしそれはマルクが獲物に向けて放ったものであった。ローズはある決心を固める。
[♪No.14: メロドラマ]
 
 
(つづく)
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2019年07月11日

「自分のほんとう」

 
先日のプローべは楽しかったな。
男声合唱版『ぜんぶ ここに』。
楽譜に記号として書かれた単なる「音符」の連なりが「表現」へと変貌してゆくプロセスをグリーのメンバーと共有することができた。
(真の完成はまだまだ先だけれど...)
 
スコアとその行間から見えてくるもの、そして歌詩から感じ取ることができるもの...
心の受信感度を最大にして、それらのすべてをメンバーに、そして客席に届けたい。
 
 
いま僕の頭の中でずっと鳴り響いている詩がある。
 
「自分のほんとう」
 
ほんとうのことは
人生と同じだけの
時間がかかるから
説明できないけれど
こうして生きていることは
まちがいないので
それだけはほんとうです。
誰でも
ほんとうのことは
自分しか知りませんでした。
 
(さくらももこ『まるむし帳』より全文引用させていただきました)
 
 
この曲集の最後に置かれた「自分のほんとう」。
曲集は2017年に出ている (ちなみに『まるむし帳』の発刊は1991年) から、この歌 (詩) をさくらさんの死去 (2018年8月) と重ね合わせることはまったく意味を持たない。
それでも...
 
誰でも
ほんとうのことは
自分しか知りませんでした。
 
この三行を読むたび、「“コンプリートされた” さくらさんの人生を言葉にしたもの」のように思えてならないのだ。
(もちろん...53歳での死はあまりに早すぎるけれど)
 
そしてもう一つ。
この詩を終曲として選んだ相澤直人さんのやわらかなセンス!
人気曲「ぜんぶ」(大切なことは/ぜんぶここにある。etc.) の後に「自分のほんとう」をもってくるとは!
相澤さんはさくらさんの訃報を知った日の夜、この歌の混声版を作られている...きっと彼にとっても特別な曲なのだと思う。
 
 
演奏会まであとひと月。
考え抜いて、ひたすら感じて、さくらさんの世界を歌いたい。
みなさま、ぜひお運びください。
 
 
東京農工大学グリークラブ
第39回演奏会
 
小金井宮地楽器ホール 大ホール
(武蔵小金井駅下車すぐ)
入場無料、全席自由

§相澤直人/さくらももこ
無伴奏男声合唱曲集「ぜんぶ ここに」
§松下耕
女声合唱のための「湖国うた紀行」 他
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 12:45| Comment(0) | 日記

2019年07月07日

ビゼー『アルルの女』の源流を探る

 
機会に恵まれてビゼー『アルルの女』劇音楽版の読譜を進めている。
 
1872年 (ビゼー33歳) の中頃、パリ・ボードヴィル座の支配人L.カルヴァロの依頼により劇音楽『アルルの女』の作曲は始められた。
きわめて短期間のうちに音楽は完成し、この戯曲は同年10月1日に初演...ただし成功とはいえなかったようである。
その直後、知人らの勧めでビゼーは4曲からなる (第1) 組曲を編むが、これの初演が11月10日...なんという仕事のはやさ!
組曲の初演は大成功であった。
ビゼーは1875年に早世、その数年後に友人の作曲家E.ギローが第2組曲を完成させる。
現在、ビゼーの『アルルの女』といえば一般にはこれら2つの組曲を指すといって良いだろう。
 
さて...劇音楽版である。
第7曲「パストラール (第2幕第1場への間奏曲)」、これは第2組曲の第1曲「パストラール」にほぼ相当する。
イ長調 (4/4拍子) のたっぷりとしたメロディに続いて現れる嬰へ短調 (3/4拍子) の弾むように流れる音楽が混声合唱で歌われることを初めて知った。
(歌詞はなく、旋律・伴奏音型ともにLa la, la...のみ)
組曲版での、あの茫々とした平原を吹き渡る風のような木管楽器の美しさは実に美しいが、これが人の声で歌われるとき、作品に内在するドラマ性 (あるいは人間くささ) が俄然強調されるように感じられる...今更ながら僕の中での新たな発見であった。
 
(劇音楽版ヴォーカルスコアより)
 
 
もう一点。
第2組曲の第4曲、有名な「ファランドール」の大詰めである。
それまで個別に登場していた2つの主題 “三人の王の行列” および “馬の行進” を最後に合体させるアイディアは編曲者ギローによるものだとなぜか僕は思い込んでいたのだが、そうではなかった...浅学を反省。
この場面、ビゼーは “三人の王” を合唱で、“馬の行進” を笛と太鼓で表した...その色彩効果たるや!
 
 
(劇音楽版ヴォーカルスコア、第23曲より)
 
 
 
アルベール・ヴォルフ指揮による劇音楽『アルルの女』のディスクである。
仏語による脚本の朗読と音楽との融合。
これを聴いて僕の中の作品観、ひいてはビゼー観が一変した。
 
『アルルの女』の源流を探る旅、もうしばらく続けてみよう。
 
 
組曲版と劇音楽版の対照はおおむね次のとおりである。
 
【第1組曲】
第1曲:前奏曲 ...... (劇)第1曲「序曲」
第2曲:メヌエット ...... (劇)第17曲「間奏曲」
第3曲:アダージェット ...... (劇)第19曲「メロドラマ」の後半部
第4曲:カリヨン ...... (劇)第18曲「第3幕第1場への間奏曲 (カリヨン)」
 
【第2組曲】
第1曲:パストラール ...... (劇)第7曲「第2幕第1場への間奏曲 (パストラール)」の編曲
第2曲:間奏曲 ...... (劇) 第15曲「第2幕第2場への間奏曲」
第3曲:メヌエット ...... 歌劇『美しいパースの娘』の音楽より
第4曲:ファランドール ...... (劇) 第23曲「合唱」第2部分の編曲、第21曲「ファランドール」の編曲、ギローによる再構成の要素大
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 00:49| Comment(0) | 日記

2019年06月16日

ゼッフィレッリさんの訃報

 
Addio a Franco #Zeffirelli. 
Il grande regista è morto a Roma. 
Aveva 96 anni.
さようなら、フランコ・ゼッフィレッリ。
偉大なる演出家がローマで死去。
96歳だった。
(イタリア・la Repubblica紙のTwitterより引用)
 
 
巨星堕つ。
 
 
一度だけゼッフィレッリさんを間近で見かけたことがあった。
2003年9月、新国立劇場公演『ヴェルディ/アイーダ』舞台稽古中のことである。
稽古が突然止まり、(どうしたのだろう?) とステージを見やっていると...下手袖からゼッフィレッリさんがゆっくりと現れたのだった。
(実際の稽古は演出補の方が担当されていた)
出演者やスタッフからの熱烈な拍手に笑顔で応えるゼッフィレッリさん。
ほんの数分の出来事であったが、その姿から発せられていた強烈なオーラは今も忘れられない。
 
 
この公演に音楽スタッフとして参加できたことは僕にとって大きな財産である。
マエストロ、ダニエル・オーレンの変幻自在なタクトにつけてペンライトを振ったのも実に有り難い経験だ。
 
 
その際に作ったスタッフジャンパー。
すっかりボロボロだけれど、今も愛用している。
 
 
第1幕前奏曲の最後の音が消える。
入れ替わりに舞台にすっと照明が入り、メンフィスの王宮が眼前に浮かび上がった。
城壁に当たる柔らかな光、まっすぐに伸びる影...
言葉を失った。
真に美しいものを目の当たりにして涙がこみあげてきた数少ない経験。
絢爛にしてなおかつ気品を損なわないゼッフィレッリの素晴らしい演出だった。
 
 
RIP
 
 
posted by 小澤和也 at 00:20| Comment(0) | 日記

2019年05月26日

合唱団あしべ 春の舞台

 
江戸川区 第40回中央地域まつり。
今年も合唱団あしべのみなさんと出演しました。
(26日、東小松川公園)
 
快晴。
暑い...とにかく暑い。
正直に告白すると、屋外イベントは天気が良すぎるのも困りモノ(苦笑)
 
あしべの今年の曲目は
「瀬戸の花嫁」「いつでも夢を」そして「ハナミズキ」。
年初よりじっくりと、大切に歌いこんできた愛唱曲たち。
 
 
 
 
炎天下にもかかわらず、あしべの皆さんは普段どおりの爽やかな歌声を聞かせてくださいました。
「ハナミズキ」は本番がいちばん上手だったかも♪
 
あしべの皆さん、今回もお疲れさまでした。
秋の合唱祭へ向けて、来週からまた楽しく歌っていきましょう。
posted by 小澤和也 at 23:08| Comment(0) | 日記

2019年05月19日

カフェ・ベルニーニと城山幼稚園

 
ある日の仕事帰り。
行きつけの珈琲豆店のマスターから「このお店、よかったですよ」とお話を伺っていた都内某所のカフェを訪れてみた。
 
 
静かで落ち着いた雰囲気のこぢんまりとした店内。
(僕の好きなタイプだ)
さっそく“今週のコーヒー” ボリビアを注文する。
 
 
カップを近づけると...うーん、いい香り。
中深煎り、苦みと酸味のバランスがGood!
ちょっとでも雑味があるとこうはいかないだろう。
焙煎からピッキングまで、さぞ丁寧なお仕事をされているのだろうなと直感。
 
そうなると別の種類のものもいただいてみたくなる。
そんなときに決まってオーダーするのはマンデリンだ。
 
 
このカップのデザインも素敵。
苦みとコクが主体のマンデリンだが、実にすっきりとした後味...純度の高さを感じる。
 
ここにいつまでも腰掛けていろいろなコーヒーを味わいたかったのだけれど、この日はもう一つの用事があったので、これにておいとま。
帰り際、マスターより
『深煎りのコーヒーがお好きですか?』
と声をかけられた。
(どうして分かったのだろう...?)
 
 
店を出てしばし散策。
実はこの界隈、僕の生まれ育った町のすぐ近所なのだ。
しかも通った幼稚園はカフェから歩いて10分足らず。
半世紀近く前のかすかな記憶と現在の景色がどれほど重なり合うものか、ちょっぴり確かめてみたくなったのだ。
地図を頼りに向かってみると...
 
 
この細い路地。
手を引かれて歩いた気がする。
左手奥のマンションもあの頃からあったような...
 
 
幼稚園の入口に到着。
熊野神社...そうだ、熊野神社だ!
鳥居も縁石ももちろん新しいものであろうけれど、この佇まいは当時のままのように思えた。
 
 
Time goes by...
posted by 小澤和也 at 23:26| Comment(0) | 日記

2019年04月30日

ケルテスのラスト・セッション

 
久しぶりにイシュトヴァン・ケルテスの新しい音源を入手した (ロンドン交響楽団との1964年東京ライヴ) のを機に彼の録音データについていろいろと調べていたところ、こんな資料を見つけた。
 
“The LSO Discography”
 
“The Vienna Philharmonic on Decca
 
これらを見ると、ケルテスがいかに精力的に両オーケストラとレコーディングを行ってきたかが手に取るように分かる。
 
データをあれこれ眺めつつ、僕の興味は自ずと彼の「最後の録音」のことに。
ご存じのとおりケルテスは1973年4月16日、不慮の事故により43歳の若さで突然この世を去った。
その結果ブラームスの録音の一部が未完となり、オーケストラが遺された部分を録音したというエピソードがある。
CD解説等に書かれているのは「ハイドン変奏曲」なのだが、「第4交響曲の終楽章である」という説もあって、そのあたりのことが何となく気になっていたのだ。
 
ディスコグラフィには次のようにある:
 
 
1973年2月26日〜3月1日にウィーン・フィルとブラームス第1&第3交響曲、そして「ハイドンの主題による変奏曲」を録音していることが分かった。
そして最終行には
「ケルテスの死を受けて、ハイドン変奏曲が指揮者なしで完成された」とも。
 
 
もう少し調べているうちに、1975年リリースの第3交響曲&ハイドン変奏曲のLPレコード (London Records CS6837) のジャケット裏面にケルテスへの追悼文があることに偶然気付いた。
 
↑CS6837のジャケット
↓“His Last Recording”との記載がある
 
↑ジャケット裏面
↓右下部分
(これらの画像はネット上にあったものを拝借しました)
 
デッカのマネージャー、Terence A. McEwen氏のよるものだった。
以下、その拙訳を掲げる。
やはりハイドン変奏曲の、おそらくはあのパッサカリア風のフィナーレが遺されたものと思われる。
 
 
その早すぎる死の少し前、イシュトヴァン・ケルテスは第1、第3および第4、それに既存の第2の録音を加えてブラームスの交響曲全集を完成させました。第3交響曲はレコード1枚の分量に満たないので、“ハイドンの主題による変奏曲” が加えられることが決定されました。録音セッションが完了する前に時間切れとなりましたが、すぐ後に再びウィーンに戻ってさらなるレコーディングを行う予定であったため、ハイドン変奏曲の終結部はその機会へと持ち越されました。
そして運命は並外れた感性を持つこの若い指揮者を現世から奪い去ったのです。
ウィーン・フィルはケルテスと多くのレコードを制作しました。彼らは周知のとおり指揮者にとっては手強いオーケストラであるのですが、ケルテスが亡くなるとすぐ、高く評価するその指揮者に対しある特別な行為によって敬意を表したいという彼らの願望を我々の会社に伝えてくれました。リスペクトと愛に溢れた雰囲気の中、ウィーン・フィルは指揮者無しでこの若きマエストロの最後のレコーディングを完成させました。
これは私がこれまで体験した中でも類のない賛辞であります。そして同時に我々ロンドン・レコードは、その卓越した美的規範が西洋諸国において賞賛された、また多くの素晴らしい録音によって決して忘れられることのないであろうひとりの音楽家に最後の敬意を表するものであります。
 
T. A. McEwen
Vice President 
Manager - Classical Division
 
 
“To pay homage to the conductor it so much esteemed by means of a very special gesture.”...
ケルテスがウィーン・フィルにどれほど愛されていたかがひしひしと感じられる文章だ。
posted by 小澤和也 at 21:55| Comment(0) | 日記

2019年04月28日

『湖国うた紀行』紀行

 
この夏に東京農工大学グリークラブ女声メンバーと手がける『湖国うた紀行』(松下耕)。
その世界に少しでも近づけたらと思い、夜行バスを使って滋賀まで0泊3日の旅に出かけた。
 
早朝、南草津駅に到着...あいにくの雨。
結局この日は残念ながらずっと降られっぱなしだった。
 
 
レンタカーを借り、まず向かったのは彦根。
夏の風物詩「きせない行列」の地元を訪ねる。
 
青龍山大雲寺。
こちらのご住職が「きせない」を復活させた。
 
 
 
お隣が保育園、すぐ脇の細い路地を入ると...
 
 
 
割烹やスナックの並ぶエリアが見える。
かつて袋町と呼ばれたこの辺りは県内でも有数の歓楽街であったそうな。
 
彦根城へ向かって少し歩いてみた。
 
 
時が止まったかのような街並み。
 
 
 
彦根城もぜひ観たかったのだけれど、時間に限りがあるため断念...
犬上郡甲良町へ向かう。
 
 
甲良神社。
人影もなく濡れそぼった境内はどこかさびしい。
 
 
 
続いて訪れたのが町立図書館&歴史資料館。
総檜造りの旧小学校校舎を活用しているとのこと。
 
 
 
 
資料室の窓から見える美しい風景に心も和む。
 
 
甲良町・長寺地区へ車で向かう。
楽譜によれば、ここが『甲良の子守歌』発祥の地らしい。
民家もより少なく、田畑よりも空き地 (荒地) が目立つように感じられたのは気のせいだろうか。
 
 
ねんねしてくれ 寝る子はかわいーィ
起きて泣く子は 面(つら)にくいーィ
 
良い娘嫁入(よめり)する 悪い娘は残るーゥ
嫁入せん娘は わしひとりーィ
 
子守歌 (寝させ歌) というよりは「守り子歌」、一種の労働歌である...それもおそらくは10歳前後の少女たちの。
自身の境遇の辛さ、裕福な家への羨望のようなものが歌詞にあらわれていると思う。
そしてこの地区がいわゆる被差別部落のひとつであったこととも無関係ではないだろう。
 
次の目的地は近江八幡。
『まゆとり歌』について何かしら知ることができたらと思ったのだが、事前の調べではどの辺りで養蚕業が営まれていたのかよく分からぬままであった。
(旧安土町の繖山桑實寺は天候不良のため断念)
 
移動の途中、末広町に歴史資料館があることを知り、訪ねてみることに。
その施設は広く一般に公開している様子ではなかったのだが、アポイント無しで押しかけたにもかかわらず職員の方々は親切に応対してくださった。そして...
 
 
この地域にも被差別部落としての不幸な歴史があることを知る。
かつては食肉業・皮革加工業が産業の中心であったとのこと。
それでも、館内に展示されていた末広地区の古い地図には桑畑の記号があちらこちらに見られた...きっと養蚕が盛んに行われた時代もあったのだろう。
 
最後の目的地は大津市・堅田。
琵琶湖大橋を渡って湖の西岸へ。
『船おろし歌』のルーツを訪ねたかったのだけれど、調査不足そして時間切れのため叶わず。
唯一期待を寄せていた「湖族乃郷資料館」、なんとこの日は休館日!
 
 
気を取り直して...海門山満月寺の浮御堂へ。
 
 
 
 
晴れていたら琵琶湖はこの何十倍も綺麗だったことだろう。
 
 
南草津へ戻り、レンタカーを返して夕食。
店を出た頃、ようやく雨が上がっていた。
 
 
 
走行距離190km、およそ10時間の旅。
歌の核心に迫ることのできた瞬間は多くなかったけれど、「湖国」の風景は深く僕の心に残った。
来月からのグリーメンとの練習が楽しみだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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2019年04月21日

きせない

 

松下耕さんの『湖国うた紀行』。
琵琶湖周辺の各地に伝わる仕事歌やわらべ歌を素材とした「合唱のためのコンポジション」である。
作品は次の4曲からなる。
 
まゆとり歌 (近江八幡市末広町)
きせない (彦根旧市街)
甲良の子守歌 (犬上郡甲良町長寺)
船おろし歌 (大津市今堅田町)
 
このなかでまず気になったのが「きせない」。
曲中では囃し言葉のように「キセナイ、キセナイ」と繰り返し歌われる。
「きせない」とは何ぞや?
少し調べてみた。
 
 
時は江戸時代、八朔盆に際して幼年〜10代前半くらいの女の子らが着飾って町内を練り歩く夏の行事があったそうな。
 
「(...)日の暮れ方になると、組邸や町の娘子(じょうし)はサッと一風呂浴び、髪をきれいに結い、ビラビラと光る花簪を挿し、コッテリと白粉を白壁のように塗り、首筋に三本の白い足を描き、絽や縮緬のきれいな着物を着飾り(...)、年の順、背丈の順に並び、互いに手を繋ぎ合って、きせないきせない、の唄を合唱し乍ら京都の舞妓の様な風で町を練って歩く。(...)」
(「彦根藩士族の歳時記 高橋敬吉」藤野滋編著 より引用)
 
天のばたばた ばたついてこけて
去(い)んでおっ母さんに 叱られて
ノウヤッサイ きせないきせない
(松下作品 1番の歌詞)
 
「天の “ばたばた”」がずっと分からなかったのだが、複数の資料から “七夕” の転訛であるらしいことが判明...大いに納得。
 
以下、
天の星さま 数えてみれば
九千九つ 八つ七つ
 
彦根よいとこ お城は山に
前の湖水に 竹生島
 
といったふうに5番まで歌詞が選ばれ付曲されているが、本家「きせない」には20以上の歌詞がある。
それらのなかにはかなりキワドイものも見受けられるようだ。
例えば
 
あいつどこん子じゃ 蹴っつらかせ転がせ
槍で突きたや細槍で
(仲間に加えてもらえないからと行列の邪魔を仕掛けるわんぱくな男児たちに向けて歌ったか)
 
彦根袋町 尾のない狐
人をだまして 金をとる
(袋町は現在の河原町1〜2丁目あたりとのこと。明治〜昭和初期まで花街があったそう)
 
この風習は明治の終わり頃 (大正期とする資料も) に途絶えてしまうが、戦後新たにこれを復活させる動きがあり現在に至るとのこと。
 
きせない行列
(彦根市のサイトにあった資料から画像をお借りしました)
 
 
「きせない」という掛け声の語源についてもさまざまな説があるようだが、以下に引用する説明が僕にはいちばんしっくりくる。
 
「きせないの語源については、鬼債無いとか、飢歳無い、鬼斎無いなどもっともらしい字をあてていろいろと論議されているようであるが、こうした民俗的な風習は(...)大抵偶然の機会にできたものが、行事に発展したのが多いようである。
(...)借金を盆に済まして、あとは鬼債が無いとて「きせない」といったとか、天保の大飢饉にこりごりした領民が、飢ゆる年のない様にとて、飢歳無いといったとか説明されてもいるが、結局は大人が後からこじつけた屁理屈ではなかろうか。
歌の意味にもあるように、盆の晴れ着を着て、ばたついてこけて、着ものを汚したら叱られる。もう着せないといわれよう。といったことを純真に子供たちが口ずさんだもので、むつかしい字をあてるより「着せない、着せない」でよいのではなかろうか。(...)」
(「彦根史話」宮田思洋著 より)
 
 
§参考資料 (上記以外)
日本民謡大観 近畿篇 (日本放送協会編)
日本わらべ歌全集 14下 滋賀のわらべ歌 (右田伊佐雄著)
日本のわらべうた 歳時・季節歌編 (尾原昭夫編著)
 
 
この8月11日(日)に行われる
東京農工大学グリークラブ 第39回演奏会
(小金井宮地楽器ホール)
にて、『湖国うた紀行』を演奏します。
 
皆さまぜひお運びください。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 00:20| Comment(0) | 日記