2023年11月23日

ファンファーレオルケスト初体験

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洗足学園音楽大学ファンファーレオルケスト 第35回定期演奏会
(11月17日、洗足学園 前田ホール)
を聴く。

ファンファーレオルケスト (以下FO)、呼び名だけは知っていたものの、実際の演奏に触れるのは今回が初めて。
ブリティッシュスタイルのブラスバンドに近いのだろうと勝手に想像していたのだが、いざ聴いてみて驚いた。
(サキソフォンが加わるだけでこれほどにしなやかな響きになるのか...!)

指揮がJ. ヴァンデルロースト、そしてメインプログラムが氏の自作やP. スパークの最新作ということで、それだけでも魅力たっぷりなコンサート。
だが僕にとってのこの日いちばんの “お目当て” はペーテル・ブノワの『幻想序曲』であった。
(ブノワがFOのために曲を書いていたとは不覚にも知らなかった)

《Peter Benoit: Ouverture fantastique》
1856年、ブノワ21-22歳の頃の作品。
カラビニエリの楽隊のために書かれた。
(管楽器奏者であった弟エドモントの入隊に際しての便宜への返礼に、ということらしい)
ゆったりとした序奏を伴った典型的なソナタ形式。
ウェーバーやメンデルスゾーンなどの初期ロマン派のスタイルを思わせる。
序奏〜主部とヘ短調を軸に進み、最後にヘ長調に転じて大団円...という流れはベートーヴェン『エグモント序曲』と同じ。

アドルフ・サックスによるサキソフォンの発明が1840年代 (特許取得が1846年)、その後FOがベルギーやオランダで普及していったのが19世紀後半以降であるから、ブノワの『幻想序曲』はこのジャンルにおける最初期の作品のひとつということになるだろう。

プログラム前半では管弦楽曲のいわゆる「編曲モノ」(オッフェンバック&サンサーンス) も演奏されたが、この手のナンバーは演奏以上に「アレンジ」が上手くないと聴いていて楽しめないな、というのが正直な感想。
後半のオリジナル作品はどれも素晴らしかった...
中でも『ノッキング・アット・ヘヴンズ・ゲート』、そしてアンコールで (2度も!) 演奏された『モンタナ』。

コンサート全編を通してサックス (殊にソプラノ) の存在感が絶大だった。
一方で、フリューゲルホルンはどのように使われどう聞こえるべきなのかが最後までよく分からなかった...少なくとも僕の席からは。

〜などとついつい仕事人の耳で聴いてしまったけれど、終わってみればとても幸福なFO初体験であった。
posted by 小澤和也 at 00:48| Comment(0) | 日記

2023年10月12日

ブルックナーの命日に

1011日はブルックナーの亡くなった日。

(1896年没)

何かCDを聴こうかとも思ったのだけれど、昨日の『ブロムシュテットさん来日見合わせ=N響とのブルックナー公演中止』の報が未だ胸に重くのしかかり、今ひとつ気分がのらない。


その代わりにこちらを聴くことにした。


NHK-FM

《大作曲家の時間 ブルックナー》

最終回

(Youtubeにアップされている音声)

番組前半

https://m.youtube.com/watch?v=O_yoRr9gEkQ

番組後半

https://m.youtube.com/watch?v=hrP5Hv9x7A8


31回にわたってオンエアされたシリーズ最終回は第9交響曲の第3楽章を、土田英三郎氏の綿密な解説とともに聴くものであった。

(当時はこのような専門的・学術的な内容の番組がリスナーにおもねることなく放送されていたのだと思うと感慨深い)


前半ではアダージォの全編にわたる解説ののちシューリヒト&ウィーン・フィルの名録音が流され、後半は未完に終わった第4楽章のスケッチをこの放送のためのピアノ演奏 (pf: 草野裕子を用いて紹介してゆくという実に貴重な記録


録音を聴きながら改めて調べてみると...

この《大作曲家の時間 ブルックナー》は19839月〜翌年3月の放送だったようだ。

土曜朝の番組だった記憶がある。

当時僕は高校生、毎週オーディオタイマーをセットして登校、帰宅してから貪るようにエアチェックを聴いていた。


この最終回も部分的にではあるがよく憶えている。

上述の第4楽章フィナーレスケッチのピアノ演奏があたかも「最後の審判」の場面のように僕の心をえぐったのだ。

1楽章のそれ以上に激しく厳しい第1主題、少しも歌謡的でない第2主題、壮麗な呈示部結尾のコラール主題と順に聴き進みつつ、(ブルックナーがいかに巨大なフィナーレを構想していたかに思いを馳せる。

さらに第1主題モティーフによるフーガの主題が紹介された後、コラール主題の再現が18小節にわたって鳴り響き...


演奏は突如停止。


(これでブルックナーの楽譜は終わっています...これ以後はコーダを含めてまったく書かれていません」

(土田氏のナレーション)


ブルックナーの筆が止まった瞬間...

この部分を繰り返し聴いてはいつも泣きそうになっていたおかしな少年だったことをここに告白する。


あれから40年経った今でもいわゆる「第4楽章の補筆完成版」に一向に食指が動かないのは、この体験が原因かもしれないな、と思ったりもする。

そしてもし...

「愛する神」がブルックナーにこのフィナーレを書き上げるだけの時間をお与えになっていたら...

posted by 小澤和也 at 01:42| Comment(0) | 日記

2023年10月05日

守るべきもの、そして「よき聴き手」であること

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第22回 小金井音楽談話室
ヴィルタス・クヮルテット定期演奏会
を聴く。
(10月4日、宮地楽器ホール 小ホール)

前回公演 (メンデルスゾーン&ツェムリンスキー) が昨年11月であったと記憶しているのでほぼ一年ぶり。
このシリーズの素敵な点はまず何といっても “演奏者との距離感” である。
ヴィルタスの皆さんの息遣いや視線のやり取りがひしひしと伝わってくるのだ。
そしてもうひとつの魅力がこのコンサートのディレクターでご案内役を務められている足立優司さんの楽曲解説だ...そう感じているのは僕一人ではないはず。

この日のプログラムは
モーツァルト: ニ長調KV499
バーバー: ロ短調Op.11
ブラームス: イ短調Op.51-2
という幸福感あふれるもの。

いわゆる「ハイドン・セット」全6曲ばかりが注目されとかく影の薄い印象のあるこの四重奏曲だが、ヴィルタス・クヮルテットの演奏はしなやかさと力強さを併せもった実に見事なモーツァルト解釈であった。

続くバーバーはやはり中間楽章モルト・アダージォが白眉。
僕の愛聴ディスクであるクロノス・カルテットの演奏がついつい脳裏をよぎってしまった(コンサートのきき手として決して褒められた態度ではない) のだが、静謐感を前面に出したクロノスのアプローチに対し、この日の演奏はあたかも作曲当時のバーバーの心情にとことんまで共感し尽くしたような熱い音楽であった。
悲痛なクライマックスから突然の静寂を経たのちに回帰する主題、ここでは冒頭と異なりヴァイオリンに加えてヴィオラがユニゾンで加わるのだが、心もち強く奏されたその1オクターヴ下の、すべてを包み込むような深い響きに打たれた。

そしてブラームス。
交響曲と同様、「偉大過ぎた先人」のあとに何ができるのかという苦悩にも似た重圧とそれに対するブラームスの見事な解答をしっかりと音化した演奏を存分に堪能した。
さらには、全曲を通して ”すべてあるべき箇所にピタリと決まった“ 内声を聴かせてくださった2ndヴァイオリン・對馬佳祐さんに心からの “ブラーヴォ!” をお送りしたい。

帰途、電車の中でプログラムノートに改めて目を通す。
『〜いつの頃からかそれ [=音楽文化] は守り伝えていくものではなく ”消費“ される対象となり、かつて文化の最も洗練された姿のひとつであった芸術がその身にまとっていた輝き (アウラ) も、既に失われて久しい』
『音楽が美しく作曲され、演奏されたとしてもそこに聴き手がいなければ、音楽は「目的」を持ち得ない』
足立さんの紡ぐ言葉の数々に、この日の演奏に劣らぬほどの感銘を覚えたのだった。
(プログラムノートより引用させていただきました)

佳い時間でした。
ヴィルタス・クヮルテットの皆さん、足立さん、ありがとうございます。
posted by 小澤和也 at 01:03| Comment(0) | 日記

2023年09月27日

“Hoogmis” ご来場御礼

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PBIヴォーカルアンサンブル第1回演奏会

ペーテル・ブノワ『荘厳ミサ』

おかげさまをもちまして盛況のうちに終演いたしました。

(2023年9月23日 @ピアノスタジオフィックス立川)


ご来聴くださいました皆さま、スタッフならびに後援を賜りました皆さま、そして本公演の開催にに関わってくださいましたすべての皆さまに厚く御礼申し上げます。


その他画像のリンクはこちら↓


未だ構想の段階ではありますが、第2回公演としてブノワ「宗教曲四部作」中の白眉、『レクイエム』(おそらくは日本初演) を皆さまにお届けしたいと考えております...どうぞご期待ください。


今後ともペーテル・ブノワ研究会をどうぞよろしくお願い申し上げます。


posted by 小澤和也 at 22:41| Comment(0) | 日記

2023年09月05日

雑感・免許更新講習

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5年ぶりに運転免許更新講習を受けました。
最初に流される講習VTRをはじめて “全く退屈することなく” 観ることができたような気がします。
(数字のデータやグラフの羅列ばかりでは心に響きませんものね)
ドライブレコーダーの普及によって「ホンモノの事故の瞬間」の画像が多く用いられていて驚きました。

話がいきなり脱線しますが...
今回観た教育映像、冒頭に
「製作/東映株式会社」
とあってびっくり!
画面が一瞬暗くなった後、
海...荒波...大きな岩...ザッパーン!
...そして ”東映“ のあのロゴマーク!
(映画館やTVで観る東映映画と同じつくりなのか!)
と二度目のびっくり。

実際にハンドルを握る機会が激減したからというのもありますが、今回はVTRを観ながら(運転って怖い...) と強く感じました。
自身の運転技能の衰えもさることながら、スマホながら見自転車、危機意識の希薄な高齢歩行者、さらにはいわゆる “あおり運転” 者(車)の増加など、周囲の状況が昔とはまるで変わったなぁ、と思ったわけです。

講師の方の話術の巧みさも印象に残りました。
終始とても腰が低く丁寧な語り口 (言葉遣いなどに難癖をつけるモンスター(?)受講者が少なくないのかしら...などとついつい邪推)、聴く側を飽きさせまいとするスムーズな進行、などなど。
講義の中心は万一 “あおり運転” に遭遇した際の対策 (ドアや窓を開けて応対しない、その場で警察へ連絡 etc.)、とそして自転車保険の重要性について。
あっという間でしたがためになる30分間でした。

再度脱線。
VTRのエンドロールに
「映像提供/東京農工大学」
のテロップが出てきて三たびびっくり!
『スマートモビリティ研究拠点』という組織が学内にあるのですね。
「映像記録型ドライブレコーダによるヒヤリハットデータベース」を持っているとのこと...なるほど。
posted by 小澤和也 at 22:24| Comment(0) | 日記

2023年08月20日

シャガールの版画展へ

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「マルク・シャガール 版にしるした光の詩」(世田谷美術館) を鑑賞しました。

シャガールとの出会いは遥か遠い学生時代。
ようやく普及してきたCDでラヴェルのバレエ音楽『ダフニスとクロエ』を好んで聴いていた時期がありました。
同じ頃にシャガールの同名のリトグラフを、そしてこれらの原作である古代ギリシャの恋愛物語の存在を知って夢中になった記憶も。
自分の五感に新しく響いてくるものすべてが美しかった “佳き時代” でした。


初期のエッチング『ラ・フォンテーヌ寓話集』、木版による『ポエム』、リトグラフ『サーカス』などさまざまな手法を用いた興味深い作品の数々をゆったりとした気分で味わいました。
(入場者数を時間で区切ってコントロールする「日時指定」の方式は素晴らしいアイディアだと思います)
『〜寓話集』だけはあともう少し明るい照明のもとで観たかったかも。

圧巻はやはり『ダフニスとクロエ』でした。
全42点を通しで体験するのは初めて。
なんという色彩!
なんという幻想世界!
僕の中にある「官能のパレット」が掻き回され、調えられ、総取り替えされてゆくような不思議な感覚に誘われました。

会期は来週いっぱいですが、(もう一度観たい!) という衝動を抑えきれなくなりつつ今これを書いています。
posted by 小澤和也 at 09:22| Comment(0) | 日記

2023年08月18日

ペーテル・ブノワの誕生日に

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きょう8月17日は
フランデレンの作曲家ペーテル・ブノワ (1834-1901) の誕生日。
〜といってもほとんどの方々には「ブノワって...誰?」という存在かと思います。
そこで、本国ベルギー以外ではほとんど知られていないこの人物について簡単にまとめてみました。


§ 1834年ベルギー・フランデレン地方の小都市ハレルベーケ生まれの作曲家・教師。ブリュッセル音楽院にて学ぶ。1857年カンタータ『アベルの殺害』でベルギー・ローマ賞受賞。ドイツおよびボヘミアに留学、そののちオペラ作曲家を志しパリへ出るも成功せず、ブリュッセルへと戻る。

§ 1867年アントウェルペンに音楽学校を設立。(当時国内で優位であったフランス語でなく) オランダ語による音楽教育の確立のために尽力する (1898年にこの学校は王立音楽院として認められる)。1893年フランデレン歌劇場を設立。1901年アントウェルペンにて死去。

§ ブノワはその後半生を母国語での音楽教育に捧げたため、没後はナショナリストのレッテルを貼られてしまう。また教育者としてのイメージが先行して、ベルギー国内でですら「誰もが名前は知っているけれど作品は知らない」という状況である。

§ 実際、彼の中期以降の作品には劇音楽『ヘントの講和』、カンタータ『フランデレン芸術の誇り』(別称: ルーベンスカンタータ) やいくつかの子供カンタータなど、啓蒙的・教育的な作品が多いのは確かである。ずばり『我が母国語』というタイトルの歌曲も。

§ しかしブノワの作品はそれだけではない。20-30歳代に書かれた『宗教曲四部作』、『フルートと管弦楽のための交響詩』、ピアノ曲集『物語とバラッド』などナショナリズムの色眼鏡にとらわれることなくもっと広く聴かれてよい佳品も多い。


とあるきっかけで『荘厳ミサ』(上記『四部作』の第二作) を知って以来、僕にとってブノワ研究はライフワークとなりました。
今年はさらに「一歩前進」の年にしたいと念じています。
みなさまにもペーテル・ブノワとその作品を知っていただけますよう願ってやみません。


〜9月23日に東京・立川にて『荘厳ミサ』を中心とした演奏会を開催します〜
↓リンクはこちら↓

みなさまのご来場を心よりお待ち申し上げます。
posted by 小澤和也 at 00:30| Comment(0) | 日記

2023年07月20日

サントゥッツァの祈り

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マスカーニ作曲『カヴァレリア・ルスティカーナ』の「間奏曲」。
古今東西のオペラの中でおそらくは最も有名な、そして最も愛されている旋律ではないだろうか。

舞台はシチリアのとある村、物語の前半で三角関係の生々しい愛憎劇が繰り広げられた後、一瞬の静寂の中から不意に美しいメロディが流れ出す。
(それは先に合唱で歌われた “Regina Cœli《天の元后》“ の旋律である)
これら両者の著しいコントラストこそが「間奏曲」の聞かせどころであり存在理由なのだ、と僕はずっと思っていた。

あるとき、このメロディに歌詞をつけて歌われているのを聴いた。
タイトルは “Ave Maria《アヴェ・マリア》”、だが私たちのよく知るラテン語の典礼文ではない。
(この詞はなんだろう...?)

謎はすぐに解けた。
ピエロ・マッツォーニ (1833-1907) 作詞、ベルンハルト・ヴォルフ (1835-1906) 編曲による“Ave Maria” が出版されていた。
作られた時期は不明だが、上記2名の没年から判断して19世紀末〜次世紀初頭であろう。
マッツォーニによるイタリア語歌詞の拙訳を以下に掲げる。


アヴェ マリア、聖なる御母よ
邪悪なる苦悩の道のなかで
御身に懇願する哀れな者の足を支えてください
そして信仰と希望を心に呼び覚ましてください

慈悲深きお方、いたく苦しまれた御身、
ああ!とめどなき涙とともに
残酷な苦悶のなかにある私の苦しみをご覧ください
どうか私をお見捨てにならないでください!

アヴェ マリア、悲しみの淵に
私を置き去りにしないでください
御身、憐れみください!
私を置き去りにしないでください


相愛のはずのトゥリッドゥに罵られ、人妻でありながら彼に再び近づいたローラにも皮肉たっぷりに揶揄されるサントゥッツァ。
思い詰めた挙句、彼女はローラの夫アルフィオに事の顛末を暴露...逆上するアルフィオ、サントゥッツァの後悔も時既に遅し。
〜そんな絶望の淵にあって聖母マリアに救いを求めるサントゥッツァの心情にぴったりの詩ではないだろうか。
これを知ってから、僕の中で「間奏曲」の聞こえかたは明らかに変わったのだった。

次に僕が考えたのは
(この歌を日本語で歌えたら...)

柴田睦陸による訳詞を見つけた。
「あわれや みむねにすがり/ひたすらいのるを...」
実に美しい詞だ。
ただ、氏の訳は原詞の第2連以降のみである。

(それならば...)
分不相応な振舞いと知ったうえで、第1連を起こしてみた。
柴田睦陸の訳詞と並べて (なんと烏滸がましいことか!) 以下に記す。


アヴェマリア めでたき
あめのきさき いつくしみもて
くるしきこころに
のぞみあたえたまえ

あわれや みむねにすがり
ひたすらいのるを
なみだもかれて すべもはやなし
すくいたまえ アヴェマリア

まもらせたまえや みははなるきみ
まもらせたまえや このみを


曲のタイトルはもちろん『アヴェ・マリア』だが、一歩踏み込んで
『サントゥッツァの祈り』
でも良いのではないかしら、などとと考えたりもした。
posted by 小澤和也 at 13:20| Comment(0) | 日記

2023年07月11日

きょうは何の日? (7月11日)

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この日を待っていました...

711日はヘルベルト・ブロムシュテットさんの96回目()の誕生日。


Alles Gute zum 96. Geburtstag, 

Maestro Blomstedt!


今夜はブロムシュテットのCDを聴きながらのんびり過ごそう、などと考えていたら...


Twitterの相互フォロワーさんから「きょうはフランデレン (フランダースの日」ということをご教示いただきびっくり。

そのような記念日があることを不覚にもまったく知りませんでしたが、真っ先に考えたのが

〜なぜ7/11なのだろう?...きっと歴史的に重要な出来事があったのだろうな〜


調べ始めて...すぐにわかりました。

1302年のこの日、フランデレン (商業・貿易の要衝として栄えていたの都市連合軍が同地域の併合を企んだフランス軍に勝利を収めた “金拍車の戦い(コルトレイクの戦い)” にちなんでとのこと。


僕にとって “金拍車の戦い” といえば...これしかない!

〜ということで

ペーテル・ブノワの『スヘルデ川』第2部のスコアを広げます。


『スヘルデ川』は全三部からなるオラトリオ、1868年に作曲されたペーテル・ブノワの出世作。

その第2部前半では、コルトレイクで実際に戦ったとされる「獅子爪党 (フランデレン側)」と「百合党 (フランス側)」が二群の男声合唱の形で応酬を繰り広げます。

(スコアの中央あたりにある4段の合唱パート、その上二段が獅子爪党、下二段が百合党)


《かなり以前の拙文ですが『スヘルデ川』第2部前半について書いています...よろしければご覧ください》

小澤和也 音楽ノート

ブノワ(32): オラトリオ『スヘルデ』[2]

http://kazuyaozawa.com/s/article/113709836.html


同曲の音源がYoutube上にありました。

https://m.youtube.com/watch?v=CNtzvvwQT-c

【聴きどころ】

オラトリオ第2: 29’40”

くだんの男声合唱応酬: 33’00”

ヤコブ・ヴァン・アルテヴェルデ[の霊魂]の歌 (バリトンの名アリア!全曲中の白眉です): 41’05”


何だか取留めのない文章になってしまいましたが...

有志以来、常に自治を重んじ外敵からの脅威に抗い続けてきたフランデレンらしい歴史感覚なのだろうな、と『スヘルデ』のレコードを聴きながら感慨を新たにしたのでした。

posted by 小澤和也 at 23:58| Comment(0) | 日記

2023年05月31日

久々の「春の歌声」

江戸川区 第44回中央地域まつり、
新型コロナ禍を乗り越え4年ぶりに開催。
(28日、東小松川公園)

合唱団あしべも出演しました。
ステージに先立つ式典では、開会に際して江戸川区歌を斉唱、私も指揮を仰せつかりました。
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正直なところ4年のブランクは小さくなく、メンバーからも「歌えるかしら」と不安の声がありましたが...
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いざステージに立つと、皆さんすっかり “歌い手の顔” に。
(本番ではマスクを外すことができたのもよかったです)
『茶摘』『フニクリフニクラ』『心の瞳』の3曲を晴れやかな表情で聞かせてくださいました。

これまで当たり前のことと思っていた「集うたのしみ」そして「歌えるよろこび」をしみじみと味わうことのできた一日でした。
posted by 小澤和也 at 21:24| Comment(0) | 日記