2018年10月23日

ご来場御礼

 
 
湘南アマデウス合唱団・合奏団
第20回定期演奏会
大勢のお客様におはこびいただき無事終演。
(10月20日、藤沢市民会館大ホール)
 
2014年の「ハフナーセレナード」以来、4年ぶりの客演であった。
僕が担当した前半のプログラムは
ベートーヴェン/劇音楽『エグモント』序曲
ハイドン/交響曲第82番『熊』
という名曲中の名曲。
特にエグモントは僕にとって特別な作品である。
その名称のとおりにモーツァルト (そしてほぼ同世代のハイドン) の音楽を得意とするアマデウス合奏団の皆さんに、今回はぜひ「ベートーヴェンの響き」を究めてほしい、その一念でプローべを重ねてきた。
そしてその結果は...
客観的評価はもちろん演奏を聴いてくださった方々に委ねるしかないのだけれど、僕は今回の演奏に充分な手応えを感じることができた。
特に内声部 (2ndヴァイオリンとヴィオラ、管楽器だとクラリネットやファゴット、ホルンetc.) はこの5ヶ月でいっそうの飛躍を遂げたと思う。
 
 
 
ハイドン#82ではまず楽器の扱いで大いに悩んだ。
ティンパニと対になる金管楽器のパートについて、作曲家は総譜に「2本のホルン “または” トランペット」と記しているのだ。
(厳密には楽章毎にもう少し細かな指示がなされている)
しかもその音域は、ホルンにしか出せない低音域からトランペットにより相応しい高音域までが求められている。
熟考の末、今回の演奏ではホルン&トランペットを各2本用い、場面に応じ適宜どちらかを省くというスタイルとした。
(その取捨選択には当然ながら私意が入り込んでいる...天国のハイドンがそれを赦してくださることをひたすら願うばかりだ)
 
 
(合奏団リハーサル直前の一コマ)
 
ユーモアと機智に溢れたハイドン中期のこの傑作に対し、アマデウスの皆さんは柔軟かつ真摯に向きあっていらした。
縦横無尽に翔けるヴァイオリン、『熊』のニックネームの由来にも繋がる一見シンプルだが表情豊かな音を奏でる低弦、しばしばsoloisticに浮かび上がる木管群などが絡み合い、実に様々な表情を見せてくださったのだ。
 
2曲とも、技術的には完全とは言えないながらも積極的な表現意欲に満ちた佳い演奏だったと思う。
合奏団はこのあと合唱団とモーツァルト『戴冠ミサ』他を共演 (指揮は合唱団の堀部隆二氏)、文字通り八面六臂の大活躍であった。
合奏団・合唱団の皆さん、お疲れさまでした。
 
(『戴冠ミサ』リハーサル風景)
 
 
そして、ご来場くださいました皆さまに心より御礼申し上げます。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 17:14| Comment(0) | 日記

2018年10月19日

ブロムシュテットさんのブルックナー

 
NHK交響楽団 
第1894回定期演奏会を聴く。
(14日、NHKホール)
 
 
この日を待っていた。
ブロムシュテットさんのブルックナー。
ぜひ5番か9番を!とずっと願っていたのだ。
 
N響との共演でたしか「ロマンティシェ」を以前聴いているはず、と思い調べてみると...
2008年1月の第1610回定期だった。
 
あれからもう10年になるのか。
光陰に関守なし。
 
その際ブルックナーに先立って演奏されたのが、なんと今回と同じモーツァルト「プラハ」交響曲!
ブロムシュテットさんにとってよほどお気に入りの曲なのだろう。
 
 
「プラハ」交響曲の冒頭はニ長調の堂々たるユニゾン(斉奏)。
4小節目ではじめて和音(Fis→h)が奏されるのだが、その柔らかなサウンドに思わず息を飲む。
マエストロはきっと響きの美しさにこだわり抜いたに違いないし、オーケストラもそれに懸命に応えていたのは明らかである。
 
 
N響の弦および木管セクションの素晴らしさは言うまでもないが、僕がこの演奏でもっとも感服したのは金管、ことにトランペットの鋭敏なバランス感覚。
あるときはティンパニとともに軽快な打ち込みを見せ、またあるときは木管&ホルンと完全に融け合った天上の声となって鳴りわたるのだ。
 
第2楽章アンダンテでは響きの透明度がいっそう増し、あたかも最晩年の作品(例えば最後のピアノ協奏曲K.595)の如く、目にいっぱい涙を湛えつつ静かに微笑んでいるモーツァルトの顔が浮かんでくるようであった。
第3楽章はふたたび幸福感溢れるフィナーレ。
ブロムシュテットさんは全曲を通してすべてのリピートを実行したが、一瞬の弛緩もない鮮やかな演奏だった。
 
 
そしていよいよブルックナーである。
第1楽章の序奏〜第1主題部は僕の想像どおり、バランスと造形感覚に意を用いたストイックな解釈。
19小節目〜のホルンのファンファーレ、金属的な強い響きでありながら暗く引き締まったやや硬質なサウンドだったのが印象的だった。
 
第2主題部および第3主題部では一転してカンタービレな気分が全体を支配する。
この部分にこれほどの明るさ、あたたかさを感じたのは初めてかもしれない。
客席からはもちろん分からなかったが、ブロムシュテットさんのあの微笑みが響きの中から見えてくるようであった。
Langsamer(よりゆっくりと)、4/4拍子の第2主題部とModerato、2/2拍子の第3主題部とのテンポ設定のコントラストも見事。
 
展開部以降においても、ブルックナー特有の、楽想ごとにフェルマータやゲネラルパウゼ(総休止)で流れを区切るいわゆる「ブロック構造」が頻出するのだが、マエストロは各主題およびモティーフの性格の対比を明確に描き分けており、それが結果的に強い説得力を帯びていた。
 
第2楽章スケルツォ。
僕がこの日もっとも注目していたポイントのひとつがこの楽章の中間部(Schnell(速く)と指示されている)、その第2の楽想(練習記号B〜)をブロムシュテットさんがどのように扱うか、であった。
 
 
この部分、レコードでも実演でもなぜかゆっくりと演奏されることが多く、ずっと不思議に思っていたのだ。
そしてこの日の演奏はー
2連符をたっぷりと歌う(=若干緩む)ヴァイオリンに対し、ブロムシュテットさんが巧みにテンポを引き締める、といった印象であった。
リハーサルではどのようなやり取りがあったのだろう。
 
第3楽章は「結果として」ブルックナーが完成させた最後の楽章となった。
近年では、遺されたスケッチをもとに終楽章の復元が試みられ録音や実演もなされているが、伝統的にはこのアダージョで全曲が結ばれるような演奏スタイルとなることが多い。
 
ブロムシュテットさんの指揮ぶり、(あくまで個人的な感想であるが)これまでの2つの楽章に比べ「思い入れ」の濃度が圧倒的に高かったように感じられてならない。
もちろん我を忘れるような、ましてや楽曲のフォルムを崩すような解釈ではないが、非常に繊細な次元において「何かが籠められていた」ように見えたのだ。
それが何なのかはわからない...
もしかしたら、以前TV番組のインタビューで仰っていた
『長年指揮を続けていて、(曲の解釈において)少し“自由になりました”』
という言葉と繋がりがあるかも知れない。
 
全曲の結尾、ブルックナーの書いた極限まで澄み切った響きに「彼岸」をみるような境地の演奏の多い中で、ブロムシュテットさんは実にさりげなく最後の十数小節を進めてゆく。
「これで終わりなのではない...ブルックナーの頭の中には“この続き”があったのだよ...私たちはそれを聴けないけれど、ね」
と優しく僕らに語りかけるように。
posted by 小澤和也 at 11:55| Comment(0) | 日記

2018年10月09日

江戸川区合唱祭

 
第40回 江戸川区合唱祭に参加。
(10月7日、船堀タワーホール)
 
合唱団あしべの今回の曲目は
§ 瀧廉太郎/箱根八里
§ 佐藤眞/なぎさ歩めば
§ 久石譲/坂の上の雲 Stand Alone
 
昨年の春、江戸川区の野外イベントで演奏した “Stand Alone”。
メンバーの皆さんがとても気に入ってくださり (もちろん僕も)、「今度はホールでも歌いたい」という多くの声を受け、これを中心とした選曲をすることに。
“なぎさ〜” は、三部合唱にも挑戦し続けたいという僕のわがまま(?)で、ずっと以前に演奏会で全曲を歌ったことのある組曲よりセレクトした。
そして “箱根八里” はピアノ・平岡祐子先生からのご提案。
「テンポがよくて勢いがあって長くない歌...これ、どうでしょう?」
偶然にも3曲すべて「旅」をイメージさせる作品に!
なかなか悪くない組み合わせだったなと密かに自画自賛している。
 
 
今回はなんと出演順が1番目に!
不思議な緊張感がメンバーの中に走ったか、やや硬い表情の歌い出しだったが、お気に入りの “Stand Alone”が始まる頃には伸びのある声がホールを満たしていた。
 
40回の記念ということで、合唱祭終演後にレセプションが催された。
そして...
第1回から参加している合唱団あしべ (ほか2団体) が合唱連盟より表彰される。
 
 
あしべの皆さん、今回もお疲れさまでした。
これからもすてきな歌を楽しくうたっていきましょう!
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 13:31| Comment(0) | 日記

2018年09月20日

ヴォーカル・アンサンブル アラミレ

 
ヴォーカル・アンサンブル アラミレの演奏会へ。
(15日、大森福興教会)
 
ピエール・ド・ラ=リュー...今回初めて知り、聴いた作曲家である。
Pierre de la Rue (1452ca-1518) はジョスカンやイザークと同時代に活躍したフランドル楽派の作曲家。
今年が没後500年のメモリアルイヤーにあたる。
 
この日演奏されたのは彼の「ミサ《ロム・アルメ》」。
“アラミレ” のリーダーであるテノール・櫻井元希さんの文章 (演奏会パンフレット) によると
『これ以上複雑で多彩なミサ曲を、同時代の作品から見出すことは相当な困難を伴うものと思われます』
とのこと。
またこのパンフレットには頻繁に「メンスーラ・カノン」なる用語が登場する。
メンスーラ (mensura) を直訳すると定量記譜法における異なる音価同士の関係、そしてメンスーラ・カノンとは一つの旋律を2つ以上の声部が異なる音価 (すなわち異なるテンポ) で奏する音楽形式である。
 
パンフレットに目を通し、また開演前の櫻井さんのプレトークを聞きながら、僕は爛熟した、ある種マニエリスム的で技巧に溺れたような音楽を想像していた。
しかしいざ演奏が始まると、そんな不安はまったくの取り越し苦労だった。
定旋律である《ロム・アルメ》(武装した人) はさまざまに変容を遂げ、ラ=リューの紡ぐメロディラインは流麗でありながら実に自然、技巧的であってもぎこちなさは一切感じられない。
(このような作曲家を知らなかったとは...!)
正直なところちょっぴり悔しかった。
 
 
“アラミレ” の皆さん (Superius3・Contratenor4・Tenor3・Bassus3の計13名編成) の歌唱はほんとうに素晴らしかった。
単に楽曲そのものの美しさを引き出すだけでなく、意思を持った (それは取りも直さずリーダー櫻井さんの “歌心” であろう)「人が人に伝えるために存在する」音楽となっていたように思われる。
 
ゆったりと、佳い時間であった。
お誘いくださったメンバーIさん、ありがとうございました。
 
 
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 00:15| Comment(2) | 日記

2018年09月12日

コープマンのバッハ

 
 
 
新日本フィルの演奏会 (トン・コープマン・プロジェクト2018) を聴く。
(9/6@トリフォニーホール)
 
プログラムは彼の十八番であるバッハ。
管弦楽組曲とブランデンブルク協奏曲の組み合わせというゴージャスなものである。
 
 
グイグイとオーケストラをドライヴするコープマン。
新日フィルも出だしこそ慎重な構えだったが、次第にマエストロと一体となって “スウィングするバッハ” を奏でていた。
 
プログラム中、飛び抜けて秀逸だったのがブランデンブルク協奏曲第3番。
ヴァイオリン、ヴィオラ&チェロ各3、コントラバス1+コープマンのチェンバロ弾き振り。
オーケストラは各パート1名、チェロを除いて立奏...音楽的にももちろん愉しめたが、それ以上にメンバーお一人お一人の波打つような身体の動きに心底魅せられた。
(この日一番の収穫がコレかも...目で聴くバッハ!)
コープマンの通奏低音も即興の連続。
グリッサンドあり、ノイズのような刺激的な連打ありで実にノリノリ!
同じく協奏曲第1番ではホルンのキラキラとした、それでいて上品な響きを堪能、2曲の管弦楽組曲で大活躍したトランペット&ティンパニも素晴らしかった。
 
アンコールはヘンデル/王宮の花火の音楽〜歓喜 (La Réjouissance)。
当然バッハが演奏されるだろうと思っていた僕は一瞬「!」となったのだが、もしかしたらこの日最初に演奏された組曲第4番の終曲 (これも”Réjouissance” と題されている) とひびき合うように置かれたのかも...
などと思ったり。
 
幸福感に満ちたひと夜であった。
 
(ブランデンブルク協奏曲第3番の1ページ。
こうしてみるとスコアもスウィングしている)
posted by 小澤和也 at 00:22| Comment(0) | 日記

2018年09月04日

ブルックナーの小宇宙

 
今日は久しぶりの終日オフ。
そして...アントン・ブルックナーの誕生日。
(1824年生)
 
けさ、何か聴こうと考えたのだが、シンフォニーという気分ではなかった。
そこで選んだのがこの「モテット集」。
 
 
ブルックナーは敬虔なカトリック教徒であった。
そして作曲家としての自覚が芽生えるずっと以前より最晩年に至るまで、生涯を通じて多くのモテットを書く。
交響曲だけではない、彼のもう一つの小宇宙。
有名な「アヴェ・マリア」(1861年作曲)をはじめ、「この所を作り給うたのは神である」(1868)、「正しい者の口は智恵を語り」(1879)、「王の御旗は翻る」(1892) など、珠玉の名品が綺羅星の如く並ぶ。
 
このディスクには他に、僕の大好きな、しかしあまり知られていない2曲が収められている。
1842年作曲のいわゆる「ヴィントハーク・ミサ」、アルトとオルガンのための「アヴェ・マリア」(1882) である。
 
ヴィントハークとは17歳で助教師となったブルックナーの最初の赴任先の地名。
アルト独唱と2本のホルンおよびオルガンのためのこのミサ曲は全曲を通しても10分前後、冒頭のキリエから終章アニュス・デイまですべてハ長調を基調として書かれており、実に素朴でひなびた味わいをもつ。
お世辞にも名曲とはいえないが、ところどころに後年の彼らしい鮮やかな転調が見えるのが何とも微笑ましいのだ。
 
ブルックナーは全部で3つの「アヴェ・マリア」を遺した。
それらの中で唯一、独唱用に書かれているのが上に挙げた「アヴェ・マリア」である。
4分程度の小品だが、その筆致はぐっと熟達の度を増している。
(作曲年代としては「第7交響曲」と同時期)
旋律線・和声ともにえも言われぬ神秘性を帯び、繰り返し聴きたくなる麻薬的な魅力を感じるのだ。
 
ブルックナーといえば “重厚長大” のイメージがどうしてもつきまとうが、彼の生涯と足跡を俯瞰しようとするとき、こうした宗教的小品を見逃すことはできないと思う。
 
 
 
posted by 小澤和也 at 23:59| Comment(0) | 日記

2018年08月30日

コーヒーライフの新しい仲間

 
 
 
わが家に
新しいドリップポットがやってきた。
その名も「雫」。
 
 
これまで使っていたケトルも比較的細めの注ぎ口だったのだが、さすがにこれは専用のものだけあってとっても楽に湯を細く落とすことができる...そして湯量の安定感も抜群!
 
 
愛用の温度計と。
 
 
僕のこだわりは
湯の注ぎ方と湯温だ (83-84℃)。
 
 
これからも
珈琲道を究めるぞ。(´∇`*)
 
 
 
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 23:54| Comment(0) | 日記

2018年08月27日

Leven voor Muziek ?音楽に生きる?

 
 
8月26日はヴォルフガング・サヴァリッシュさんの誕生日(1923年生)。
フランスの詩人ギヨーム・アポリネールも同じ日だったのだと先ほど知りました(1880年生)。
 
そして...
不肖ワタクシもまた。
未だなすべき努力がまったく足りておりませんが、人として、また音楽に仕える者としてこれからもより善く生きたいと念じております。
 
今日はプローべが二つ。
ベートーベン、ハイドンそしてベルリオーズ...美しい音楽&よき仲間とともに満ち足りた一日を過ごしました。
 
地元に帰って、
ペペロンチーニとリモンチェッロで乾杯!
 
 
 
みなさま、
今後ともどうぞよろしくお願いします。
 
小澤和也
posted by 小澤和也 at 00:37| Comment(0) | 日記

2018年08月17日

ペーテル・ブノワの誕生日に

 
 
 
きょう8月17日はフランデレンの作曲家ペーテル・ブノワ (Peter Benoit, 1834-1901) の誕生日。
 
世代的にはブラームスとほぼ一緒。
セザール・フランクと同じベルギー生まれ。
(フランクはワロン人だけれど)
祖国にまつわる伝承・伝説に立脚した作品を遺したという意味ではシベリウスと共通する一面も持つ。
 
 
後半生をアントウェルペンでの音楽教育に捧げたため、作曲家としてはほとんど知られていない。
母国ベルギーにおいてですら、彼の作品が取り上げられる機会はそう多くないという。
 
ブノワは生涯のうちに幾度となく作風を変え、その最後は多分に啓蒙的・国民主義的なスタイルとなった。
(それゆえ、純粋な芸術性や普遍性に乏しいという印象が拭えない)
しかし、そこへ至る以前、特に30歳代初め頃までに書かれた作品はもっと知られてよいと思う。
『宗教曲四部作』(1.クリスマスカンタータ 2.荘厳ミサ曲 3.テ・デウム 4.レクイエム)、『フルートと管弦楽のための交響詩』、『物語とバラッド集』(ピアノ独奏曲) etc.
 
十数年前に彼の『荘厳ミサ曲』『レクイエム』を知って以来、ブノワの生涯、そして音楽を究めることは僕にとってのライフワークとなった。
 
Gefeliciteerd, beste Peter!!
 
 
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 23:54| Comment(0) | 日記

2018年08月15日

ご来場御礼

 
 
東京農工大学グリークラブ 第38回演奏会、おかげさまで無事終演。
 
農工グリーとして今回初めて使用した府中市市民活動センタープラッツ・バルトホール。
空間上・設備上の制約でアコースティックなホールトーンを出せないところを、高度なデジタル音響技術によって補うというユニークな施設である。
体験した感じでは、全体の雰囲気としてはまずまず、ただしよく聴くと弱音時の残響の不自然さが気になった。
 
 
 
今回メインで取り上げた多田武彦の『木下杢太郎の詩から』、なかなかの難曲であったが個人的には得るところのとても多い作品だった。
楽譜を読み込んでいく中で、杢太郎の詩に込められた情感と多田武彦の音楽のそれとが美しく調和する部分を見つけるたびにこのうえない幸せを感じたものだった。
若きグリーメンがこの作品を掴むにはあともう少し時間が必要だったかもしれないが、それでも大健闘だったと思う。
 
女声ステージの「アカペラ・セレクション」では、”メンバーの歌いたい曲“ という純粋かつシンプルな基準で選曲を行った。
結果、テンポや曲想の似かよったものが並んでしまったきらいはあったのだが、最終的には彼女らの熱意がそんな懸念を払ってくれたように思える。
次回はぜひオリジナルの女声合唱曲に挑戦してほしいところだ。
 
ちょっと変わった試みとして、曲間にお喋りを挟みつつ伝アルカデルト、バード、ヴェルディらの “Ave Maria” を歌う混声のステージを置いてみた。
実はこれ、僕がどうしてもやりたかった企画である。
日頃もっぱら邦人作品を歌うことの多い彼らに、ぜひとも西洋古典音楽に触れてほしかったのだ。
出来映えには課題が多く残ったが、一つの挑戦として取り組んだ価値はあったのではないかと思いたい。
 
ご来場くださいました皆さま、そして応援してくださった皆さまにも心より御礼を申し上げます。
これからも農工グリーをどうぞよろしくお願いいたします。
 
 
 
 
次回演奏会は
2019年8月11日(日)宮地楽器ホール
での開催を予定しております。
 
 
posted by 小澤和也 at 01:06| Comment(0) | 日記