2019年04月03日

パナマ・ゲイシャを飲んでみた!

 
 
その希少性と豊かな味わいによってこの十数年のうちに “最高級銘柄” と呼ばれるようになった「ゲイシャ (Geisha)」。
 
とうとう飲むことができた!
 
行きつけのカフェのマスターから留守電が入っていたのは数日前のこと。
「Sさんのお店 (珈琲豆の仕入れ先) になんとゲイシャがありました。買ってきました...さてどうしましょう⁈」
どうするもこうするもないではないか!
〜その日のうちにカフェへ。
 
 
ゲイシャはエチオピア原産の比較的新しい種なのだそうな。
標高や気候などの制約から栽培が難しいとされ、注目されることもなく数十年が経過。
しかし今世紀に入りパナマで上質な豆が生産されるようになり、以来常に高値で取り引きされる最高級品になったとのこと。
 
 
挽いた豆を少量の湯で蒸らす。
むんとした濃厚な香りが鼻にまとわりつく。
口に含むと、まろやかな果実系の酸味が広がる。
そしてややとろりとした、ハチミツのような後味も。
ただし甘みはほんの微かに感じる程度。
 
あらゆる刺激 (苦みを除いて) が、僕がこれまで飲んだコーヒーのどれよりも強烈、しかしそれらの全てが絶妙なバランスの中にある。
これはぬるめに淹れたほうが絶対に楽しめると感じた。
 
ちなみに豆のお値段は...
Sさんのお店の他の銘柄のおよそ4倍。
(それでもゲイシャの価格設定としてはかなり良心的ではないかしら?)
では他の銘柄の4倍美味しいのか?と問われるとソコはソコで微妙なところだが。
 
 
“普段飲み(?)” にするわけにはなかなかいかないけれど、一度は体験しておいて損はない味だと思う。
 
 
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 23:46| Comment(0) | 日記

2019年04月01日

令和

 

4月1日、
新しい元号が『令和』に決まった。

その出典は万葉集・巻五、
「梅花の歌三十二首」の序文より。
 
〜初春の令月、気淑(うるは)しく風和らぐ。梅は鏡前の粉(こ)に披(ひら)き、蘭は佩後(はいご)の香に薫る。〜
 
[初春のよき月、気は麗らかにして風は穏やかだ。梅は鏡台の前の白粉のような色に花開き、蘭草は腰につける匂袋のあとにただよう香に薫っている。]
 
(岩波文庫「万葉集(二)」より引用)
 
 
はじめ、音と文字だけを見聞きした際には今ひとつぴんと来なかったのだけれど、出典を知りその意味を理解してゆくにつれ (美しい元号だなあ) と率直に思えるようになった。
 
 
こんなことを書くと「今さら何を」と言われそうだが...
実は先々週くらいから、新元号には “和” の文字が入るような気がしてならなかったのだ。
ごく最近、平成の一つ前の元号にも使われていたにもかかわらず、である。
だから『令和』と聞いた瞬間はしばらくドキドキが止まらなかった。
 
 
日常生活の中で僕はもっぱら西暦を用いている。
それでも、「平成◯◯年」といった呼びならわし方をももつ現在の日本の暦のありかたは嫌いではないな。
 
うまく説明できないけれど。
 
 
自分の名前の漢字を (電話などで) 相手に伝える際にはこれまでずっと
「“かず” は...昭和の和です」
と言っていた。
これからは「令和の和です」と得意顔で説明することにしよう。
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 22:54| Comment(0) | 日記

2019年03月19日

ご来場御礼

 
 
立川市民オペラ公演2019『喜歌劇 こうもり』、二日間の公演が無事終了。
おかげさまで今回もたくさんのお客さまにお楽しみいただきました。
 
稽古風景あれこれ。
 
 
 
 
オルロフスキー・岡村彬子さん、
そして副指揮四人衆。
 
 
僕は今回も合唱のフォローを担当しました。
(“合唱指揮者” ではなかったのですが...)
ご来場のお客様からは決して見えない (見えてはいけない) 位置から舞台上の歌手たちに合図を送り続けるという役目。
 
プローべの最終盤は通し稽古→直し稽古のひたすらな繰り返しです。
今回は「可能な限り簡潔かつ効果的な示唆をもって如何にコーラスのクオリティを磨いてゆくか」という命題を自らに課し、メンバーとコンタクトを取り続けました。
そして...合唱団はその要求に見事に応えてくださったと思います。
 
公演中。
映写室 (通称:金魚鉢) 、オーケストラピットはじめあちこち駆け回るさなかの一瞬をパチリ。
 
 
会場へお運びくださいましたお客さまに改めて御礼申し上げます。
また、(毎度のことながら) 稽古ピアニストの方々、副指揮同僚、そして多岐にわたり合唱団を助けてくださったコーラスサポートチームにも心からの感謝を。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 01:33| Comment(0) | 日記

2019年03月12日

東日本大震災から8年

 
 
 
復興祈願のローソクを灯して。
今年は鎌倉・カトリック雪ノ下教会にて頂戴した。
 
これからもずっと祈りの心を忘れずに、
そして静かに寄り添っていたいと思う。
 
2019年3月11日
 
 
「こうもり」公演を間近に控えてプローべ漬けの毎日が続く。
日曜の稽古の帰り道、たわいもないお喋りがしたくなり、よく立ち寄るピッツェリアへ。
気さくなマスターは僕の駄弁りにいつも付き合ってくださるのだ。
話題はいつしか8年前のあの日のことに。
交通網が麻痺した都市圏での帰宅の苦労、いわゆる「自粛ムード」の中で音楽の仕事が次々とキャンセルされたこと etc.
話してゆくうちに、忘れかけていたあれこれを思い出すことができたのだった。
...マスターに感謝。
 
そして今日。
14:46はオーケストラピットの中で迎えた。
一見当たり前のことが決してそうではないのだという教訓、大好きな音楽をすることのできる幸せを噛み締めながら。
 
 
 
posted by 小澤和也 at 00:49| Comment(0) | 日記

2019年02月28日

恒例 春の鎌倉訪問

 
今年もローソクを頂戴しました。
 
 
東日本大震災追悼・復興祈願祭の
「特別祈願ローソク」。
ここ鎌倉・カトリック雪ノ下教会において神道・仏教・キリスト教の三宗教合同で加持祈祷、祝福したものだとのこと。
 
 
この教会を訪れるのはもちろん初めて。
少し迷って写真左側の建物に向かうとそこが聖堂でした。
入ってすぐ左手に小さな売店が。
用件を告げると、応対してくださった小柄なご婦人から歓迎と感謝の言葉を何度もいただきました。
『(復興祈願ローソクというプロジェクトは) とても素晴らしいことだと思います。これによって皆さんが (あの震災を) ずっと忘れずにいてくだされば』
 
聖堂内は白を基調としたシンプルで清潔感のある空間。
見学させていただこうかとも思ったのだけど、何やらけっこう大掛かりな清掃作業(?)中だったので今回は断念。
 
 
教会へ行く前、
長谷寺にお参りしました。
 
 
今年の初詣の際に拝観した観音さまがあまりに美しくて...
(もう一度拝みたい!)と。
 
 
観音堂。
 
 
本尊・十一面観世音菩薩像。
静かなる佇まい、尊い御顔。
堂内は撮影禁止ゆえ、その御姿をしっかりと目と心に焼き付けました。
 
 
春はもうすぐ。
 
 
posted by 小澤和也 at 12:31| Comment(0) | 日記

2019年02月20日

見て、聴いて、考えて、感じる音楽の愉しみ

 
第17回 小金井音楽談話室
ヴィルタス・クヮルテットの演奏会へ。
(15日、宮地楽器ホール 小ホール)
 
談話室へ出かけるのはおよそ2年ぶり、
ヴィルタス〜を拝聴するのはなんと2016年の秋以来だ。
(あのベートーヴェンからそんなに経ってしまったのか...)
 
【過去ログ】
小金井音楽談話室でのベートーヴェン体験:2016/9/28
 
 
プログラムは
ショスタコーヴィチ/四重奏曲第3番ヘ長調 op.73
ベートーヴェン/四重奏曲第13番変ロ長調op.130
(終楽章〈大フーガ〉版)
という実に魅力的なもの。
 
窓口でチケット精算、開場前に頂戴したパンフレットに目を通す。
コンサートのディレクターである足立優司さんによるプログラムノートがほんとうに素晴らしい!
これを拝読できただけでもう、(きょう来てよかった!) と思うほどであった。
 
 
ショスタコーヴィチ/第3番は1946年の作である。
足立さんのノートによれば「戦勝気分に席巻される社会に対してシニカルな視線が注がれ」た曲。
この作品の実演に触れたのはこの日が初めてであった。
これまで正直なところ聴きやすい音楽ではなかったが...この日は違った。
奏者の方々から3mほどの距離で体験するショスタコーヴィチ。
四つの楽器から放たれる音の飛ぶさまが見える。
呼吸が、リズムが、休符すら見える。
これには魂を抉られない訳がない。
 
(この距離で聴きました)
 
 
そして後半のベートーヴェンへ。
アダージョ〜アレグロ、ソナタ形式の第1楽章、疾走するプレスト第2楽章、ポーコ・スケルツォーソと題されたアンダンテの第3楽章、ドイツ舞曲風の第4楽章、美しいカヴァティーナの第5楽章アダージョ...これらに続いて作曲者の脳裡で当初鳴り響いていたのは「巨大なフーガ」であった。
ところが初演の後の出版にあたり、この終楽章は別の音楽に差し替えられ、この〈大フーガ〉は独立した楽曲として新たな作品番号 (Op.133) を与えられる。
 
この日のヴィルタス・クヮルテットの演奏は初演時の構成に立ち返ったものであった。
僕にとってもよく耳に馴染んだ名曲であるがゆえ、ところどころ (あっ...) と思う瞬間も無くはなかったが、ベートーヴェンの原初の理念に沿った形であの深遠なカヴァティーナに続けて〈大フーガ〉を聴くことができたというのはやはり貴重な、そして圧倒的な体験であった。
 
聴きながら、次のような言葉を思い出していた。
「第三期の特徴は矛盾するものや対立的なものの綜合であり、それらの平然たる混在にあるが、若しもこの大フーゲが変ロ長調四重奏曲の終楽章に置かれて居たならば、この四重奏曲こそその様な特徴を最も明確に現はして居たものであらう。」
(諸井三郎著『ベートーヴェン絃楽四重奏曲』より)
 
 
〈大フーガ〉が終わる。
鳴り止まぬ拍手...時計の針はとうに9時を回っている。
微かに、ほんのかすかに (アンコールにOp.130の第6楽章を) と期待していたのだが...
その希望が、叶った。
〈大フーガ〉よりずっと軽妙なロンド形式のアレグロ。
実質的にベートーヴェンが生涯の最後に書いた曲である。
 
ヴィルタス・クヮルテットの皆さま、そして足立さんに改めて感謝を。
 
 
 
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 00:13| Comment(0) | 日記

2019年02月06日

まるむし帳

 
 
さくらももこの詩画集「まるむし帳」を読んでいる。
きっかけは合唱曲『ぜんぶ』との出会い。
 
大切なことは
ぜんぶここにある。
泣くこと  笑うこと
怒ること  喜ぶこと  
...etc.
 
やわらかな言葉で綴られた「青春の応援歌」のような詩である。
 
 
さくらさんといえば「ちびまる子ちゃん」、ちびまる子ちゃんといえば「ピーヒャラピーヒャラ、パッパパラパー」、少なくとも僕の中ではこれらが全てであった。
この詩画集も飄々とおちゃらけた、お気楽ユーモア路線なのかと思いきや...
 
 
長い長い線路の終点に
線路は無くて
長く長く線路が始まるところにも
線路は無くて
...etc.
(『果て』より)
 
ここにいてもいいって
いつだれに言われたもでもないのにね。
ここに  こうして  わたしはいるよ。
...etc.
(『こうしていよう』より)
 
ほんわかとした語調で紡がれる哲学的な思索、
あらゆる生・あらゆる感情の全面的な肯定、
そしていきものや自然現象へ向けられる優しい眼差し...
それらがさくらさん独特の “まあるい文体” で語られてゆく。
そのさまが実に心地よいのだ。
 
 
所収の50編余りの詩の中で、いま僕がいちばん好きなのはこれ。
(全文引用させていただきます)
 
『空の子』
 
いつか小さい私が抱いていた夢を
空が覚えていてくれた。
わたしは毎日漫画を描き
あの日の空に描いたあの子が
わたしを忘れずいてくれて
空からあの子が降ってきた。
丸い顔のおかっぱのあの子。
 
 
〜そう、
この「まるむし帳」には哲学やユーモアのみならず “遠い記憶=ノスタルジー” の香りがそこここに立ちこめているような気がするのだ。
 
 
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 23:39| Comment(0) | 日記

2019年01月25日

フルトヴェングラーの誕生日に

 
きょう1月25日はヴィルヘルム・フルトヴェングラー (1886-1954) の誕生日。
最近ディスクを取り出す機会も減っていた...ひょんなことから時間もできたし、久しぶりにいろいろ聴いてみようかな。
 
ということで
気ままなレコードコンサート、開演。
 
 
まずは大好きなシューマン/第4交響曲から。
(ベルリンフィル、1953/5/14、セッション録音)
この演奏を聴くと必ずといっていいほど思い出すのが
『作曲家の仕事が第一次的な創造であるとすれば、演奏家の仕事はいわば追創造であります。あとから創造するーナッハシェップフェンなのです』
という丸山眞男の著作中の言葉だ。
 
第1楽章の序奏部から終楽章コーダまで、全編に渡ってむせ返るような浪漫の香り。
スコアに様々な手を加え、ここまで濃密なシューマンの音世界を描き切ることのできた「時代」というものに対し、半ばジェラシーにも似た羨望を覚える。
(現代においては…ここまでやるにはリスクが少なくないのではないか)
60年以上前のモノラル録音から、オーケストラの無限の色彩が浮かび上がる。
 
 
 
続いてブラームス/第4交響曲を聴く。
世評の高いベルリンフィルとの1948/10/24ライヴ盤で。
あの有名な冒頭h音の神秘的なアウフタクトはやはり美しいと思う...しかしーこれが“ライヴのフルトヴェングラー”の語法なのだがーあっという間に加速減速を繰り返す激動の音楽になってしまうのがちと困りものである。
(個人的には嫌いでは決してない)
もしフルトヴェングラーがこの曲のセッション録音を遺してくれていたら...などと考えてしまう僕は天邪鬼だろうか。
BPhのサウンドは極上、特に第2楽章再現部における弦セクションの濃密なアンサンブルは胸を打つ。
 
 
 
3曲目はフルトヴェングラー/第2交響曲。
1951/11-12月、ベルリンフィルとのセッション録音。
正直なところこれまでしっかりと聴き通したことはほとんどなく、もちろんスコアも所持していない。
今回も「気ままに」いくことに。
 
作風はブルックナー、ブラームス、マーラー等独墺系ロマン派シンフォニストからの影響大。
(シベリウスも含めて良いかも)
形式としては古典的な4楽章形式の中に、ベートーヴェンの「苦悩から勝利へ」というプロットに近いものが描かれている。
これが第二次世界大戦末期〜指揮活動禁止期の彼の脳裡に響いていた音楽だったのだということを思うと...感無量である。
 
 
気分がすっかり重くなってしまった。
モーツァルト/グラン・パルティータを聴きながらお開きとしよう。
1947/11-12月、ウィーンフィルメンバーとのセッション録音。
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 23:59| Comment(0) | 日記

2019年01月13日

『瀬戸の花嫁』小考

 
あまりに唐突だが...
小柳ルミ子の『瀬戸の花嫁』が大好きだ。
(山上路夫作詞/平尾昌晃作曲)
昭和47年のヒット曲である。
 
旋律はもちろんのこと、歌詞もフルコーラス完全に憶えている。
バックの伴奏 (当然ながらあの頃は “打ち込み” なんてものはなかった) も心がこもっていてとても素晴らしい。
海鳥の鳴き声のような効果音、裏メロのヴァイオリン...etc.
 
なかでも特に好きなのが
イントロ〜Aメロ部で毎4拍目に入る「トゥ右矢印2︎ー下矢印2︎ン」というリズム音だ。
もしこの曲を演奏する機会があったら (まずないだろうが)、ぜひこのパートをやりたい!
でも...
何の楽器か分からない(苦笑)
 
そこで「瀬戸の花嫁 4拍目」でインターネット検索してみたところ、
 
...出てきた!
(スゴイぞGoogle!)。
確証はないが、コンガによるムースコール “moose call” という特殊奏法のようだ (直訳すると“ヘラジカの鳴き声”)。
南の島を思わせる、どこか長閑なこの「トゥ右矢印2︎ー下矢印2︎ン」が曲中で実に良い味わいを醸していると感ずるのは僕だけだろうか (だろう)。
 
 
ところで...
この歌のもつ “純粋さ” はどこから来るのだろう?
少し考えて...気づいたことがある。
(勿体ぶって言うほどのことでもないが)
 
メロディの出だしをハ長調のドレミ〜で、拍子もリズムも一切無視して書いてみよう。
 
ミファソ ソラミソ ドレミミレドシ
ラシドドシラソ ファミレレシラソ etc.
 
この調子で1コーラス目の終わりまですべて “全音階” のみで書けるのだ。
(ソ♯やシ♭などの音が一切出てこない...ピアノの白鍵だけですべて弾ける、と言い換えてもよい)
この旋法的な単純さがこの曲の “混じり気のない美しさ” に繋がっているのではないかと感じるのである。
posted by 小澤和也 at 01:38| Comment(0) | 日記

2019年01月02日

本年もよろしくお願い申し上げます

 
明けましておめでとうございます。
本年がみなさまにとって幸多き一年となりますように。
 
(文芸の神様、弁財天)
 
本年の私のテーマは「己」。
これまでにも増して “己の意に忠実に” 歩んでゆく所存です。
 
今後とも「音楽ノート」をどうぞよろしくお願い申し上げます。
 
 
平成31年元日   小澤和也
 
 
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posted by 小澤和也 at 01:12| Comment(0) | 日記