2020年03月11日

無観客公演ライヴ配信考

 
先の見えない新型コロナウィルス禍、それに伴い数多くのコンサートや演劇などのイベントが開催中止を余儀なくされるなか、2つの公演のライヴ配信が大きな話題を呼んだ。
びわ湖ホールのヴァーグナー『神々の黄昏』(3月7&8日)、そしてミューザ川崎シンフォニーホール/東京交響楽団の演奏会 (3月8日) である。
僕はそれぞれを部分的に視聴したのだが、実にいろいろなことを考えさせられた。
 
 
ヴァーグナーの初日を観ながらのツイートより:
 
《美しい映像と(脳内で充分に補完できる)素晴らしい音響。
そしてここには決して姿を現さない舞台スタッフ・音楽スタッフほか全ての関係者お一人おひとりの「仕事」が結集されてゆくさまを僕は想像する...
感動と感謝で胸がいっぱいに。》
 
僕自身のことも含め (中止となった立川の『トゥーランドット』!)、オペラの現場で公演のために動く人々の姿を想い起こさずにはいられなかったのだ。
 
 
翌日、東響のライヴを観ながら僕はこんなことを呟いていた。
 
《びわ湖の『指環』同様、この音楽会に関わる全ての方々の心意気に感動。
ただ昨日と決定的に異なるのは無人の客席がずっと映し出されていること。
これが僕には辛い...あまりに辛い。
この厳しい状況が一日でも早く終息しますように。》
 
(そうなのだと納得していたとはいえ) 無人の空間へ向けて渾身の音楽を奏でていた楽団員の皆さんの心境はいかばかりであったろう。
 
サン=サーンスの交響曲が終わると同時に画面上は拍手とブラヴォーの弾幕 (画面を埋め尽くすほどのコメント表示をこう呼ぶのだそうな) が怒涛のように流れ続けていた...
 
《6万数千人のオーディエンスの拍手喝采がオケとマエストロに届きますように。》
 
 
この日は改めてヴァーグナーを視聴。
ジークフリートの死の場面からブリュンヒルデの自己犠牲〜終幕まで。
美しい舞台と精緻な音楽...これは間違いなく “歴史的瞬間” だ!と僕は感じた。
 
《芸術への献身、無償の愛、心意気...言葉にするとあまりに陳腐であるけれど。

2つのライヴ配信をきょう体験して、音楽に対する向き合い方、自分はどうあるべきかということを改めて学んだ気がする。》
 
『神々の黄昏』終演。
静寂の中、粛々と続くカーテンコールに再び胸を締め付けられる思いがした。
そんな僕の気持ちをほんの少し和らげてくれたのが、完全に下りた緞帳の向こう側から聞こえてきた拍手と歓声であった。
 
 
インターネットによる今回の試みはもちろん成功であったと思う。
クラシック音楽ファンの裾野を広げることにも貢献したに違いない。
それでも...
たくさんの人々に視聴されて良かったね、で済んでほしくはないし、ましてや今回の公演関係者の方々の懸命の努力と決断を美談として扱われておしまい、となっては困るのだ。
 
現在のこの状況がひと段落したら...
みなさま、ホールへそして劇場へお運びください。
そこには真に生きた音楽、そして表現が溢れていますから。
 
 
 
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 00:28| Comment(0) | 日記

2020年03月08日

ペーテル・ブノワの命日に

(ペーテル・ブノワのデスマスク)
 
 
きょう3月8日は
ベルギー・フランデレンの作曲家
ペーテル・ブノワ (1834-1901) の命日。
 
 
先月、久しぶりにブノワ作品の新譜が出た。
 
デュポン/ブノワ: ピアノ協奏曲集
(英ハイペリオン CDA68264)
 
 
デュポン: ピアノ協奏曲第3番へ短調 Op.49
ブノワ: ピアノと管弦楽のための交響詩 Op.43
 
ハワード・シェリー (ピアノ/指揮)
ザンクト・ガレン交響楽団
録音: 2018年2月
 
ドイツ&ボヘミアへの研究旅行〜パリ滞在から母国へ戻った後、1865年にブリュッセルにて作曲。
上記のようなタイトルだが実質的にはピアノ協奏曲である。
3つの楽章からなり、それぞれに表題が記されている。
第1部: バラッド
第2部: 吟遊詩人の歌
第3部: 幻想の狩猟
 
ピアノ曲集 “物語とバラッド集”(1861) や “フルートと管弦楽のための交響詩” (1865) と同様、彼の生地ハレルベーケに残る古い伝説や物語からインスピレーションを受けているという。
 
 
これで同曲の所有ディスクは3種類となった。
いずれじっくりと聴き比べてみよう。
 
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 21:15| Comment(0) | 日記

2020年03月03日

無念

 
立川市民オペラ2020
プッチーニ『トゥーランドット』
公演中止となりました。
 
新型コロナウィルスの感染拡大を受け行政の方針他を鑑みた決断とのこと。
 
詳細はこちら (立川市地域文化振興財団) のリンクをご覧ください。
 
 
無念です...ただただ無念です。
posted by 小澤和也 at 11:13| Comment(0) | 日記

2020年02月18日

佳境のトゥーランドット

 
 
立川市民オペラ公演『トゥーランドット』、
来月の本番へ向けプローベ絶賛進行中!
 
合唱団は例年にもまして元気いっぱい。
〜見よ、この真剣な眼差し!
 
 
キャストの皆さんも素晴らしい声を聴かせてくださっています。
先日の音楽稽古では振りながら至福のひとときを味わいました。
 
 
こちらは立ち稽古終了後の一コマ。
皆さん、根っからの “表現者” であります。
 
 
姫と王子の居並ぶ “華の最前列” に
なぜか紛れ込んでしまった副指揮1名。
 
 
(稽古風景の画像は合唱指導・宮崎京子先生撮影のものをお借りしています)
 
大河の流れのような古谷マエストロの音楽。
どの瞬間も溢れんばかりの愛に満ち満ちた直井先生の演出。
ご期待ください!
 
 
立川市民オペラ公演2020
プッチーニ『トゥーランドット』
2020年3月21日(土)/22日(日)
いずれも 14:00開演
たましんRISURUホール
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 08:24| Comment(0) | 日記

2020年02月02日

音楽ノート 10周年を迎えて

 
 
拙ブログ『音楽ノート』をスタートさせてから、本日で満10年となりました。
 
ブログをご覧くださっているみなさま、またコメントをお寄せくださるみなさま、「見ましたよ!」とお言葉をかけてくださる皆さま方のあたたかな応援に励まされ、ここまで続けることができています。
 
 
私にとっての “バイブル” であるベートーヴェン、ブルックナー、ブラームス&シベリウスの作品をはじめ折々に私の心を震わせてくれる作曲家とその音楽、また我がライフワークであるペーテル・ブノワについて、これからも発信し続けていきたいと思います。
 
 
 
そして音楽の愉しみと悦びをみなさまと分かち合えますよう、今後いっそうの努力を重ねてまいります。
 
今後とも小澤和也と『音楽ノート』をよろしくお願い申し上げます。
 
 
2020.2.2.
 
小澤和也
posted by 小澤和也 at 22:16| Comment(0) | 日記

2020年01月14日

成人の日雑感

 
 
成人式にはとりあえず出かけた。
式典に参加し、続くアトラクションの部 (芸能人が数名来ていたはずだが全く憶えていない) が始まったところで席を立ったのだった。
 
2000年にハッピーマンデーなる制度が生まれ、そのきまりのもとでは1月15日が祝日となることは決してないのだと知ったときはちょっと寂しかったな。
あれから20年。
僕の中では未だに「成人の日=1月15日」だ。
 
 
昨日のTwitter上で
『#二十歳の自分に言っても信じないこと』
というハッシュタグが盛り上がっていた。
当時のことを思い起こしつつ、僕も二十歳の自分に話しかけてみる。
 
〜自分の夢に気付かないふりをしたまま
ボヤーッと卒業してボヤーッと就職して
まずまず楽しい10年間が待ってるよ。
でもその後、
持っていたものはあらかたみんな手放してしまって...
残ったのは“夢”のかけら。
そしてその夢の中に
お前さんはいまも生きているよ〜
 
自分でもこうなるとは想像していなかった。
よくもまあ無茶をしたものだ。
でもせっかくここまできたのだから、行けるところまでこのまま走って行こうと思う。
 
 
新成人の皆さん、おめでとうございます。
皆さんの前途に幸多からんことを。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 13:27| Comment(0) | 日記

2020年01月04日

新年のご挨拶

 
 
新年明けましておめでとうございます。
 
本年がみなさまにとって
素晴らしい一年となりますように。
 
 
“素直な心” と “微笑み” をもって
仕事に精進したいと思います。
 
本年も「音楽ノート」を
よろしくお願いいたします。
 
令和二年 正月
小澤和也
 
 
 
 
 
 
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posted by 小澤和也 at 21:59| Comment(0) | 日記

2019年12月06日

合唱団あしべ2019

 
 
合唱団あしべ、年内最後のレッスンへ。
まずは普段と同じく、軽いストレッチと発声練習から。
続いてこれまたいつも通りに新曲の音取り稽古を。
なかにしあやねさんの『立ち止って』、しなやかな旋律と繊細なハーモニーがとっても綺麗な曲。
譜読みはまだ始まったばかり...続きが楽しみだ。
 
そして最後の30分、
恒例の「年忘れ歌合戦(?)」を開催!
〜といっても、今年歌った曲を片っ端からブッツケ本番で通すだけなのだが、コレが意外と楽しい。
5月のイベントで披露した歌謡曲、秋の合唱祭で歌った『四季の雨』、毎年歌っている (でも練習はここ何年もしていない)『O Holy Night』、そしてあしべの愛唱歌『芭蕉布』などなど。
 
 
 
 
歌い終えた皆さんの笑顔、笑顔、笑顔...
これぞ音楽のもつ幸福な「力」。
 
 
 
 
 
あしべの皆さん、一年間お疲れさまでした。
来年も楽しく歌いましょう!
 
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 17:51| Comment(0) | 日記

2019年11月30日

フルトヴェングラーの命日に

 
 
きょう11月30日はフルトヴェングラーの命日。
亡くなったのは1954年であるから、没後65年ということになる。
僕がクラシックのレコードを本格的に聴き始めた頃、音楽雑誌やレコード店には「フルトヴェングラー  没後30年企画」なる言葉が躍っており、僕はその世界へさっそくのめり込んだのだった。
〜しかるに、僕はかれこれ35年も彼の音楽を飽きずに聴いているのか... Time flies.
 
 
第二次大戦後の演奏活動禁止処分が解けた1947年、この年にフルトヴェングラーが行ったセッション録音は次の6作品である。
(すべてSP録音)
 
§ベートーヴェン: ヴァイオリン協奏曲/メニューヒン、ルツェルン祝祭管 (8/28,29)
§ヴァーグナー: ローエングリン第1幕前奏曲/ルツェルン祝祭管 (8/30)
§モーツァルト: グランパルティータ/ウィーンpo (11/10,19,26&12/3)
§ベートーヴェン: 交響曲第3番/ウィーンpo (11/10-17)
§ブラームス: 交響曲第1番/ウィーンpo (11/17-20,25)
§ベートーヴェン: コリオラン序曲/ウィーンpo (11/25)
 
これらの中でモーツァルト以外は複数の録音が遺されており、特に協奏曲、ローエングリンそしてエロイカは後年のより音質良好なレコーディングの陰に隠れてしまっているのが実情だ。
ことにエロイカは同じウィーンpoと行った有名な’52年録音の名盤のおかげで全く顧みられないといっても過言でないほど。
 
 
なぜ長々とこんなことを書いたかというとー
きょう久しぶりに手に取ったこの’47年エロイカ、録音のハンデを差し引けばとても充実した演奏に感じられたからだ。
第1楽章の出だしが慎重なのは彼のセッション録音ではよくあることである...これを「生気に欠ける」「フルトヴェングラーはライヴでないと“燃えない”から」と評する向きがあるようだが僕はそうは思わない。
呈示部終盤からは知と情のバランスが実に見事な音楽が展開されているし、第2楽章以降はSPの針音の向こう側から表現意欲に満ちた、うねるようなフルトヴェングラーのベートーヴェンが聞こえてくる。
 
それは (上手く言葉にできないが) ライヴでの羽目を外したような熱狂とも、晩年の枯れた味わいの中に時折見える青白い炎とも異なる「この時期のフルトヴェングラーの健全な充実」なのだと思う。
同じ頃に録音されたメニューヒンとのベートーヴェン協奏曲、またローエングリン前奏曲を聴くとその想いはさらに強くなる...フルトヴェングラーはルツェルンの音楽祭オーケストラから
このうえなく豊かな、力感としなやかさを兼ね備えたサウンドを引き出している。
 
この時期 (’47〜’50年頃) のフルトヴェングラーのセッション録音、(音質的には恵まれないけれど) 僕は大好きだ。
 
 
posted by 小澤和也 at 23:36| Comment(0) | 日記

2019年11月18日

ブロムシュテットxステンハンマルxブラームス

 
NHK交響楽団 
第1925回定期演奏会を聴く。
(16日、NHKホール)
 
§ステンハンマル: ピアノ協奏曲第2番ニ短調 Op.23
§ブラームス: 交響曲第3番ヘ長調 Op.90
 
10月初旬に飛び込んできたソリスト&曲目変更の報には正直なところやや面喰った。
巨匠の域に到達したピーター・ゼルキンのピアノはぜひとも聴いてみたかったし、演目も彼の父ルドルフの十八番であったマックス・レーガーであったから。
 
 
ヴィルヘルム・ステンハンマル (1871-1927) はスウェーデンの作曲家・ピアニスト・指揮者。
北欧における後期ロマン派に属する音楽家である。
【参考】
グリーグ (ノルウェー)...1843-1907
ニールセン (デンマーク)...1865-1931
シベリウス (フィンランド)...1865-1957
 
 
4つの楽章は切れ目なく演奏される。
第3楽章からフィナーレへと向かうattaccaはシューマンの第4交響曲を、ピアノの音の重ね方はブラームスの響きを連想させた。
また一方で金管の用法はシベリウス風な瞬間を、弦のうねるような幅広いユニゾンではラフマニノフの “華麗なる土臭さ” を感じた。
 
N響との初共演を果たしたマルティン・ステュルフェルトは繊細で美しい音色の持ち主。
ところどころ先走りしそうになる箇所もあったが、ブロムシュテットさんの厚いサポートに守られつつこの演奏機会に恵まれない作品に申し分なく光を当てていた。
アンコールでこの作曲家の小品を聴くことができたのもうれしかった。
(3つの幻想曲Op.11〜第3曲)
 
 
 
いよいよ...後半のブラームス。
「そのお齢からは想像できないような、推進力でぐいぐいと運んでゆく演奏」を勝手にイメージしていたのだが、その予測はみごとに覆された。
第1楽章冒頭より、一音一句をゆるがせにしない明確なフレージングおよびダイナミクスの処理。
「知」にしっかりと裏付けされた、心の奥底から湧き上がるアゴーギク。
そして思わず (これだ!) と膝を打ったのが「管と弦との絶妙な音量バランス」であった。
この曲でブロムシュテットさんは弦セクションに「意味なく大きな音」を決して求めていなかった気がする。
そこに現れたのは...
管楽器のすべての音の軌跡、ブラームスが書き遺した筆のあとであった。
この先すべての楽章を通して、fとff、pとppの違いがはっきりと描き分けられるのだ。
 
第2〜第3〜第4楽章がほぼ切れ間なく演奏されたのも印象的であった。
[これは2013年にN響とこの交響曲を演奏した際にも行われていたので新機軸というわけではないが]
第2楽章でのクラリネット&ファゴットの内面的な響き、第3楽章での素晴らしいホルンおよびオーボエのソロの音色が忘れられない。
ブロムシュテットさんのタクトは真実を語り、哀しさ、寂しさ、愛しさ、懐かしさetc....聴く者それぞれの心に普遍的に届く感情を「“美”をもって」表出していた。
 
フィナーレ最後の音が静かに消え (第3交響曲はすべての楽章が弱音で終わる)、訪れた長い静寂...そしてあたたかな拍手喝采。
ブロムシュテットさんがコンサートマスターへしきりに促すも、オーケストラは誰一人立ち上がらず聴衆と共にマエストロへ拍手を送り続ける。
これがいつ果てるともなく続く...と思いきや、ブロムシュテットさんが突然指揮台に上がりながら指で“3”の合図を。
第3楽章がアンコールされたのだ。
(定期公演ではまず行われないことではないかしら)
 
熱いものが頬を伝わるのをそのままに、僕はブロムシュテットさんの背中と右手をじっと見ていた。
このうえなく豊かな、音楽による心の対話の時間であった。
 
posted by 小澤和也 at 00:15| Comment(0) | 日記