2018年02月07日

世田谷『ラ・ボエーム』終演

 
せたがや名曲コンサート『ラ・ボエーム』、
盛況のうちに終演。
(4日、昭和女子大学人見記念講堂)
 
同業の友人を介して副指揮者としてのオファーを頂戴したのは昨年12月だった。
(急なお話だな...) などと思いつつ、大好きな演目ということでお引き受けすることに。
こうして新通英洋マエストロ&世田谷フィルとの濃密な2ヶ月間がスタート。
マエストロからは音楽面・技術面で新たな刺戟を受けたばかりでなく、“組織としての” 音楽スタッフの在りようについて多くを学ぶことができた。
 
 
今回も “バンダ隊長” 役を仰せつかった。
第2幕の大詰め、カルティエラタンに現れる帰営の行進の先頭を行くリーダーである。
以前携わったプロダクションではバンダはステージ上を歩いたのだが、今回は客席通路を上手→下手へと大横断!
オーケストラとの時差も相当なものであった...これまた貴重な体験。
 
(第2幕終了直後〜
解放感に溢れた笑顔、笑顔...)
 
キャストの皆さんも素晴らしかった。
「セミステージ形式」と謳った今回の公演だったが、実際には狭いながらも独立したアクティングエリアが設けられた特殊な舞台。
そうした制約の中で、特に男性4名が (稽古中からずっと!) 見せてくださった強力なチームワークは素晴らしかった。
 
 
 
世田谷フィル&区民合唱団の皆さん、公演のご成功おめでとうございます。
これからも音楽のよろこびに溢れた日々を過ごされますように...そしていつかまたご一緒しましょう!
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 01:05| Comment(0) | 日記

2018年01月31日

今月の #ダバダー

 
 
あ、この味は好きだな...
と初めて認識したのが、喫茶店でたまたま選んだマンデリンだった。
(もう10年以上前のことである)
以来自宅でもお店でもずっとマンデリンばかり飲んでいたのだけれど、近所にオープンしたブックカフェに通うようになってからはさまざまな種類のコーヒーを好んで口にするようになった。
 
はじめのうちは産地ごとに味の特徴を覚えていられた。
しかし数が増えるにつれ、どれがどれだかすっかり訳が分からなくなり...(苦笑)
 
以下、個人的な “記憶の取っ掛かり” として、飲んだ珈琲について書いておくことにする。
(星の数もあくまで主観的かつ気まぐれな指標である)
 
 
【エチオピア/イルガチェフェG1】
イルガチェフェはシダモ地区南端の村。
ナッツを思わせる豊かな風味。
その香ばしさの後にフルーティーな甘みがほのかに残る。
「コーヒーは苦い飲みもの」という概念を忘れさせてくれる味。
★★★★☆
 
 
 
【ニカラグア/ラス・クンブレス農園 ピカード】
主張する酸味、うっすらとした苦みが同時にやってくる。
言葉では表しにくい、何とも不思議な味わい。
敢えて言うならば「土の香り」であろうか。
★★☆☆☆
 
 
【コロンビア/エルナンデスモンターナ】
産地はコロンビア南西部のウイラ県、モンテボニート。
ココアのような甘い香り。
その奥に程よい酸味が感じられる。
後味もすっきりと爽やか。
★★★☆☆
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 10:46| Comment(0) | 日記

2018年01月26日

フルトヴェングラー生誕132年

 
ドイツの指揮者ヴィルヘルム・フルトヴェングラー生誕の日 (1/25) を、自宅でのんびりとディスクを聴きながら祝う。
 
1枚目はコレ。
 
1929-35年に手兵ベルリン・フィルとポリドールに録音したロマン派名曲集。
フィンガル、ロザムンデ、魔弾の射手 etc.
どれもこの名コンビの十八番であったことだろう。
 
今回聴いていて強く感じたのは
「楽曲との (時間的な) 距離の近さ」
である。
このアルバムに収められている作品のうちもっとも古いものが『舞踏への勧誘』(1819年、ピアノ曲として)、次いで1823年に作られた『ロザムンデのための音楽』だ。
したがって、彼らが奏でているのは「たかだか100年ちょっと前の (しかも自国の) 作品」ということになる。
同時代とまでは言えないにしても「当たり前のように抱く親近感」はあっただろうし、それが演奏にも現れているように思えるのだ。
そしてそのことが、これらの録音に “EVERGREEN” な魅力を与えているのだと改めて確信したのである。
 
 
続いて取り出したのがコチラ。
 
1953年録音のシューマン/第4交響曲。
フルトヴェングラーのむせ返るような熱い浪漫的解釈、それに見事に応えるベルリン・フィルの高い機能性と音楽性にはただただ驚嘆するばかり。
最近ではそれを通り越して「打ちのめされたような気分」にさえなる。
この求心力、世界一のオーケストラをここまで「その気にさせる」魅力はいったいどこから来るのだろうか...と思わずにはいられないのだ。
 
楽譜をはじめとした史料研究が進み、あの頃とは明らかに異なる「時代」を生きる我々がフルトヴェングラーの音楽を表層的になぞるのは何の意味もないであろうが、彼が引き出した音響の「向こう側にある何か」に想いを馳せそれを追求する姿勢は (少なくとも僕にとっては) これからもずっと大切にしていきたいものであると気付かされた。
 
蛇足だが、このグランドスラム盤の復刻 (LPから) はほんとうに素晴らしい。
posted by 小澤和也 at 12:57| Comment(0) | 日記

2018年01月23日

ハイドン交響曲考

 
『椿姫』と『ラ・ボエーム』。
1月はこれら二つの稽古であっという間に過ぎ去ろうとしている。
(“音楽ノート” もなかなか更新できず...)
大好きな作品、そして素晴らしいマエストロや仕事仲間にも恵まれ慌ただしくも充実した日々。
それでもやはり、オペラばかりでは脳味噌が疲れてくるものだ。
そんな僕の頭の中のコリをほぐし、心のバランスを保ってくれていたのが、折にふれ少しずつ読み聴きしているハイドンの交響曲...なかでも所謂「シュトルム・ウント・ドランク (疾風怒濤) 期」と呼ばれる期間に書かれた作品たちである。
 
 
1766年、前任者ウェルナーの死去によりハイドンは当時仕えていたエステルハージ家の楽長に昇進する。
またこの年、当主ニコラウス侯の命による新しい宮殿 “エステルハーザ” の主要部分が完成、新楽長はこれまでの器楽曲中心の創作活動に加え、教会音楽や劇作品においても重責を担うこととなった。
このような環境の変化の中で、以降数年間にわたり (概ね1773年頃まで) ハイドンの交響曲創作は最初の充実期を迎える。
 
§1767年
第38番ハ長調、第35番変ロ長調、第58番ヘ長調
§1768年
第26番ニ短調『ラメンタツィオーネ』、第41番、第59番イ長調『火事』、第49番へ短調『受難』
§1769年
第48番ハ長調『マリア・テレジア』、第65番イ長調
§1771年
第43番変ホ長調『メルクール』、第44番ホ短調『哀しみ』、第42番ニ長調、第52番ハ短調
§1772年
第45番嬰へ短調『告別』、第46番ロ長調、第47番ト長調
§1773年
第51番変ロ長調、第50番ハ長調、第64番イ長調『テンポラ・ムタントゥール』
 
(上記作曲年代および表記順序はあくまで僕の個人的な分類・参考データです)
 
対位法を多用し宗教的な色合いを強く帯びた作品 (26, 49)、調性の幅を広げる試み (45, 46, 49) などを通じ、より強い感情表現を目指したハイドン。
年代を追って聴くことにより、充実の度合いが増してゆく様が手に取るように感じられる...特に1771〜72年頃の作品は実に素晴らしい。
 
これらの中では (ニックネームの効果もあってか)『告別』『哀しみ』の2曲が飛び抜けて有名だが、それ以外にも「第42番」「第52番」「第46番」など、もっと広く親しまれてよい佳品が揃っている。
僕の個人的ファーストチョイスは...「第43番」かな。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 21:34| Comment(0) | 日記

2018年01月08日

堀口大學展へ

 
美と文学の探索者〜
堀口大學展 (@新潟県立近代美術館) を観る。
 
僕の中で堀口大學とは、なんといっても『月光とピエロ』を書いた詩人であり『月下の一群』を纏めた翻訳家である。
(男声合唱経験のある方ならば必ずや耳にしている名前であろう)
そして恥ずかしながら...
上記が僕の知る大學のすべてであった。
もっと彼を深く識りたい、そう思っていたところでこの企画展のことを知ったのだった。
 
トンネルを抜けると。
越後湯沢を過ぎたあたり。
 
長岡駅からバスに乗る。
信濃川は冬の陽光にきらめいていた。
 
美術館に到着。
 
 
幼年時代のものを含む多くの写真や愛用のネクタイやカフス、作品帳など大學ゆかりの品々が広い館内にゆったりと並ぶ。
 
入ってすぐ、大學の師である与謝野鉄幹・晶子夫妻の筆墨の美しさに思わず見惚れてしまった。
(これら展示物の画像はすべて図録から採ったものです)
 
大學自身の書いた字も、上記作品帳や遺された多くの手紙から見て取れるように、彼の温厚な気質を表すのような穏やかで細やかなものであった。
 
大學の初期の著作のほとんどを飾った版画家・長谷川潔の装画も、その繊細な美が際立っていた。
 
1928年刊行の堀口大學詩集 (第一書房)。
とても豪華な装幀...この画像からは伝わらないけれど。
 
当時における「本を作る/出版する/所有する」といった価値観・感覚は、現在とはまったく異なるものだったのだなと改めて思う。
 
また、大學が収集していた陶磁器や書なども並べられ、彼の「美しきものへのあくなき探究心」を感じ取ることができたのが何よりの収穫であった。
 
大學がサティ『ジュ・トゥ・ヴ』(パコリ詞) の訳詞を手がけていることもこの日初めて知った。
『妾(わたし)はあなたを求める』
という題名に時代を感じる。
 
夕方には東京に戻るという弾丸旅行だったが、静かな充実感と幸福感に満ちた佳い時間であった。
 
 
 
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 22:28| Comment(0) | 日記

2018年01月01日

新年のごあいさつ

 
新年明けましておめでとうございます。
皆さまのご健勝とご多幸を心よりお祈り申し上げます。
 
作曲家の魂と真摯に向き合い、佳い音楽を創ってゆくことを心掛け、日々精進してまいります。
 
本年も「音楽ノート」をどうぞよろしくお願い申し上げます。
 
 
平成30年元日   小澤和也
 
 
 
 
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2017年12月24日

湯島散策

 
冬晴れの休日に
のんびりと湯島散策。
 
まずは 
自家焙煎珈琲・みじんこ へ。
 
 
 
コーヒーは爽やかな酸味の
エチオピア/イルガチェフェ。
厚焼きホットケーキは噂どおりの美味。
 
 
 
湯島天満宮へも足を延ばす。
菅原道真公を祀る “文教の中心”。
 
 
 
久しぶりに引いたお神籤。
 
 
佳い新年が迎えられそうだ。
 
 
posted by 小澤和也 at 20:21| Comment(0) | 日記

2017年12月16日

あしべ歌い納め&忘年会

 
15日、合唱団あしべの年内歌い納め。
この一年もさまざまな歌を通してメンバーの皆さんと佳い時間を過ごすことができました。
 
 
 
 
そのことに心からの感謝を。
そして2018年もこの幸福が続きますように。
 
歌い納めの後は...
練習場近く、いつもお世話になっているレストランで忘年会♪
 
 
 
 
 
 
クロムツ、ホタテ、湯葉巻きの牛肉 etc.
とっても美味しくいただきました。
訳あってアルコール “お預け” だったのが残念...
 
あしべのみなさん、一年間お疲れさまでした。
来年も楽しく歌いましょう!
 
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 20:38| Comment(0) | 日記

2017年12月08日

立川椿姫、本格発進

 
立川市民オペラ “La Traviata”、
キャストによる音楽稽古がスタート。
(6日、RISURUホール)
 
この日はヴィオレッタ/鳥海仁子さんとジェルモン/清水勇磨さんが登場、第2幕の二重唱を中心に。
ここは哀しくも鬼気迫る場面だ。
ヴィオレッタの内に秘めた芯の強さをそのまま表したような、凛とした鳥海さんの歌唱。
確かな技術から発せられる清水さんの豊かな美声も印象的。
3月の公演が早くも楽しみだ。
(お二人はいずれも公演二日目 (3/18) のご出演です)
 
 
そして昨日は合唱団との久しぶりのプローべ。
立ち稽古が始まり、暗譜の完成に向けて浅くなりがちだった表情付けや言葉の捌きをじっくりと再確認する。
 
 
合唱団にとって、今がもっとも苦労の多い時期だろう。
暗譜をものにし、動作/所作の下地がついてくれば、そこから先は音楽と演技とが相乗的に作用しあって、表現がいっそう楽しくなると確信している。
 
 
§立川市民オペラ公演2018
§ヴェルディ『椿姫』 全3幕・原語上演
2017年3月17日(土) 18時開演/18日(日) 14時開演
たましんRISURUホール (立川市市民会館) 大ホール
 
 
 
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 08:17| Comment(0) | 日記

2017年12月01日

フルトヴェングラー没後63年に

 
11月30日はヴィルヘルム・フルトヴェングラーの命日。(1954年没)
ほぼ毎年、思い付きでディスクを手に取り、のんびりと聴きながら巨匠の音楽づくりや人となりに思いを馳せている。
今回選んだのはハイドン。
 
§交響曲第94番ト長調
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
1951年1月、ムジークフェラインザールでのセッション録音
 
第1楽章の序奏、木管群の古雅な音色とそれに応答する弦楽器のやわらかな響きが美しい。
主部 (Vivace assai) に入ってからも音楽は落ち着きはらった朗らかさをもって自然に流れてゆく...同時代の作曲家であるモーツァルトへのアプローチとはかなり異なるところが興味深い。
かといってフルトヴェングラーが何もしていないわけではなく、スコアにないスラーをそっと付けたり、主旋律のアウフタクトにわずかなテヌートをかけるなど、さりげない工夫がそこここに施されている。
 
『驚愕』のニックネームの由来となった第2楽章、ここでもフルトヴェングラーはAndanteを遅めにとり (この解釈はやや “時代” を感じさせるが)、メロディをじっくりと歌わせるのだ。
16小節目の例の一撃も、インパクトを効かせるというよりはどっしりとした音の柱のよう。
楽章半ば、音楽がハ短調に転じドラマティックに展開する部分では遅めのテンポが功を奏し、主題モティーフと三十二分音符の走句との絡み合いが克明に描かれる。
 
後半二楽章も同様に明快かつ清澄な音楽が繰り広げられる。
ハイドン特有のユーモアや意外性はここにはないが、端正なプロポーションの彫像を観るような愉しみがある。
 
この録音、当然ながらいわゆる「旧全集」の時代のものであり (いわゆるランドン版が世に出るのは1960年代である)、現在の我々が耳にするクリティカルエディションとは強弱やアーティキュレーションが多くの部分で異なっているが、そのことを差し引いてもフルトヴェングラーの演奏は、音楽する歓びにあふれた説得力の強いものである。
“セッション録音のフルトヴェングラー” も実に佳いものだ。
 
 
 
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 18:22| Comment(0) | 日記