2017年02月03日

佳境のカルメン

 
 
立川市民オペラ公演『カルメン』のプローべがいよいよ佳境に差し掛かってきた。
今週から合唱団の立ち稽古に助演の皆さんが合流、次回からは児童合唱も参加する。
 
合唱団、動きを伴うにつれ歌に磨きがかかり、それがさらに演技に立体感とリアリティをもたらす、そんな好循環が始まりつつあるところだ。
 
 
 
キャストの立ち稽古も着々と進行中。
一昨日は第3幕をじっくりと。
演出・直井研二先生によって描かれる、各登場人物の細やかな心理の襞に納得の連続。
ドン・ホセ澤崎一了さんの美声には棒を振りながら思わず聴き惚れる。
 
二回公演のうちの初日 (3/19(日)) のチケット、SS席は完売、S席もほぼ埋まっているとのことだった...有難い限りだ。
 
 
立川市民オペラ公演2017
ビゼー『カルメン』
2017年3月19日(日)/20日(月祝)
たましんRISURUホール
 
みなさま、どうぞおはこびください。
 
posted by 小澤和也 at 22:36| Comment(0) | 日記

2017年01月24日

埼玉県立近代美術館

 
 
埼玉県立近代美術館へ。
『日本におけるキュビスムーピカソ・インパクト』を鑑賞する。
 
 
これまでキュビスムやその作品に強く惹かれたことはほとんどなかったのだが、今回の "日本における" という切り口にはなぜかちょっぴり興味を覚えたのである。
 
萬鐵五郎《もたれて立つ人》
 
東郷青児《コントラバスを弾く》
 
今西中通《マンドリンを弾く女》
 
飯田善國《オーケストラ》
 
...ついつい、音楽をモティーフとした絵に目が行ってしまう。
 
キュビスムを主導したピカソやブラックの作品も展示されていた。
 
パブロ・ピカソ《静物》
 
1910-20年代に伝えられるも、日本では深化を遂げるには至らなかったキュビスム。
そして第二次大戦後、国内で開催されたピカソ展が日本の美術界に与えた衝撃...
素人の目には (え?これもキュビスム?) と思えるほど大胆に踏み込んだ展示であり、個人的には頭の中が若干疲れたけれど、その疲れが心地良く感じられる好企画だったと思う。
 
展示室を出ると...
ロダンとブールデルがお出迎え。
 
 
 
収蔵品展 (MOMASコレクション) ではドラクロワやモネ、ユトリロを観ることができた。
キュビスムの後では何と優しく眼に映ることか...
 
素敵な美術館だった。
春にまた行こう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 23:48| Comment(0) | 日記

2017年01月19日

恋の鳥

 
 
 
新潮文庫の北原白秋詩集を読んでいて、『恋の鳥』という詩を見つけた。
 
  捕らへて見ればその手から、
  小鳥は空へ飛んで行く、  etc.
 
ん?...これは!
カルメンの歌う『ハバネラ』そのものではないか!
調べるとすぐに分かった。
大正8 (1919) 年1月、芸術座が上演した『カルメン』の劇中歌とのこと。
作曲は中山晋平、歌ったのは芸術座の看板女優・松井須磨子である。
神西清氏の巻末解説によれば、「歌劇『カルメン』の英訳本から意訳したものだそう」だ。
七五調の、リズミカルで洒脱な詩になっている。
 
その他、この本には載っていないが『煙草のめのめ』『酒場の唄』といった劇中歌も書かれているらしい。
オペラの中で女工達が歌う所謂『けむりの歌』、リーリャスパスティアの薄暗い酒場の光景が浮かんでくる。
どんな内容なのだろう...?
 
 
恋の鳥
ー『カルメン』の唄よりー
(カルメンのうたふ小曲)
 
捕らへて見ればその手から、
小鳥は空へ飛んで行く、
泣いても泣いても泣ききれぬ、
可愛い、可愛い恋の鳥。
 
たづねさがせばよう見えず、
気にもかけねばすぐ見えて、
夜も日も知らず、気儘鳥、
来たり、往んだり、風の鳥。
 
捕らよとすれば飛んで行き、
逃げよとすれば飛びすがり、
好いた惚れたと追つかける、
翼火の鳥、恋の鳥。
 
若しも、翼を擦りよせて、
離しやせぬとなつたなら、
それこそ、あぶない魔法鳥、
恋ひしおそろし、恋の鳥。
 
(詩集より引用させていただきました)
posted by 小澤和也 at 12:35| Comment(0) | 日記

2017年01月08日

雌伏の日々のモーツァルト ふたたび

 
いま手掛けているハ長調交響曲K.338 (旧全集:34番) について感じたことを記しておこうと思い、「雌伏の日々のモーツァルト」という見出しを考えついたのだが...
なんと三年前 (2014/4/18) に同じタイトルでブログを書いていた。
僕はよほどこの時期 (1779-80年) の作品が好きなようである(苦笑)。
 
この交響曲、スコアの第1ページには
「1780年8月29日、ザルツブルク」とある。
おそらくは完成の日付であろう。
彼の雇い主であるコロレド大司教の意向で交響曲やミサ曲を「短く」作曲しなければならなかったこの頃のモーツァルト。
遺された最終形としてはメヌエットを欠く3楽章構成であり、ソナタ形式の第1楽章呈示部には通常あるはずの繰り返しの指示がない。
 
このような状況下においても、モーツァルトの音楽は美しく、決して明るさを失わない。
オーボエ、ファゴット、ホルンに加えてトランペットとティンパニを用いた第1楽章は壮麗な行進曲風の調子で始まり、終始跳びはねるような曲想に溢れている。
同じ楽器編成の第3楽章はこれまた速いテンポの6/8拍子、畳み掛けるような無窮動のフィナーレである。
 
これらと対照的なのが第2楽章アンダンテ・ディ・モルト (後に作曲者自身の手で "アレグレットに近く" と追記された) だ。
弦五部+ファゴットのみで奏でられる極めてintimateな音楽。
さらにこの楽章を特徴付けているのが、二分割されたヴィオラである。
これによってTuttiの響きが、えも言われぬ陰翳を帯びてくる。
 
 
ここからすぐに連想されるのが、三年前の拙ブログでも触れた協奏交響曲変ホ長調 K.364の第2楽章だ。
この時期の彼の心中を表す象徴的な響きであったのだろうか。
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 23:59| Comment(0) | 日記

2017年01月01日

新年のご挨拶

 
 
新年明けましておめでとうございます。
 
2017年がみなさまにとって
素晴らしい一年となりますように。
 
いま一度原点に立ち返り、力を蓄えつつ音楽と真摯に向き合う一年とする所存です。
 
本年も「音楽ノート」をよろしくお願いいたします。
 
2017年 元日
小澤和也
 
 
 
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posted by 小澤和也 at 19:41| Comment(0) | 日記

2016年12月26日

ブロムシュテットさんの『第九』

 
 
N響創立90周年記念
ベートーヴェン「第9」演奏会 を聴く。
(23日、NHKホール)
 
この機会は逃したくなかった。
チケット発売初日に席を押さえ、この日が来るのをひたすら待っていた。
 
 
 
早足で颯爽と登場するマエストロ。
昨年のN響定期公演での第1、第2交響曲、そしてエロイカを聴いて想像していたとおり、基本テンポを速めにとったストイックなベートーヴェン演奏である。
譜面台の上には閉じられたままのベーレンライター版のスコア。
(ブロムシュテットさんがこれを開くことはない)
 
第1楽章は推進するエネルギーを注入し続けるマエストロの指揮と、確実に歩を進めようとするオーケストラとの間で息がピタリと合った(!)、奇跡的なまでに絶妙なテンポをもって始まり、その求心力は終始損なわれることがない。
この第1楽章にこれほどまでに「(楽曲構成的な) 隙の無さ」を感じたのは不覚にも初めてであった。
 
続く第2楽章。
対向配置の弦楽セクションが織りなす冒頭のフガートは音響的にはもちろん、視覚的にも愉しい。
そして、通常省略されることの多いスケルツォ主部後半のリピート (159-399小節) をブロムシュテットさんは楽譜どおりに実行する。
楽曲のフォルムはやはりこのほうが断然美しいと、聴きながら改めて確信した。
 
第3楽章の速度指示は実に演奏家泣かせだ (と僕は思っている)。
主部は "Adagio molto e cantabile" なのに (敢えて「なのに」と書かせていただく) 四分音符=60、副次部は "Andante moderato" で四分音符=63、なのだ。
だから、往年の名指揮者たちはしばしば、このアダージョを非常にゆっくりと演奏する。
しかしブロムシュテットさんはここでもスコアに忠実であった。
曲の冒頭、一瞬アンサンブルが乱れる。
変な言い方なのだが...とても解る気がした。
オーケストラはすぐに立て直し、それ以降はこのうえなく美しい、まさに極楽境の如き音楽を奏でてゆく。
(もっとずっと聴いていたかった、というのが本音である)
 
そしていよいよ第4楽章へ。
東京オペラシンガーズによる合唱が何といっても素晴らしかった...特にアルトの響き!
冒頭の決然たるレチタティーヴォ、同じく低弦に始まる「歓喜の主題」の気高さ、超速のマーチ (テノール独唱が弱かったのが残念) とそれに続くオーケストラのポリフォニーのせめぎ合いetc. と素晴らしい瞬間の連続であったが、なかでも僕が思わずハッと息を飲んだのが第627小節〜の楽節である。
(コーラスが "Ihr stürzt nieder, Millionen?" と歌うその直前)
ヴァイオリンとコントラバスが沈黙し、ヴィオラとチェロのみが木管を伴って神秘的なコラールを奏するこの部分、対向配置では両弦楽器と木管がステージ中央に集まり、精妙に融け合った響きをつくり出すのだ!
 
音楽を「体験」する。
コンサートへ出かけてこのような気分になったのは久々だ。
ブロムシュテットさんの『第九』...忘れられぬ、否、忘れたくない演奏会であった。
僕の目指す音楽に最も近い (もちろんそれは遥か彼方にあるのだが) ものが、あの演奏の中にはあったのだ。
 
 
 
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 08:46| Comment(0) | 日記

2016年12月19日

「エロイカ」を振りながら

 
 
湘南アマデウス合奏団のプローべへ。
(18日、藤沢市内)
来春の演奏会へ向けての本格的な練習がこの日からスタート。
この半年は「エロイカ」交響曲を中心に何回かの合奏をご一緒する。
 
第1楽章はソナタ形式。
ロマン的情感がいまにもあふれてこぼれ落ちそうな、その一歩手前ギリギリで (それでもしっかりと) 均衡を保っている、エネルギーに満ち満ちた音楽だ。
気分に溺れてしまうことなく造形美の実現を目指す...決して簡単ではないけれど、なんとやり甲斐のある表現行為だろう。
 
悲哀を帯びた、それでいて高貴な佇まいを損なうことなく綴られる第2楽章「葬送行進曲」、3本のホルンが大活躍する野趣に富んだ第3楽章スケルツォを経て、音楽はフィナーレへと一気に流れ込む。
 
その終楽章の "器" にベートーヴェンは、(ソナタでもロンドでもなく) 変奏曲を選んだ。
旋律主題はバレエ音楽『プロメテウスの創造物』で用いられたもの。
 
 
楽章中盤に入ると、音楽はにわかに熱を帯びてくる。
フガート部を経てクライマックスへ。
そしてPoco andanteの大団円へと到達する部分を指揮していて、僕はこのうえない幸福感を覚えたのだった...創造主の存在を確信するかの如くに。
 
『expression という言葉は元来、物を圧し潰して中身を出すという意味の言葉だ。古典派の時代は形式の時代であるのに対し、浪漫派の時代は表現の時代である。圧し潰して出す中身というものを意識しなかった時代から、自明な客観的形式を破って、動揺する主観を圧し出そうという時代に移る。形式の統制の下にあった主観が動き出し、何も彼も自分の力で創り出さねばならぬという、非常に難しい時代に這入るのであります。ベエトオヴェンは、こういう時代の転回点に立った天才であった。』
(小林秀雄「表現について」より自由に引用)
 
ベートーヴェンの音楽は、やはり僕にとってのライフワークだ。
 
posted by 小澤和也 at 09:02| Comment(0) | 日記

2016年12月03日

立川『カルメン』Tシャツ

 
 
 
立川市民オペラ『カルメン』
合唱団員UさんのデザインによるTシャツ、完成!
 
 
背面デザイン。
 
 
イイネ!
 
 
オペラ「カルメン」の魅力〜合唱で綴るミニコンサートが12月15日(木)に開催されます。
19:00開演、たましんRISURUホール (立川市市民会館) 小ホールにて。
入場無料ですが整理券 (ホール窓口で配布) が必要とのこと。
 
みなさまのご来場をお待ちしております。
 
 
 
 
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 01:38| Comment(0) | 日記

2016年11月30日

フルトヴェングラー没後62年

 
本日11月30日は名指揮者ヴィルヘルム・フルトヴェングラーの命日。
すっかり恒例となった「メモリアルデーにCDを引っ張り出して聴く」儀式、今回選んだのはブラームスの第1交響曲。
ウィーンフィルとの録音 (1947年11月) である。
 
 
ここ数年、WFのディスクの中で好んで聴くのはもっぱら彼のセッション録音だ。
「ライヴこそWFの真骨頂!」「WFのセッション録音は不完全燃焼」などとよく言われるが、そうとも限らないと僕は思う。
 
重さと濃さを強く感じさせる第1楽章。
アゴーギクは遅くなる方向へのみ働く。
唯一の例外が再現部ラストのaccelerando。
第2楽章に入っても、遅く張り詰めたテンポ感は変わらない。
再現部直前でさらに速度を落とす...ほとんど停止寸前まで。
 
第3楽章、ここでようやくcomodoな気分となるが、コーダで音楽はやはり沈み込む...空に憧れつつも。
そして第4楽章へ。
序奏部のテンポ操作が実に理知的、例のトロンボーンのコラールは霊妙な美しさ。
Allegroに入っていよいよWF節!
ただし節度を持って。
 
ライヴ録音と異なり、劇性を殊更に強調することはないが、指揮者の意志の力が強く張り巡らされている。
オーケストラのサウンドからもWFの「ブラームス観」が伝わってくるかのよう。
繰り返し聴くに値する演奏ではないだろうか。
 
彼のレコードを聴き始めてから三十余年。
まだまだ「追っ掛け」続けたいと思う。
 
 
posted by 小澤和也 at 23:20| Comment(0) | 日記

2016年11月27日

プロメテウスからエロイカへ

 
楽都ウィーンで交響曲作曲家としての地位を確立しつつあったベートーヴェン。
1800年初頭〜01年春にかけてバレエ音楽『プロメテウスの創造物』を作曲、そのフィナーレ(第16曲) に登場するのが "あの" 旋律である。
 
[プロメテウスの創造物Op.43〜第16曲 (冒頭)]
 
同時期に書かれたとされる『12のコントルダンス』の第7曲にも、同じメロディが用いられている。
よほどお気に入りのフレーズだったのだろう。
 
[12のコントルダンスWoO.14〜第7曲]
 
ギリシャ神話に登場するティタン族の英雄・プロメテウス。
天上の火を人間に与えたために最高神ゼウスの怒りを買い、カウカソス山頂に鎖で繋がれ生きながらにして大鷲に内臓をついばまれるというという責め苦を強いられたという。
その彼が水と泥から2つの人形を作り、これらに生命を吹き込むことにより人類が誕生したとされる。
いうまでもなく、プロメテウスの創造物=人類 である。
 
 
1802年 (「ハイリゲンシュタットの遺書」が認められた年)、ベートーヴェンは『15の変奏曲 (フーガ付き)』を作曲。
楽譜出版社に "全く新しい流儀で書いた" と手紙で伝えた意欲作である。
 
 
[15の変奏曲 (フーガ付き) op.35〜冒頭のバス主題 (上) および旋律主題 (下)]
 
ベートーヴェンはまず、お気に入りの主題の低音部のみを登場させ、幾つかの変奏を施した後おもむろにメロディを呈示する。
〜ここに "エロイカ" 交響曲フィナーレの原型が姿を見せることになるのだ。
彼のスケッチ帳に "エロイカ" の楽想が現れるのは1803年の初頭から、そして完成は翌04年春と推定されている。
 
ナポレオンを介して理想の英雄像を探究するひとつの "物語" のようなこの交響曲、そしてミューズの住地パルナソス山へ泥人形を運び、審美的教育によって彼らに人間的な性格を与えたプロメテウス。
両者の存在はベートーヴェンの思い描く理想のなかで互いに響き合っていたに違いない。
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 23:59| Comment(0) | 日記