2017年01月08日

雌伏の日々のモーツァルト ふたたび

 
いま手掛けているハ長調交響曲K.338 (旧全集:34番) について感じたことを記しておこうと思い、「雌伏の日々のモーツァルト」という見出しを考えついたのだが...
なんと三年前 (2014/4/18) に同じタイトルでブログを書いていた。
僕はよほどこの時期 (1779-80年) の作品が好きなようである(苦笑)。
 
この交響曲、スコアの第1ページには
「1780年8月29日、ザルツブルク」とある。
おそらくは完成の日付であろう。
彼の雇い主であるコロレド大司教の意向で交響曲やミサ曲を「短く」作曲しなければならなかったこの頃のモーツァルト。
遺された最終形としてはメヌエットを欠く3楽章構成であり、ソナタ形式の第1楽章呈示部には通常あるはずの繰り返しの指示がない。
 
このような状況下においても、モーツァルトの音楽は美しく、決して明るさを失わない。
オーボエ、ファゴット、ホルンに加えてトランペットとティンパニを用いた第1楽章は壮麗な行進曲風の調子で始まり、終始跳びはねるような曲想に溢れている。
同じ楽器編成の第3楽章はこれまた速いテンポの6/8拍子、畳み掛けるような無窮動のフィナーレである。
 
これらと対照的なのが第2楽章アンダンテ・ディ・モルト (後に作曲者自身の手で "アレグレットに近く" と追記された) だ。
弦五部+ファゴットのみで奏でられる極めてintimateな音楽。
さらにこの楽章を特徴付けているのが、二分割されたヴィオラである。
これによってTuttiの響きが、えも言われぬ陰翳を帯びてくる。
 
 
ここからすぐに連想されるのが、三年前の拙ブログでも触れた協奏交響曲変ホ長調 K.364の第2楽章だ。
この時期の彼の心中を表す象徴的な響きであったのだろうか。
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 23:59| Comment(0) | 日記

2017年01月01日

新年のご挨拶

 
 
新年明けましておめでとうございます。
 
2017年がみなさまにとって
素晴らしい一年となりますように。
 
いま一度原点に立ち返り、力を蓄えつつ音楽と真摯に向き合う一年とする所存です。
 
本年も「音楽ノート」をよろしくお願いいたします。
 
2017年 元日
小澤和也
 
 
 
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2016年12月26日

ブロムシュテットさんの『第九』

 
 
N響創立90周年記念
ベートーヴェン「第9」演奏会 を聴く。
(23日、NHKホール)
 
この機会は逃したくなかった。
チケット発売初日に席を押さえ、この日が来るのをひたすら待っていた。
 
 
 
早足で颯爽と登場するマエストロ。
昨年のN響定期公演での第1、第2交響曲、そしてエロイカを聴いて想像していたとおり、基本テンポを速めにとったストイックなベートーヴェン演奏である。
譜面台の上には閉じられたままのベーレンライター版のスコア。
(ブロムシュテットさんがこれを開くことはない)
 
第1楽章は推進するエネルギーを注入し続けるマエストロの指揮と、確実に歩を進めようとするオーケストラとの間で息がピタリと合った(!)、奇跡的なまでに絶妙なテンポをもって始まり、その求心力は終始損なわれることがない。
この第1楽章にこれほどまでに「(楽曲構成的な) 隙の無さ」を感じたのは不覚にも初めてであった。
 
続く第2楽章。
対向配置の弦楽セクションが織りなす冒頭のフガートは音響的にはもちろん、視覚的にも愉しい。
そして、通常省略されることの多いスケルツォ主部後半のリピート (159-399小節) をブロムシュテットさんは楽譜どおりに実行する。
楽曲のフォルムはやはりこのほうが断然美しいと、聴きながら改めて確信した。
 
第3楽章の速度指示は実に演奏家泣かせだ (と僕は思っている)。
主部は "Adagio molto e cantabile" なのに (敢えて「なのに」と書かせていただく) 四分音符=60、副次部は "Andante moderato" で四分音符=63、なのだ。
だから、往年の名指揮者たちはしばしば、このアダージョを非常にゆっくりと演奏する。
しかしブロムシュテットさんはここでもスコアに忠実であった。
曲の冒頭、一瞬アンサンブルが乱れる。
変な言い方なのだが...とても解る気がした。
オーケストラはすぐに立て直し、それ以降はこのうえなく美しい、まさに極楽境の如き音楽を奏でてゆく。
(もっとずっと聴いていたかった、というのが本音である)
 
そしていよいよ第4楽章へ。
東京オペラシンガーズによる合唱が何といっても素晴らしかった...特にアルトの響き!
冒頭の決然たるレチタティーヴォ、同じく低弦に始まる「歓喜の主題」の気高さ、超速のマーチ (テノール独唱が弱かったのが残念) とそれに続くオーケストラのポリフォニーのせめぎ合いetc. と素晴らしい瞬間の連続であったが、なかでも僕が思わずハッと息を飲んだのが第627小節〜の楽節である。
(コーラスが "Ihr stürzt nieder, Millionen?" と歌うその直前)
ヴァイオリンとコントラバスが沈黙し、ヴィオラとチェロのみが木管を伴って神秘的なコラールを奏するこの部分、対向配置では両弦楽器と木管がステージ中央に集まり、精妙に融け合った響きをつくり出すのだ!
 
音楽を「体験」する。
コンサートへ出かけてこのような気分になったのは久々だ。
ブロムシュテットさんの『第九』...忘れられぬ、否、忘れたくない演奏会であった。
僕の目指す音楽に最も近い (もちろんそれは遥か彼方にあるのだが) ものが、あの演奏の中にはあったのだ。
 
 
 
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 08:46| Comment(0) | 日記

2016年12月19日

「エロイカ」を振りながら

 
 
湘南アマデウス合奏団のプローべへ。
(18日、藤沢市内)
来春の演奏会へ向けての本格的な練習がこの日からスタート。
この半年は「エロイカ」交響曲を中心に何回かの合奏をご一緒する。
 
第1楽章はソナタ形式。
ロマン的情感がいまにもあふれてこぼれ落ちそうな、その一歩手前ギリギリで (それでもしっかりと) 均衡を保っている、エネルギーに満ち満ちた音楽だ。
気分に溺れてしまうことなく造形美の実現を目指す...決して簡単ではないけれど、なんとやり甲斐のある表現行為だろう。
 
悲哀を帯びた、それでいて高貴な佇まいを損なうことなく綴られる第2楽章「葬送行進曲」、3本のホルンが大活躍する野趣に富んだ第3楽章スケルツォを経て、音楽はフィナーレへと一気に流れ込む。
 
その終楽章の "器" にベートーヴェンは、(ソナタでもロンドでもなく) 変奏曲を選んだ。
旋律主題はバレエ音楽『プロメテウスの創造物』で用いられたもの。
 
 
楽章中盤に入ると、音楽はにわかに熱を帯びてくる。
フガート部を経てクライマックスへ。
そしてPoco andanteの大団円へと到達する部分を指揮していて、僕はこのうえない幸福感を覚えたのだった...創造主の存在を確信するかの如くに。
 
『expression という言葉は元来、物を圧し潰して中身を出すという意味の言葉だ。古典派の時代は形式の時代であるのに対し、浪漫派の時代は表現の時代である。圧し潰して出す中身というものを意識しなかった時代から、自明な客観的形式を破って、動揺する主観を圧し出そうという時代に移る。形式の統制の下にあった主観が動き出し、何も彼も自分の力で創り出さねばならぬという、非常に難しい時代に這入るのであります。ベエトオヴェンは、こういう時代の転回点に立った天才であった。』
(小林秀雄「表現について」より自由に引用)
 
ベートーヴェンの音楽は、やはり僕にとってのライフワークだ。
 
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2016年12月03日

立川『カルメン』Tシャツ

 
 
 
立川市民オペラ『カルメン』
合唱団員UさんのデザインによるTシャツ、完成!
 
 
背面デザイン。
 
 
イイネ!
 
 
オペラ「カルメン」の魅力〜合唱で綴るミニコンサートが12月15日(木)に開催されます。
19:00開演、たましんRISURUホール (立川市市民会館) 小ホールにて。
入場無料ですが整理券 (ホール窓口で配布) が必要とのこと。
 
みなさまのご来場をお待ちしております。
 
 
 
 
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 01:38| Comment(0) | 日記

2016年11月30日

フルトヴェングラー没後62年

 
本日11月30日は名指揮者ヴィルヘルム・フルトヴェングラーの命日。
すっかり恒例となった「メモリアルデーにCDを引っ張り出して聴く」儀式、今回選んだのはブラームスの第1交響曲。
ウィーンフィルとの録音 (1947年11月) である。
 
 
ここ数年、WFのディスクの中で好んで聴くのはもっぱら彼のセッション録音だ。
「ライヴこそWFの真骨頂!」「WFのセッション録音は不完全燃焼」などとよく言われるが、そうとも限らないと僕は思う。
 
重さと濃さを強く感じさせる第1楽章。
アゴーギクは遅くなる方向へのみ働く。
唯一の例外が再現部ラストのaccelerando。
第2楽章に入っても、遅く張り詰めたテンポ感は変わらない。
再現部直前でさらに速度を落とす...ほとんど停止寸前まで。
 
第3楽章、ここでようやくcomodoな気分となるが、コーダで音楽はやはり沈み込む...空に憧れつつも。
そして第4楽章へ。
序奏部のテンポ操作が実に理知的、例のトロンボーンのコラールは霊妙な美しさ。
Allegroに入っていよいよWF節!
ただし節度を持って。
 
ライヴ録音と異なり、劇性を殊更に強調することはないが、指揮者の意志の力が強く張り巡らされている。
オーケストラのサウンドからもWFの「ブラームス観」が伝わってくるかのよう。
繰り返し聴くに値する演奏ではないだろうか。
 
彼のレコードを聴き始めてから三十余年。
まだまだ「追っ掛け」続けたいと思う。
 
 
posted by 小澤和也 at 23:20| Comment(0) | 日記

2016年11月27日

プロメテウスからエロイカへ

 
楽都ウィーンで交響曲作曲家としての地位を確立しつつあったベートーヴェン。
1800年初頭〜01年春にかけてバレエ音楽『プロメテウスの創造物』を作曲、そのフィナーレ(第16曲) に登場するのが "あの" 旋律である。
 
[プロメテウスの創造物Op.43〜第16曲 (冒頭)]
 
同時期に書かれたとされる『12のコントルダンス』の第7曲にも、同じメロディが用いられている。
よほどお気に入りのフレーズだったのだろう。
 
[12のコントルダンスWoO.14〜第7曲]
 
ギリシャ神話に登場するティタン族の英雄・プロメテウス。
天上の火を人間に与えたために最高神ゼウスの怒りを買い、カウカソス山頂に鎖で繋がれ生きながらにして大鷲に内臓をついばまれるというという責め苦を強いられたという。
その彼が水と泥から2つの人形を作り、これらに生命を吹き込むことにより人類が誕生したとされる。
いうまでもなく、プロメテウスの創造物=人類 である。
 
 
1802年 (「ハイリゲンシュタットの遺書」が認められた年)、ベートーヴェンは『15の変奏曲 (フーガ付き)』を作曲。
楽譜出版社に "全く新しい流儀で書いた" と手紙で伝えた意欲作である。
 
 
[15の変奏曲 (フーガ付き) op.35〜冒頭のバス主題 (上) および旋律主題 (下)]
 
ベートーヴェンはまず、お気に入りの主題の低音部のみを登場させ、幾つかの変奏を施した後おもむろにメロディを呈示する。
〜ここに "エロイカ" 交響曲フィナーレの原型が姿を見せることになるのだ。
彼のスケッチ帳に "エロイカ" の楽想が現れるのは1803年の初頭から、そして完成は翌04年春と推定されている。
 
ナポレオンを介して理想の英雄像を探究するひとつの "物語" のようなこの交響曲、そしてミューズの住地パルナソス山へ泥人形を運び、審美的教育によって彼らに人間的な性格を与えたプロメテウス。
両者の存在はベートーヴェンの思い描く理想のなかで互いに響き合っていたに違いない。
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 23:59| Comment(0) | 日記

2016年11月19日

秘曲!"松江町歌"

 
 
「間近し青空 まさに起つべし〜」
合唱団あしべが目下練習中の歌である。
 
我々が拠点とする江戸川区松江、この地名の由来は1889(明治22)年の市町村制施行に遡るのだそうだ。
このときに小松川村と西一之江村とが合併して「松江村」が誕生、その後「松江町」となったのが大正15(1926)年4月のことである。
 
昭和4(1929)年、小岩にゆかりのある北原白秋(一年ほど住んでいたことがあるそうな) に作詞を、そして山田耕筰に作曲を依頼、松江町歌が作られた。
...そう、「からたちの花」「この道」「ペチカ」など数多くの名曲を生んだゴールデンコンビである。
 
これは歌ってみたい!
団員Kさんが楽譜を含めた資料を集めてくださった。
 
1番の詞はこのようなものである。
 
間近し青空 まさに起つべし
誓って創らむ 理想の自治体
運河は到れり 野に水明れり
われらがこの町 人は和したり
輝け 新都市 起てよ松江
松江 松江 わかき松江
 
(漢字およびかなの表記は現代のものに改めた)
 
以下3番まで続くのだが、「自給の生活」「蔬菜」「未来の光芒」etc. と、時代の息吹をひしひしと感じる言葉が並ぶ。
対する山田耕筰の音楽はリズム、和声ともに思いの外モダンな香りがする。
そこがまた興味深い。
 
ところが...
3年後の昭和7(1932)年10月、この松江町歌は歴史の表舞台から姿を消すことになる。
当時の周辺7ヶ町村 (小松川町・松江町・小岩町・鹿本村・篠崎村・瑞江村・葛西村) が合併して江戸川区が誕生したのだ。
あくまで想像だが、松江町歌が歌われる機会はこれによりほぼ無くなったであろう。
 
いささか蒼然とした歌詞に面食らいつつも、あしべのメンバーは楽しく歌ってくださっている。
どこかで披露する予定があるわけでもないが、"かつてこういう歌があってね..." と心の隅に置いておくだけでも良いかな、と思っている。
 
もちろん "お座敷" がかかれば、いつでも歌いに参ります!
 
2016年10月、
江戸川区合唱祭でのワンショット。
 
 
 
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 15:53| Comment(0) | 日記

2016年11月08日

二十五絃筝のしらべ

 
 
山本亜美 二十五絃筝リサイタル
〜紡ぐ、筝、歌〜 を聴く。
(2日、近江楽堂)
 
ご案内くださったのは、僕が音大に通っていた頃からの友人で作曲家の森亜紀さん。
今回、森さんが二十五絃筝のために書かれた新曲が初演されるということで、期待を胸に会場へ。
 
 
新しい「筝」というと宮城道雄氏の開発した十七絃筝くらいしか思い浮かばなかったのだが、この二十五絃筝は制作されてからようやく25年になるのだそうだ。
 
この日演奏されたのは以下の6作品。
記憶 improvisation 
森亜紀/3つのスケッチ (初演)
湯浅譲二/筝歌「雪はふる」
高橋久美子/「思ひ出」より (初演)
新実徳英/万葉・恋の譜T(改定初演)
森亜紀/つむぐ
 
あたかも会場の温度や湿度、空気の震え具合などを一つ一つ確かめていくかのごとく、おもむろに山本さんの即興演奏が始まる。
その響きは僕の想像をはるかに超えて、玲瓏として澄みきっていた。
もちろん、ここぞという瞬間にはその指先に力を込め硬い (そしてやや歪ませた) 音を奏でる...そのコントラストがえも言われぬ表現の幅広さを感じさせるのだ。
 
森さんの新作は「光のスケッチ」「水のスケッチ」「風のスケッチ」の3曲からなっている。
『ここ (近江楽堂) で演奏されることを念頭に、ひたすら響きにこだわった』と作曲家ご自身がおっしゃっていたとおり、実に彩り豊かな佳品。
そしてリサイタルの "トリ" を飾った「つむぐ」は『山本亜美さんをイメージして書いた作品 (プログラムノートより)』だけあって、楽曲に込められた愛情がすさまじいほどに溢れていた。
それはおそらく奏でる側の山本さんにとっても同じだったのではないだろうか...圧倒的なエネルギーが作品へ注ぎ込まれているように感じられた。
 
その他の曲ではやはり、湯浅氏の「雪はふる」が圧巻。
表現の深さ、そしてそこに選ばれた音色たちの精妙さといったら...!
『海にもゆかな 野にゆかな
かへるべもなき身となりぬ ...』
三好達治の詩との調和も味わい深かった。
 
また高橋氏、新実氏の作品でゲスト出演された青山恵子さん (メゾソプラノ)、そのお声の美しさはもちろんのこと、発せられる "ことば" の明瞭さと表現力の強さに心底感嘆した。
北原白秋の懐かしさを帯びた美しい詩、そして万葉の歌人たちによる雅で素朴なうたが、言葉の粒となって聴く者の心を撃ち抜いてゆくかのようであった。
 
今回、不勉強な僕にこのような新鮮な体験を与えてくださった山本亜美さんと森亜紀さんに、心からの感謝を申し上げたい。
 
 
posted by 小澤和也 at 22:48| Comment(0) | 日記

2016年11月01日

(ワーグナー × ニーチェ) ÷ 茂木健一郎

 
茂木健一郎さんの講演会へ。
(10/28、日比谷図書文化館大ホール)
 
タイトルは
「ワーグナーとニーチェを語る〜感動と癒しのメカニズム〜」。
『私の精神形成上における二人の恩人』(D. F=ディースカウ著「ワーグナーとニーチェ」(ちくま学芸文庫) 巻末の解説より) と公言する茂木さんがこの二大巨匠についてどんなお話をなさるのか、始まる前から興味津々。
また一方で、茂木さんのお喋りがどう脱線してどう戻ってくるか (或いは戻ってこないか) も、僕の密かな楽しみだった。
 
果たして、講演は強烈な刺戟と「目からウロコ」に溢れた楽しいものであった。
それはあたかも、「即興をひたすら仕掛けてくるヴァイオリン・ソロ (独奏者はもちろん茂木さん) に必死につけていくオーケストラを僕が指揮している」ような気分にさせてくれた。
 
お話の内容をここにつらつらと書いても面白くないので (講演の録音を茂木さんご自身がYouTubeにあげていらっしゃるようでもあるし)、代わりに僕が講演を聞きながら取ったメモ書きを残しておこうと思う。
(それだってちっとも面白くない!というツッコミはひとまず措いて)
 
 
 
vrijdag 28. october
日比谷オペラ塾  Fenice劇場友の会
茂木健一郎氏
 
ジークフリート第3幕、もっともニーチェ的な音楽
 
『悲劇の誕生』を書いちゃったニーチェ
 
ルサンチマン  キリスト教の本質
 
古代ギリシア/ワーグナーの楽劇
 
J. ジョイス
 
永劫回帰
 
運命愛
 
自分の「らしさ」を捨てられる人=天才
 
日の丸盆
 
ビートルズ、お墨付き、マイスタージンガーのヴァルターの歌
 
岸見一郎  アドラー心理学
 
大英博物館  ケンタウロス像
 
古代ギリシアの精神を現代に復活させようとしたのがニーチェとワーグナー
 
ヴァルキューレ第3幕、魔の炎
ばらの騎士、三重唱
 
(メモ書きここまで)
 
 
きっと茂木さんご自身、言葉にするよりも圧倒的に速いペースで矢継ぎ早にいろいろな物事が頭に浮かんでいるのだろうなと感じた。
あのモーツァルトの「音符を書き留めるペンの動きが、よどみなく浮かぶ楽想の速さに追いつかない」という有名な逸話のように...
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 15:17| Comment(0) | 日記