2016年11月19日

秘曲!"松江町歌"

 
 
「間近し青空 まさに起つべし〜」
合唱団あしべが目下練習中の歌である。
 
我々が拠点とする江戸川区松江、この地名の由来は1889(明治22)年の市町村制施行に遡るのだそうだ。
このときに小松川村と西一之江村とが合併して「松江村」が誕生、その後「松江町」となったのが大正15(1926)年4月のことである。
 
昭和4(1929)年、小岩にゆかりのある北原白秋(一年ほど住んでいたことがあるそうな) に作詞を、そして山田耕筰に作曲を依頼、松江町歌が作られた。
...そう、「からたちの花」「この道」「ペチカ」など数多くの名曲を生んだゴールデンコンビである。
 
これは歌ってみたい!
団員Kさんが楽譜を含めた資料を集めてくださった。
 
1番の詞はこのようなものである。
 
間近し青空 まさに起つべし
誓って創らむ 理想の自治体
運河は到れり 野に水明れり
われらがこの町 人は和したり
輝け 新都市 起てよ松江
松江 松江 わかき松江
 
(漢字およびかなの表記は現代のものに改めた)
 
以下3番まで続くのだが、「自給の生活」「蔬菜」「未来の光芒」etc. と、時代の息吹をひしひしと感じる言葉が並ぶ。
対する山田耕筰の音楽はリズム、和声ともに思いの外モダンな香りがする。
そこがまた興味深い。
 
ところが...
3年後の昭和7(1932)年10月、この松江町歌は歴史の表舞台から姿を消すことになる。
当時の周辺7ヶ町村 (小松川町・松江町・小岩町・鹿本村・篠崎村・瑞江村・葛西村) が合併して江戸川区が誕生したのだ。
あくまで想像だが、松江町歌が歌われる機会はこれによりほぼ無くなったであろう。
 
いささか蒼然とした歌詞に面食らいつつも、あしべのメンバーは楽しく歌ってくださっている。
どこかで披露する予定があるわけでもないが、"かつてこういう歌があってね..." と心の隅に置いておくだけでも良いかな、と思っている。
 
もちろん "お座敷" がかかれば、いつでも歌いに参ります!
 
2016年10月、
江戸川区合唱祭でのワンショット。
 
 
 
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 15:53| Comment(0) | 日記

2016年11月08日

二十五絃筝のしらべ

 
 
山本亜美 二十五絃筝リサイタル
〜紡ぐ、筝、歌〜 を聴く。
(2日、近江楽堂)
 
ご案内くださったのは、僕が音大に通っていた頃からの友人で作曲家の森亜紀さん。
今回、森さんが二十五絃筝のために書かれた新曲が初演されるということで、期待を胸に会場へ。
 
 
新しい「筝」というと宮城道雄氏の開発した十七絃筝くらいしか思い浮かばなかったのだが、この二十五絃筝は制作されてからようやく25年になるのだそうだ。
 
この日演奏されたのは以下の6作品。
記憶 improvisation 
森亜紀/3つのスケッチ (初演)
湯浅譲二/筝歌「雪はふる」
高橋久美子/「思ひ出」より (初演)
新実徳英/万葉・恋の譜T(改定初演)
森亜紀/つむぐ
 
あたかも会場の温度や湿度、空気の震え具合などを一つ一つ確かめていくかのごとく、おもむろに山本さんの即興演奏が始まる。
その響きは僕の想像をはるかに超えて、玲瓏として澄みきっていた。
もちろん、ここぞという瞬間にはその指先に力を込め硬い (そしてやや歪ませた) 音を奏でる...そのコントラストがえも言われぬ表現の幅広さを感じさせるのだ。
 
森さんの新作は「光のスケッチ」「水のスケッチ」「風のスケッチ」の3曲からなっている。
『ここ (近江楽堂) で演奏されることを念頭に、ひたすら響きにこだわった』と作曲家ご自身がおっしゃっていたとおり、実に彩り豊かな佳品。
そしてリサイタルの "トリ" を飾った「つむぐ」は『山本亜美さんをイメージして書いた作品 (プログラムノートより)』だけあって、楽曲に込められた愛情がすさまじいほどに溢れていた。
それはおそらく奏でる側の山本さんにとっても同じだったのではないだろうか...圧倒的なエネルギーが作品へ注ぎ込まれているように感じられた。
 
その他の曲ではやはり、湯浅氏の「雪はふる」が圧巻。
表現の深さ、そしてそこに選ばれた音色たちの精妙さといったら...!
『海にもゆかな 野にゆかな
かへるべもなき身となりぬ ...』
三好達治の詩との調和も味わい深かった。
 
また高橋氏、新実氏の作品でゲスト出演された青山恵子さん (メゾソプラノ)、そのお声の美しさはもちろんのこと、発せられる "ことば" の明瞭さと表現力の強さに心底感嘆した。
北原白秋の懐かしさを帯びた美しい詩、そして万葉の歌人たちによる雅で素朴なうたが、言葉の粒となって聴く者の心を撃ち抜いてゆくかのようであった。
 
今回、不勉強な僕にこのような新鮮な体験を与えてくださった山本亜美さんと森亜紀さんに、心からの感謝を申し上げたい。
 
 
posted by 小澤和也 at 22:48| Comment(0) | 日記

2016年11月01日

(ワーグナー × ニーチェ) ÷ 茂木健一郎

 
茂木健一郎さんの講演会へ。
(10/28、日比谷図書文化館大ホール)
 
タイトルは
「ワーグナーとニーチェを語る〜感動と癒しのメカニズム〜」。
『私の精神形成上における二人の恩人』(D. F=ディースカウ著「ワーグナーとニーチェ」(ちくま学芸文庫) 巻末の解説より) と公言する茂木さんがこの二大巨匠についてどんなお話をなさるのか、始まる前から興味津々。
また一方で、茂木さんのお喋りがどう脱線してどう戻ってくるか (或いは戻ってこないか) も、僕の密かな楽しみだった。
 
果たして、講演は強烈な刺戟と「目からウロコ」に溢れた楽しいものであった。
それはあたかも、「即興をひたすら仕掛けてくるヴァイオリン・ソロ (独奏者はもちろん茂木さん) に必死につけていくオーケストラを僕が指揮している」ような気分にさせてくれた。
 
お話の内容をここにつらつらと書いても面白くないので (講演の録音を茂木さんご自身がYouTubeにあげていらっしゃるようでもあるし)、代わりに僕が講演を聞きながら取ったメモ書きを残しておこうと思う。
(それだってちっとも面白くない!というツッコミはひとまず措いて)
 
 
 
vrijdag 28. october
日比谷オペラ塾  Fenice劇場友の会
茂木健一郎氏
 
ジークフリート第3幕、もっともニーチェ的な音楽
 
『悲劇の誕生』を書いちゃったニーチェ
 
ルサンチマン  キリスト教の本質
 
古代ギリシア/ワーグナーの楽劇
 
J. ジョイス
 
永劫回帰
 
運命愛
 
自分の「らしさ」を捨てられる人=天才
 
日の丸盆
 
ビートルズ、お墨付き、マイスタージンガーのヴァルターの歌
 
岸見一郎  アドラー心理学
 
大英博物館  ケンタウロス像
 
古代ギリシアの精神を現代に復活させようとしたのがニーチェとワーグナー
 
ヴァルキューレ第3幕、魔の炎
ばらの騎士、三重唱
 
(メモ書きここまで)
 
 
きっと茂木さんご自身、言葉にするよりも圧倒的に速いペースで矢継ぎ早にいろいろな物事が頭に浮かんでいるのだろうなと感じた。
あのモーツァルトの「音符を書き留めるペンの動きが、よどみなく浮かぶ楽想の速さに追いつかない」という有名な逸話のように...
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 15:17| Comment(0) | 日記

2016年10月31日

2つの合唱祭

 
 
立川市民オペラ合唱団の皆さんと市民合唱祭に出演。
(30日、たましんRISURUホール)
 
今年は『カルメン』〜ハバネラ&第4幕の合唱を演奏した。
舞台上は山台やピアノ、指揮台があって思いのほか狭かったのだが、合唱団のメンバーはそれをものともせず動き回りながらの熱唱。
この日カルメンを歌ってくださった実川裕紀 (MSop) さん、ありがとうございました。
 
演奏後の余韻を味わう間もなく、急ぎ移動開始。
二年ぶりに同日開催となってしまった江戸川区合唱祭へ向かう。
(タワーホール船堀)
 
会場で合唱団あしべの皆さんと無事合流。
今回は唱歌『紅葉』、そして『ホームソングメドレー・イタリア編』を披露した。
メドレーの終曲『オ・ソーレ・ミーオ』では2番の歌詞を原語 (イタリア語) に変更して挑戦!
練習を始めたばかりの頃は尻込みしていたメンバーも、本番のステージでは自信たっぷりに
"Che bella cosa na jurnata è sole〜"!
気持ちよく歌い切ることができた。
 
両合唱団のみなさん、お疲れさまでした。
これからも楽しく歌っていきましょう!
 
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 22:44| Comment(0) | 日記

2016年10月25日

光は希望 その光あふれる陵に

 
 
秋の恒例行事、第11回青春かながわ校歌祭に今年も参加。
(15日、神奈川県立青少年センターホール)
 
同窓生による総勢約30名の混声四部合唱で、校歌と応援歌を高らかにうたう。
 
懐かしの紅葉坂。
 
 
 
本番当日。
ホール入りの前に、近くのスタジオを借りて声出し&最終確認。
 
 
 
 
 
 
合唱団の指導を仰せつかって三年目、校歌祭本番を振るのは昨年に続いて二回目となった。
声楽パートのみならずピアノ伴奏までもが緻密な筆致で書かれているこの『光陵高校の歌』、どれだけ歌っても飽きることがなく、常に "さらなる高みを目指したくなる" ような音楽なのだ。
 
来年もまた、校歌&応援歌をこよなく愛する同窓諸兄とともに (そしてできれば在校生の皆さんとも一緒に)、楽しく歌えたらと思っている。
 
 
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 21:26| Comment(2) | 日記

2016年10月17日

As Time Goes By

 
第70回記念 二紀展を鑑賞する。
(16日、国立新美術館)
 
 
 
ユニークな野外彫刻の数々。
 
こちらは室内の彫刻室。
そして...
 
 
こちらは室内の彫刻室。
醍醐孝代さんの作品、
"As Time Goes by"。
 
 
醍醐さんは、僕が学生時代に籍を置いていた混声合唱団での仲間のおひとり。
 
 
 
醍醐さんの彫像からは、いつも音楽が聴こえてくる。
今回、作品を観ながら思い出したのは...わがペーテル・ブノワの「幻想曲変ロ短調 op.18」だった。
(ブノワ作品中、例外的に有名なピアノ小品。YouTubeでも聴くことができる)
まず間違いなく醍醐さんはこの曲をご存じないとは思うけれど...
 
 
 
 
 
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 21:37| Comment(2) | 日記

2016年10月14日

ネーデルラント小史

 
 
 
僕が使っているオランダ語参考書 (オランダ語の基礎/白水社刊) のとあるページに、「ネーデルラント小史」と題した短い文章がある。
もちろんオランダ語だが、ネーデルラント (現在のベルギーおよびオランダのある地域) の歴史について実に簡潔に、そして分かりやすく述べられているのだ。
参考書の巻末にある本文の和訳から自由に引用させていただき、ここに紹介したいと思う。
 
 
かつてネーデルラントにはゲルマン民族が住んでいました。紀元前56年にカエサルがネーデルラントの大部分を征服し、この地域はローマ帝国の一部分になりました。
その後、フランク族がこの地域を征服しました。フランク族はフランク語、現在のオランダ語を話していました。ネーデルラントはフランク王国、後のフランス王国の一部分となりました。
 
中世にはフランドルの諸大都市はヨーロッパでもっとも豊かな貿易中心地でした。15世紀にネーデルラントはブルゴーニュ王国の一部になり、黄金時代を迎えました。
16世紀にはネーデルラントはハプスブルク帝国の一部分になりました。この時期にネーデルラントの大部分はプロテスタントで、スペインのカトリック王に対して反乱を起こしました。しかし、スペインの軍隊はネーデルラントの南部を奪還することに成功しました。
ネーデルラントの北部はスペイン人を止めることができ、独立共和国となりました。この共和国はヨーロッパのもっとも重要な貿易大国となり、全世界へ商船を送りました。南部はハプスブルク帝国の一部にとどまりました。
 
1795年にナポレオンがネーデルラントを征服しました。1815年に、ナポレオンのワーテルローでの敗北の後、ネーデルラントの北部および南部は王ウィレム1世の支配下で再び統一国家となりました。
しかし、南部ネーデルラントはウィレム1世の方針に不満で反乱を起こしました。これがベルギーの独立につながりました。この時からネーデルラントは2つの独立した国家からなります。
(引用ここまで)
 
 
貿易・商業の要衝であったことから「ヨーロッパの十字路」とも呼ばれ、常に周辺大国から狙われ数々の戦いの舞台となってきたネーデルラント。
ことにベルギーは、言語の線引きと宗教上の線引きが複雑に絡み合い、隣国フランスおよびオランダ (もとはひとつの国!) と絶妙なバランスをもって位置している。
ベルギー王国の波瀾の歴史、興味は尽きない。
 
ちなみに、我がペーテル・ブノワが生まれたのはベルギー独立の4年後、1834年である。
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 18:01| Comment(0) | 日記

2016年10月10日

Dona nobis pacem

 
バッハ『平均律クラヴィーア曲集第2巻』
〜フーガ ホ長調 (BWV878)
 
先日のヴィルタス・クヮルテット演奏会でアンコールに演奏されたこのフーガ。
四梃の弦楽器による祈りに満ちた響きがホールを満たしていた。
そして、僕の頭の中では "Dona nobis pacem (我らに平和を与えたまえ)" の言葉が渦巻いていた。
 
終演後、これがモーツァルトによる編曲であるということを知る。
バロック期の音楽作品を研究していた頃のモーツァルトが、バッハの『平均律』から幾つかのフーガを弦楽四重奏用に編んだのだそうだ。
(その中の5曲が "KV405" としてまとめられている...ホ長調フーガはその第3曲)
 
そのモーツァルトに倣って、とは甚だ僭越な物言いであるが、この美しいフーガに "Dona nobis pacem" の歌詞を付け無伴奏混声四部にしたものを書いた。
いつかどこかで演奏できたら、と思っている。
 
posted by 小澤和也 at 12:45| Comment(0) | 日記

2016年10月08日

"うたうバッハ" ふたたび

 
 
2011年の来日公演で演奏されたバッハ『フランス組曲第4番』の映像をTVで視聴して以来ずっと待ち焦がれていたマレイ・ペライアの同曲集の新録音がついにリリース!
さっそく入手する。
 
J.S.バッハの『フランス組曲』は1722年頃、ケーテン時代の作品である。
彼のクラヴィーア曲集の中では、イギリス組曲 (1715年頃作曲) とパルティータ (1726-30年頃作曲) のちょうど中間に位置することになる。
組曲としての規模は先に生まれたイギリス組曲よりも小ぶりで、対位法の綾もそれほど厳しくなくむしろ典雅な響きを持つ。
 
上記第4番から聴き始める。
ああ...やはり "うたうバッハ"。
楽曲自体の持つ端正なフォルムを一切崩すことなく、ペライアは各声部をじっくりと歌い上げてゆく。
続いて、全6曲中でもポピュラーな第5番ト長調へ。
冒頭のアルマンドから、うっとりと夢見るような響きに包まれる。
ガヴォットの柔らかく弾むリズムは、あたかもアンティークのオルゴールをかけているかのようだ。
 
ここでDisc 1へと戻る。
こちらに収められた組曲第1〜第3番はすべて短調の作品だ。
まず第1番ニ短調。
この調性特有の凛とした厳しい曲想にも、ペライアはそっと包み込むような優しい触感を施す。
特にサラバンドの美しさには思わずハッと息を飲んだ。
続く第2番ハ短調では、抑制された表情の楽章 (アルマンド、エアetc.) と運動的なクーラントやジーグなどとの鮮烈なコントラストが印象的。
第3番ロ短調は比較的地味な存在だが、第4楽章アングレーズ (イギリス風舞踏) でのリズムの微妙な揺らぎがユニークだ。
 
そして最後に第6番ホ長調を聴く。
全曲中もっとも規模の大きな作品である。
風格と華やかさを兼ね備えたこの曲に対し、ペライアはあるときは緻密に、またあるときは自由な伸びやかさをもって向き合う。
組曲の終盤、ブーレ〜ジーグと続くあたりでは、畳み掛けるようなリズムに軽く興奮すら覚えた。
 
...と、あっという間に6曲を聴き終える。
佳い音楽に触れることのできる満足感にあふれた、喜びと安らぎに満ち満ちたひとときであった。
 
 
 
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 01:15| Comment(0) | 日記

2016年09月28日

小金井音楽談話室でのベートーヴェン体験

 
 
第12回 小金井音楽談話室
ヴィルタス・クヮルテット
〜弦楽四重奏の愉しみ:はるかな高みへ、音の旅〜
を聴く。
(26日、宮地楽器ホール 小ホール)
 
演目はすべてベートーヴェン。
第3番ニ長調 op.18-3
第10番変ホ長調 op.74『ハープ』
第14番嬰ハ短調 op.131
の3曲。
実に贅沢なプログラムである。
 
演奏に先立ち、コンサートのディレクターである足立優司さんのお話を伺う。
音楽のみならず、こうして素晴らしい解説を聞くことができるのがこの「談話室」の大きな特徴であり魅力である、と僕は思っている。
 
『第3番』は実にダイナミックな演奏。
個人的にはもう少しハイドン/モーツァルト寄りの音楽をイメージしていたのだけれど (ベートーヴェンがいわゆる「エロイカ的飛躍」を遂げるのはもう少し先である)。
続く『ハープ』は、『アパッショナータ』『ラズモフスキー』『第5交響曲』に代表されるベートーヴェン中期様式の総決算の時期に書かれた、それでいてやや小規模な、愉悦に溢れた作品である。
それだけに「掴みづらい」曲なのだが、この日の演奏はケレン味なく真っ直ぐな、すっと腑に落ちるものであった。
 
そしていよいよ、メインである『嬰ハ短調』だ。
ヴィルタス・クヮルテットの皆さんの凄まじいほどに高められた集中力をもって、第1楽章のフーガが始まる。
奏者と聴衆とを繋ぐ、実に intimate な空間 (これもまた小金井音楽談話室の魅力だ) で展開されてゆく創造の営み。
これはもう、単に「聴く」「味わう」といったレベルのものではなく、まさにひとつの「音楽的体験」であった。
第4楽章の変奏曲には (この時間が永遠に続いてくれたら...) と思える瞬間があり、終楽章アレグロでは「ひとり荒野に決然と立つベートーヴェンの姿」が見えた気がした。
 
演奏終了後にふたたび足立さんのお話、そしてアンコールにバッハのフーガホ長調が演奏された。
聴きながらしばし陶然...
このときの気持ちはとても言葉にできない。
 
僕がそのときに抱いた思いを、その何倍もの説得力をもって足立さんがプログラムノートに書かれている。
お許しを得て、その一部をここに引用させていただこうと思う。
 
(...)ところで嬰ハ短調という調は楽譜の最初に、それ自体十字を二つ重ねたシャープ記号が4つ、対角線が十字にクロスする四角形に配置されます。ベートーヴェンが "ガリツィン四重奏曲" 3曲で追い求めた芸術的な高みを、さらに主体的に追求しようとした第14番の始まりは、非常に印象的なフーガ。この作品が書かれた背景に、バッハの〈平均律クラヴィーア曲集〉第1巻第4番嬰ハ短調、さらに同第2巻第7番ホ長調 (つまり嬰ハ短調と同じシャープ4つの平行長調)、この二つのフーガの存在があった、と考えても何ら不思議はありません。自らが十字架にかけられたかのような厳しさを表出する嬰ハ短調のフーガと、あたかも永遠の救いを待ち望むようなホ長調のフーガ。バッハが描いた、人の内面に果てしなく広がる小宇宙、人間の様々な心の表情は、まさにベートーヴェンの後期弦楽四重奏の世界と相通じるものであり、彼は14番を書くことによって自分なりにそれを表現したのではないかと考えられるのです。(...)
 
 
posted by 小澤和也 at 14:41| Comment(0) | 日記