2019年11月21日

我が懐かしの「月下の一群」<2>

 
 
単行本としての「月下の一群」は発刊以来幾度となく版を重ね、大學はその折々に詩に手を加えている。
主なものを挙げると、
 
1. 初版: 第一書房、1925年刊
2. 新編 月下の一群: 第一書房、1928年刊
=1.の増補改編
3. 白水社版: 白水社、1952年刊
=1.の全面改訳
4. 新潮文庫版: 新潮社、1955年刊
=3.に若干の加朱
 
ちなみに「男声合唱曲集・月下の一群」作曲にあたって南弘明氏が用いたテキストは主に「白水社版」である。
 
 
『輪踊り』  ポオル・フォル
 
世界ぢゆうの娘さんたちがみんな
手をつなぎ合ふ気にさへなつたら、
海をめぐつて輪踊りを、
踊る事さへ出来ように。
 
世界ぢゆうの若者たちがみんな
船乗りになる気にさへなつたら、
海に綺麗な舟橋を、
かけることさへ出来ように。
 
世界ぢゆうの人たちがみんな、
手を握り合ふ気にさへなったら、
地球をめぐつて輪踊りを、
踊る事さへ出来ように。
 
【白水社版「月下の一群」(1952年刊) を主たる底本とした講談社文芸文庫 (1996年刊) より引用。原文においては第3行『輪踊(わをど)り』のみルビが振られている】
 
 
今回はじめて「初版」と読み比べて、その余りの違いに驚いた。
白水社版がまさに「全面改訳」だったことが分かる。
以下にその全文を挙げてみよう。
 
 
『輪踊り』  ポオル・フオル
 
世の中の女の子たちが悉く
手をつなぎ合ふその時は、
海をめぐつて輪踊りを
踊る事さへ出来ませう。
 
世の中の男の子たちが悉く
船乗となるその時は
海に綺麗な舟橋を
かけ渡すことが出来ませう。
 
世の人たちが悉く
手を握り合ふその時は、
地球をめぐつて輪踊りを
踊る事さへ出来ませう。
 
【ルビの振り方は白水社版と同じ。旧漢字は現行のものに改めている】
 
 
世の中の→世界ぢゆう
悉く→みんな
その時は→気にさへなったら
出来ませう→出来ように  etc.
 
繰り返し用いられるこれらの語句の置き換えにより詩全体のイメージが大きく変化している。
特に「その時は〜出来ませう」から「気にさへなつたら〜出来ように」への変更は、読み手の心をよりダイナミックに揺さぶる。
それは “叶わぬ願望” のニュアンスの表出であろうか、あるいは “行動しようよ、きっとできるさ” といった、未来を見据えた強いメッセージなのかもしれない。
 
 
この詩は「月下の一群」初版に先立って彼の処女訳詩集「昨日の花」(1918年、籾山書店刊) に収められた。
詩の言葉は初版と概ね同じなのだが、行組みの扱いが異なるため印象がかなり変わってくる。
堀口大學全集にある解説に従って再現するとこのようになる...第三連はなんと一行だった!
 
 
ここにも詩人のこだわりを感じ取ることができよう。
(「昨日の花」と初版「月下の一群」での語句の違いは次の2点のみ。第1行「握り合ふ」および第3行「船乗り」)
 
 
個人的にはよくこなれた新しい訳 (白水社版) を断然支持するが、この詩にこうした「原型」があると知ることができたのは大きな収穫であった。
posted by 小澤和也 at 13:13| Comment(0) | 音楽雑記帳

2019年11月15日

我が懐かしの「月下の一群」<1>

 
「月下の一群」は、フランス近代詩人66名の詩340編が収められた、堀口大學 (1892-1981) による訳詩集 (初版は第一書房より、1925年刊) である。
昭和初期の日本において多くの若い詩人に大きな影響を与えた傑作だ。
 
僕がこの作品のことを知ったのは、詩集を実際に手に取るよりもはるか以前、学生時代に歌ったある合唱曲によってであった。
南弘明作曲「フランスの詩による男声合唱曲集・月下の一群(第1集)」である。
当時まだ二十歳そこそこであった僕には詩の鑑賞というものに対する興味も知識も全くといってよいほどなかったが、それでもこの曲を初めて歌った時に感じた、これらの詩のもつ西欧風の肌触り、さらにそこから美しく置き換えられた日本語の味わいは今でもよく覚えている。
 
この曲集には以下の5編の詩が用いられている。
1. 小曲 (シャヴァネックス)
2. 輪踊り (フォール)
3. 人の言うことを信じるな (ジャム)
4. 海よ (スピール)
5. 秋の歌 (ヴェルレーヌ)
(これらの表記は「月下の一群」楽譜に準拠)
 
僕にとって懐かしいこれらの詩について、30年ぶりに感じたり考えたりしたことを気ままに綴ってみようと思う。
 
 
『小曲』  フィリップ・シャヴァネックス
 
目を開くと
私には景色が見える、
目を閉すと
私にはお前の顔が見える。
 
【白水社版「月下の一群」(1952年刊) を主たる底本とした講談社文芸文庫 (1996年刊) より引用。原文においては『開(ひら)く』および『閉(とざ)す』にのみルビが振られている】
 
 
この詩は「月下の一群」初版に先立ち、「月夜の園 附刊 仏蘭西近代抒情小曲集」(1922年、玄文社刊) という単行本に収められている。
そこでは、第1行『ひらく』および第3行『とざす』がそれぞれひらがなで記されているそうである。
 
「月下の一群」初版においては、本文は白水社版と同じだが、2行目および4行目に句読点が付されていない。
(下の画像参照)
 
 
大學が折にふれて細部のかたちにこだわり続けた様子が見て取れる。
 
 
(詩の内容そのものについてではないのだが) 今回いくつかの版を見比べていてちょっと面白いことに気づいた...大學による作詩者名の表記である。
 
「月夜の園」...フェリックス・シャバネエス
「月下〜」初版...フイリツプ・シヤヴアネエ
「キユピドの箙」...フイリップ・シャヴアネ
白水社版「月下〜」...フィリップ・シャヴァネックス
 
と微妙に揺れているのだ。
(“フェリックス”とはどうしたことだろう...)
スペルは Philippe Chabaneix であるから、“シャバネー”“シャバネクス”あたりが近いのではないかと個人的には思うのだが。
海外の人名のカナ表記が昔から如何に難しいものであったかということなのだろう。
 
 
原題は “Présence”(存在)。
たった4行の短い作品だが、その中に優しい甘さと深い愛がこめられている。
大好きな詩だ。
 
 
 
posted by 小澤和也 at 23:33| Comment(0) | 音楽雑記帳

2019年10月01日

カリンニコフ(6): 悲しき歌

 
 
§ 悲しき歌  Chanson triste
 
作曲: 1892-93年
出版: 1901年、“ピアノのための4つの作品” の第1曲として
 
 
全24小節、2分足らずの可憐な小品。
4分の5拍子という珍しい拍子で書かれているが、終始 <3拍子+2拍子> という一定の周期の中での揺らぎであり、むしろある種の心地良さを感じる。
ギターや歌を好み、ヴァシリーの音楽的才能を目覚めさせた彼の父親に献呈された。
 
 
[第1-8小節]
昔語りのようなト短調の美しい旋律。
自然短音階的に上下行し、その表情は淡く静かな憂いを湛えている。
一方これを支える伴奏のハーモニーは和声的であるため、ところどころハッとするような瞬間が現れる。
(例えば第4小節の4-5拍目、および第8小節1-2拍目など)
 
 
 
[第9-16小節]
メロディの起伏がやや大きくなり、カリンニコフ作品の特徴でもある巧みな和声の運び (変ホ長調→ハ短調→ト長調)ともあいまって音楽は一瞬高まりを見せるが...それも束の間。
主調であるト短調のドミナント (属音) 上に落ち着き、はじめの旋律が回帰する。
 
 
[第17-21小節]
“pp  mezza voce”(ピアニッシモ、半分の声量で) でもって冒頭の旋律が繰り返され、静かに曲を閉じる。
 
 
 
《カリンニコフの交響曲からは彼の病苦の痕跡が全く見られない。ピアノの前でだけ、彼はその胸中を吐露することができたのだった》
《彼のピアノ作品は野に咲く花のようである。シンプルでチャーミング、そしてあれこれと声高に主張することがない》
 
(「ロシア・ピアノ曲集/リャプチコフ」CD解説より自由に引用させていただきました)
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 16:03| Comment(0) | 音楽雑記帳

2019年09月26日

カリンニコフ(5) 序曲『ブィリーナ』

 
 
§序曲『ブィリーナ』
 
作曲: 1892年
初演: 1950年7月、ラジオコンサートにて
演奏時間: 12分
編成:フルートx2、ピッコロ、オーボエx2、クラリネットx2、バスーンx2、ホルンx4、トランペットx2、トロンボーンx3、ティンパニ、ハープ、ピアノ、弦五部
 
 
1892年、カリンニコフが音楽演劇学校を卒業した直後に作曲された演奏会用序曲。
(当時カリンニコフ26歳)
1951年の没後50周年を機にソ連の音楽出版社がこの『ブィリーナ』を含む幾つかのカリンニコフ作品を出版しているが、初演はそれに先立って行われたことになる。
 
 
「ブィリーナ(Bylina)」はロシアに古く伝わる口承による叙事詩である。
ロシアで広く知られた英雄イリヤ・ムーロメツ (グリエールの交響曲) やノヴゴロドの商人サトコ (リムスキーのオペラ) などが音楽ファンにとって耳馴染みのあるブィリーナの主人公たちとのこと。
カリンニコフの『ブィリーナ』は特定の人物を描いた作品ではないようだ。
 
 
曲のスタイルは序奏部をもったソナタ形式。
これまで『ニンフ』『組曲』『弦楽セレナード』と見てきたが、ここで初めてソナタ形式の作品が登場することになる。
 
構成は以下の通り。
均整のとれた典型的なソナタ形式だ。
(71-119 などの数字は小節番号を、カッコ内の数字は小節数を表す)
 
1) 序奏部 Sostenuto (Andanteと追記あり), 4/4(拍子), ト短調...1-70 (70)
ソナタ形式主部 Allegro, 2/4, 変ロ長調
2) 呈示部...71-161 (91)
3) 展開部...162-285 (124)
4) 再現部...286-365 (80)
5) コーダ...366-421 (56)
 
1) 四分音符主体のゆったりとした序奏部主題がチェロ→第2ヴァイオリン→ヴィオラ→第1ヴァイオリンの順でポリフォニックに奏でられこの曲は始まる。
その後いくつかの派生主題が現れるが、曲調はすべて最初の主題と共通しており、悠然とした雰囲気が序奏部全体を支配している。
クライマックスで金管が主題を強奏したのち曲は穏やかさを取り戻し、主部へと進んでゆく。
 
2) 呈示部第1主題は長調/短調の間を行き来するような民謡風のもの。
主部全体を通し速度表記はAllegroであるが、戦闘的・直情径行型な楽想はほとんど出てこない。
第1主題の音形を用いた新しいフレーズが現れ盛り上がりを見せたところですぐに第2主題部となる。
 
Meno mosso (速度を減じて) と指示された第2主題はト長調、ロシア風の哀愁に満ちた美しいメロディ。
【近年、この抒情的な主題がソビエト連邦国歌 (アレクサンドロフ作曲) の歌い出しと酷似していると話題になったそうだが、改めて聴き比べた限り個人的には (そう言われれば似ている...かなあ) といった程度の印象でしかなかった】
この部分でハープとともにピアノによる分散和音の伴奏音形が聞こえてくる。
ロシアの民族楽器グースリを思い起こさせるどこか懐かしい響きである。
 
3) Tempo primo (=Allegro) に戻ったところから展開部である。
ここでカリンニコフは第1および第2主題のモティーフをさまざまに組み合わせて楽想を展開してゆく。
“考え抜いて書かれた” 印象の強い部分でありやや未消化で単調なきらいもあるが、ここでの経験がのちの第1交響曲第1楽章の見事な展開部に活かされたのだろうと考えると、それはそれで楽しいものだ。
序奏部主題が (アレグロのテンポで) ヴァイオリン、木管そしてトランペットによって力強く奏されると、展開部最後のクライマックスである。
やがて音楽は静まり、ごく自然な流れで再現部へ。
 
4),5) 再現部はほぼ型通り、第2主題も主調である変ロ長調で現れる。
Meno mossoからテンポを上げ、ふたたび Tempo primoとなってコーダへ入る。
全曲の終わり近く (第381小節〜) に現れる壮麗な全奏とファンファーレ、僕はこの部分に第1交響曲第4楽章、あの力強い最終盤の “原形” を見た。
 
 
オーケストレーション技術は3年前の『ニンフ』から格段の進化を遂げ、『組曲』で多楽章構成の作品に挑戦、そして『ブィリーナ』でソナタ形式の楽曲に取り組んだカリンニコフ。
 
〜次はいよいよ交響曲だ〜
彼はきっとそう思ったに違いない。
posted by 小澤和也 at 18:25| Comment(0) | 音楽雑記帳

2019年08月07日

カリンニコフ(4) 『弦楽のためのセレナード』

 
§弦楽のためのセレナード
 
作曲:1891年
初演:1893年1月26日、モスクワ
演奏時間:約9分
 
1891年、音楽演劇学校在籍中の作品。
(カリンニコフ25歳)
初演は音楽演劇学校の記念祭において作曲家自身の指揮、学生オーケストラにて初演された。
セレナードとしての特色は、冒頭に奏でられるピツィカートによって箴言のように現れ、叙情的でエレジー風ないくつかの旋律主題 (それらは互いに補完的でほとんど対照をなさない) が幅広く流れてゆく。
(CD解説書より拙訳)
 
 
楽曲の構成をもう少しだけ詳しく記してみる。
(25-61 などの数字は小節番号を、カッコ内の数字は小節数を表す)
 
 
Andantino, ト短調, 3/4拍子
 
1) 序奏部...1-8 (8)
2) 部分A (主要主題部)...9-24 (16) 
※繰り返し有り
3) 部分B (第一副主題部)...25-61 (37)
4) 部分A’ (主要主題部回帰)...62-76 (15)
5) 序奏部回帰...77-84 (8)
6) 部分C (第二副主題部)...85-116 (32)
7) 部分A” (主要主題部回帰)...117-147 (31)
8) コーダ (序奏部回想と結尾)...148-160 (13)
 
全体は上のように8つの部分からなる。
序奏部の楽想を要所に挟んだロンド形式 (A-B-A-C-A-コーダ) と見てよいだろう。
 
 
序奏部は前述の通り、弦のピツィカートによってシンプルに、しかし印象的に始まる。
主要主題は一本の明確な旋律線というよりは、ヴィオラ〜第2ヴァイオリン〜第1ヴァイオリンがフレーズを受け渡しつつ織りなす “音の綾” だ。
これまで聴いてきた『ニンフ』『組曲』のどのメロディよりも甘美な、独特の艶やかさをもった歌である。
(これら2曲との違いは何だろう...)
答えはすぐに分かった。
『ニンフ』や『組曲』では主に自然短音階
(ト短調なら ソ-ラ-シ♭-ド-レ-ミ♭-ファ-ソ) 
を用いてロシアの大地の香りを醸し出していたのだが、この主題はいわゆる旋律短音階
(ソ-ラ-シ♭-ド-レ-ミ-ファ#-ソ/ソ-ファ-ミ♭-レ-ド-シ♭-ラ-ソ)
が使われているのだ。
 
第一副主題は変ロ長調、ほのかな明るさを帯びた旋律がチェロを中心にのびやかに奏でられるが、主要主題の影が消えることはなく、ほどなく自然な流れのうちに最初のテーマが戻ってくる。
続いて現れる第二副主題は変ホ長調で始まるが、調性的にはかなり流動的である。
この部分Cの特徴はところどころに挿入されている変拍子であろう。
これによりあたかも「不意に立ち止まりーーまたおずおずと歩き出す」ような、どことなく淋しく不安げな表情が描かれているようだ。
 
三たび主要主題が 〜今度はト長調で〜 回帰、音楽は新たな展開へ向かうと思わせるがそれも長くは続かず、元のト短調でいま一度繰り返され最後のクライマックスを迎える。
その頂点では序奏部の音型がarco (弓奏) により「心に秘めた叫び」のように奏でられ、やがて遠ざかるように全曲を閉じる。
 
 
国民楽派的な語法が色濃く現れている『ニンフ』『組曲』に比べ、西欧風・ロマン派的な響きの要素をもった佳曲である。
もっと広く知られてよい作品だと思う。
posted by 小澤和也 at 09:27| Comment(0) | 音楽雑記帳

2019年07月09日

カリンニコフ(3) 『管弦楽のための組曲』

 
 
 
§管弦楽のための組曲
 
作曲:1891-92年
初演:1892年11月21日、モスクワ
演奏時間:T 約10分、U 約5分、V 約19分、W 約6分 計 約40分
編成:フルートx2 (ピッコロ持ち替え)、オーボエx2、クラリネットx2、バスーンx2、ホルンx4、トランペットx2、トロンボーンx3、ティンパニ、トライアングル、シンバル、バスドラム、ハープ、弦五部
 
楽章構成:
第1楽章  Andante, 4/4(拍子), ロ短調
第2楽章  Allegro scherzando, 3/4, ニ長調 - Moderato, 2/4, ト短調
第3楽章  Adagio, 4/4, ニ短調 - Andante con moto, 2/4 , ニ短調
第4楽章  Allegro moderato, 2/4, 変ロ長調
 
 
カリンニコフ25-26歳頃の作品。
1892年、チャイコフスキーはモスクワ・マールイ劇場の指揮者として彼を推薦する。
しかし結果は虚しいものであった...選考委員会は彼の才能をはっきりと認めていたものの、最終的には経験不足が批判の対象となったのだ。
組曲の初演は同年11月、フィルハーモニー協会のシンフォニーコンサートにおいて。
各楽章とも熱狂的な喝采を受けたと伝えられる。
 
 
第1楽章では古い物語を訥々と語るような、懐かしさと哀愁を帯びた旋律が綿々とつづられてゆく。
のちの交響曲ほどの規模ではないが、すでにポリフォニックな展開を見せる部分もある...この時期においてすでに対位法的書法への志向が彼のトレードマークとして姿を現しているように思える。
 
第2楽章は (交響曲などにおける) 典型的なスケルツォ/三部形式的な快活な音楽。
中間部は第1交響曲第3楽章の同じ部分に楽想・雰囲気ともにそっくり...ロシアの土の香りが色濃く漂っている。
 
続く第3楽章は長大なエレジー。
これだけを独立した楽曲と見なしても良いほどだ。
この楽章も大まかに捉えると三部形式的であるが (この構成感覚もカリンニコフの特徴といえそうである)、第1および第3部に比べ中間部Andanteの規模が著しく大きい。
構成的にはかなり “緩く” 感じられるが、遺憾なく発揮されている彼のメロディメーカーとしての力量で終わりまで一気に聞かせてしまう、そんな印象である。
途中、第1交響曲第2楽章の主要主題を彷彿とさせる美しい旋律が姿を見せる。
 
第4楽章はふたたび明るさを取り戻し、快活な、それでいてややひなびた民謡風の楽想が繰り広げられる。
ここで特徴的なのが「音列のモティーフ」である...ざっと聞き取れただけでも次の3種類ほど。
“ソ-ファ-ミ-レ-ミ-ファ-ミ-レ-ド”
“ラ-↑ド-ド-レ-ミ-↑ラ”
“ド-シ-ラ-シ-ド-レ-↓ソ”
これらがさまざまなリズム構成で奏され、この楽章の主要な旋律線を描いている。
途中、第1楽章のメロディを再出させるなどしながらパレードの行列のように賑々しく曲が進むが、それが突然やむと第2楽章中間部の土臭いフレーズが静かに回想される。
しかしそれも長くは続かず、ふたたび曲頭の明るさがかえってくる。
そして第3楽章の短い回想を挟んで、バレエ音楽の大団円のように華やかに全曲を閉じる。
 
この終楽章、それ自体はもちろんとても魅力的であるのだが、第1/第3楽章に比べて掘り下げの浅いところがやや物足りない気もする。
加えて、ロ短調で始まりニ長調、ニ短調と進んできたのが最後に変ロ長調で終わるという (古典的組曲の視点からすると) 収まりの悪さも否めない。
〜これらの弱点は第1交響曲において見事に克服されることとなる〜
 
全編にわたって民謡風で素朴な息の長い旋律にあふれ、その一方でポリフォニックな書法にも目を向けている点、そして終楽章においてはそれまでに出てきた主要主題を回想的に再現する手法を用いるなど、カリンニコフの個性はこの時点ですでに確立されているように思われる。
posted by 小澤和也 at 09:06| Comment(0) | 音楽雑記帳

2019年06月30日

カリンニコフ(2) 『ニンフ』

 
 
僕のささやかなカリンニコフ研究。
年代を追って、まずは彼の管弦楽曲を眺めていきたいと思う。
(第1交響曲まで無事たどり着けますように...)
 
 
§交響的絵画『ニンフ』
 
作曲:1889年
初演:1889年12月16日、モスクワ
演奏時間:約10分
編成:フルートx2、オーボエx2、クラリネットx2、バスーンx2、ホルンx4、トランペットx2、トロンボーンx3、ティンパニ、トライアングル、タムタム、弦五部
 
 
カリンニコフの書いた最初の大管弦楽作品。
1889年の作曲、当時彼は23歳の学生であった。
初演は同年12月16日、モスクワでの「貧困児童慈善事業のための音楽と文学の夕べ」においてヨシフ・アントノヴィチの指揮によって行われるが、演奏会評が新聞等に取り上げられることはなかったとのこと。
再演の機会に恵まれることもなく、その後総譜も失われてしまった。
1954年、(第1バスーンを除き) 残存していたパート譜からスコアが復元される。
失われたバスーンのパートは校訂者V.キセリョフによって補作された。
 
この交響的絵画『ニンフ』はツルゲーネフの同名の散文詩から着想を得ている。
ツルゲーネフは1818年、ロシア中部オリョールの生まれ...カリンニコフはこの同郷の文豪にリスペクトの感情を抱いていたであろうか。
 
 
作品は次のような構成になっている。
(1-29 などの数字は小節番号を、カッコ内の数字は小節数を表す)
 
1) 序奏部 Andante, 4/4(拍子)...1-29 (29)
2) 主部A Allegro scherzando, 3/8...30-205 (126)
3) 主部B Allegro molto, 2/2...206-316 (111)
4) 序奏部回帰 Andante, Tempo I, 4/4...317-328 (12)
5) 主部A回帰 Allegro, 3/8...329-431 (103)
6) コーダ Vivace〜Vivacissimo, 3/8 ...432-476 (45)
 
 
1) 序奏部冒頭のオーケストラ全奏はシベリウス『フィンランディア』にそっくりである。
(ただし作曲はカリンニコフのほうが約10年早い...念のため)
続いて何種類かのリズム・音型からなるモティーフが登場し念入りに展開されていくが、曲調は一貫して暗く神秘的だ。
そして、ここまででは第1交響曲のような息の長い、歌うような旋律はまだ現れない。
 
2) 主部は上記のように2つの部分に分かれている。
主部Aもいくつかの素材・モティーフを丹念に組み上げていくスタイルである。
オーケストラの響きとしてはチャイコフスキーのそれに近いだろう。
第52小節ではじめて「旋律主題」と呼べるようなロ短調の軽快なテーマが登場する。
ところどころに短い総休止を挟みつつしばらく進むと新しいテーマらしきものが聞こえてくるが、先の主題とのコントラストはあまりなく、第2主題として扱うほどではない...このあたりはカリンニコフの若さを感じさせる。
 
3) 主部Aから切れ目なくホ長調、2/2拍子の新しい部分に入る。
まず聞かれる素朴な舞曲風の主題、これはいかにも (ああ、カリンニコフ!) と思えるようなものかもしれない。
途中に現れるファンファーレ風のエピソード部を除けば、主部Bではほぼこの舞曲風主題が扱われている。
そのファンファーレ風の部分で感じたことがひとつ。
ここでカリンニコフは高音域の旋律音型をトランペットに (他の楽器と同音域で重ねずに) 宛がっている...これは第1交響曲でもときおり聞かれたオーケストレーションだ。
独特の個性とまでは言えないまでも、カリンニコフらしい響きがこの若い作品で既に用いられていることにこの先も注目したいと思ったのだった。
 
4) 音楽は途切れることなく、序奏部の気分に戻る。
ただし前述のとおり、この部分は全12小節と極めて短い...“回帰” というよりは “回想” 程度かもしれない。
 
6) そして先ほどの 1)→2) への移行とは異なり、Andanteから次第にテンポを速めつつ主部A回帰へと入る。
ここで聞かれる素材はすべて 2)で使われたものである。
 
7) 短い総休止のあと、ここではじめてタムタムが用いられる。
(しかも弱音で!)
弦の激しいトレモロから全奏での一気のクレッシェンド→総休止...この流れが再度繰り返され、またも総休止。
沈み込むような弦のピツィカートののち、最後の力を振り絞るように『ニンフ』はあっけなく終わる。
 
第1交響曲のようなしなやかさや豊かな流れにはやや欠けるものの、楽器の組み合わせ方は充分魅力的であるし主題労作的な手堅さも好感がもてる。
サウンドの基調はロシア的であるが、民謡的な雰囲気やいわゆる “土臭さ” に頼った作風でないところに若きカリンニコフの非凡さを見ることのできる作品だと感じた。
 
 
次は1891-92年の作品、『管弦楽のための組曲』に触れたいと思う。
posted by 小澤和也 at 02:26| Comment(0) | 音楽雑記帳

2019年06月25日

カリンニコフ再入門

 
 
 
近くカリンニコフの交響曲を数年ぶりに手がけるにあたって、彼の作品について少し調べてみた。
2つの交響曲を含めた管弦楽曲が10曲ちょっと、ロマンス (歌曲) が同じく十数曲、ピアノ小品が8曲ほど、他に合唱曲や重唱曲、オペラのスケッチなど。
およそ35年という短い生涯 (実質的な作曲活動期間は15年ほど) の中で彼が遺した作品に対し、年代を追ってアプローチしてゆくことはそれなりに意味のある試みであろうと考える。
 
さっそくいくつかの管弦楽作品を、スコアを入手して読んでいるが...とても面白い!
カリンニコフは決して「交響曲第1番 “だけの人”」ではないのである。
 
表中、
(Lost) とあるのは失われた作品
pf=ピアノ曲
cho=合唱曲
vo&pf=ロマンス をそれぞれ表す。
また、ロマンスの題名については英訳をそのまま記した。(原題およびテキストは当然ながらロシア語)
 
 
 
§1866年
1月13日、ロシア・オリョール州にてヴァシーリィ・セルゲェヴィチ・カリーンニコフ生まれる
 
§1879年
神学校に通い始める
 
 
§1880年
14歳で神学校合唱団の指導者となる
 
 
§1884年
モスクワ音楽院に入学、
しかし経済的理由により数ヶ月で退学する
 
・悲しみ, pf (Lost)
 
 
§1885年
モスクワ・フィルハーモニー協会の音楽演劇学校に入学、音楽理論とファゴットを学ぶ
 
・天使ケルビムの賛歌第1, 第2 (-86年), cho (Lost)
 
 
§1887年
・On your lovely little shoulder dear, vo&pf
・On the old burial mound, vo&pf
・When life is weighed down with suffering, vo&pf
・小さな合唱曲 (Lost)
・山頂, cho (Lost)
・オペレッタ作品 (Lost)
 
 
§1888年
・スケルツォ へ長調 (-89年), pf
 
 
§1889年
・交響的絵画『ニンフ』, orch
・フーガ ニ短調, orch
・主よ、われらの主よ, 4vo
・クリステ エレイソン, 4vo
 
 
§1890年
・カンタータ『ダマスコの聖ヨアン』(Lost)
 
 
§1891年
・弦楽セレナード
・管弦楽のための組曲 (-92年)
 
 
§1892年
音楽演劇学校を卒業
チャイコフスキー、カーリンニコフをマールイ劇場の指揮者に推薦 (ただし実現せず)
 
・序曲『ブィリーナ』
・悲しい歌 ト短調 (-93年), pf
・16曲の音楽の手紙 (-99年), vo&pf
 
 
§1893年
イタリア劇場の副指揮者に就任
同年秋より体調悪化、クリミア地方へ移り療養生活に入る
 
 
§1894年
・序曲 ニ短調
・交響曲第1番 ト短調 (-95年)
・ロシア風間奏曲 へ短調, pf
・メヌエット ホ長調, pf
・ワルツ イ長調, pf
・ノクターン 嬰へ短調, pf
・エレジー 変ロ短調, pf
・The gentle stars shone down on us, vo&pf
・Bright stars, vo&pf
・There was an old king, vo&pf
・歌劇『王女マーラ (もしくはカスチェイの死)』(スケッチのみ)
 
 
§1895年
・交響曲第2番 イ長調 (-97年)
 
 
§1896年
・管弦楽のための間奏曲第1番 嬰へ短調
 
 
§1897年
・管弦楽のための間奏曲第2番 ト長調
・交響的絵画『杉と棕櫚』(-98年)
 
 
§1899年
・劇音楽『皇帝ボリス』
・歌劇『1812年』(-00年, プロローグのみ)
・A present for 1 January 1900, vo&pf
 
 
§1900年
・Prayer, vo&pf
・Bells, vo&pf
 
 
§1901年
・Do not ask why I smile in thought,vo&pf
・美しい少女が海辺に座っている, cho&orch
 
1月11日、ヤルタにて没 (34歳)
 
 
§作曲年代不詳の作品
・モデラート, pf
・交響曲第1番の主題によるポロネーズ, pf連弾
・I am yours, my darling, vo&pf
・I would like to make my songs, vo&pf
・Come to me, S,A,B&pf
・リリパットの勝利, cho
・弦楽四重奏曲 (Lost)
 
 
【主な参考資料】
・ニューグローヴ世界音楽大事典
・カリンニコフ/管弦楽作品集 (スヴェトラーノフ指揮) CD解説書 (メロディア 74321 49610 2)
posted by 小澤和也 at 16:21| Comment(0) | 音楽雑記帳

2018年07月20日

多田武彦『木下杢太郎の詩から』の詩たち〈5〉

 
組曲の最後に置かれた詩である。
 
 
市場所見
 
沖の暗いのに白帆が見える、
あれは紀の国蜜柑船。
蜜柑問屋に歳暮(くれ)の荷の
著(つ)く忙しさ ー 冬の日は
惨澹として霜曇(しもぐも)る市場の屋根を照らしたり。
 
街の柳もひつそりと枯葉を垂らし、
横町の「下村」の店、
赤暖簾さゆるぎもせず。
 
街角に男は立てり。手を挙げて指を動かし
「七(なな)番、中一(なかいち)あり」と呼びたれば
兜町、現物店の門口に
丁稚また「中一あり」と伝へたり。
 
海運橋より眺むれば
雲にかくれし青き日は
陰惨として水底(みなぞこ)に重く沈みて声もなし。
時しもあれや蜜柑船、
橋の下より罷りいづ。
そを見てあれば、すずろにも
昔の唄の思ひ出づ。
 
あれは紀の国蜜柑船。
 
 
【第一書房版『木下杢太カ詩集』(昭和5年刊) より引用。原文においてはほぼすべての漢字にルビが振られているが、ここではその大半を省略。また旧漢字は現行のものに改めた】
 
・霜曇り...霜のおくような夜の寒さに空の曇ること。
・現物...ここでは現物取引 (売買契約の成立と同時または数日後に現品の受渡しを行う取引) の意か。
・罷り出づ...参上する。人前に出て来る。
・漫ろ(すずろ)...理由もないさま。予期しないさま。
 
 
初出は明治44年1月『昴』。
作曲にあたって多田武彦が底本としたのは第二詩集『木下杢太カ詩集』である。
 
この『市場所見』、これまで取り上げたどの詩よりも僕には難解に思えた。
“横町の「下村」の店” とは?
第三連に描かれる “「七番、中一あり」” の呼び声は何を表すか? etc.
 
いっこうに手掛かりの掴めぬ中、何かしらのヒントはなかろうかと淡い期待をもって静岡県伊東市の杢太カ記念館を訪ねたのは4月の初めだった。
そこで偶然出会ったのが “杢太カ会” 発行の小さな冊子である。(文頭の画像参照)
タイトルもズバリ
“木下杢太カ『食後の唄』を読み解く”。
さっそく手に取り、ドキドキしながら目次を見ると...
何という幸運!
 
 
すぐに買い求め、帰りの東海道線の中で一気に読んだ。
著者は林廣親先生、杢太カに関する記念講演を文字起こししたもの。
以下の拙文においては、林先生のこのご著書を参考にさせていただいたことは言うまでもない。
 
 
第一連の冒頭。
 
沖の暗いのに白帆が見える、
あれは紀の国蜜柑船。
 
これは江戸発祥の大道芸「かっぽれ」の詞からの引用である。
(なぜこれが詩の冒頭に置かれたか...その理由は最後に明らかとなる)
 
年の瀬のある日。
詩人は日本橋界隈を散策していたのだろうか、まず目にしたのが蜜柑の市場であった。
(この後、彼の視点は次々と移動してゆく...『両国』においてのそれは “レストラントの二階” からの、いわば固定カメラに映った様々な風景であったのと対照的だ)
 
 
第二連も引き続き冬の寒々しい描写に始まる。
そして...下村の店である。
林先生の文章を引用させていただく。
 
この「下村の店」とは、私たちもよく知っている「大丸」の別称ですが、通旅篭町にあったこの店は、明治四十三年十月末日に閉店して、残務処理の営業に移っていました。その時期が、詩の書かれた時期とちょうど重なっています。入り口の暖簾はまだ掛かっていても、出入りする人も稀な状態だったのでしょう。
 
これ以上何を望もうかというほどの見事な解題である。
 
 
第三連。
兜町という地名から金融街のイメージをなんとなく持ったのだが、果たしてその通りであった。
舞台は株取引を営む店の前。
「七番、中一あり」の語は林先生によれば商人達の間の符牒であるとのこと。
(残念ながらその意味は僕には未だ分からず)
通信手段のないこの時代、街角の男の指の合図を店内に中継するのが丁稚の役目だったのだろう。
 
以下補足。
この『市場所見』は杢太カの第一詩集『食後の唄』にも収められているが、第三連の四行目が
 
後場なかば ー 店の前にも
 
となっている。
林先生の文章によれば、”後場半ば“ はやはり業界用語で午後2〜3時頃をさすという。
(さらにそのまた補足であるが、『昴』に掲載された初出の段階では、この第三連四行目そのものが無かったそうだ...すなわち杢太カは出版の折々にこの一行を書き足し、さらに差し替えたということになる。)
 
 
そしていよいよ第四連。
海運橋の上にたたずむ詩人の目にはふたたび、第一連で見たような薄暗い陽の光と冷たい川の水だけが写っているようだ。
そのときー
ふいに蜜柑船が橋をくぐって現れる。
この瞬間の詩人の心の動きはいかばかりであったろう。
いま一度、林先生の文章から。
 
狂言の名乗りに通じるような「罷りいづ」という擬人的な言い回しによって喚起されるのは、「青き日」とは対照的な浮上の感覚です。それは物怖じもせず、舞台にせり上がって来た役者の登場場面を想わせます。「青き日」の寒色に対する「蜜柑」の暖色、沈潜と凝固に対する浮上と開放という、鮮やかに対照的なイメージが詩人の視覚を不意打ちした。
 
その瞬間、わけもなく詩人の脳裡に蘇った ”昔の唄“ が、詩の冒頭に置かれた
 
あれは紀の国蜜柑船。
 
であったのだ。
読み終えて、何とも言えぬ懐かしさ、そして人の心のあたたかさのようなものを感じ取ることのできる味わい深い詩である。
 
 
【参考文献】
木下杢太カ『食後の唄』を読み解く
林廣親 著/杢太カ会 刊
(杢太カ会シリーズ第22号)
 
 
(完)
 
 
 
 
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 01:18| Comment(0) | 音楽雑記帳

2018年06月22日

多田武彦『木下杢太郎の詩から』の詩たち〈4〉

 
 
 
雪中の葬列
 
Djan......born......laarr......don
Djan......born......laar, r, r......
鐘の音がする。雪の降る日。
雪はちらちらと降っては積る。
中をまつ黒な一列の人力車。
そのあとに鐘が鳴る••••••
Djan......born......laar, r, r......
 
銀色とあの寂しい
薄紅(うすあか)と、蓮の花弁(はなびら)••••••  ゆられながら運ばれて行く、
放鳥籠の鳥と。
今鉄橋の上に進んだ。都会の真中のー
華やかな叫びも欲もさびれた雪の日の都会のー。
黒い無言の一列がひつそりと、ひつそりと••••••
 
雪は降る。雪は降る。
雪は降る。雪は降る。
Djan......born......laarr......don.
Djan......born......laar, r, r......      (Ⅺ. 1910.)
 
 
【アララギ発行所刊『食後の唄』(大正8年) より引用。原文においてはほぼすべての漢字にルビが振られているが、ここではその大半を省略。また旧漢字は現行のものに改めた】
 
・放鳥(ほうちょう)...葬儀などの時、功徳のために、捕らえていた鳥を放ちやること。
 
 
初出は明治43年3月『昴』。
この詩は第二詩集『木下杢太カ詩集』に収められておらず、よって多田武彦が底本としたのは上記『食後の唄』である。
 
これまで挙げてきた3作品から一転、暗さと冷たさ、寂しさと静けさが全編を支配する。
明治期の東京における出棺の様子を描いたであろうこの『雪中の葬列』。
冒頭の一行、
Djan......born......laarr......don
から聞こえてくるのは鐘のほかに銅鑼、さらには低い太鼓の音のようにも思えるのだが...実際のところはどうだったろうか。
 
金銀ほか様々に彩色された葬具 “蓮華” は燭台や香炉などとともに柩の周りに置かれ、葬列の際には大勢の人夫達がこれらを担いで進んで行ったのだそうな。
放鳥の儀を執り行うために大きな鳥籠までもが葬列に伴っていた、ということも今回初めて知った。
 
人間の死の無常さと、雪に包まれた冬の都会の無機的な虚しさとがこの詩の中で響き合っている。
多田武彦がこの詩に付けた音楽も、(僕の知る限り) 彼の曲の中で最も不気味な、そして表現主義的な色合いを帯びたものだ。
 
 
(つづく)
 
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 16:17| Comment(0) | 音楽雑記帳