2024年05月01日

ブノワを知る10曲 (3)

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レクイエム


完成: 18632月、パリ

初演: 18639月、聖グドゥラ教会、 ジョゼフ・フィッシャー指揮

出版ペーテル・ブノワ財団 (アントウェルペン)



激動の一年

18626月、ブノワはパリでオッフェンバックが主宰するブフ=パリジャン劇場の指揮者に就任します。日々の公演とリハーサル、新聞や雑誌への音楽評論執筆、そしてそれらの合間に作曲...と彼は精力的に活動しました。その間に書かれたのがこの「レクイエム」です。

ブノワはこの地でオペラ作曲家としての成功を目指しましたがそれは叶わず、翌年3月にこのポストを離れます。それゆえ「彼にとってこの一年は100年にも感じられるような耳と魂の拷問であったに違いない」(ブロックスによる伝記より)とも評されますが、この経験がブノワの芸術的見識を拡げ洗練させる助けになったことは確かでしょう。


レクイエムの特徴とその魅力

この曲の最大の特徴はやはり合唱パートでしょう。以前に取り上げた「アヴェ・マリアop.1」と同様、大小二群に分けられた二重合唱が劇的な効果をあげています。

そして「ベネディクトゥス」では小合唱の中にソロパートが置かれ、さらに「サンクトゥス」および「ベネディクトゥス」では大合唱のソプラノに少年合唱を加えるなど、ブノワの響きに対する徹底したこだわりが感じられます。

聴きどころは枚挙にいとまがありませんが、私がもっとも好きなのは「ディエス・イレ」の中盤、”Recordare(思い出したまえ)“ の優しく愛撫するような旋律です...この部分は何度聴いても心が震えます。(下記参考動画 16’40”)


【参考音源(CD)】

・ルールストレーテ指揮、BRTN室内管&合唱団、コルトレイク混声合唱団

(1975年録音)

Etcetera KTC1473 (2枚組)

・ペーテル・ブノワ 宗教曲四部作

デ・ワールト指揮、アントワープ響、ナミュール室内合唱団、オクトパス交響合唱団

(2015年ライヴ録音)

Royal Flemish Philharmonic RFP013


私が初めてこの曲を聴いたのはヘレヴェッヘ指揮のライヴ録画でした (現在Youtubeで全曲視聴可能)

その後、上記ルールストレーテ盤のLPを入手、長らくこれが唯一の録音だったようです。

2018年、三人の指揮者による「宗教曲四部作」全曲を収めたアルバムが発売されました。


ルールストレーテ指揮による演奏へのリンクはこちら↓↓

https://m.youtube.com/watch?v=y3NmI0YnjME

posted by 小澤和也 at 11:24| Comment(0) | 音楽雑記帳

2024年02月08日

ブノワを知る10曲 (2)

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幻想曲第3 op. 18

作曲: 1860年あるいはその少し後、パリ

初演: 18613月、アンジェル・タイユアルダ (ピアノ)

出版: Richault (パリ)



ブノワの代表作

ペーテル・ブノワの全作品中、現在もっともよく知られているのがこの “幻想曲第3番変ロ短調 op.18” でしょう。多くのピアニストに取り上げられレコーディングも行われています。また吹奏楽やクラリネットアンサンブル用に編曲されていることからもこの作品の人気がわかります。

ドイツ諸都市への遊学を終えたブノワは18595月、新たな拠点としてパリへ移ります。彼をこの「芸術の都」へと駆り立てたのはオペラ作曲家として活躍したいという強い願望でした。国内外の多くの作曲家がパリでの成功を目指していたのです。


ピアノ曲を量産

ブノワは185961年にかけて集中的にピアノ曲を作曲し、それらの多くはパリで出版されました。大半は幻想曲やマズルカ、奇想曲といった小品ですが、他に “ソナタ変ト長調(1860)” や組曲形式の “物語とバラッド集 op.34(1861)” といった大曲もあります。

この第3番を含めてブノワには4曲の幻想曲がありますが、そのいずれもが調号 (シャープやフラットを多く用いた色彩的でロマンティックな響きをもつ調性で書かれています。

1変イ長調 (フラット x4)

2嬰ヘ長調 (シャープ x6)

3変ロ短調 (フラット x5)

4変ホ短調 (フラット x6)


初演評

3op.18は初演を行ったアンジェル・タイユアルダに献呈されました。その際のコンサート評では次のように述べられています。

『ブノワ氏は正しい流派の作曲家である。彼のピアノ曲は、この種の作品にしばしば見られる指の曲芸的技巧を唯一の長所とするものとは一線を画している。(...) op.18およびop.20幻想曲” を見れば、彼が非常に注目に値するピアノ作品を書きながらも、音楽的であり続けたかったということが納得できる』


【参考音源(CD)

フランダースの音楽 Vol.1

ペーテル・ブノワ ピアノ曲集

ヘーヴェルス (pf)

Talent DOM2910 34


こちらはデ・ベーンハウウェルの演奏↓↓

https://m.youtube.com/watch?v=eS-T3xUV7p0

posted by 小澤和也 at 14:45| Comment(0) | 音楽雑記帳

2024年02月02日

ブノワを知る10曲 (1)

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あっという間に一ヶ月が過ぎてしまいましたが、2024年はこれまで以上に我がペーテル・ブノワとその音楽について本ブログで発信していきたいと思っています。


そのためのひとつの試みとして...

(みなさんにこの曲をぜひ知っていただきけたら!と僕が考えているブノワ作品を1曲ずつ、できるだけ簡潔にご紹介していきます。

題して「ブノワを知るための10曲」。


記念すべき()1回は、象徴的な意味をもこめてこの作品を。



アヴェ・マリア op.1

作曲: 1858年、ベルリン

初演: 18589月、ベルリン大聖堂合唱団、 アウグスト・ナイトハルト指揮

出版: Bote&Bock(ベルリン)


ドイツ楽旅へ

1857年、22歳のブノワは新作のカンタータ “Le meurtre d'Abel (アベルの殺害)” によってベルギー・ローマ大賞 (グランプリを受賞しました。彼はその翌年、獲得した奨学金でドイツ諸都市への遊学に赴きます。ドレスデンでは自作の演奏を聴き、ミュンヘンではフランツ・リストと面会しました。

同年夏に訪れたベルリンでは大聖堂合唱団との出会いがありました。その素晴らしさを彼は本国への報告書の中で次のように述べています。「あらゆる巨匠たちの声楽曲、とりわけその黄金期である16世紀作品を演奏する大聖堂合唱団は賞賛に値する。60名の (ボーイソプラノと30名の男声からなる大合唱団は壮大な構想の作品を演奏する (...) ディレクターの厚意により私はすべてのリハーサルに参加することができた。私にとって興味深いセッションばかりだった」


作品

1

この時期に作曲されたのが “アヴェ・マリア” です。「無伴奏二重合唱のための」と添えられたこの作品にブノワは「作品番号1」を与えました。彼はすでにいくつかの歌曲やモテットを出版していましたが、この新作に何かしら期するものがあったのでしょう。

スコアにはそれぞれ「Chœur Solo (ソロ合唱)」、「Chœur Tutti (大合唱)」と書かれた二群の混声四部パートがあります (二重合唱の手法自体は上記 “アベルの殺害” においてすでに用いられていました)。さらに「大合唱」のテノールおよびバスはしばしば各二声に分割され、曲の冒頭はその男声四部合唱のピアニシモ (最弱音によって神秘的に始まります。そしてこの二重合唱のスタイルは後に生まれる傑作 “荘厳ミサ”  “レクイエム” にも受け継がれ、ブノワの言わば「トレードマーク」となりました。

この作品は聖グドゥラ大聖堂 (ブリュッセルの聖歌隊長J. フィッシャーに献呈されました。



【参考音源(CD)】

In Manus Tuas〜フランダースの宗教音楽

(In Flanders’ Fields Vol.50)

エンゲルス指揮、ラトヴィア国立合唱団

Phaedra 92050 (2枚組)

posted by 小澤和也 at 22:48| Comment(0) | 音楽雑記帳

2023年05月07日

音楽事典で見る『ペーテル・ブノワの生涯』

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西洋音楽を扱った世界最大の参考文献のひとつである「ニューグローヴ世界音楽大事典」。
この中でペーテル・ブノワがどのように取り上げられているか、以下に拙訳を試みた。

※一文ごとの改行、および段落毎に適宜施した空白行は小澤によるものである
※本文の後に記載された「主要作品一覧」他は省略した


ペーテル・(レオナルト・レオポルト・) ブノワ (1834年8月17日 ハレルベーケ生まれ〜1901年3月8日 アントワープにて没)
はベルギーの作曲家、指揮者、教育者。
彼は父親から最初の音楽レッスンを受け、その後ピアノとオルガンをP. カルリエル (デッセルヘムの堂守、オルガニスト) に学んだ。

1851年にブリュッセル音楽院の生徒となり、ピアノ・和声・対位法・フーガおよび作曲を受講、1854年に和声と作曲で一等賞を受賞する。
彼の主任教師は校長のフランソワ=ジョセフ・フェティスであった。

音楽院での勉強を終えた後、彼はC.-L. ハンセンス (モネ劇場の指揮者) のもとで勉強を続ける。
この頃のブノワはやむなくモネのオーケストラの追加トライアングル奏者となるほどに厳しい経済的苦境にあった。
その後1856年に彼はブリュッセルのパルク劇場の指揮者となる。

ブノワは1857年にカンタータ『アベルの殺害』(仏語のテキストによる。当時の政府によってそのように規定されていた) でベルギーのローマ賞を受賞した。
フェティスのアドバイスにより彼は賞金をドイツ楽旅の費用に充て、ケルン、ドレスデン、ベルリン、ミュンヘン、およびプラハにて過ごす。

帰国後ブノワはパリへ移り、1862年にブフ=パリジャン劇場の指揮者となった。
しかし1863年に彼は辞任しベルギーへ戻り、はじめブリュッセルに、次いで1867年にアントワープに定住、そこでフランドル音楽学校を設立する。

短期間のうちにこの学校はフランドルにおける音楽教育を確立するための困難な闘争の、またフランドルの人々の文化的発展のためのより大きな運動の重要な要素となった。
ブノワのたゆまぬ努力はベルギー政府が学校を承認したばかりでなく1898年にベルギーの仏語圏の音楽院と同じ権利を持つ王立フランドル音楽院にその地位を引き上げたことにより報われる。
ブノワはさらに、アントワープにおけるフラマン語の歌劇場の必要性を主張した。
1890年にネーデルランド・リリック劇場が設立され、1893年にこれがフランダース歌劇場となった。


作曲家としてブノワはフランドルの音楽に新しい命を吹き込んだ。
彼はフランドルの人々に彼らの芸術への信念を与え、彼自身の創造的な実例を通して他の者たちが作曲することを奨励した。
彼の主な目的は、フランドルの音楽生活を一般的なヨーロッパ文化のレベルに引き上げ、ベルリオーズやリスト、ワーグナーらによって示された規範に合わせることであったが、フランドルの国民意識運動とも関連していた。
彼の作品のこれらの2つの側面は、その画家の生きた時代のアントワープを描いた『ルーベンスカンタータ』の中に見られる。

様式のうえで彼の作品は19世紀のロマン主義に属している。
当初、フェティスの影響による彼の書法はフランス楽派のそれに近かった。
初期作品ではベートーヴェン、メンデルスゾーン、リスト、ショパン、ウェーバーからの影響を受ける。
しかし、彼のスタイルが発展するにつれ、ベルリオーズやマイアベーアの様式へ傾いていった。
創作力の最盛期において彼はワーグナーを思わせる劇的効果とともに大胆で非古典的な和声を用いた。


ブノワは主に声楽曲の作曲家であり、大規模な合唱ミサ曲への際立った熟達の力を持っていた。
彼は意識的に自身の芸術をフランドルの人々の中に根ざした道徳的感覚の支配下に置く。
彼の第一の作曲の目的は大衆によって演奏され理解されることであり、そのために彼は後期作品のスタイルを意図的に平易なものとした。
彼は伝統的な民俗音楽や芸術音楽のメロディとリズムの中に国民性を探し求める。
キャリアの初期において彼は既存の作品を用い、また子供のためのカンタータを考案した。
彼が採用した最も独創的な形式は、俳優がリズムで話し、全体を通してオーケストラが伴奏する形の音楽劇であった。
ブノワは国際的な知的資質を持った教育者であり、その音楽院のカリキュラムは時代をはるかに超えるものであった。

(ここまで)
posted by 小澤和也 at 18:15| Comment(0) | 音楽雑記帳

2022年07月20日

カヴァレリア・ルスティカーナの源流をたどる (5)


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「源流をたどる(4)」の続きです。

『カヴァレリア・ルスティカーナの源流をたどる』
(1) へのリンク↓
(2) へのリンク↓
(3)へのリンク↓
(4)へのリンク↓

[第6場]
【トゥリッドゥ、ローラ、フィロメーナ、ブラーズィ、カミッラ、ヌンツィア】
ヌンツィアの居酒屋の前の広場。
オペラの「シェーナ、合唱と乾杯の歌」にあたる場面。
戯曲では前の第5場から続くシーンであるが、オペラにおいては前景との間に例の有名な「間奏曲」が挿入されているのはご存知のとおりである。

ヌンツィアの居酒屋の前の広場。
皆で一杯やろう、とトゥリッドゥがローラに声をかける。
ブラーズィ、カミッラ、フィロメーナも集まってくる。
オペラではトゥリッドゥ、ローラと合唱が『輝くグラスのなかで泡立つワインに万歳!」と歌うのだが、戯曲ではトゥリッドゥを中心に軽妙な、そして際どい会話が続く。

トゥリッドゥ: (店の中のヌンツィアに向かって) おい、母さん!あの美味い酒はまだあるかな?
ヌンツィア: ああ、あるよ、お前さんがきょうフランコフォルテから買ってきたはずのものならね!
トゥリッドゥ: わかったわかった、復活祭の日だってのに母さんまでそんな話するなよ(...)

ローラ: 兵隊に行ってた先では向こうの女たちをこんなふうに口説いていたのね、見れば分かるわ!
トゥリッドゥ: まったく女ってやつは!俺はいつでもこの村のことばかり考えていたんだ (...)
可哀想な男が遠くへ行って、頭も心もおかしくなって、それでも一人の女のことだけを考えながら...
そこで突然聞かされるんだ、「あの女結婚したんだぞ」って!
ローラ: あんたが遠くにいてそこで他の女に囲まれているときでも「彼女らには一切見向きもせずひとりの女のことだけをずっと考えている」と女は信じてるだなんて思ってるの?
そして帰った後は最初の女に落ち着くとか思いたいわけ?
トゥリッドゥ: 悪かったよ、謝るよ...

〜なんとも散々なトゥリッドゥである。


[第7場]
【アルフィオ、トゥリッドゥ、ブラーズィ、ローラ、カミッラ、およびフィロメーナ】
この場面以降はオペラの「フィナーレ」に相当する。
アルフィオがトゥリッドゥの差し出すグラスを撥ねつけ、二人が決闘の約束を交わすという展開は戯曲においてもほぼ同じであるが、一つ決定的に異なる点がある。

トゥリッドゥ: アルフィオさんよ、何か俺に言いたいことがあるのかい?
アルフィオ: 何も。俺が言いたいことは分かっているだろう。
トゥリッドゥ: それじゃ俺はここであんたの言いたいようにするさ。

(先に席を外していたブラーズィが妻に家へと入るように合図し、カミッラは出て行く)

ローラ: いったいどうしたの?
アルフィオ: (ローラの言葉に耳を貸さず彼女を押しやって) ここでちょっと顔を貸してくれれば、腹を割ってあの話ができるんだがな。
トゥリッドゥ: 村はずれの家のところで待っていてくれ、(...)すぐにあんたのところへ行くから。

(互いに抱き合ってキスをする。トゥリッドゥは彼の耳を軽く噛む)

アルフィオ: よくやってくれた、トゥリッドゥさんよ!お前さんにはその腹づもりがあるってことか。これこそ名誉を重んずる若者の誓約というものだ。
ローラ: ああ、マリアさま!アルフィオさん、どこへ行くの?
(...)

このように、戯曲においてはトゥリッドゥがアルフィオの耳を噛む瞬間をローラも目撃するのだ。
そしてアルフィオだけがこの場を立ち去り、第8場へと進む。


[第8場]
【トゥリッドゥ、ローラ、およびヌンツィア】
「俺がもう持ってこないほうがお前にはいいんだろうが」とアルフィオに突き放されうろたえるローラ。

ローラ: トゥリッドゥさん!あなたまでこのまま私のことを放っておくつもり?
トゥリッドゥ: 俺はあんたとはもう関係ない、二人の仲はすっかりおしまいだ。あんたの旦那と生き死にを賭けて抱き合ってキスしたのを見たろう?

戯曲ではローラのただならぬ心境が克明に描かれ、この終盤における物語中の存在感も確かである。
(この後の最終第9場にも彼女は登場する)
マスカーニがオペラ化にあたり、ローラを “修羅場” から早々に退場させているのも彼なりの考えがあってのことであろう。

ローラとのやり取りのさなかに「まだいたのかい?」とヌンツィアが顔を出す。
そこで、酔いのせいにして「サンタを頼む...」とトゥリッドゥが最後の思いを母親へと託すくだりはオペラと戯曲でほぼ共通である。

alla Santa, che non ha nessuno al mondo, pensateci voi, madre.
サンタのことなんだけど...あいつには頼れる人が誰もいないんだ...だから考えてやってくれないか、母さん。

cf. 前にも触れたが、短編小説においてはサントゥッツァは裕福な農園主コーラ氏の娘という設定になっている。


[第9場]
【ヌンツィア、ブラーズィ、ローラ、フィロメーナ、カミッラ、およびピップッツァ】
以下、台詞の全文を拙訳にて:

ヌンツィア: いったい何が言いたいんだい?
ブラーズィ: ローラ、家にお帰りよ、帰るんだ!
ローラ: なんで帰らなきゃならないのよ?
ブラーズィ: 今お前さんがここに、この広場にいちゃ良くないんだよ!もし誰かについていてほしかったら...おい、カミッラ、ここでヌンツィアさんのそばにいてやってくれ。
フィロメーナ: ああ、神様!
ヌンツィア: 息子はどこへ行ったんだい?
カミッラ: いったい何があったのさ?
ブラーズィ: 見てなかったのか、ばかだなあ、あのとき耳を噛んだろう?あれは俺がお前を殺すか、さもなくばお前が俺を殺すか、って意味なんだ。
カミッラ: ああ、なんてこと!
ヌンツィア: 私のトゥリッドゥはどこへ行ったのさ?もう何がどうなっているんだい?
ローラ: 不幸な復活祭になってしまった、ヌンツィアさん!一緒に飲んだワインがぜんぶ毒になったのよ!
ピップッツァ: トゥリッドゥさんが殺された!トゥリッドゥさんが殺されたよ!

(幕)


こうして戯曲とオペラを比較してみると、マスカーニと台本作家たちによるオペラ作品としての再構成がいかに当を得たものであるかを改めて実感させられる。
同時に、今回の戯曲台本との出会いによって、近い将来再び「カヴァレリア〜」のスコアを開いたときにこれまでとひと味違った楽譜の風景が見えてくるような気がするのだ。
楽しみである。


[参考資料]
カヴァレリーア・ルスティカーナ/河島英昭訳 (岩波文庫)
オペラ対訳ライブラリー カヴァレリア・ルスティカーナ/小瀬村幸子訳 (音楽之友社)
イタリアオペラを原語で読む カヴァレリア・ルスティカーナ/武田好 (小学館)
戯曲「カヴァレリア・ルスティカーナ」翻訳/武田好 (星美学園短期大学研究論叢第40号)
Cavalleria rusticana/Giovanni Verga (OMBand Digital Editions)
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posted by 小澤和也 at 08:38| Comment(0) | 音楽雑記帳

2022年02月23日

カヴァレリア・ルスティカーナの源流をたどる (4)


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[画像: マスカーニによる間奏曲(ピアノ譜)の自筆原稿(一部)]

「源流をたどる(3)」の続きです。

『カヴァレリア・ルスティカーナの源流をたどる』
(1) へのリンク↓
(2) へのリンク↓
(3)へのリンク↓


[第5場]
【サントゥッツァ、アルフィオ、およびブラーズィ】
怒りと絶望にひとり打ちひしがれるサントゥッツァのもとへローラの夫アルフィオが現れる。
サントゥッツァはたまらずトゥリッドゥとローラの関係を彼に告げて...
という物語のアウトラインはオペラとほぼ共通であるが、第4場と同様にその描写は戯曲のほうがいっそう生々しい。


サントゥッツァ: ああ、神様があなたを遣わされたんだわ、アルフィオさん!
アルフィオ: ミサはどのあたりかな、サンタさんよ?
サントゥッツァ: 遅かったですね。でもあなたの奥さんはあなたを探してトゥリッドゥと一緒に行きましたよ。
アルフィオ: どういう意味だ?

戯曲ではこれに続いて、オペラにはないサントゥッツァの台詞が挿入される。
『あなたの奥さんは祭壇のマリア様のように黄金をいっぱい身にまとって歩き回っていますわよ、あなたにとっても名誉なことでしょう、アルフィオさん』
強烈な皮肉、そしてサントゥッツァのローラへの嫌悪がここにも見てとれる。
アルフィオは当然のごとく、
『おい、それがおまえさんに何の関係があるんだ?』
とにわかに気色ばむ。
そしてサントゥッツァのさらなる一言「あなたが外で稼いでいる間にローラは家を飾り立てているのよ〜」に続くのだ。
[この「家を飾り立てる」は「(夫婦間の) 不義を働く」という意味なのだそう]


その後のアルフィオの台詞もなかなかである。
『(...)復活祭の日の朝から酔っ払ってるのか、それなら鼻からワインを絞り出してやる!』
『(サントゥッツァの言うことが)もし嘘だったなら、(...)その目で泣けないようにしてやる (目をくり抜く!)、おまえも、不名誉な一族みんなもな!』

そしてこれに応ずるサントゥッツァの言葉も痛切の極みである。
『アルフィオさん、わたしは泣くこともできないんです。わたしの操を奪い、そしてローラのもとへ走ったトゥリッドゥを見てももう涙も出なかった』

アルフィオはサントゥッツァに礼の言葉を述べ、教会へは行かずに家に戻る。
『(...) 女房が俺を探しているのを見かけたら、トゥリッドゥへの贈り物を取りに家へ帰ったと言ってくれ』


ミサが終わり村人たちが教会から出てくる。
最後に現れたブラーズィがサントゥッツァに気づく。
『サンタさんよ、もう誰もいなくなってから教会へ行くっていうのかい!』
サントゥッツァは
『わたしは大罪を犯してしまったのよ、ブラーズィおじさん!』
と言い残して教会へと向かう。


戯曲においては
この場面の後、サントゥッツァは全く登場しない。

(つづく)


[参考資料]
カヴァレリーア・ルスティカーナ/河島英昭訳 (岩波文庫)
オペラ対訳ライブラリー カヴァレリア・ルスティカーナ/小瀬村幸子訳 (音楽之友社)
イタリアオペラを原語で読む カヴァレリア・ルスティカーナ/武田好 (小学館)
戯曲「カヴァレリア・ルスティカーナ」翻訳/武田好 (星美学園短期大学研究論叢第40号)
Cavalleria rusticana/Giovanni Verga (OMBand Digital Editions)
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posted by 小澤和也 at 21:20| Comment(0) | 音楽雑記帳

2022年02月06日

カヴァレリア・ルスティカーナの源流をたどる (3)



(2)の続き、第2場からです。

『カヴァレリア・ルスティカーナの源流をたどる』
(1) のリンクはこちら↓
(2) のリンクはこちら↓


[第2場]
【トゥリッドゥ、およびサントゥッツァ】
前景の登場人物たちがみな教会へと向かい、ひとりヌンツィアの家の前でトゥリッドゥを待つサントゥッツァ。
そこへトゥリッドゥが急いで登場、サントゥッツァの詰問から二人の言い争いへと展開してゆくところは戯曲とオペラとで同様であるが、サントゥッツァの言葉遣いに若干のニュアンスの違いがあることに気づいた。
例えば最初のやり取り。
オペラでは

Tu qui, Santuzza? (おまえ、ここに、サントゥッツァ?)
Qui t’aspettavo. (ここであんたを待ってたのよ)

と始まるのだが、一方戯曲では

Oh,Santuzza! … che fai tu? (おお、サントゥッツァ!...ここで何してるんだ?)
Vi aspettavo. (あなたを待っていたの)

tu(親称二人称) で言葉をかけるトゥリッドゥに対し、サントゥッツァはオペラでは対等にtuで、戯曲では敬称のvoiで返すのだ。
トゥリッドゥへの呼びかけもこの場面では“Compare Turiddu”( トゥリッドゥさん)である。

もう一点、戯曲を読むとトゥリッドゥの ”ダメンズ“ ぶりがいっそう際立っているように感じられるのだ。
フランコフォンテへ (ワインを仕入れに) 行っていたということが嘘であると見破られた後の台詞:
『俺は自分がいたいと思ったところにいたのさ』
「今あなたに捨てられたらわたしはどうすれば?」とすがるサントゥッツァに対しては
『俺はおまえを捨てたりしないさ、おまえが俺を追い詰めなければ。でも言ったろ、俺はやりたいと思ったことは自由にできる御主人様でいたいんだ』
そして最後には
『やりたいと思ったことができない男などと思われたくないんだ、そんなのはだめだ!』

二言目には “mi pare e piace”、
「俺がやりたいように」の一点張りなトゥリッドゥなのである。


[第3場]
【ローラ、トゥリッドゥ、およびサントゥッツァ】

ローラが登場。
(オペラでは『アイリスの花〜』と小唄を口ずさみながら姿を見せるが、戯曲にはこのストルネッロはない)
ローラの
『あら、トゥリッドゥさん、私の夫が教会へ行くのを見ませんでした?』
に始まる三者のやり取り、細部は異なるがその内容、そして発言の順序は戯曲とオペラとでほとんど全て同じである。

両者で唯一異なっているのが
トゥリッドゥ: 行こう、ローラさん、ここですることなんて何もない!
ローラ: 私に気を遣わないで、トゥリッドゥさん、道はわたしの足がよくわかってるから。それにあなた方の邪魔もしたくないですし。
〜の後に続くトゥリッドゥの一言、
Se vi dico che non abbiamo nulla da fare!
(何の用もない、って言ってるんだ!)
トゥリッドゥはローラに対してでさえとっさに癇癪を起こしているのだろうか...?
乏しい語学力ゆえ正確なニュアンスは分からないけれど...


[第4場]
【トゥリッドゥ、およびサントゥッツァ】
ローラが教会と去ってゆき、場面はふたたび二人きりとなる。
「すがるサントゥッツァとこの場から逃れようとするトゥリッドゥ」という構図は戯曲とオペラとでもちろん共通であるが、そのやり取りは戯曲のほうがかなり長く、また生々しさも数段すさまじく感じられる。
(ここではサントゥッツァもトゥリッドゥに対し “tu” で返している...第2場とは対照的なサントゥッツァの心情の変化を示していよう)

始まってすぐ、トゥリッドゥがサントゥッツァを罵る言葉:
オペラ: Ah! perdio! (ああ!畜生!)
戯曲: Ah! sangue di Giuda! (ああ!ユダのような奴め!)
直後のサントゥッツァ:
オペラ: Squarciami il petto… (わたしのこの胸を引き裂いて...)
戯曲: Ammazzami. (わたしを殺してちょうだい)

一方でオペラにおけるサントゥッツァの強烈な一言
Bada! (覚悟なさい!)
は戯曲中にはない。
サントゥッツァはひたすらトゥリッドゥにすがりつく。
『その足でわたしの顔を踏みつけていいのよ。でもあの女はだめ!』
『(...)彼女のせいであんたはわたしを捨てていくんだ』
『(...)このうえまたあの女の前でわたしを辱めるようなことはしないで』
サントゥッツァはトゥリッドゥと同じく、否、それ以上にローラのことが許せないのだ。

そして...第4場のラスト。
『もうたくさんだ!畜生!』
と彼女を振りほどいたトゥリッドゥに対するサントゥッツァの最後の台詞:
『トゥリッドゥ!聖体におわします神様、ローラのせいで彼がわたしを置いて行きませんように!』
(そしてトゥリッドゥが去ると)
『ああ!あんたに呪われた復活祭を!』

(つづく)


[参考資料]
カヴァレリーア・ルスティカーナ/河島英昭訳 (岩波文庫)
オペラ対訳ライブラリー カヴァレリア・ルスティカーナ/小瀬村幸子訳 (音楽之友社)
イタリアオペラを原語で読む カヴァレリア・ルスティカーナ/武田好 (小学館)
戯曲「カヴァレリア・ルスティカーナ」翻訳/武田好 (星美学園短期大学研究論叢第40号)
Cavalleria rusticana/Giovanni Verga (OMBand Digital Editions)
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posted by 小澤和也 at 17:07| Comment(0) | 音楽雑記帳

2022年01月21日

カヴァレリア・ルスティカーナの源流をたどる (2)



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[(1)からの続き]

短編集「田舎の生活」出版 (1880) の3年後、ジョヴァンニ・ヴェルガは同名の戯曲を書く。
翌1884年にトリノで初演された舞台劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」は大成功を収めた。

『カヴァレリア・ルスティカーナの源流をたどる(1)』のリンクはこちら↓
http://kazuyaozawa.com/s/article/189162719.html


【戯曲/カヴァレリア・ルスティカーナ】

主な登場人物:
トゥリッドゥ・マッカ
アルフィオ (リコーディア出身)
ローラ (アルフィオの妻)
サントゥッツァ
ヌンツィア (トゥリッドゥの母親)
ブラーズィ (馬丁)
カミッラ (ブラーズィの妻)
フィロメーナ
ピップッツァ

主要5名の関係性は短編、ならびにオペラと同じである。
少し補足すると:
1) アルフィオの出身地リコーディアは物語の舞台であるヴィッツィーニの西に位置する村。
ちなみに短編の中でトゥリッドゥがサントゥッツァに向かって
『おい、おまえさんの母ちゃんはリコーディアの出身だろう!喧嘩好きの血統だ!』
と軽口を叩く場面がある。
2) サントゥッツァは短編においては農園主コーラ (「豚のような金持ち」と描写されている!) の娘という設定であるが、戯曲ではそのような記述は出てこない。
さらに戯曲の最終盤でトゥリッドゥが
『サンタには (頼れる人が) 誰一人いないのだから...』
と母親に彼女を託す台詞が出てくる。
サントゥッツァの置かれた境遇が戯曲化に際して大きく変更されたことになる。


以下、短編のときと同様に場面ごとに要約を試みよう。

[第1場]
全9場の中で最も長い場面。
(戯曲全体のおよそ4割を第1場が占める)
ここでは便宜的に3つの部分に分けてみた。

第1場 その1:
【カミッラ、フィロメーナ、ブラーズィ、サントゥッツァ、ヌンツィア、およびピップッツァ】
本戯曲で初めて登場する4名の性格描写と彼らの軽妙な会話で物語が幕を開ける。
カミッラ: フィロメーナ、買い物かい?
フィロメーナ: きょうは神様を祝福する復活祭だからね!
ブラーズィ: (カミッラに) 家に入って仕事しろよ、お喋り女が!
ピップッツァ: ヌンツィア、卵はいかが?
…etc.

これらと並行して展開されるサントゥッツァとヌンツィアとの深刻なやり取り。
サントゥッツァ: (...)お願いだから、あなたの息子のトゥリッドゥがどこにいるのか教えて!
ヌンツィア: フランコフォルテへワインを仕入れに行ったよ。
サントゥッツァ: いいえ!夕べはまだここにいたのよ。夜の2時に彼を見た人がいるの。
ヌンツィア: 何を言いに来たのかい!...夕べは帰ってきてないよ...ともかくお入り。
サントゥッツァ: いいえ、わたし、あなたの家には入れないの。
...etc.


第1場 その2:
【アルフィオ、ヌンツィア、サントゥッツァ、カミッラ、フィロメーナ、およびブラーズィ】
そこへアルフィオがワインを買いにヌンツィアの店へ現れる。
ここでの女性たちとアルフィオの会話が興味深い。
アルフィオ: (...)きょうは家で復活祭を祝うために帰って来たんだ。
フィロメーナ:『謝肉祭は好きな人と、復活祭とクリスマスは家族と一緒に』かい。
カミッラ: お前さんの女房は復活祭とクリスマスにしかお前さんに会えないなんて、それってどういうことなんだい?
アルフィオ: カミッラさんよ、これが俺の仕事さ。(...)女房は俺のやり方を分かってくれてるんだ。(...)俺は自分のことは自分で決める。
フィロメーナ: (十字を切って)とんでもないこと!(教会へ向かう)
…etc.

勘定を済ませながらアルフィオはヌンツィアに
『明け方、家へ戻る途中にこの近くで急いで走って行くトゥリッドゥを見たぜ...俺には気づいていないようだったな』
と告げて去ってゆく。


第1場 その3:
【ヌンツィア、サントゥッツァ、ブラーズィ、およびピップッツァ】
ほぼ全編にわたってヌンツィアとサントゥッツァの会話。
[オペラにおける『ロマンヅァとシェーナ/お母さんも知るとおり』の部分に対応している]
ヌンツィア: (...)兵役から戻ったときにはローラはもうアルフィオと夫婦になっていて、それであの子は諦めたんだ。
サントゥッツァ: ちがうの!彼女のほうが諦めてなかったのよ!
(...) あの人はわたしを不憫に思うだけで、もうわたしのことなんか愛していないのよ!
(...)
ヌンツィア: お聞き、キリストの十字架のもとへ跪くのよ。
サントゥッツァ: いいえ、わたしは教会へは行けないわ、お母さん。

ぶつぶつと呟きながら教会へと向かうヌンツィア。
(ああ神様、どうかお知恵を!)


以下、
・第2場はトゥリッドゥとサントゥッツァのなじり合いの場面
・そこへローラが現れ三者三様のやり取りが展開する第3場
・ローラが教会へと去っていき、第4場はふたたび2人の激しい罵声の応酬へ

このあたりはオペラのストーリー進行とほぼ一致する形となるが、これらについては項を改めて。


[参考資料]
カヴァレリーア・ルスティカーナ/河島英昭訳 (岩波文庫)
オペラ対訳ライブラリー カヴァレリア・ルスティカーナ/小瀬村幸子訳 (音楽之友社)
イタリアオペラを原語で読む カヴァレリア・ルスティカーナ/武田好 (小学館)
戯曲「カヴァレリア・ルスティカーナ」翻訳/武田好 (星美学園短期大学研究論叢第40号)
Cavalleria rusticana/Giovanni Verga (OMBand Digital Editions)
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2021年11月27日

カヴァレリア・ルスティカーナの源流をたどる (1)



イタリアオペラにおけるヴェリズモ (verismo:現実主義) の起点となった「カヴァレリア・ルスティカーナ」(マスカーニ作曲)。

つい先日、ちょっとしたきっかけでその原作となる小説を初めて手にした。
文庫本で10ページちょっとの短編。
拍子抜けするほどの簡潔さであった。
そして、この物語がオペラ化される前段階として戯曲「カヴァレリア〜」なるものが存在することを不覚にもこれまた初めて知る。

オペラ中の合唱ナンバーである「オレンジの花香り」と「レジナ・チェリ」、これらのシーンはいずれも (当然といえば当然だが) 小説にも戯曲にも出てこない。
ならばせめて両底本をじっくり読み込んで、舞台の情景や人物たちの心情を少しでも理解したいと思うようになった。

まずは小説から。


【小説/カヴァレリア・ルスティカーナ】

ジョヴァンニ・ヴェルガ作
短編集「田舎の生活」(1880年刊) 所収

主な登場人物:
ヌンツィア (トゥリッドゥの母親)
トゥリッドゥ・マッカ
ローラ (農園主アンジェロの娘)
アルフィオ (馬車引き、ローラの夫)
サントゥッツァ (農園主コーラの娘)

小説 (および戯曲) ではトゥリッドゥの母親の名前はヌンツィア、オペラではルチーアとなる。
そしてもうひとつ。
サントゥッツァが「(豚のような金持ちの) 農園主コーラのかわいい娘」と本文中に明記されているのだ。
オペラの中での設定と微妙に異なるように感じるのは僕だけではないだろう。(後述)


本文は特に段落等の区切りを置いていないが、ここでは便宜的に全体を5つの部分に分けて要約を試みる。

[T]
その1: 
トゥリッドゥの風貌や素行についての描写。
彼は自分の兵役中にリコーディアの男 (=アルフィオ) と婚約してしまったローラの窓下で毎夜、彼女への侮蔑を歌にし怒りをぶちまける。

その2:
ようやく出会ったローラとの会話。
未練たらたらのトゥリッドゥ、対してまったく意に介することのないローラ。
『(アルフィオとの婚約について) だって神様の思し召しですもの!』
トゥリッドゥはそんなローラの態度が面白くない...そしてアルフィオは金持ちだ。
『この雌犬め、今に見ていろよ!』

[U]
その1:
トゥリッドゥはアルフィオの家の前に住む農園主コーラに取り入ってその家に出入りするようになり、彼の娘に甘い言葉をかけ始める。
サントゥッツァとトゥリッドゥの会話。
『お前にぞっこんだ...眠れないし食事も喉を通らない』
『ウソばっかり』
サントゥッツァも次第にその気に。

その2:
二人の様子を毎夜隠れて聞いていたローラ。
ある日トゥリッドゥに声をかける。
『それじゃあ、昔の友達にはもう声もかけないの?〜その気があるなら、あたしなら家にいるわよ!』

その3:
トゥリッドゥはまたローラに会いにたびたび通うようになる。
それに気付き、窓を叩いて悔しがるサントゥッツァ。

[V]
復活祭を間近に控え、大いに稼いで帰ってきたアルフィオとサントゥッツァの会話。
『あんたが留守の間に奥さんは家を飾っていたのよ』
ローラとトゥリッドゥの不義を聞かされ血相を変えるアルフィオ。
『よし、わかった...礼を言うぜ』

[W]
その1:
アルフィオが家に戻って以来トゥリッドゥは日々居酒屋で油を売っている。
復活祭前日、そこへアルフィオが現れる。
二人の会話。
互いに決闘のキスを交わし、トゥリッドゥはアルフィオの耳を噛む...こうして彼は約束を必ず守ると誓いを立てた。

その2:
息子の帰りを待っていたヌンツィアに語りかけるトゥリッドゥ。
『母さん...俺が兵隊に行ったときのようにキスしてくれないか、俺は明日の朝遠くへ行ってしまうんだ』

その3:
ローラとアルフィオの会話。
『まあ!そんなに急いでどこへ行くの?』
『すぐ近くさ...お前にはもう俺が戻ってこないほうがよいのだろうが』
ベッドの足元でひたすら祈るローラ。

[X]
トゥリッドゥとアルフィオの決闘の場面。
『俺が間違っているのはわかっている...でも...老いた俺の母さんを泣かせないために...俺はお前を犬ころのように殺すだろう』
『よし、わかった』

トゥリッドゥは腕に突きを受け、アルフィオの鼠径部を刺し返す。
不意にアルフィオが砂を掴み相手の目に向けて投げつける...怯むトゥリッドゥ。
アルフィオはトゥリッドゥを捕まえ、腹へ、そして最後は喉元へ...
『これで三つだ!俺の家を飾ってくれた礼だぜ』
崩れ落ちるトゥリッドゥ。
血が喉から泡を立てて流れ出る。
『ああ、母さん!』

ー 完 ー


オペラ化に際して新たに色付けされた部分は当然ながら多い。
上述のように合唱が登場する場面はほぼそうである。
またオペラではサントゥッツァの存在が軸となり、彼女とルチーア (小説ではヌンツィア)、彼女とトゥリッドゥ、同じくアルフィオとの対話が物語を運んでゆくわけであるが、小説においてはアルフィオとのやりとりしか描かれていない...扱いが軽いのだ。
その意味で決定的なのが決闘の場面のトゥリッドゥの言葉である。
彼は自分の非を認めつつそれでも闘う理由として『母さんを泣かせたくないから』とアルフィオに告げている。
(オペラにおいては [酒場での決闘の約束のシーンで] サントゥッツァを残して死ぬわけにはいかない、と心情を吐露している...この違いは大きい)

逆のパターンもある。
物語のラスト、トゥリッドゥとアルフィオの決闘の場面 ([5]) が小説の中では実に克明に描かれているのだ。
(オペラでは決闘は舞台の外で行われ、目撃者による叫び声によってトゥリッドゥの死が告げられるだけである)
また上記 [U] の部分、サントゥッツァを口説くトゥリッドゥ、人妻ローラの誘惑の場面もオペラでは (既知のものとして) 省かれている。


ヴェルガのこの原作、短いけれど内容の濃い、読み返すほどに味の出るスルメのような小説であった。
戯曲「カヴァレリア・ルスティカーナ」についても追って触れてみたいと思っている。


[参考資料]
・カヴァレリーア・ルスティカーナ/河島英昭訳 (岩波文庫)
・短編「カヴァレリア・ルスティカーナ」翻訳/武田好 (星美学園短期大学研究論叢第40号)
・Cavalleria rusticana/Giovanni Verga (OMBand Digital Editions)
posted by 小澤和也 at 00:44| Comment(0) | 音楽雑記帳

2020年08月11日

【音楽雑記帳】ハイドン交響曲 (2) 1774-1884 その1

 
 
 
1766年 (エステルハージ家の楽長に昇格した年) 〜1773年頃がハイドンの交響曲創作における最初の充実期とされていることは以前に述べた。
(メルクール、哀しみ、告別、マリア・テレジア、受難などのニックネームを持つ40番台の交響曲はすべてこの時期の作品)
 
〜ではその後の作品はどうだったのだろう?〜
 
1784年にハイドンはパリのオーケストラから交響曲の注文を受ける。
その結果生まれたのが6曲からなる有名な「パリ交響曲集」(第82-87番) だ。
 
これら2つの時期に挟まれた1774-84年頃のハイドンの交響曲はいかにも地味である。
演奏会等で取り上げられる機会も少ないように思われるし、音楽学者ランドンの著作にも『ハイドンのこの時期の交響曲は最上の作品とはいえない』『重い責任を背負いながら任務を果たし、むしろあたふたと交響曲を作曲し(...)』などといったどちらかといえばネガティヴな記述が見られるのだ。
(ちなみに “重い責任”“任務” とはエステルハージ宮におけるオペラ上演である)
 
 
以下、この時期の作品とされている24曲を列挙する。
(作曲年代および表記順序はあくまで僕の個人的な分類・参考データである)
その際、便宜的にさらに3つの時期に区切ってみた。
 
【前期】
§1774年
第54番ト長調、第55番変ホ長調『学校の先生』、第56番ハ長調、第57番ニ長調
§1774/75年
第60番ハ長調『うかつ者』、第68番変ロ長調
§1775/76年
第66番変ロ長調、第67番ヘ長調、第69番ハ長調『ラウドン』
§1776年
第61番ニ長調
 
【中期】
§1778/79年
第53番ニ長調『帝国』、第70番ニ長調、第71番変ロ長調
§1779年
第63番ハ長調『ラ・ロクスラーヌ』、第75番ニ長調
§1780年
第62番ニ長調、第74番変ホ長調
§1781年
第73番ニ長調『狩』
 
【後期】
§1782年
第76番変ホ長調、第77番変ロ長調、第78番ハ短調
§1783/84年
第79番ヘ長調、第80番ニ短調、第81番ト長調
 
 
一瞥して気付くのが「調性の選択」だ。
24曲中、短調作品はたったの2曲 (第78番、第80番)しかない。
長調のうち最も多いのがニ長調 (7曲)、次いでハ長調と変ロ長調が4曲ずつとなっている。
1766-73年頃の作品群において短調が5/19曲あったこと、ロ長調 (シャープx5) やへ短調 (フラットx4) といった調号の多い調性も用いられていたことを思うとその変化は興味深い。
 
楽章構成は24曲中
・第60番...全6楽章
・第68番...第2楽章にメヌエット、第3楽章がいわゆる緩徐楽章
の2曲を除きすべて「急-緩-メヌエット-急」の形をとる。
彼の集大成である「ザロモン交響曲集」、そしてその後の古典派交響曲に見られる楽章配置の “鋳型” が既にこの頃確立されていたということになろうか。
第1楽章はすべてソナタ形式で書かれ、うち7曲にゆったりとした序奏をもつ。
 
楽器編成においては、1776年の作品である第61番以降フルートが恒常的に用いられるようになった以外は大きな変化はないが、ファゴットやチェロがBassパートから独立して動くようになりオーケストラの色彩感が飛躍的に増している。
 
 
上に挙げた順でスコアを読み込み音源も聴いたのだが、ハイドンの実験精神とユーモアは変わらず健在である...
ルーティンワークのようにさらさらと書いたような作品は皆無といってよい。
 
(この項つづく)
posted by 小澤和也 at 17:31| Comment(0) | 音楽雑記帳