
歌曲集《人生における愛》
【ブノワとフラマン語歌曲】
パリから帰国したブノワは、自由主義詩人のエマヌエル・ヒールから影響を受けてフラマン語(=フランデレン地域で話されるオランダ語)をテキストとする作品を書き始めました。
1865年の《3つの歌曲》では村の若い男女が愛をささやき、陽気な老人が人生の徳を説いて聞かせます。ほのぼのとした牧歌的な作品です。
その翌年には《リュシフェル》、1868年には《スヘルデ川》とオラトリオの大作を続けざまに発表しました。
〜詩人ヒールについて、この頃のブノワの活動についてはこちらも〜
ブノワを知る10曲(5) 《スヘルデ川》
kazuyaozawa.com/s/article/191030165.html
1870年、ヒールは61編の詩を収めた詩集『人生における愛』を出版します。ブノワはこの中から10あまりの詩に曲をつけました。
【歌曲集《人生における愛》】
《私の心はこれほどに揺れ動く》《小さなバラはやさしい香りを放ち》《おお、来ておくれ、愛しい人よ》《歓びと苦しみの夢》《母》《傷ついた心は安らぎを求める》etc.
これらのタイトルからも分かるように、ブノワ&ヒールによるこの歌曲集は、人生における「さまざまな愛のかたち」を描いています。
初期のフラマン語歌曲と同様に有節歌曲の形式(例: シューベルト《のばら》)で朗らかに歌われる作品がある一方で、よりロマンティックな、物語の展開に寄り添うバラード的な通作歌曲の形(例: 同《魔王》を持つものも多く見られます。
特に後者は、のちに書かれる歌曲集《愛の悲劇》やオラトリオ《戦争》に見られる前衛的な和声を多く用いた神秘的・主観的なスタイル、1870年代前半のブノワの新たな作風へと繋がってゆくようにも思われます。
【拙訳《母》】
これを書いている今、私の心にもっとも響いている歌曲《母》の日本語訳を以下に掲げます。
男女の恋愛感情が母性愛というより大きなそれへと包み込まれ超克されるものとして描かれています。
《母》
おお、その前では情欲も沈黙するそなたよ
乳のしずくがそなたの乳房を伝い
愛という布を染みとおるように流れ
幼子の渇きを潤すそのとき、
そなたは何と美しく喜びに満ちていることか!
甘やかなる何かがそなたの夢見るような瞳を包み、
そなたが幸福に満ちていることを物語っている。
それはまるで、
澄んだ水面に映し出された己の姿を
喜びをもって見つめるガゼルの瞳のようだ。
そなたはその愛らしい幼子の
すでに清らかな愛の宿る
その無垢でいたいけな顔のなかに
泉に映るそなた自身の面影を見てはいないだろうか?
私はもはやそなたの心から消えてしまったと感じる。
それでも私の心は嘆きはしない。
ひとりの幼子がそなたの膝に抱かれ、
そなたはいっそう深くその子を慈しむであろう。
男の愛がそなたにもたらした
燃え立つ情欲の激しい嵐よりも。
おお、神聖なる、三たび神聖なる存在よ、
肉なる生命がそこからかくもみずみずしく生まれ出る。
おお、そなたのまなざしの中に
そなたの魂を養うよろこびを読み取らせたまえ、
美しいこの世界への愛によって。
その間にもそなたの乳房には
乳が真珠のように、このうえなく清らかに滴り、
幼子はその胸で身をよじっている。
そしてそなたは優しく、しかし心の奥深くで感じるに違いない。
母であること、それこそが不滅なのだと。
【参考音源】
ウェルナー・ファン・メヘレン(バリトン)、ヨゼフ・デ・ベーンハウウェル(ピアノ)
(2001年録音)
Phaedra 92026/2






