2024年08月21日

ブノワを知る10曲 (5)

image0.jpeg

《スヘルデ》
完成: 1868年10月、アントウェルペン
初演: 1869年2月、フランセ劇場、 ペーテル・ブノワ指揮
出版: ペーテル・ブノワ財団 (アントウェルペン)


§音楽学校の校長に
1867年、アントウェルペンに音楽学校が設立され、ブノワはその初代校長となります。この学校がフランデレン人のための、そしてフラマン語によって運営される組織機構となることを条件に彼は就任を受諾したのでした。(建国当初のベルギーでは政治・経済はもちろん教育・文化面においてもフランス語が支配的だったのです)


§フランデレン運動、ヒールとの交流
このような社会情勢の中で、ブノワは作家で詩人のエマニュエル・ヒール(1834-99)と出会います。彼は文芸の分野におけるフランデレン運動 (フラマン語の復興を目指すムーヴメント) の旗手のひとりでした。
二人はすぐに意気投合し、ブノワは1866年、ヒールの台本によるオラトリオ「リュシフェル」を発表し賞賛を浴びます。次いで書かれたのがこの《全三部からなるロマン的・歴史的オラトリオ「スヘルデ」》です。
ブノワはその後もヒールの台本や詩に作曲し、二人の協同作業は長く続いていきました。


§オラトリオ「スヘルデ」
主な登場人物:
詩人、芸術家、青年、少女、フランデレン(ネーデルラント)史における実在の人物たち

第1部、その冒頭で響くゆったりとしたコラールのような和音進行がさっそく私たちの心を掴みます。
詩人がスヘルデを讃え、二人の若者が愛を語ります。そして船乗りたちの合唱が「出航だ!」と叫びます。
第1部を通して流れる明るくのびやかな音楽はブノワとヒールによる ”フランデレン民族への呼びかけ、励まし“ のように感じられます。

第2部は一転して戦いの場面の連続に...いわばフランデレン(ネーデルラント)の歴史絵巻のようです。
登場するのは次の人物(の霊魂)たち:
ニコライ・ザネキン...中世、騒乱の時代の蜂起のリーダー
ヤコブ・ファン・アルテヴェルデ...15世紀の政治家、自治都市連合の指導者
オラニエ公ウィレム...16世紀、スペインの圧政に対し立ち上がったネーデルラントの貴族

これらのテキストは泥臭くいささか国粋主義的でもありますが、ブノワの音楽はほんとうに素晴らしい!
アルテヴェルデのアリアは全曲中の白眉ですし、ウィレム沈黙公の歌う旋律はのちに “Het Lied der Vlamingen (フランデレンの歌)“ と名付けられ現在でも親しまれています (ヒールが新たに詞をつけました)。

第3部では詩人および芸術家による哲学的なバラード、二人の恋人の愛の歌、そしてフランデレンの人々 (船乗り、漁師、貿易商etc.) のうたうスヘルデへの感謝の歌が絡み合いながら進んでいきます。
やがて聖堂の鐘が鳴り響き、大編成の合唱によって上記オラニエ公のテーマが朗々と歌われ大団円となるのです。
『愛の川スヘルデ、皆の恩恵のために流れよ、自由の祖国ネーデルラントを!』


§追記
ドナウやヴルタヴァ(モルダウ)もそうであるように、”川“ というものはやはりアイデンティティの象徴たり得るのだなと改めて感じます。

オラトリオ「スヘルデ」の物語と音楽について詳しくまとめた記事へのリンクです。
少し長いですが、ご興味がありましたらぜひご覧くださいませ。

その1
その2
その3
その4
その5


【参考音源】
・フラス指揮、BRT交響楽団&合唱団他、ヘンドリクス(sop)、ドゥヴォス、デュモン(ten)、フェアブリュッヘン、ヨリス(bar)、フィッセル(bas)
(1966年録音)
Eufoda 1021 (LP、2枚組)
・ブラビンス指揮、ロイヤル・フランダース・フィル、フランダース放送合唱団、オランダ放送合唱団、ファン=ロイ(sop)、ファン=デル=リンデン、ファン=デル=ヘイデン(ten)、ファン=メヘレン、ベリク(bar)
(2013年ライヴ録音)
Royal Flemish Philharmonic RFP009 (CD、2枚組)

長い間、フラス指揮のレコードが入手可能な唯一の音源でした。2014年にブラビンス指揮による新しい録音がリリースされ、素晴らしい音質でこの大曲を聴くことができるようになりました。

フラス指揮による演奏へのリンクはこちら↓↓
(アルテヴェルデのアリアは41’40”〜から)
-->
posted by 小澤和也 at 17:13| Comment(0) | 音楽雑記帳

2024年06月13日

ブノワを知る10曲 (4)

image0.jpeg

《フルートと管弦楽のための交響詩》

作曲: 1865年、ブリュッセル
初演: 1866年2月、ジャン・デュモン(フルート)
出版: Schott社(ブリュッセル)


§母国に戻って

1863年春にパリを離れたブノワは首都ブリュッセルを新たな活動の拠点とします。
この年の7月に (前回記事にて取り上げた)「レクイエム」を初演、その後もベルギーにおいて精力的に音楽活動を展開しました。
1864年にはアントウェルペンの王立ハーモニー協会のための「賛歌」をはじめ多くの合唱曲を、その翌年には初めてオランダ語による歌曲を作曲しました。(「3つの歌曲 op.39」)


§フランデレンの音楽文化振興をめざす

この頃のブノワには一つの目標がありました。
それはドイツに倣って、フランデレンにおいても定期的な音楽祭を開催するという構想です。
『〜このような年に一度の祭典は、ベルギーにとって真の恩恵となるだろう。これまでイタリアやフランスの作品に親しんできた聴衆の知的好奇心を大いに満足させることができる。国民芸術はこうした純粋な源泉によって発展し、やがて世界の偉大な流派と互いに肩を並べ生き生きと輝くだろう』
(ブノワが州政府に提出した論文より)


§フランデレンの古い伝承に触発されて

1865年の末、当時国際的に活躍していたベルギーの名フルート奏者、ジャン・デュモンのためにブノワは華やかな技巧と豊かな詩情にあふれた協奏的作品を書きました。
曲は3つの楽章からなり、それぞれに標題が与えられています。

T. Feux follets (鬼火)
U. Mélancolie (メランコリー)
V. Danse des follets (鬼火の踊り)

ブノワは同時期に作曲した「ピアノと管弦楽のための交響詩」、またパリ時代のピアノ曲集「物語とバラッド集 op.34」(1861) にも同じように各曲にタイトルをつけており、これらを彼の故郷の伝説にインスパイアされた有機的な連作とみなしたのでした。
19世紀ロマン派期の数少ない管楽器協奏曲の佳作として、単に珍しいからという理由でなくもっと広く知られ演奏されるべき作品であると思います。


【参考音源(CD)】
・リート(フルート)、デフレーセ指揮、ロイヤル・フランダース・フィル
(1995年録音)
Marco Polo 8.223827

・リート (フルート)、ボロン指揮、SWRシュトゥットガルト放送響
(2004年録音)
Hänssler 98.596

リート独奏/デフレーセ指揮による演奏へのリンクはこちら↓↓
-->
posted by 小澤和也 at 16:38| Comment(0) | 音楽雑記帳

2024年05月01日

ブノワを知る10曲 (3)

image0.jpeg

レクイエム


完成: 18632月、パリ

初演: 18639月、聖グドゥラ教会、 ジョゼフ・フィッシャー指揮

出版ペーテル・ブノワ財団 (アントウェルペン)



激動の一年

18626月、ブノワはパリでオッフェンバックが主宰するブフ=パリジャン劇場の指揮者に就任します。日々の公演とリハーサル、新聞や雑誌への音楽評論執筆、そしてそれらの合間に作曲...と彼は精力的に活動しました。その間に書かれたのがこの「レクイエム」です。

ブノワはこの地でオペラ作曲家としての成功を目指しましたがそれは叶わず、翌年3月にこのポストを離れます。それゆえ「彼にとってこの一年は100年にも感じられるような耳と魂の拷問であったに違いない」(ブロックスによる伝記より)とも評されますが、この経験がブノワの芸術的見識を拡げ洗練させる助けになったことは確かでしょう。


レクイエムの特徴とその魅力

この曲の最大の特徴はやはり合唱パートでしょう。以前に取り上げた「アヴェ・マリアop.1」と同様、大小二群に分けられた二重合唱が劇的な効果をあげています。

そして「ベネディクトゥス」では小合唱の中にソロパートが置かれ、さらに「サンクトゥス」および「ベネディクトゥス」では大合唱のソプラノに少年合唱を加えるなど、ブノワの響きに対する徹底したこだわりが感じられます。

聴きどころは枚挙にいとまがありませんが、私がもっとも好きなのは「ディエス・イレ」の中盤、”Recordare(思い出したまえ)“ の優しく愛撫するような旋律です...この部分は何度聴いても心が震えます。(下記参考動画 16’40”)


【参考音源(CD)】

・ルールストレーテ指揮、BRTN室内管&合唱団、コルトレイク混声合唱団

(1975年録音)

Etcetera KTC1473 (2枚組)

・ペーテル・ブノワ 宗教曲四部作

デ・ワールト指揮、アントワープ響、ナミュール室内合唱団、オクトパス交響合唱団

(2015年ライヴ録音)

Royal Flemish Philharmonic RFP013


私が初めてこの曲を聴いたのはヘレヴェッヘ指揮のライヴ録画でした (現在Youtubeで全曲視聴可能)

その後、上記ルールストレーテ盤のLPを入手、長らくこれが唯一の録音だったようです。

2018年、三人の指揮者による「宗教曲四部作」全曲を収めたアルバムが発売されました。


ルールストレーテ指揮による演奏へのリンクはこちら↓↓

https://m.youtube.com/watch?v=y3NmI0YnjME

posted by 小澤和也 at 11:24| Comment(0) | 音楽雑記帳

2024年02月08日

ブノワを知る10曲 (2)

image0.jpeg


幻想曲第3 op. 18

作曲: 1860年あるいはその少し後、パリ

初演: 18613月、アンジェル・タイユアルダ (ピアノ)

出版: Richault (パリ)



ブノワの代表作

ペーテル・ブノワの全作品中、現在もっともよく知られているのがこの “幻想曲第3番変ロ短調 op.18” でしょう。多くのピアニストに取り上げられレコーディングも行われています。また吹奏楽やクラリネットアンサンブル用に編曲されていることからもこの作品の人気がわかります。

ドイツ諸都市への遊学を終えたブノワは18595月、新たな拠点としてパリへ移ります。彼をこの「芸術の都」へと駆り立てたのはオペラ作曲家として活躍したいという強い願望でした。国内外の多くの作曲家がパリでの成功を目指していたのです。


ピアノ曲を量産

ブノワは185961年にかけて集中的にピアノ曲を作曲し、それらの多くはパリで出版されました。大半は幻想曲やマズルカ、奇想曲といった小品ですが、他に “ソナタ変ト長調(1860)” や組曲形式の “物語とバラッド集 op.34(1861)” といった大曲もあります。

この第3番を含めてブノワには4曲の幻想曲がありますが、そのいずれもが調号 (シャープやフラットを多く用いた色彩的でロマンティックな響きをもつ調性で書かれています。

1変イ長調 (フラット x4)

2嬰ヘ長調 (シャープ x6)

3変ロ短調 (フラット x5)

4変ホ短調 (フラット x6)


初演評

3op.18は初演を行ったアンジェル・タイユアルダに献呈されました。その際のコンサート評では次のように述べられています。

『ブノワ氏は正しい流派の作曲家である。彼のピアノ曲は、この種の作品にしばしば見られる指の曲芸的技巧を唯一の長所とするものとは一線を画している。(...) op.18およびop.20幻想曲” を見れば、彼が非常に注目に値するピアノ作品を書きながらも、音楽的であり続けたかったということが納得できる』


【参考音源(CD)

フランダースの音楽 Vol.1

ペーテル・ブノワ ピアノ曲集

ヘーヴェルス (pf)

Talent DOM2910 34


こちらはデ・ベーンハウウェルの演奏↓↓

https://m.youtube.com/watch?v=eS-T3xUV7p0

posted by 小澤和也 at 14:45| Comment(0) | 音楽雑記帳

2024年02月02日

ブノワを知る10曲 (1)

image0.jpeg


あっという間に一ヶ月が過ぎてしまいましたが、2024年はこれまで以上に我がペーテル・ブノワとその音楽について本ブログで発信していきたいと思っています。


そのためのひとつの試みとして...

(みなさんにこの曲をぜひ知っていただきけたら!と僕が考えているブノワ作品を1曲ずつ、できるだけ簡潔にご紹介していきます。

題して「ブノワを知るための10曲」。


記念すべき()1回は、象徴的な意味をもこめてこの作品を。



アヴェ・マリア op.1

作曲: 1858年、ベルリン

初演: 18589月、ベルリン大聖堂合唱団、 アウグスト・ナイトハルト指揮

出版: Bote&Bock(ベルリン)


ドイツ楽旅へ

1857年、22歳のブノワは新作のカンタータ “Le meurtre d'Abel (アベルの殺害)” によってベルギー・ローマ大賞 (グランプリを受賞しました。彼はその翌年、獲得した奨学金でドイツ諸都市への遊学に赴きます。ドレスデンでは自作の演奏を聴き、ミュンヘンではフランツ・リストと面会しました。

同年夏に訪れたベルリンでは大聖堂合唱団との出会いがありました。その素晴らしさを彼は本国への報告書の中で次のように述べています。「あらゆる巨匠たちの声楽曲、とりわけその黄金期である16世紀作品を演奏する大聖堂合唱団は賞賛に値する。60名の (ボーイソプラノと30名の男声からなる大合唱団は壮大な構想の作品を演奏する (...) ディレクターの厚意により私はすべてのリハーサルに参加することができた。私にとって興味深いセッションばかりだった」


作品

1

この時期に作曲されたのが “アヴェ・マリア” です。「無伴奏二重合唱のための」と添えられたこの作品にブノワは「作品番号1」を与えました。彼はすでにいくつかの歌曲やモテットを出版していましたが、この新作に何かしら期するものがあったのでしょう。

スコアにはそれぞれ「Chœur Solo (ソロ合唱)」、「Chœur Tutti (大合唱)」と書かれた二群の混声四部パートがあります (二重合唱の手法自体は上記 “アベルの殺害” においてすでに用いられていました)。さらに「大合唱」のテノールおよびバスはしばしば各二声に分割され、曲の冒頭はその男声四部合唱のピアニシモ (最弱音によって神秘的に始まります。そしてこの二重合唱のスタイルは後に生まれる傑作 “荘厳ミサ”  “レクイエム” にも受け継がれ、ブノワの言わば「トレードマーク」となりました。

この作品は聖グドゥラ大聖堂 (ブリュッセルの聖歌隊長J. フィッシャーに献呈されました。



【参考音源(CD)】

In Manus Tuas〜フランダースの宗教音楽

(In Flanders’ Fields Vol.50)

エンゲルス指揮、ラトヴィア国立合唱団

Phaedra 92050 (2枚組)

posted by 小澤和也 at 22:48| Comment(0) | 音楽雑記帳

2023年05月07日

音楽事典で見る『ペーテル・ブノワの生涯』

image0.jpeg


西洋音楽を扱った世界最大の参考文献のひとつである「ニューグローヴ世界音楽大事典」。
この中でペーテル・ブノワがどのように取り上げられているか、以下に拙訳を試みた。

※一文ごとの改行、および段落毎に適宜施した空白行は小澤によるものである
※本文の後に記載された「主要作品一覧」他は省略した


ペーテル・(レオナルト・レオポルト・) ブノワ (1834年8月17日 ハレルベーケ生まれ〜1901年3月8日 アントワープにて没)
はベルギーの作曲家、指揮者、教育者。
彼は父親から最初の音楽レッスンを受け、その後ピアノとオルガンをP. カルリエル (デッセルヘムの堂守、オルガニスト) に学んだ。

1851年にブリュッセル音楽院の生徒となり、ピアノ・和声・対位法・フーガおよび作曲を受講、1854年に和声と作曲で一等賞を受賞する。
彼の主任教師は校長のフランソワ=ジョセフ・フェティスであった。

音楽院での勉強を終えた後、彼はC.-L. ハンセンス (モネ劇場の指揮者) のもとで勉強を続ける。
この頃のブノワはやむなくモネのオーケストラの追加トライアングル奏者となるほどに厳しい経済的苦境にあった。
その後1856年に彼はブリュッセルのパルク劇場の指揮者となる。

ブノワは1857年にカンタータ『アベルの殺害』(仏語のテキストによる。当時の政府によってそのように規定されていた) でベルギーのローマ賞を受賞した。
フェティスのアドバイスにより彼は賞金をドイツ楽旅の費用に充て、ケルン、ドレスデン、ベルリン、ミュンヘン、およびプラハにて過ごす。

帰国後ブノワはパリへ移り、1862年にブフ=パリジャン劇場の指揮者となった。
しかし1863年に彼は辞任しベルギーへ戻り、はじめブリュッセルに、次いで1867年にアントワープに定住、そこでフランドル音楽学校を設立する。

短期間のうちにこの学校はフランドルにおける音楽教育を確立するための困難な闘争の、またフランドルの人々の文化的発展のためのより大きな運動の重要な要素となった。
ブノワのたゆまぬ努力はベルギー政府が学校を承認したばかりでなく1898年にベルギーの仏語圏の音楽院と同じ権利を持つ王立フランドル音楽院にその地位を引き上げたことにより報われる。
ブノワはさらに、アントワープにおけるフラマン語の歌劇場の必要性を主張した。
1890年にネーデルランド・リリック劇場が設立され、1893年にこれがフランダース歌劇場となった。


作曲家としてブノワはフランドルの音楽に新しい命を吹き込んだ。
彼はフランドルの人々に彼らの芸術への信念を与え、彼自身の創造的な実例を通して他の者たちが作曲することを奨励した。
彼の主な目的は、フランドルの音楽生活を一般的なヨーロッパ文化のレベルに引き上げ、ベルリオーズやリスト、ワーグナーらによって示された規範に合わせることであったが、フランドルの国民意識運動とも関連していた。
彼の作品のこれらの2つの側面は、その画家の生きた時代のアントワープを描いた『ルーベンスカンタータ』の中に見られる。

様式のうえで彼の作品は19世紀のロマン主義に属している。
当初、フェティスの影響による彼の書法はフランス楽派のそれに近かった。
初期作品ではベートーヴェン、メンデルスゾーン、リスト、ショパン、ウェーバーからの影響を受ける。
しかし、彼のスタイルが発展するにつれ、ベルリオーズやマイアベーアの様式へ傾いていった。
創作力の最盛期において彼はワーグナーを思わせる劇的効果とともに大胆で非古典的な和声を用いた。


ブノワは主に声楽曲の作曲家であり、大規模な合唱ミサ曲への際立った熟達の力を持っていた。
彼は意識的に自身の芸術をフランドルの人々の中に根ざした道徳的感覚の支配下に置く。
彼の第一の作曲の目的は大衆によって演奏され理解されることであり、そのために彼は後期作品のスタイルを意図的に平易なものとした。
彼は伝統的な民俗音楽や芸術音楽のメロディとリズムの中に国民性を探し求める。
キャリアの初期において彼は既存の作品を用い、また子供のためのカンタータを考案した。
彼が採用した最も独創的な形式は、俳優がリズムで話し、全体を通してオーケストラが伴奏する形の音楽劇であった。
ブノワは国際的な知的資質を持った教育者であり、その音楽院のカリキュラムは時代をはるかに超えるものであった。

(ここまで)
posted by 小澤和也 at 18:15| Comment(0) | 音楽雑記帳

2022年07月20日

カヴァレリア・ルスティカーナの源流をたどる (5)


image0.jpeg-->
-->
「源流をたどる(4)」の続きです。

『カヴァレリア・ルスティカーナの源流をたどる』
(1) へのリンク↓
(2) へのリンク↓
(3)へのリンク↓
(4)へのリンク↓

[第6場]
【トゥリッドゥ、ローラ、フィロメーナ、ブラーズィ、カミッラ、ヌンツィア】
ヌンツィアの居酒屋の前の広場。
オペラの「シェーナ、合唱と乾杯の歌」にあたる場面。
戯曲では前の第5場から続くシーンであるが、オペラにおいては前景との間に例の有名な「間奏曲」が挿入されているのはご存知のとおりである。

ヌンツィアの居酒屋の前の広場。
皆で一杯やろう、とトゥリッドゥがローラに声をかける。
ブラーズィ、カミッラ、フィロメーナも集まってくる。
オペラではトゥリッドゥ、ローラと合唱が『輝くグラスのなかで泡立つワインに万歳!」と歌うのだが、戯曲ではトゥリッドゥを中心に軽妙な、そして際どい会話が続く。

トゥリッドゥ: (店の中のヌンツィアに向かって) おい、母さん!あの美味い酒はまだあるかな?
ヌンツィア: ああ、あるよ、お前さんがきょうフランコフォルテから買ってきたはずのものならね!
トゥリッドゥ: わかったわかった、復活祭の日だってのに母さんまでそんな話するなよ(...)

ローラ: 兵隊に行ってた先では向こうの女たちをこんなふうに口説いていたのね、見れば分かるわ!
トゥリッドゥ: まったく女ってやつは!俺はいつでもこの村のことばかり考えていたんだ (...)
可哀想な男が遠くへ行って、頭も心もおかしくなって、それでも一人の女のことだけを考えながら...
そこで突然聞かされるんだ、「あの女結婚したんだぞ」って!
ローラ: あんたが遠くにいてそこで他の女に囲まれているときでも「彼女らには一切見向きもせずひとりの女のことだけをずっと考えている」と女は信じてるだなんて思ってるの?
そして帰った後は最初の女に落ち着くとか思いたいわけ?
トゥリッドゥ: 悪かったよ、謝るよ...

〜なんとも散々なトゥリッドゥである。


[第7場]
【アルフィオ、トゥリッドゥ、ブラーズィ、ローラ、カミッラ、およびフィロメーナ】
この場面以降はオペラの「フィナーレ」に相当する。
アルフィオがトゥリッドゥの差し出すグラスを撥ねつけ、二人が決闘の約束を交わすという展開は戯曲においてもほぼ同じであるが、一つ決定的に異なる点がある。

トゥリッドゥ: アルフィオさんよ、何か俺に言いたいことがあるのかい?
アルフィオ: 何も。俺が言いたいことは分かっているだろう。
トゥリッドゥ: それじゃ俺はここであんたの言いたいようにするさ。

(先に席を外していたブラーズィが妻に家へと入るように合図し、カミッラは出て行く)

ローラ: いったいどうしたの?
アルフィオ: (ローラの言葉に耳を貸さず彼女を押しやって) ここでちょっと顔を貸してくれれば、腹を割ってあの話ができるんだがな。
トゥリッドゥ: 村はずれの家のところで待っていてくれ、(...)すぐにあんたのところへ行くから。

(互いに抱き合ってキスをする。トゥリッドゥは彼の耳を軽く噛む)

アルフィオ: よくやってくれた、トゥリッドゥさんよ!お前さんにはその腹づもりがあるってことか。これこそ名誉を重んずる若者の誓約というものだ。
ローラ: ああ、マリアさま!アルフィオさん、どこへ行くの?
(...)

このように、戯曲においてはトゥリッドゥがアルフィオの耳を噛む瞬間をローラも目撃するのだ。
そしてアルフィオだけがこの場を立ち去り、第8場へと進む。


[第8場]
【トゥリッドゥ、ローラ、およびヌンツィア】
「俺がもう持ってこないほうがお前にはいいんだろうが」とアルフィオに突き放されうろたえるローラ。

ローラ: トゥリッドゥさん!あなたまでこのまま私のことを放っておくつもり?
トゥリッドゥ: 俺はあんたとはもう関係ない、二人の仲はすっかりおしまいだ。あんたの旦那と生き死にを賭けて抱き合ってキスしたのを見たろう?

戯曲ではローラのただならぬ心境が克明に描かれ、この終盤における物語中の存在感も確かである。
(この後の最終第9場にも彼女は登場する)
マスカーニがオペラ化にあたり、ローラを “修羅場” から早々に退場させているのも彼なりの考えがあってのことであろう。

ローラとのやり取りのさなかに「まだいたのかい?」とヌンツィアが顔を出す。
そこで、酔いのせいにして「サンタを頼む...」とトゥリッドゥが最後の思いを母親へと託すくだりはオペラと戯曲でほぼ共通である。

alla Santa, che non ha nessuno al mondo, pensateci voi, madre.
サンタのことなんだけど...あいつには頼れる人が誰もいないんだ...だから考えてやってくれないか、母さん。

cf. 前にも触れたが、短編小説においてはサントゥッツァは裕福な農園主コーラ氏の娘という設定になっている。


[第9場]
【ヌンツィア、ブラーズィ、ローラ、フィロメーナ、カミッラ、およびピップッツァ】
以下、台詞の全文を拙訳にて:

ヌンツィア: いったい何が言いたいんだい?
ブラーズィ: ローラ、家にお帰りよ、帰るんだ!
ローラ: なんで帰らなきゃならないのよ?
ブラーズィ: 今お前さんがここに、この広場にいちゃ良くないんだよ!もし誰かについていてほしかったら...おい、カミッラ、ここでヌンツィアさんのそばにいてやってくれ。
フィロメーナ: ああ、神様!
ヌンツィア: 息子はどこへ行ったんだい?
カミッラ: いったい何があったのさ?
ブラーズィ: 見てなかったのか、ばかだなあ、あのとき耳を噛んだろう?あれは俺がお前を殺すか、さもなくばお前が俺を殺すか、って意味なんだ。
カミッラ: ああ、なんてこと!
ヌンツィア: 私のトゥリッドゥはどこへ行ったのさ?もう何がどうなっているんだい?
ローラ: 不幸な復活祭になってしまった、ヌンツィアさん!一緒に飲んだワインがぜんぶ毒になったのよ!
ピップッツァ: トゥリッドゥさんが殺された!トゥリッドゥさんが殺されたよ!

(幕)


こうして戯曲とオペラを比較してみると、マスカーニと台本作家たちによるオペラ作品としての再構成がいかに当を得たものであるかを改めて実感させられる。
同時に、今回の戯曲台本との出会いによって、近い将来再び「カヴァレリア〜」のスコアを開いたときにこれまでとひと味違った楽譜の風景が見えてくるような気がするのだ。
楽しみである。


[参考資料]
カヴァレリーア・ルスティカーナ/河島英昭訳 (岩波文庫)
オペラ対訳ライブラリー カヴァレリア・ルスティカーナ/小瀬村幸子訳 (音楽之友社)
イタリアオペラを原語で読む カヴァレリア・ルスティカーナ/武田好 (小学館)
戯曲「カヴァレリア・ルスティカーナ」翻訳/武田好 (星美学園短期大学研究論叢第40号)
Cavalleria rusticana/Giovanni Verga (OMBand Digital Editions)
-->
posted by 小澤和也 at 08:38| Comment(0) | 音楽雑記帳

2022年02月23日

カヴァレリア・ルスティカーナの源流をたどる (4)


-->

[画像: マスカーニによる間奏曲(ピアノ譜)の自筆原稿(一部)]

「源流をたどる(3)」の続きです。

『カヴァレリア・ルスティカーナの源流をたどる』
(1) へのリンク↓
(2) へのリンク↓
(3)へのリンク↓


[第5場]
【サントゥッツァ、アルフィオ、およびブラーズィ】
怒りと絶望にひとり打ちひしがれるサントゥッツァのもとへローラの夫アルフィオが現れる。
サントゥッツァはたまらずトゥリッドゥとローラの関係を彼に告げて...
という物語のアウトラインはオペラとほぼ共通であるが、第4場と同様にその描写は戯曲のほうがいっそう生々しい。


サントゥッツァ: ああ、神様があなたを遣わされたんだわ、アルフィオさん!
アルフィオ: ミサはどのあたりかな、サンタさんよ?
サントゥッツァ: 遅かったですね。でもあなたの奥さんはあなたを探してトゥリッドゥと一緒に行きましたよ。
アルフィオ: どういう意味だ?

戯曲ではこれに続いて、オペラにはないサントゥッツァの台詞が挿入される。
『あなたの奥さんは祭壇のマリア様のように黄金をいっぱい身にまとって歩き回っていますわよ、あなたにとっても名誉なことでしょう、アルフィオさん』
強烈な皮肉、そしてサントゥッツァのローラへの嫌悪がここにも見てとれる。
アルフィオは当然のごとく、
『おい、それがおまえさんに何の関係があるんだ?』
とにわかに気色ばむ。
そしてサントゥッツァのさらなる一言「あなたが外で稼いでいる間にローラは家を飾り立てているのよ〜」に続くのだ。
[この「家を飾り立てる」は「(夫婦間の) 不義を働く」という意味なのだそう]


その後のアルフィオの台詞もなかなかである。
『(...)復活祭の日の朝から酔っ払ってるのか、それなら鼻からワインを絞り出してやる!』
『(サントゥッツァの言うことが)もし嘘だったなら、(...)その目で泣けないようにしてやる (目をくり抜く!)、おまえも、不名誉な一族みんなもな!』

そしてこれに応ずるサントゥッツァの言葉も痛切の極みである。
『アルフィオさん、わたしは泣くこともできないんです。わたしの操を奪い、そしてローラのもとへ走ったトゥリッドゥを見てももう涙も出なかった』

アルフィオはサントゥッツァに礼の言葉を述べ、教会へは行かずに家に戻る。
『(...) 女房が俺を探しているのを見かけたら、トゥリッドゥへの贈り物を取りに家へ帰ったと言ってくれ』


ミサが終わり村人たちが教会から出てくる。
最後に現れたブラーズィがサントゥッツァに気づく。
『サンタさんよ、もう誰もいなくなってから教会へ行くっていうのかい!』
サントゥッツァは
『わたしは大罪を犯してしまったのよ、ブラーズィおじさん!』
と言い残して教会へと向かう。


戯曲においては
この場面の後、サントゥッツァは全く登場しない。

(つづく)


[参考資料]
カヴァレリーア・ルスティカーナ/河島英昭訳 (岩波文庫)
オペラ対訳ライブラリー カヴァレリア・ルスティカーナ/小瀬村幸子訳 (音楽之友社)
イタリアオペラを原語で読む カヴァレリア・ルスティカーナ/武田好 (小学館)
戯曲「カヴァレリア・ルスティカーナ」翻訳/武田好 (星美学園短期大学研究論叢第40号)
Cavalleria rusticana/Giovanni Verga (OMBand Digital Editions)
-->
posted by 小澤和也 at 21:20| Comment(0) | 音楽雑記帳

2022年02月06日

カヴァレリア・ルスティカーナの源流をたどる (3)



(2)の続き、第2場からです。

『カヴァレリア・ルスティカーナの源流をたどる』
(1) のリンクはこちら↓
(2) のリンクはこちら↓


[第2場]
【トゥリッドゥ、およびサントゥッツァ】
前景の登場人物たちがみな教会へと向かい、ひとりヌンツィアの家の前でトゥリッドゥを待つサントゥッツァ。
そこへトゥリッドゥが急いで登場、サントゥッツァの詰問から二人の言い争いへと展開してゆくところは戯曲とオペラとで同様であるが、サントゥッツァの言葉遣いに若干のニュアンスの違いがあることに気づいた。
例えば最初のやり取り。
オペラでは

Tu qui, Santuzza? (おまえ、ここに、サントゥッツァ?)
Qui t’aspettavo. (ここであんたを待ってたのよ)

と始まるのだが、一方戯曲では

Oh,Santuzza! … che fai tu? (おお、サントゥッツァ!...ここで何してるんだ?)
Vi aspettavo. (あなたを待っていたの)

tu(親称二人称) で言葉をかけるトゥリッドゥに対し、サントゥッツァはオペラでは対等にtuで、戯曲では敬称のvoiで返すのだ。
トゥリッドゥへの呼びかけもこの場面では“Compare Turiddu”( トゥリッドゥさん)である。

もう一点、戯曲を読むとトゥリッドゥの ”ダメンズ“ ぶりがいっそう際立っているように感じられるのだ。
フランコフォンテへ (ワインを仕入れに) 行っていたということが嘘であると見破られた後の台詞:
『俺は自分がいたいと思ったところにいたのさ』
「今あなたに捨てられたらわたしはどうすれば?」とすがるサントゥッツァに対しては
『俺はおまえを捨てたりしないさ、おまえが俺を追い詰めなければ。でも言ったろ、俺はやりたいと思ったことは自由にできる御主人様でいたいんだ』
そして最後には
『やりたいと思ったことができない男などと思われたくないんだ、そんなのはだめだ!』

二言目には “mi pare e piace”、
「俺がやりたいように」の一点張りなトゥリッドゥなのである。


[第3場]
【ローラ、トゥリッドゥ、およびサントゥッツァ】

ローラが登場。
(オペラでは『アイリスの花〜』と小唄を口ずさみながら姿を見せるが、戯曲にはこのストルネッロはない)
ローラの
『あら、トゥリッドゥさん、私の夫が教会へ行くのを見ませんでした?』
に始まる三者のやり取り、細部は異なるがその内容、そして発言の順序は戯曲とオペラとでほとんど全て同じである。

両者で唯一異なっているのが
トゥリッドゥ: 行こう、ローラさん、ここですることなんて何もない!
ローラ: 私に気を遣わないで、トゥリッドゥさん、道はわたしの足がよくわかってるから。それにあなた方の邪魔もしたくないですし。
〜の後に続くトゥリッドゥの一言、
Se vi dico che non abbiamo nulla da fare!
(何の用もない、って言ってるんだ!)
トゥリッドゥはローラに対してでさえとっさに癇癪を起こしているのだろうか...?
乏しい語学力ゆえ正確なニュアンスは分からないけれど...


[第4場]
【トゥリッドゥ、およびサントゥッツァ】
ローラが教会と去ってゆき、場面はふたたび二人きりとなる。
「すがるサントゥッツァとこの場から逃れようとするトゥリッドゥ」という構図は戯曲とオペラとでもちろん共通であるが、そのやり取りは戯曲のほうがかなり長く、また生々しさも数段すさまじく感じられる。
(ここではサントゥッツァもトゥリッドゥに対し “tu” で返している...第2場とは対照的なサントゥッツァの心情の変化を示していよう)

始まってすぐ、トゥリッドゥがサントゥッツァを罵る言葉:
オペラ: Ah! perdio! (ああ!畜生!)
戯曲: Ah! sangue di Giuda! (ああ!ユダのような奴め!)
直後のサントゥッツァ:
オペラ: Squarciami il petto… (わたしのこの胸を引き裂いて...)
戯曲: Ammazzami. (わたしを殺してちょうだい)

一方でオペラにおけるサントゥッツァの強烈な一言
Bada! (覚悟なさい!)
は戯曲中にはない。
サントゥッツァはひたすらトゥリッドゥにすがりつく。
『その足でわたしの顔を踏みつけていいのよ。でもあの女はだめ!』
『(...)彼女のせいであんたはわたしを捨てていくんだ』
『(...)このうえまたあの女の前でわたしを辱めるようなことはしないで』
サントゥッツァはトゥリッドゥと同じく、否、それ以上にローラのことが許せないのだ。

そして...第4場のラスト。
『もうたくさんだ!畜生!』
と彼女を振りほどいたトゥリッドゥに対するサントゥッツァの最後の台詞:
『トゥリッドゥ!聖体におわします神様、ローラのせいで彼がわたしを置いて行きませんように!』
(そしてトゥリッドゥが去ると)
『ああ!あんたに呪われた復活祭を!』

(つづく)


[参考資料]
カヴァレリーア・ルスティカーナ/河島英昭訳 (岩波文庫)
オペラ対訳ライブラリー カヴァレリア・ルスティカーナ/小瀬村幸子訳 (音楽之友社)
イタリアオペラを原語で読む カヴァレリア・ルスティカーナ/武田好 (小学館)
戯曲「カヴァレリア・ルスティカーナ」翻訳/武田好 (星美学園短期大学研究論叢第40号)
Cavalleria rusticana/Giovanni Verga (OMBand Digital Editions)
-->
posted by 小澤和也 at 17:07| Comment(0) | 音楽雑記帳

2022年01月21日

カヴァレリア・ルスティカーナの源流をたどる (2)



-->


[(1)からの続き]

短編集「田舎の生活」出版 (1880) の3年後、ジョヴァンニ・ヴェルガは同名の戯曲を書く。
翌1884年にトリノで初演された舞台劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」は大成功を収めた。

『カヴァレリア・ルスティカーナの源流をたどる(1)』のリンクはこちら↓
http://kazuyaozawa.com/s/article/189162719.html


【戯曲/カヴァレリア・ルスティカーナ】

主な登場人物:
トゥリッドゥ・マッカ
アルフィオ (リコーディア出身)
ローラ (アルフィオの妻)
サントゥッツァ
ヌンツィア (トゥリッドゥの母親)
ブラーズィ (馬丁)
カミッラ (ブラーズィの妻)
フィロメーナ
ピップッツァ

主要5名の関係性は短編、ならびにオペラと同じである。
少し補足すると:
1) アルフィオの出身地リコーディアは物語の舞台であるヴィッツィーニの西に位置する村。
ちなみに短編の中でトゥリッドゥがサントゥッツァに向かって
『おい、おまえさんの母ちゃんはリコーディアの出身だろう!喧嘩好きの血統だ!』
と軽口を叩く場面がある。
2) サントゥッツァは短編においては農園主コーラ (「豚のような金持ち」と描写されている!) の娘という設定であるが、戯曲ではそのような記述は出てこない。
さらに戯曲の最終盤でトゥリッドゥが
『サンタには (頼れる人が) 誰一人いないのだから...』
と母親に彼女を託す台詞が出てくる。
サントゥッツァの置かれた境遇が戯曲化に際して大きく変更されたことになる。


以下、短編のときと同様に場面ごとに要約を試みよう。

[第1場]
全9場の中で最も長い場面。
(戯曲全体のおよそ4割を第1場が占める)
ここでは便宜的に3つの部分に分けてみた。

第1場 その1:
【カミッラ、フィロメーナ、ブラーズィ、サントゥッツァ、ヌンツィア、およびピップッツァ】
本戯曲で初めて登場する4名の性格描写と彼らの軽妙な会話で物語が幕を開ける。
カミッラ: フィロメーナ、買い物かい?
フィロメーナ: きょうは神様を祝福する復活祭だからね!
ブラーズィ: (カミッラに) 家に入って仕事しろよ、お喋り女が!
ピップッツァ: ヌンツィア、卵はいかが?
…etc.

これらと並行して展開されるサントゥッツァとヌンツィアとの深刻なやり取り。
サントゥッツァ: (...)お願いだから、あなたの息子のトゥリッドゥがどこにいるのか教えて!
ヌンツィア: フランコフォルテへワインを仕入れに行ったよ。
サントゥッツァ: いいえ!夕べはまだここにいたのよ。夜の2時に彼を見た人がいるの。
ヌンツィア: 何を言いに来たのかい!...夕べは帰ってきてないよ...ともかくお入り。
サントゥッツァ: いいえ、わたし、あなたの家には入れないの。
...etc.


第1場 その2:
【アルフィオ、ヌンツィア、サントゥッツァ、カミッラ、フィロメーナ、およびブラーズィ】
そこへアルフィオがワインを買いにヌンツィアの店へ現れる。
ここでの女性たちとアルフィオの会話が興味深い。
アルフィオ: (...)きょうは家で復活祭を祝うために帰って来たんだ。
フィロメーナ:『謝肉祭は好きな人と、復活祭とクリスマスは家族と一緒に』かい。
カミッラ: お前さんの女房は復活祭とクリスマスにしかお前さんに会えないなんて、それってどういうことなんだい?
アルフィオ: カミッラさんよ、これが俺の仕事さ。(...)女房は俺のやり方を分かってくれてるんだ。(...)俺は自分のことは自分で決める。
フィロメーナ: (十字を切って)とんでもないこと!(教会へ向かう)
…etc.

勘定を済ませながらアルフィオはヌンツィアに
『明け方、家へ戻る途中にこの近くで急いで走って行くトゥリッドゥを見たぜ...俺には気づいていないようだったな』
と告げて去ってゆく。


第1場 その3:
【ヌンツィア、サントゥッツァ、ブラーズィ、およびピップッツァ】
ほぼ全編にわたってヌンツィアとサントゥッツァの会話。
[オペラにおける『ロマンヅァとシェーナ/お母さんも知るとおり』の部分に対応している]
ヌンツィア: (...)兵役から戻ったときにはローラはもうアルフィオと夫婦になっていて、それであの子は諦めたんだ。
サントゥッツァ: ちがうの!彼女のほうが諦めてなかったのよ!
(...) あの人はわたしを不憫に思うだけで、もうわたしのことなんか愛していないのよ!
(...)
ヌンツィア: お聞き、キリストの十字架のもとへ跪くのよ。
サントゥッツァ: いいえ、わたしは教会へは行けないわ、お母さん。

ぶつぶつと呟きながら教会へと向かうヌンツィア。
(ああ神様、どうかお知恵を!)


以下、
・第2場はトゥリッドゥとサントゥッツァのなじり合いの場面
・そこへローラが現れ三者三様のやり取りが展開する第3場
・ローラが教会へと去っていき、第4場はふたたび2人の激しい罵声の応酬へ

このあたりはオペラのストーリー進行とほぼ一致する形となるが、これらについては項を改めて。


[参考資料]
カヴァレリーア・ルスティカーナ/河島英昭訳 (岩波文庫)
オペラ対訳ライブラリー カヴァレリア・ルスティカーナ/小瀬村幸子訳 (音楽之友社)
イタリアオペラを原語で読む カヴァレリア・ルスティカーナ/武田好 (小学館)
戯曲「カヴァレリア・ルスティカーナ」翻訳/武田好 (星美学園短期大学研究論叢第40号)
Cavalleria rusticana/Giovanni Verga (OMBand Digital Editions)
-->
posted by 小澤和也 at 22:41| Comment(0) | 音楽雑記帳