2026年01月06日

ブノワを知る10曲(7)

image0.jpeg

《我が母国語》

完成: 1889年4月
初演: 1889年5月2日、アントウェルペン、ネーデルラント劇場、ヘンドリク・フォンテーヌ(バス)
出版:Röder社(ライプツィヒ)


§詩人グロートと低地ドイツ語
クラウス・グロート(1819–1899)はドイツ北部、ホルシュタイン地方に生まれた詩人です。生涯を通じて低地ドイツ語文学の発展に尽力し、地域の生活や自然・文化などを詩的に表現しました。
グロートは30歳代のはじめ頃、フェーマルン島での療養中に『クヴィックボルン』と題された詩集を編みました。「我が母国語」はその中に収められています。


§ブノワ歌曲の最高傑作
1889年5月、グロートの生誕70周年を記念した祝賀会がアントウェルペンにて催されました。この式典への協力を依頼されたブノワは即座にこれを引き受け、歌曲「我が母国語」を作曲します。
付曲に際してはフランデレンの作家コンスタント・ハンセンによるアルディーチ(中世オランダ語)訳詩が用いられました。歌はもちろんのこと、ハープと弦五部(ヴァイオリンx2、ヴィオラ・チェロおよびコントラバス)による伴奏も実に魅力的です。

フランデレンの作家で詩人のランブレヒト・ランブレヒツ(1865-1932)はこの曲について次のように書いています。
『その深い情感と詩的な内容、優雅にうねる旋律、そして完璧な形式美により、ペーテル・ブノワの歌はフランデレン精神の目覚めをもたらし、フランデレンにおいて古典的な意義を持つに至った。(...) 私たちがこの地で目にした、母国語を称賛する多くの作品の中でも、これに匹敵するものは一つもない。(...)ブノワが『我が母国語』以外の作品を何も作曲していなかったとしても、彼の名前は不滅のものだったであろう。』


§拙訳「我が母国語」

我が母国語、比類なく愛しきもの

その甘い響きは深く魂をふるわせる

私の心が鋼や石のようであるときも

あなたはその驕りをはらい去ってくれる


あなたは私のこわばった首をやさしく垂れさせる

母がその胸に抱くように

あなたが私の顔を優しく撫でるとき

すべての苦しみはしずまる


私は無邪気な子供のようだ

邪な世界はそこにはない

あなたが春風のように私を包みこむと

喜びがふたたび花開く


「さあ」そして老父はなおも言った

私の手を組ませ「祈りなさい」と

「父なる神よ」と私は始める

その昔にしたように


私は深く感じ そして理解する

真心がそのように語りかける

そして天上の平安が私へと吹き寄せ

すべてがふたたび幸福となる


清く公正なる我が母国語よ

古の民のことばの語り部よ

ただ口に「父よ」と発すれば

それは天使の歌声のように私に響く


これほどに私の心を優しく愛撫する歌はない

これほどに美しく歌う夜鶯はいない

そして涙が頬を伝ってゆく

谷間を流れる小川のように


 
§参考音源
レイチェル=アン・モーガン(メゾソプラノ&ハープ)
ユリウス・サッべによる現代オランダ語訳での歌唱です。
-->
posted by 小澤和也 at 01:23| Comment(0) | 音楽雑記帳

2025年11月26日

「水のいのち」考(2)…「水たまり」

田三郎による不朽の名作、組曲「水のいのち」成立のいきさつについては少し前に拙ブログで触れた。

小澤和也『音楽ノート』より
《「水のいのち」考》


彼が「海」に続いて付曲したのは、同じ詩人による「水たまり」、そして「川」であった。田は次のように述べている:
『私は高野喜久雄さんに電話し、私の考えを話し、彼の詩集「存在」の中から、すでに狙いをつけていた<水たまり>と<川>を「読む詩」から「きいてわかる詩」になおしてもらうことを頼んだのであった。』


以下に「高野喜久雄詩集」(1966年刊)に収められている「水たまり」を掲げる。
田三郎の曲をよく知る方にはその佇まいの違いにすぐ気づかれることと思う。


水たまり
高野喜久雄

轍のくぼみ 小さな
どこにでもある 水たまり
ぼくらは まさにそれに肖ている
流れて行く めあてはなくて
埋めるものも 更にない
どこにでもある 水たまり

ぼくらの深さ それは泥の深さだ
ぼくらの言葉 それは泥の言葉だ
泥の契り 泥の団欒 泥の頷き
泥のetc

しかし
ぼくらにしても いのちはないか
空に向かう いのちはないか
あの 水たまりのにごった水が
空をうつそうと する程の
ささやかな
しかし一途な いのちはないか
うつした空の 青さのように
澄もうと苦しむ 小さなこころ
うつした空の 高さのままに
在ろうと苦しむ 小さなこころ


第一連。
言わんとすることはほぼ同じなのだが、選ばれた言葉やその流れは付曲にあたって大きく変更されている。
田が加えた語句のなかで私が特に印象深く感じたのは
・たまる(溜まる)
・消え失せる
の2つだ。
曲の中ではこのように歌われる。
『くぼみにたまる/水たまり』
『ただ/だまって/たまるほかはない』
『やがて/消え失せてゆく/水たまり』
この作曲家にとって水たまりとはまず「(意に反して)たまり、そして消え失せる(運命にある)」ものなのだろう。


続く第二連では「団欒」が「まどい(円居)」に置き換えられているのが目を引く。
円居とは親しく集まり合うことでありもちろん団欒と同義だが、歌われるべき言葉としてはこちらのほうがはるかに相応しいと思う。
以下、作曲家の言葉:
『ついでながら、この詩に出てくる「やまとことば」の「ちぎり」あるいは「まどい」などを私たちは大切にしたいものである。
これらこそ、聞いてわかる、そして詩情に満ちた美しいことばだからである。』


第三連も詩の大意としては違いはないが、両者を比べて(なるほど!)感じたことが二つある。
詩の5行目
『空をうつそうと する程の』
この「程の」が歌詞の中では削られているのだ。
これはあくまで個人的な思いであるが...
そのためにこれまで私はこの曲を歌っていて
『あの水たまりの にごった水が/空をうつそうとする』
までで段落の区切りを覚えてしまい、その先の
『ささやかな/けれどもいちずな〜』
以降との繋がりをうまく感じられなかったのである。
今回原詩に当たってみて、「〜する程の」を読むことができ、この部分がようやく腹に落ちた。

もう一つは直後の7行目。
ここを田は
『けれどもいちずないのちはないのか』
とする。
この「ないか→ないのか」への変更も私の中では大きかった。
(いのちは“ないのか”......いや、そんなことはない、きっとあるはずだ!)
こんな声がどこからか聞こえてきたような気がしたのだ。


「読む詩」と「きいてわかる詩」。
これらは車の両輪のようなもので、詩の深い理解のためにはどちらも欠かせないものだと改めて思う。

posted by 小澤和也 at 14:27| Comment(0) | 音楽雑記帳

2025年10月04日

「水のいのち」考

私が田三郎の「くちなし」と初めて出会ったのは2020年秋のことである。やわらかく美しい旋律線、そして厳しくも一途な高野喜久雄の詩が私の心を強く打った。
また、歌曲の歌詩と高野の原詩との微妙な差異に気づくなかで、この作曲家が詩の “佇まい” にいかにこだわったかを改めて認識するとともに、このコンビによる不朽の名作、合唱組曲「水のいのち」においてすでに二人の間で同じようなやり取りが行われていたことを知る。
(「水のいのち」の詩についてもその変遷をじっくりと味わいたい...)
と、そのときの私は思ったのだった。

拙ブログ (小澤和也 音楽ノート) より
《3つの「くちなし」》

そして ─
その機会がようやく訪れた。
来春の演奏会に向け、御殿場市の合唱団「富士山コール・アニバーサリー」のみなさんと「水のいのち」を手がけることになったのだ。


1964年の初め、田三郎はある雑誌を介して高野喜久雄の「海」と出会う。

『みなさい
  これを  見なさい  と云いたげに
最後の二行を読んだ時、私は、「これではないかな?」と思った。
「待っていた言葉はこれか?」
「これでいいか?」
私は、繰り返しくりかえし読んでみた。』
(田三郎著: 随想集「くいなは飛ばずに」〜「ある出会い」より引用)

田はこの
みなさい/これを 見なさい
を、われわれ人間に対する海からの永遠の問い掛けの言葉として聞いた。

『〜それらすべてをこめて私は、ある音型をこのことばにあたえ、また、その音型をハミングにより曲の最初から使用することにした。波の音を暗示するものとして。』
(同上)


こうしてまず「海」が作曲された。
その後、田のもとに合唱組曲作曲のオファーが訪れる。
彼は高野の詩から「水たまり」「川」を選んで付曲し、さらに「雨」「海よ」を新たに書き下ろしてもらい、ここに組曲「水のいのち」の姿が立ち現れることとなる。


以下の詩は1966年刊行の「高野喜久雄詩集」に収められているものである。
語句の変更はないが、仮名遣いや改行、一文字余白の置きかたは「水のいのち」楽譜巻末に掲げられたものと若干異なっている。
詩の佇まいへの二人の “こだわり”、そして彫琢の痕跡をここに見ることができる。


高野喜久雄

空を うつそうとして
波ひとつ無く 凪ぐこともある
岩と 混じれなくて
ひねもす たけり狂うこともある

しかし 凡ての川はみな
そなたを指して 常に流れた
底に 沈むべきものは沈め
空に 返すべきものは空に返した

人でさえ 行けなくなれば
そなたを 指して行く
そなたの中の 一人の母を指して行く
そして そなたは
時経てから 充ち足りた死を
そっと 岸辺に打ち上げる
見なさい
これを見なさい と言いたげに
posted by 小澤和也 at 08:35| Comment(0) | 音楽雑記帳

2025年06月15日

ペーテル・ブノワ 小澤和也編「5つのモテット」についてのノート

ベルギーの作曲家ペーテル・ブノワ (1834-1901) はその青年期に数多くのモテットを書いています。1857年に「12のモテット集」、1868年には「20のモテット集」がそれぞれブリュッセルのショット兄弟社より出版されました。

「20のモテット集」の出版譜表紙には『同声合唱とオルガンまたはハルモニウム伴奏のための』と記されています。二部合唱あるいは三部合唱、そこに独唱が加わる形の曲もあります。またいくつかは斉唱 (あるいは独唱) のための作品です。若書きということもあってか、それらの中には比較的簡素な楽想、有り体に言ってしまえばやや深みに欠ける曲が含まれる一方で、美しいハーモニーに縁取られた魅力的な旋律をもつ佳品もあります。

最初に私の琴線に触れたのは第20曲 Ave Maria (アヴェ・マリア) でした。シンプルでありながら聴き手をうっとりとさせるたおやかなメロディ、それに寄り添う伴奏の繊細な色彩の明滅が静かな感動を呼び覚まします。そして...私の脳裡にはこのオルガンパートがコーラスのように響いたのでした。

(この曲をア・カペラで演奏できたならば...)
こうして出来上がったのが今回の混声合唱版「アヴェ・マリア」です。伴奏声部の器楽的な音の運びも感じられるよう意を用いました。

次に心惹かれたのが第7曲 Panis angelicus (天使の糧) です。原曲の編成は三部合唱+独唱、オルガンも独立した声部を持っています。かかる多層的・立体的なこの作品のアレンジには時に困難も伴いましたが、同時にペーテル・ブノワの「心」に近づくための深い思索の機会ともなりました。

楽想が実にオルガン的と言える第10曲 Regina coeli (天の元后)、そして今回収録は行いませんでしたが第16曲 Tota pulchra es (御身すべて美し、マリアよ)、および第15曲 Sub tuum (御身の庇護の下に) を加えた全5曲を無伴奏混声合唱のために編み、「ペーテル・ブノワ/5つのモテット」と題して曲集としました。本国ベルギー以外では未だほとんど知られていないペーテル・ブノワの素晴らしい音楽が日本で、そして世界で歌われ愛されるときが来ることを願ってやみません。


アヴェ・マリア Ave Maria
https://youtu.be/WfUMPG55Zw0
天使の糧 Panis angelicus
https://youtu.be/N1vCVVmaJzs
天の元后 Regina coeli
https://youtu.be/6q68YLNrgFQ

合唱: 東京農工大学グリークラブ
指揮: 小澤和也
posted by 小澤和也 at 12:14| Comment(0) | 音楽雑記帳

2025年02月06日

ブノワを知る10曲 (6)


image0.jpeg

《フランデレンの芸術的栄光
(ルーベンスカンタータ)》

完成: 1877年6月、アントウェルペン
初演: 1877年8月18日、フルーン広場、ペーテル・ブノワ指揮
出版: ペーテル・ブノワ財団


§音楽スタイルの大転換
1877年はフランデレン地方で活躍したバロック期の画家ルーベンス(1577-1640)の生誕300周年でした。
これを記念してアントウェルペン市がブノワに委嘱し作曲されたのがこの「フランデレンの芸術的栄光」です。
1870年代前半までのブノワは「愛の悲劇」(歌曲集)や反戦オラトリオ「戦争」など、前衛的な和声を多く用いた主観的な作品を書いていましたが、その後表現のスタイルを“一般大衆にも容易に理解できる平明な音楽”へと大きく転換させていました。この「フランデレンの芸術的栄光」もキャッチーで魅惑的な旋律、色彩的な劇的効果といった特徴をもった明快な作品となっています。


§巨大なオーケストラ編成
この曲のもう一つの特徴は大人数の管弦楽を使用していることです。その編成は次のとおりです:
ピッコロ2、フルート2、オーボエ2、イングリッシュホルン、E♭クラリネット、クラリネット2、バスクラリネット、ソプラノサックス、テナーサックス、ファゴット2、コントラファゴット
ホルン6、トランペット6、トロンボーン6、テューバ2
ティンパニ、打楽器(トライアングル、シンバル、大太鼓、小太鼓
バンダ(アイーダトランペット6)
弦五部
混声四部合唱、児童合唱

オーケストラ本体と離れて置かれた2群のアイーダトランペット、そしてユニゾン(斉唱)を多用した圧倒的なコーラスの響きが印象的です。


§作品について
全体は三部構成になっています。
各部において世界の国や地域が“擬人化されて”合唱によって歌われます。

第1部は“(ベルギーとオランダからなる)姉妹都市”のもとを“ヨーロッパ”“アジア”“アフリカ”などが訪れるという筋立てでフランデレンを称える歌が展開していきます。
(”アントウェルペン“という一都市もこの中に加わっています)
最後は古代ギリシャへの讃歌で締めくくられます。

第2部はその冒頭で“姉妹都市およびアントウェルペン”によって
『なんと長く陰鬱な夜だったか(...)人類は手枷足枷をかけられ(...)』
と重苦しく歌われて始まります。
すると世界の各地域が
『最初の光はどこに射したか?』『自由の歌は何処で初めて響いたか?』『それはフランデレンで!』etc.
とこぞってフランデレンを誉め称えます。
結びは児童合唱の澄んだ声が美しい「カリヨンの歌」で賑々しく終わります。

第3部は、第1部の冒頭に現れた祝祭的なファンファーレで始まりますが、すぐに“嫉妬” と“姉妹都市”との間で応酬が繰り広げられます。
『汝らの芸術は、自由は、魂は失われた!』
『踏みにじられ嘲笑された祖国に慈悲を!』
すると“全世界”が支配からの自由を訴えかけるように平和共存のメッセージを叫びます。
『人間は自由であれ、歩き回るところ、住むところすべて、スヘルデの泡立つ流れのように』
フィナーレではふたたび「カリヨンの歌」が感動的に歌われ全曲の幕を閉じます。


§参考音源
・デ・フォホト指揮、王立フラームス歌劇場管弦楽団他
(1958年ライヴ録音)
Eufoda 1158
・ファラハ指揮、アントウェルペン・フィル他
(1977年ライヴ録音)
CBS 73697 (LP)

前者は録音が非常に古めかしくトランペットが派手にコケたりしますが、ライヴ感・祝祭的な気分は満点です。
これに比べると後者はいくぶん穏やかな表現ですが音質的にははるかに聴きやすいと思います。

「カリヨンの歌」は短く素朴ですがとてもキャッチーで心にしみるメロディです...まずはこの部分からご一聴を!


デ・フォホト指揮による演奏へのリンクはこちら↓

カリヨンの歌は29’50”付近(第2部)と47’50”付近(第3部)です。
-->
posted by 小澤和也 at 01:55| Comment(0) | 音楽雑記帳

ブノワを知る10曲 (6)

image0.jpeg

《フランデレンの芸術的栄光
(ルーベンスカンタータ)》

完成: 1877年6月、アントウェルペン
初演: 1877年8月18日、フルーン広場、ペーテル・ブノワ指揮
出版: ペーテル・ブノワ財団


§音楽スタイルの大転換
1877年はフランデレン地方で活躍したバロック期の画家ルーベンス(1577-1640)の生誕300周年でした。
これを記念してアントウェルペン市がブノワに委嘱し作曲されたのがこの「フランデレンの芸術的栄光」です。
1870年代前半までのブノワは「愛の悲劇」(歌曲集)や反戦オラトリオ「戦争」など、前衛的な和声を多く用いた主観的な作品を書いていましたが、その後表現のスタイルを“一般大衆にも容易に理解できる平明な音楽”へと大きく転換させていました。この「フランデレンの芸術的栄光」もキャッチーで魅惑的な旋律、色彩的な劇的効果といった特徴をもった明快な作品となっています。


§巨大なオーケストラ編成
この曲のもう一つの特徴は大人数の管弦楽を使用していることです。その編成は次のとおりです:
ピッコロ2、フルート2、オーボエ2、イングリッシュホルン、E♭クラリネット、クラリネット2、バスクラリネット、ソプラノサックス、テナーサックス、ファゴット2、コントラファゴット
ホルン6、トランペット6、トロンボーン6、テューバ2
ティンパニ、打楽器(トライアングル、シンバル、大太鼓、小太鼓
バンダ(アイーダトランペット6)
弦五部
混声四部合唱、児童合唱

オーケストラ本体と離れて置かれた2群のアイーダトランペット、そしてユニゾン(斉唱)を多用した圧倒的なコーラスの響きが印象的です。


§作品について
全体は三部構成になっています。
各部において世界の国や地域が“擬人化されて”合唱によって歌われます。

第1部は“(ベルギーとオランダからなる)姉妹都市”のもとを“ヨーロッパ”“アジア”“アフリカ”などが訪れるという筋立てでフランデレンを称える歌が展開していきます。
(”アントウェルペン“という一都市もこの中に加わっています)
最後は古代ギリシャへの讃歌で締めくくられます。

第2部はその冒頭で“姉妹都市およびアントウェルペン”によって
『なんと長く陰鬱な夜だったか(...)人類は手枷足枷をかけられ(...)』
と重苦しく歌われて始まります。
すると世界の各地域が
『最初の光はどこに射したか?』『自由の歌は何処で初めて響いたか?』『それはフランデレンで!』etc.
とこぞってフランデレンを誉め称えます。
結びは児童合唱の澄んだ声が美しい「カリヨンの歌」で賑々しく終わります。

第3部は、第1部の冒頭に現れた祝祭的なファンファーレで始まりますが、すぐに“嫉妬” と“姉妹都市”との間で応酬が繰り広げられます。
『汝らの芸術は、自由は、魂は失われた!』
『踏みにじられ嘲笑された祖国に慈悲を!』
すると“全世界”が支配からの自由を訴えかけるように平和共存のメッセージを叫びます。
『人間は自由であれ、歩き回るところ、住むところすべて、スヘルデの泡立つ流れのように』
フィナーレではふたたび「カリヨンの歌」が感動的に歌われ全曲の幕を閉じます。


§参考音源
・デ・フォホト指揮、王立フラームス歌劇場管弦楽団他
(1958年ライヴ録音)
Eufoda 1158
・ファラハ指揮、アントウェルペン・フィル他
(1977年ライヴ録音)
CBS 73697 (LP)

前者は録音が非常に古めかしくトランペットが派手にコケたりしますが、ライヴ感・祝祭的な気分は満点です。
これに比べると後者はいくぶん穏やかな表現ですが音質的にははるかに聴きやすいと思います。

「カリヨンの歌」は短く素朴ですがとてもキャッチーで心にしみるメロディです...まずはこの部分からご一聴を!


デ・フォホト指揮による演奏へのリンクはこちら↓
https://m.youtube.com/watch?v=CEoWft7jUsA
カリヨンの歌は29’50”付近(第2部)と47’50”付近(第3部)です。
posted by 小澤和也 at 01:49| Comment(0) | 音楽雑記帳

2024年08月21日

ブノワを知る10曲 (5)

image0.jpeg

《スヘルデ》
完成: 1868年10月、アントウェルペン
初演: 1869年2月、フランセ劇場、 ペーテル・ブノワ指揮
出版: ペーテル・ブノワ財団 (アントウェルペン)


§音楽学校の校長に
1867年、アントウェルペンに音楽学校が設立され、ブノワはその初代校長となります。この学校がフランデレン人のための、そしてフラマン語によって運営される組織機構となることを条件に彼は就任を受諾したのでした。(建国当初のベルギーでは政治・経済はもちろん教育・文化面においてもフランス語が支配的だったのです)


§フランデレン運動、ヒールとの交流
このような社会情勢の中で、ブノワは作家で詩人のエマニュエル・ヒール(1834-99)と出会います。彼は文芸の分野におけるフランデレン運動 (フラマン語の復興を目指すムーヴメント) の旗手のひとりでした。
二人はすぐに意気投合し、ブノワは1866年、ヒールの台本によるオラトリオ「リュシフェル」を発表し賞賛を浴びます。次いで書かれたのがこの《全三部からなるロマン的・歴史的オラトリオ「スヘルデ」》です。
ブノワはその後もヒールの台本や詩に作曲し、二人の協同作業は長く続いていきました。


§オラトリオ「スヘルデ」
主な登場人物:
詩人、芸術家、青年、少女、フランデレン(ネーデルラント)史における実在の人物たち

第1部、その冒頭で響くゆったりとしたコラールのような和音進行がさっそく私たちの心を掴みます。
詩人がスヘルデを讃え、二人の若者が愛を語ります。そして船乗りたちの合唱が「出航だ!」と叫びます。
第1部を通して流れる明るくのびやかな音楽はブノワとヒールによる ”フランデレン民族への呼びかけ、励まし“ のように感じられます。

第2部は一転して戦いの場面の連続に...いわばフランデレン(ネーデルラント)の歴史絵巻のようです。
登場するのは次の人物(の霊魂)たち:
ニコライ・ザネキン...中世、騒乱の時代の蜂起のリーダー
ヤコブ・ファン・アルテヴェルデ...15世紀の政治家、自治都市連合の指導者
オラニエ公ウィレム...16世紀、スペインの圧政に対し立ち上がったネーデルラントの貴族

これらのテキストは泥臭くいささか国粋主義的でもありますが、ブノワの音楽はほんとうに素晴らしい!
アルテヴェルデのアリアは全曲中の白眉ですし、ウィレム沈黙公の歌う旋律はのちに “Het Lied der Vlamingen (フランデレンの歌)“ と名付けられ現在でも親しまれています (ヒールが新たに詞をつけました)。

第3部では詩人および芸術家による哲学的なバラード、二人の恋人の愛の歌、そしてフランデレンの人々 (船乗り、漁師、貿易商etc.) のうたうスヘルデへの感謝の歌が絡み合いながら進んでいきます。
やがて聖堂の鐘が鳴り響き、大編成の合唱によって上記オラニエ公のテーマが朗々と歌われ大団円となるのです。
『愛の川スヘルデ、皆の恩恵のために流れよ、自由の祖国ネーデルラントを!』


§追記
ドナウやヴルタヴァ(モルダウ)もそうであるように、”川“ というものはやはりアイデンティティの象徴たり得るのだなと改めて感じます。

オラトリオ「スヘルデ」の物語と音楽について詳しくまとめた記事へのリンクです。
少し長いですが、ご興味がありましたらぜひご覧くださいませ。

その1
その2
その3
その4
その5


【参考音源】
・フラス指揮、BRT交響楽団&合唱団他、ヘンドリクス(sop)、ドゥヴォス、デュモン(ten)、フェアブリュッヘン、ヨリス(bar)、フィッセル(bas)
(1966年録音)
Eufoda 1021 (LP、2枚組)
・ブラビンス指揮、ロイヤル・フランダース・フィル、フランダース放送合唱団、オランダ放送合唱団、ファン=ロイ(sop)、ファン=デル=リンデン、ファン=デル=ヘイデン(ten)、ファン=メヘレン、ベリク(bar)
(2013年ライヴ録音)
Royal Flemish Philharmonic RFP009 (CD、2枚組)

長い間、フラス指揮のレコードが入手可能な唯一の音源でした。2014年にブラビンス指揮による新しい録音がリリースされ、素晴らしい音質でこの大曲を聴くことができるようになりました。

フラス指揮による演奏へのリンクはこちら↓↓
(アルテヴェルデのアリアは41’40”〜から)
-->
posted by 小澤和也 at 17:13| Comment(0) | 音楽雑記帳

2024年06月13日

ブノワを知る10曲 (4)

image0.jpeg

《フルートと管弦楽のための交響詩》

作曲: 1865年、ブリュッセル
初演: 1866年2月、ジャン・デュモン(フルート)
出版: Schott社(ブリュッセル)


§母国に戻って

1863年春にパリを離れたブノワは首都ブリュッセルを新たな活動の拠点とします。
この年の7月に (前回記事にて取り上げた)「レクイエム」を初演、その後もベルギーにおいて精力的に音楽活動を展開しました。
1864年にはアントウェルペンの王立ハーモニー協会のための「賛歌」をはじめ多くの合唱曲を、その翌年には初めてオランダ語による歌曲を作曲しました。(「3つの歌曲 op.39」)


§フランデレンの音楽文化振興をめざす

この頃のブノワには一つの目標がありました。
それはドイツに倣って、フランデレンにおいても定期的な音楽祭を開催するという構想です。
『〜このような年に一度の祭典は、ベルギーにとって真の恩恵となるだろう。これまでイタリアやフランスの作品に親しんできた聴衆の知的好奇心を大いに満足させることができる。国民芸術はこうした純粋な源泉によって発展し、やがて世界の偉大な流派と互いに肩を並べ生き生きと輝くだろう』
(ブノワが州政府に提出した論文より)


§フランデレンの古い伝承に触発されて

1865年の末、当時国際的に活躍していたベルギーの名フルート奏者、ジャン・デュモンのためにブノワは華やかな技巧と豊かな詩情にあふれた協奏的作品を書きました。
曲は3つの楽章からなり、それぞれに標題が与えられています。

T. Feux follets (鬼火)
U. Mélancolie (メランコリー)
V. Danse des follets (鬼火の踊り)

ブノワは同時期に作曲した「ピアノと管弦楽のための交響詩」、またパリ時代のピアノ曲集「物語とバラッド集 op.34」(1861) にも同じように各曲にタイトルをつけており、これらを彼の故郷の伝説にインスパイアされた有機的な連作とみなしたのでした。
19世紀ロマン派期の数少ない管楽器協奏曲の佳作として、単に珍しいからという理由でなくもっと広く知られ演奏されるべき作品であると思います。


【参考音源(CD)】
・リート(フルート)、デフレーセ指揮、ロイヤル・フランダース・フィル
(1995年録音)
Marco Polo 8.223827

・リート (フルート)、ボロン指揮、SWRシュトゥットガルト放送響
(2004年録音)
Hänssler 98.596

リート独奏/デフレーセ指揮による演奏へのリンクはこちら↓↓
-->
posted by 小澤和也 at 16:38| Comment(0) | 音楽雑記帳

2024年05月01日

ブノワを知る10曲 (3)

image0.jpeg

レクイエム


完成: 18632月、パリ

初演: 18639月、聖グドゥラ教会、 ジョゼフ・フィッシャー指揮

出版ペーテル・ブノワ財団 (アントウェルペン)



激動の一年

18626月、ブノワはパリでオッフェンバックが主宰するブフ=パリジャン劇場の指揮者に就任します。日々の公演とリハーサル、新聞や雑誌への音楽評論執筆、そしてそれらの合間に作曲...と彼は精力的に活動しました。その間に書かれたのがこの「レクイエム」です。

ブノワはこの地でオペラ作曲家としての成功を目指しましたがそれは叶わず、翌年3月にこのポストを離れます。それゆえ「彼にとってこの一年は100年にも感じられるような耳と魂の拷問であったに違いない」(ブロックスによる伝記より)とも評されますが、この経験がブノワの芸術的見識を拡げ洗練させる助けになったことは確かでしょう。


レクイエムの特徴とその魅力

この曲の最大の特徴はやはり合唱パートでしょう。以前に取り上げた「アヴェ・マリアop.1」と同様、大小二群に分けられた二重合唱が劇的な効果をあげています。

そして「ベネディクトゥス」では小合唱の中にソロパートが置かれ、さらに「サンクトゥス」および「ベネディクトゥス」では大合唱のソプラノに少年合唱を加えるなど、ブノワの響きに対する徹底したこだわりが感じられます。

聴きどころは枚挙にいとまがありませんが、私がもっとも好きなのは「ディエス・イレ」の中盤、”Recordare(思い出したまえ)“ の優しく愛撫するような旋律です...この部分は何度聴いても心が震えます。(下記参考動画 16’40”)


【参考音源(CD)】

・ルールストレーテ指揮、BRTN室内管&合唱団、コルトレイク混声合唱団

(1975年録音)

Etcetera KTC1473 (2枚組)

・ペーテル・ブノワ 宗教曲四部作

デ・ワールト指揮、アントワープ響、ナミュール室内合唱団、オクトパス交響合唱団

(2015年ライヴ録音)

Royal Flemish Philharmonic RFP013


私が初めてこの曲を聴いたのはヘレヴェッヘ指揮のライヴ録画でした (現在Youtubeで全曲視聴可能)

その後、上記ルールストレーテ盤のLPを入手、長らくこれが唯一の録音だったようです。

2018年、三人の指揮者による「宗教曲四部作」全曲を収めたアルバムが発売されました。


ルールストレーテ指揮による演奏へのリンクはこちら↓↓

https://m.youtube.com/watch?v=y3NmI0YnjME

posted by 小澤和也 at 11:24| Comment(0) | 音楽雑記帳

2024年02月08日

ブノワを知る10曲 (2)

image0.jpeg


幻想曲第3 op. 18

作曲: 1860年あるいはその少し後、パリ

初演: 18613月、アンジェル・タイユアルダ (ピアノ)

出版: Richault (パリ)



ブノワの代表作

ペーテル・ブノワの全作品中、現在もっともよく知られているのがこの “幻想曲第3番変ロ短調 op.18” でしょう。多くのピアニストに取り上げられレコーディングも行われています。また吹奏楽やクラリネットアンサンブル用に編曲されていることからもこの作品の人気がわかります。

ドイツ諸都市への遊学を終えたブノワは18595月、新たな拠点としてパリへ移ります。彼をこの「芸術の都」へと駆り立てたのはオペラ作曲家として活躍したいという強い願望でした。国内外の多くの作曲家がパリでの成功を目指していたのです。


ピアノ曲を量産

ブノワは185961年にかけて集中的にピアノ曲を作曲し、それらの多くはパリで出版されました。大半は幻想曲やマズルカ、奇想曲といった小品ですが、他に “ソナタ変ト長調(1860)” や組曲形式の “物語とバラッド集 op.34(1861)” といった大曲もあります。

この第3番を含めてブノワには4曲の幻想曲がありますが、そのいずれもが調号 (シャープやフラットを多く用いた色彩的でロマンティックな響きをもつ調性で書かれています。

1変イ長調 (フラット x4)

2嬰ヘ長調 (シャープ x6)

3変ロ短調 (フラット x5)

4変ホ短調 (フラット x6)


初演評

3op.18は初演を行ったアンジェル・タイユアルダに献呈されました。その際のコンサート評では次のように述べられています。

『ブノワ氏は正しい流派の作曲家である。彼のピアノ曲は、この種の作品にしばしば見られる指の曲芸的技巧を唯一の長所とするものとは一線を画している。(...) op.18およびop.20幻想曲” を見れば、彼が非常に注目に値するピアノ作品を書きながらも、音楽的であり続けたかったということが納得できる』


【参考音源(CD)

フランダースの音楽 Vol.1

ペーテル・ブノワ ピアノ曲集

ヘーヴェルス (pf)

Talent DOM2910 34


こちらはデ・ベーンハウウェルの演奏↓↓

https://m.youtube.com/watch?v=eS-T3xUV7p0

posted by 小澤和也 at 14:45| Comment(0) | 音楽雑記帳