2017年05月03日

白秋の『白き花鳥図』〈5〉

 
 
『黎明』
 
印度画趣
 
白き鷺、空に闘ひ、
沛然と雨はしるなり。
 
時は夏、青しののめ、
濛濛と雨はしるなり。
 
早や空(むな)し、かの蓮華色(れんげしょく)。
二塊(ふたくれ)の、夢に似る雲。
 
くつがへせ、地軸はめぐる。
凄まじき銀と緑に。
 
白き鷺空に飛び連れ、
濛濛と雨はしるなり。
 
 
・黎明(れいめい)...よあけ。物事の始まり。
・沛然(はいぜん)...雨のさかんに降るさま。
・濛濛(もうもう)...霧や小雨などで薄暗いさま。
・凄まじい...色などさめきって白っぽい。
 
 
『白き花鳥図』全18編中、14番めの詩。
多田武彦はこの『黎明』を組曲の第1曲に選んでいる。
"闘ひ" "雨はしる" "くつがへせ" など、力や勢い、はやさや厳しさを想起させる語句が並ぶこの一編 (特に "雨はしる" は三度にわたり用いられている) は実際、作品の冒頭を飾るに相応しいと思う。
 
題名の傍らには「印度画趣」と添えられている。
白秋の見た (想像した) 画がインド風のそれであったのか、あるいは "蓮華色"=朝焼けの空の色からハチスの花が連想されたのだろうか。
 
これまでにも述べてきたが、白秋の 「言葉の選び方へのこだわり」がこの『黎明』においても強く感じられる。
この詩の初出は昭和2年4月 (詩集としてまとめられる2年前) だが、それと読み比べるとほとんどの行が推敲され書き換えられているのに気付く。
長くなるが、以下に全文を掲げてみよう。
 
 
『黎明』
 
白き鷺空に闘ひ、
沛然と雨はしるなり。
 
時は夏、青しののめ、
瀉(かた)はいま雨はしるなり。
 
現(うつゝ)なり、善きも悪しきも、
超えよ、かの夢に似るもの。
 
くつがへせ、地球はめぐる、
水天の幻と帆と。
 
蜃気楼(かいやぐら)、紫の市、
たちまちに雨はしるなり。
 
 
※原文には全ての漢字にルビが振られているが、煩雑となるため一部を除き省略した。
 
 
以下はあくまで個人的な感想だが、初出版を目にしてから改めて最終形を読み込むと、洗練の度が格段に高くなっているのがわかる。
"かの蓮華色" が後に足されたものである、という点がやはり最大のインパクトであろうか。
(したがって副題の "印度画趣" も初出版にはない)
これも新たに加えられた "凄まじき銀と緑" と互いに響き合って、暗さや青白さが支配的な驟雨の風景の中にあって差し色のような効果を生んでいるように思える。
 
"沛然と" に呼応する "濛濛と" も良いし、"夢に似るもの"→"夢に似る雲"、あるいは "地球はめぐる"→"地軸はめぐる" への改変も、表現の輪郭をより鮮明に浮き上がらせている。
一方で、"蜃気楼、紫の市" という魅力的な一行を敢えて外した詩人の潔さにも感嘆するばかりだ。
最終連がこのような形になったことで、あたかも音楽における「主題回帰」「ソナタ形式における再現部」のようなフォルムの美しさを感じずにはいられない。
 
 
(つづく)
 
 
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2017年04月23日

白秋の『白き花鳥図』〈4〉

 
『珠数かけ鳩』
 
    唐画
 
珠数かけ鳩はむきむきに
落ちし杏(あんず)をつつくなり。
 
しめりまだ乾(ひ)ぬ土のうへ、
杏(あんず)はあかし、そこここに。
 
珠数かけ鳩の虔(つつ)ましさ、
脚(あし)にひろひぬ。飛び飛びに。
 
空に杏(あんず)の葉はにほひ、
羽根に雫の色涼し。
 
珠数かけ鳩は行き過ぎて、
あかき杏(あんず)につまづきぬ。
 
 
『白き花鳥図』全18編中、12番めの詩。
題名の傍らにやや小さな活字で「唐画」と記されている。
 
 
 
本詩集の中にはこの『珠数かけ鳩』を含め、同じように副題が添えられているものがある。
 
『辛夷』唐画 (5)
『蓮の実』唐画 (10)
『鵲』唐画 (11)
『珠数かけ鳩』唐画 (12)
『鳩』元画 (13)
『黎明』印度画趣 (14)
(カッコ) 内の数字は収録順
 
『辛夷』とともに歌われているのは黄鳥 (コウライウグイス)、同様に『蓮の実』にカワセミ、『鵲』に車前草 (オオバコ)...
たしかに、大陸の趣を感じなくもないか。
 
珠数掛鳩はシラコバトの別称。
数羽の鳩たちが思い思いに、熟して落ちた杏の実をついばんでいるさまを愛らしく描く。
一貫した7+5文字のリズム、また "むきむきに" "そこここに" "飛び飛びに" といった弾むような語感も読んでいて心地よい。
 
"脚にひろひぬ"、意味を掴みづらいのだがおそらくは "拾い足" (道の比較的よい所を選んで歩くこと) を指すのだと思う。
杏の実を踏まぬよう慎重に脚を運ぶ珠数かけ鳩、それでもときおり歩幅を誤って躓いてしまう...
そんなユーモラスな情景が目に浮かぶようだ。
 
この詩は前述のように、組曲の第2曲として置かれている。
モティーフの繰り返しを多く用いるとともに、単語のイントネーションとそこに充てられた旋律線が美しく調和しており、素朴で温かみのある「語り」をゆったりと聴いているような気分を醸し出す。
 
 
(つづく)
 
 
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2017年04月22日

白秋の『白き花鳥図』〈3〉

 
 
『鮎鷹』
 
鮎鷹は多摩の千鳥よ、
梨の果(み)の雫(しづ)く切口、
ちちら、ちち、白う飛ぶそな。
 
鮎の子は澄みてさばしり、
調布(たづくり)の瀬瀬(せぜ)のかみしも、
砧うち、
砧うつそな。
 
鮎鷹は初夜に眼の冴え、
夜をひと夜、あさりするそな。
ちちら、ちち、
鮎の若鮎。
 
水の色、香(かを)る泡沫(うたかた)、
眉引のをさな月夜を
ああ、誰か、
影にうかがふ。
 
   註  多摩川のほとりには梨畑多し
 
 
・鮎鷹...コアジサシ。チドリ目カモメ科。
・澄む...曇りがなく明るく見える。
・砧...槌で布を打ちやわらげ、つやを出すのに用いる木または石の台。また、それを打つこと。
・初夜...古くは前日夜半〜その日の朝。のちには夕方〜夜半まで。
・ひと夜...夜じゅう。
・あさり...動物が餌を探し求めること。
 
 
『白き花鳥図』全18編中、9番めの詩。
夜の静けさ、張りつめた空気の中に鮎鷹の動き回る気配とかすかな鳴き声が淡いタッチで描かれている。
言葉のリズム(終始5+7で運ばれてゆく)が実に心地よい...ここでも白秋の言葉の選択の確かさを味わうことができる。
"ちちら、ちち" と "砧うち"、また "夜をひと夜" と "鮎の若鮎" といった軽妙な語感の対比も面白い。
 
加えて、季節の表現に詩人の遊びごころを感じるのは僕だけではないだろう。
梨の切り口から果汁が滴る、といえばやはり実りの秋。
一方、砧打ちは晩秋から冬にかけての夜なべのイメージ。
そして若鮎は春に川をさかのぼる元気の良い鮎だ。
時の経過をもさりげなく詩に織り込んでいるかのよう。
 
 
多田武彦はまず、ピアノ伴奏付き同声三部合唱の形で組曲『白き花鳥図』を書いた。
1964年のことである。
ただしこのときの構成は、選んだ詩・曲順ともに現在知られる形とは異なっていた。
すなわち、
1. 黎明  2. 白鷺  3. 白牡丹  4. 鮎鷹  5. 柳鷺
の全5曲であった。
 
その後「柳鷺」を省くとともに「数珠かけ鳩」「老鶏」の二編を加え、無伴奏混声合唱組曲として再構成する。
新たな曲順は以下の通り。
1. 黎明  2. 数珠かけ鳩  3.白牡丹  4. 鮎鷹  5. 老鶏  6. 白鷺
 
以降この形がベースとなり、男声合唱版 (今回農工グリーが歌うのがこれである)、さらには女声合唱版 (再びピアノ伴奏付き!) が編まれ現在に至る。
 
「黎明」はポリフォニックな要素を含んだ堂々たる急速楽章、「白牡丹」は軽やかにはばたく中間部を伴う神秘的な緩徐楽章、「老鶏」は烈しいスケルツォ、そして宗教的な気分を湛えたアダージョ=フィナーレの「白鷺」といった有機的な楽曲配置を見ることができる。
「数珠かけ鳩」と今回の「鮎鷹」は素朴で抒情的な間奏曲といったところか。
 
 
(つづく)
 
 
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2017年04月16日

白秋の『白き花鳥図』〈2〉

 
『白牡丹』
 
白牡丹(はくぼたん)、大き籠(こ)に満ち、
照り層(かさ)む内紫(うちむさらき)、
豊かなり、芬華(かがやき)の奥、
とどろきぬ、閑(しづ)けき春に。
 
蝶は超ゆ、この現(うつつ)より、
うつら舞ふ髭長(ひげなが)の影。
昼闌(た)けぬ。花びらの外(そと)、
歎かじな、雲の驕溢(おごり)を。
 
白牡丹(はくぼたん)、宇宙なり。
また  薫(かを)す、専(もはら)なる白。
この坐(すわり)、ふたつなし、ただ。
位のみ。ああ、にほひのみ。
 
 
・内紫...ウチムラサキガイ。殻の表は灰黄白色で密な輪脈がある。
・芬華...派手に飾り立てること。
・闌ける...真っ盛りになる。盛りが過ぎる。
・驕溢...おごりたかぶって分に過ぎること。
・坐...物体の安定度、おちつきぐあい。
・ふたつなし...くらべるものがない。すぐれている。
・位...品位、品格。
 
前掲『白鷺』に続いて収められている詩。
白秋の言葉の選び方はここでも精緻を極め、もはやこれ以上動かしようがないという域にまで達しているように思える。
そして前作同様、一行12文字(5+7)でほぼ統一された言葉のリズムも美しい。
 
この『白牡丹』は、詩集『海豹と雲』に纏められる2年前 (1927年) に、他二編の詩とともに初めて発表されている。
その初出ヴァージョンと読み比べると、ある部分では語句が微妙に置き換えられ、また別の箇所では全く新しいものに変更されているのだ。
例えば冒頭の二行、初出ではこのようになっていた。
 
>白牡丹花籠に咲き、
>地の富を象徴す。
 
ここだけを取り出しても表現の深さ、そして読む者の心に投げかけるイメージの広がりと色彩感がまるで違うのがわかる
 
さらに詩の第二連、初出ではこうである。
 
>蝶は超ゆ、この世界より、
>また深き秘所(ひそ)へ舞ひつつ、
>昼闌けぬ、花びらのうら、
>照り満ちぬ、そよとも揺れず。
 
世界→現(うつつ)、うら→外 への推敲、"髭長の影" "雲の驕溢" といった鮮烈な言葉選び、それでいて "照る" "満つる" は決して捨てられたのではなく第一連の中に生きている...
こうした白秋の構成力とセンスにはただただ感服するのみである。
 
 
多田武彦は、組曲の第3曲にこの詩を選んでいる。
白秋の描いた白牡丹の比類なき美しさ、静寂の中にある圧倒的な存在感を余すところなく音楽にしていると思う。
 
 
(つづく)
 
 
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2017年04月07日

白秋の『白き花鳥図』〈1〉

 
この7月に農工大グリークラブと演奏する多田武彦/男声合唱組曲『白き花鳥図』。
北原白秋による同名の詩集 (厳密には詩集『海豹と雲』の中に『白き花鳥図』という題でまとめられた18の詩) から6編を選び付曲されている。
以下、それらの詩についてのメモを、僕自身の備忘録も兼ねて気ままに書いていこうと思う。
 
 
『白鷺』
 
白鷺は、その一羽、
睡蓮の花を食(は)み、
水を食(は)み、
かうかうとありくなり。
 
白鷺は貴くて、
身のほそり煙るなり、
冠毛(かむりげ)の払子(ほっす)曳く白、
へうとして、空にあるなり。
 
白鷺はまじろがず、
日をあさり、おのれ啼くなり、
幽(かす)かなり、脚(あし)のひとつに
蓮の実を超えて立つなり。
 
 
『白き花鳥図』中、第3編の詩。
多田武彦は、全6曲からなる組曲の終曲としてこれを用いている。
 
・かうかう...漢字で書くならば「皓皓」だろうか。あるいは耿耿?浩浩?行行?
・ありく...あちこち移動する意。動き回る。往来する。
・煙る...ぼうっとかすんで見える。
・払子...長い獣毛を束ね、これに柄を付けた法具。禅僧が煩悩・障碍を払う標識として用いる。
・へうとして...剽?あるいは漂?
・まじろぐ...まばたきする。
・日をあさり...昼間に餌を探しもとめる。
・おのれ...自然と。ひとりでに。
・幽か...物の形・色・音・匂いなどがわずかに認められるさま。さみしいさま。
 
全体を通して、静けさ、そして落ち着き払った高貴なたたずまいを感じさせる一編。
ほぼ全ての行が10文字(5+5)、もしくは12文字(5+7)で構成されており、言葉のリズム的にも揺るぎない安定感をもつ。
 
 
白秋は短歌でも白鷺を詠んだものをいくつか遺している。
例えば、
 
白鷺はくちばし黝(くろ)しうつぶくとうしろしみみにそよぐ冠毛(かむりげ)  (動物園所見)
 
春はまだ寒き水曲(みわた)を行きありく白鷺の脚のほそくかしこさ
 
〜いずれも歌集『白南風(しらはえ)』所収
 
これら二首、実に『白鷺』と響き合っているではないか。
白秋は、こうした白鷺の姿に神々しさを感じ取っていたように思える。
 
 
(つづく)
 
 
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2016年07月02日

伝記 ペーテル・ブノワ(17)

 
 
§第10章
 
[ペーテル・ブノワ、音楽学校の校長としてアントウェルペンへ赴く〜
王立フランデレン音楽院の創立へ]
 
 
1867年はペーテル・ブノワにとって重要な年となった。
アントウェルペン市当局は8月、ファンデンペーレボーム大臣の助言と支援のもと、アントウェルペン音楽学校の校長としてこのフランデレンの作曲家を任命する。
ブノワはこの学校が名実ともにフランデレン人の、そしてフラマン語による組織機構となることを条件に、このポストへの着任を受諾した。
同年11月のアントウェルペン音楽学校の開校、それはこの勇気ある男に大きな達成感をもたらしたに違いない。
ついに彼は、成功のための機会を活かし、熱意をもって働くことのできる職を手に入れたのだ。
まだ33歳の若さであったにもかかわらず、ブノワはすでに多くの業績を成し遂げており、またすべての人から積極的な人格の持ち主とみなされていた。
 
それでも彼は、単なる「音楽学校」を設立するという考えには同意できなかった...彼は当初から壮大な計画を抱いていたのだ。
彼によれば...
ー音楽学校とは、少年少女がソルフェージュや楽器演奏をただ学ぶという目的をもつだけでなく、彼らがフランデレンにおける音楽活動の中心人物となるための、いわばフランデレン音楽のための単科大学のようなものだ。
ーすべての科目はフランデレン語で教えられるべきである...ドイツ、ロシア、ボヘミア、ノルウェー、フィンランド、スペインなどの諸外国がそうであるように。
ー音楽は民族的伝統の中に、その最も美しく力強い価値を見い出すものである。
そのようにしてフランデレン音楽もまた、貴重な財産の中から引き出されるのだ...その財産とは、私たちフランデレン人の古い歌や舞曲である。
彼は、フランデレン独自の個性をそなえた音楽学校をこの地に与えようとしたのだ。
 
しかし当然ながら、対立や抵抗なくすべて事が運ぶということはなかった。
1879年11月 (この時点ですでにブノワは12年間にわたって彼の音楽学校のために尽力していた)、フランスの作曲家グノーは次のような手紙をブノワへ送る。
『フランスの音楽教育はフランス語で、ドイツではドイツ語で、イタリアにはイタリア語で行われています。
したがってフランデレン地域では、それはフランデレン語でなされるべきです。
これはきわめて理にかなったことです。
母国語を除外しての言語研究、また国外のそれのみによる音楽研究などというものは成立しません...この立場に反するいかなる論証も私は知りません。
私はこの問題、あなたの才能と誠実さが不屈の勇気と粘り強さをもってこれほどまで長く奉仕してきた問題が最終的に、理性をもって公正になされることを心から願っています...幸運を祈ります。』
 
周囲の様々な反対にもかかわらず、ブノワは自らの意向をかなえていった。
数多くの文書の中で、彼は熱意と信念をもって自身の主張を擁護している。
そして最終的に、敵対者は彼の前に屈せざるを得なかったのだった。
 
 
(第10章 つづく)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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2016年06月01日

伝記 ペーテル・ブノワ(16)

 
§第9章
 
[ブノワ最初の世俗的オラトリオ『リュシフェル』]
 
1866年6月、エマニュエル・ヒールとの協同作業によるブノワの新作、オラトリオ『リュシフェル』(独唱、二重合唱、小合唱と管弦楽のための)が世に出る。
 
[訳注]
エマニュエル・ヒール(1834-1899)
フランデレンの詩人、散文作家。いわゆるフランデレン運動にブノワらと共に参加。
 
この『リュシフェル』は、(ブノワの音楽的発展の過程としての) 宗教的作品から世俗的オラトリオへの転換を意味するものである。
楽曲自体はなお宗教的バックグラウンドを持つが、作品は教会のためにではなくコンサートホールでの演奏を企図している。
初演は同年9月30日、ブリュッセルのクーデンベルク宮殿にて行われた。
 
詩人E.ヒールのロマンティックな幻影の世界にブノワは大胆さと壮大な構想をもって付曲し、それは自国のみならず海外においても驚きをもって迎えられたー
フランデレン音楽芸術の新たな繁栄の到来を告げるものとして、また同時に力強い、確信をもった、そして不変なるフランデレン音楽の伸長の時代を知らせる作品として。
 
この作品のブリュッセルでの初演ーのちにヘントやアントウェルペンでも演奏されているーによって得た賞賛は、真に輝かしくまた驚異的なものであった。
当時、ブノワの師であるフェティスは予言的な言葉を述べている。
『あの作品は全世界で演奏されるようになるだろう!』
実際に、国境を越えてーオランダで、またとりわけロンドンでもー『リュシフェル』は熱狂的に受け入れられた。
人々は即座に、このように感じ取ったという...自分はいま、注目に値する事象[素晴らしい音楽]を彼固有の方法で語り伝えるすべを持った一人の芸術家の作品に向かい合っているのだ、と。
 
〈スコアの第1ページ〉
 
 
(第9章 完)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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2016年05月21日

伝記 ペーテル・ブノワ(15)

 
§第8章
 
[ブノワ最初のフランデレン語歌曲]
 
(前回からのつづき)
 
ブノワは次の仕事に着手する。
彼はここフランデレンにおいて、ドイツに倣った定期的な音楽祭のための準備を試みた。
そのために彼は、Neder-Rijn(ネーデルライン)地方における音楽祭の開催について行政に報告書を提出する。
その文書は次のように締めくくられた。
 
『こうした年毎の音楽祭は、ベルギーにとって真に恩恵となるでしょう。
ドイツにおいてこれらの祝祭は、これまでイタリアやフランスの音楽に慣れ親しんできた多くの国民に、自国の音楽を大いなる知的充足感をもって浸透させました。
ベルギーの芸術はこの清らかな湧き水(=音楽祭)にふれることによって若返るでしょう。
それは急速に発展し、そしてすぐにも、世界的名声を互いに競い合う高等教育によって、生気に満ちた華やかさをもって光り輝くでしょう。』
 
ブノワはさらに2つめのレポートを大臣へ送る。
その中で彼は、ベルギー国内でドイツを模範とした音楽祭を準備するための方法について述べたのだった。
 
これら2つの報告書の結果はどうであったか?
まずブリュッセルでは、ほどなくして女声のための声楽サークルが設立され、その翌年にはファンデンペーレボーム大臣が、作曲家フェティスを座長とする委員会を置いた。
その委員会では、全国の声楽協会の協力のもとでの音楽祭開催の可能性が検討された。
 
 
[訳注]フランソワ=ジョゼフ・フェティス (1784-1871)
ベルギーの作曲家、音楽教師。
ブノワの師でもある。
 
1866年、再びアントウェルペンで、そしてブリュッセルでも演奏会が開かれる。
なかでもアントウェルペンでは「アヴェ・マリア」「レクイエム」抜粋、次いで「ピアノ協奏曲」「フルート協奏曲」が演奏された。
 
ブノワの合唱作品に対する批判から生じる問題のひとつは、演奏に必要な人員を集めることの難しさだった。
その困難を軽視する者はいなかったのだが、ブノワはそれをどうしても必要なことと考え、誰も、また何事も彼の考えを転換させることはなかった。
彼は夢見たものを実際に見ようとしたのだ。
 
時の経過は彼が正しかったということを証明する。
なぜならば、優れた演奏家たちが数え切れないほどの聴衆、それまでブノワの作品に興味を示したことのなかった人々をも魅了してきたからである。
 
1865年以後、ブノワはフランデレン語のテキストによる歌曲を書く。
この年の10月には『ハネスとトリーンチェン』『彼らは笑った』『小作人ヤン』が出版された。
これらの歌曲は生き生きとして健全な、そして独特な発想で書かれており、その響きは驚くべき斬新さをもっている。
 
 
(第8章 完)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 00:38| Comment(0) | 音楽雑記帳

2016年03月31日

【中期のシューベルト4】ピアノソナタ イ長調

 
ピアノソナタ イ長調 D664
 
 
1819年夏、22歳のシューベルトは友人のバリトン歌手ミヒャエル・フォーグルとともに彼の故郷、上オーストリア州のシュタイヤーを訪れた。
美しい自然に恵まれたこの町の雰囲気は、シューベルトをこの上なく幸せな気分にさせたといわれている。
 
 
同地滞在中に作曲されたこのイ長調ソナタ、第1楽章Allegro moderatoは次のようなカンタービレな主題で始まる。
 
 
息の長いチャーミングな旋律がよどみなく、糸を紡いでゆくかのように生まれ出る、幸福感に溢れた楽章である。
(前に取り上げた嬰ハ短調ピアノソナタでの苦心の跡とは実に対照的だ)
展開部はいたってシンプル。
"無理をしていない" という印象。
 
 
第2楽章はAndanteの変奏曲。
ニ長調でありながらしっとりとした、夢みるような楽想が楽章全体を覆っている。
どことなく翳りを帯びた内声部の "綾" が美しい。
 
 
 
そして第3楽章。
最初の楽章と同様にソナタ形式をとる。
牧歌的な主題は次第に勢いを増し、ワルツにまで発展してゆく。
ここでシューベルトの筆は "有頂天" という言葉が当てはまるがごとく冴えわたっている。
 
 
 
前田昭雄氏はその著書の中で、シューベルト20歳代初め頃の充実ぶりを『若さの「完成」』という言葉で表現しているが、このイ長調ソナタはまさにその典型と呼んで差し支えないであろう。
 
 
【追記】
この曲の作曲年代については、1825年とする説もあるのだそうだ。
(シューベルトはこの年にもシュタイヤーへ赴いている)
 
 
 
posted by 小澤和也 at 22:58| Comment(0) | 音楽雑記帳

2016年03月06日

【中期のシューベルト3】ピアノソナタ嬰ハ短調

 
ピアノソナタ嬰ハ短調 D655(未完)
 
 
1819年4月頃に手掛けたとされている、73小節のみのソナタ楽章断片である。
【歌曲を中心に精力的な創作を続けていたシューベルトだが、ピアノソナタに関してはその前年に書かれた2曲も未完に終わっている。(ハ長調D613、ヘ短調D625)】
 
第一主題(譜例A)はユニゾンでうねるような上下行の旋律。
どことなく焦燥感を帯びている。
 
[譜例A]
 
前に挙げた「序曲ホ短調 D648」のそれと同様、リズムモティーフの積み重ねによって形成された主題であり、第6小節よりすぐに推移に入る。
しかしほどなくして、減三和音や即興的な(換言すればやや「取り留めのない」)フレーズを経てすぐにホ長調の第二主題が現れる。(譜例B)
主題旋律自体はゆったりとしたラインを描くが、内声部の小刻みに震える音型がやはり不安な気分を醸し出す。
 
[譜例B]
 
この第二主題は十分に確保される。
次いで再び第一主題のモティーフが展開風に扱われ、新しい楽想(譜例C)も登場。
 
[譜例C]
 
そして、嬰ト短調と嬰ト長調とを揺れ動くチャーミングな結尾をもって呈示部は締めくくられようとする...
が、その最後、譜例Dの下段4小節目の突然の全休止によりその流れは遮られてしまうのだ!
 
[譜例D]
 
この "不意の分断" は僕に、あまりにも有名なある曲を連想させる。
1822年作曲のロ短調交響曲D759(いわゆる「未完成交響曲」)の第1楽章、第二主題の終わりの部分だ。(譜例E)
 
[譜例E]
 
話題をソナタに戻そう。
全休止の後、曲頭(嬰ハ短調)へ戻るための半音階パッセージと反復記号を置いたところで、シューベルトの筆は途絶えている。
 
以下は僕の想像である。
シューベルトはこのソナタで、中期のベートーヴェン的ないわゆる「主題労作」による楽曲構成を改めて試みたのではないだろうか。
遺された呈示部までにおいてすでに、そのための懸命の努力の痕跡を感じるのだ。
そしていよいよ展開部へさしかかる...というところで、22歳のシューベルトは苦悩し格闘し、結果的に先へ進むことを断念したように思えてならない。
もしシューベルトがこの楽章だけでも完成させてくれていたならば...
 
 
【追記】
譜例Dの終わりから「再現部へ入る」と見なす解釈があり、実際そのように補筆され録音もされているということをインターネットで知りました。
なるほど!一理ある!と思いました。
それでも、上記本文のように僕が考え、感じたというのも(少なくとも僕の中では)紛れもない事実なので、これはこれで残すこととします。
 
 
posted by 小澤和也 at 12:38| Comment(0) | 音楽雑記帳