2017年04月22日

白秋の『白き花鳥図』〈3〉

 
 
『鮎鷹』
 
鮎鷹は多摩の千鳥よ、
梨の果(み)の雫(しづ)く切口、
ちちら、ちち、白う飛ぶそな。
 
鮎の子は澄みてさばしり、
調布(たづくり)の瀬瀬(せぜ)のかみしも、
砧うち、
砧うつそな。
 
鮎鷹は初夜に眼の冴え、
夜をひと夜、あさりするそな。
ちちら、ちち、
鮎の若鮎。
 
水の色、香(かを)る泡沫(うたかた)、
眉引のをさな月夜を
ああ、誰か、
影にうかがふ。
 
   註  多摩川のほとりには梨畑多し
 
 
・鮎鷹...コアジサシ。チドリ目カモメ科。
・澄む...曇りがなく明るく見える。
・砧...槌で布を打ちやわらげ、つやを出すのに用いる木または石の台。また、それを打つこと。
・初夜...古くは前日夜半〜その日の朝。のちには夕方〜夜半まで。
・ひと夜...夜じゅう。
・あさり...動物が餌を探し求めること。
 
 
『白き花鳥図』全18編中、9番めの詩。
夜の静けさ、張りつめた空気の中に鮎鷹の動き回る気配とかすかな鳴き声が淡いタッチで描かれている。
言葉のリズム(終始5+7で運ばれてゆく)が実に心地よい...ここでも白秋の言葉の選択の確かさを味わうことができる。
"ちちら、ちち" と "砧うち"、また "夜をひと夜" と "鮎の若鮎" といった軽妙な語感の対比も面白い。
 
加えて、季節の表現に詩人の遊びごころを感じるのは僕だけではないだろう。
梨の切り口から果汁が滴る、といえばやはり実りの秋。
一方、砧打ちは晩秋から冬にかけての夜なべのイメージ。
そして若鮎は春に川をさかのぼる元気の良い鮎だ。
時の経過をもさりげなく詩に織り込んでいるかのよう。
 
 
多田武彦はまず、ピアノ伴奏付き同声三部合唱の形で組曲『白き花鳥図』を書いた。
1964年のことである。
ただしこのときの構成は、選んだ詩・曲順ともに現在知られる形とは異なっていた。
すなわち、
1. 黎明  2. 白鷺  3. 白牡丹  4. 鮎鷹  5. 柳鷺
の全5曲であった。
 
その後「柳鷺」を省くとともに「数珠かけ鳩」「老鶏」の二編を加え、無伴奏混声合唱組曲として再構成する。
新たな曲順は以下の通り。
1. 黎明  2. 数珠かけ鳩  3.白牡丹  4. 鮎鷹  5. 老鶏  6. 白鷺
 
以降この形がベースとなり、男声合唱版 (今回農工グリーが歌うのがこれである)、さらには女声合唱版 (再びピアノ伴奏付き!) が編まれ現在に至る。
 
「黎明」はポリフォニックな要素を含んだ堂々たる急速楽章、「白牡丹」は軽やかにはばたく中間部を伴う神秘的な緩徐楽章、「老鶏」は烈しいスケルツォ、そして宗教的な気分を湛えたアダージョ=フィナーレの「白鷺」といった有機的な楽曲配置を見ることができる。
「数珠かけ鳩」と今回の「鮎鷹」は素朴で抒情的な間奏曲といったところか。
 
 
(つづく)
 
 
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2017年04月16日

白秋の『白き花鳥図』〈2〉

 
『白牡丹』
 
白牡丹(はくぼたん)、大き籠(こ)に満ち、
照り層(かさ)む内紫(うちむさらき)、
豊かなり、芬華(かがやき)の奥、
とどろきぬ、閑(しづ)けき春に。
 
蝶は超ゆ、この現(うつつ)より、
うつら舞ふ髭長(ひげなが)の影。
昼闌(た)けぬ。花びらの外(そと)、
歎かじな、雲の驕溢(おごり)を。
 
白牡丹(はくぼたん)、宇宙なり。
また  薫(かを)す、専(もはら)なる白。
この坐(すわり)、ふたつなし、ただ。
位のみ。ああ、にほひのみ。
 
 
・内紫...ウチムラサキガイ。殻の表は灰黄白色で密な輪脈がある。
・芬華...派手に飾り立てること。
・闌ける...真っ盛りになる。盛りが過ぎる。
・驕溢...おごりたかぶって分に過ぎること。
・坐...物体の安定度、おちつきぐあい。
・ふたつなし...くらべるものがない。すぐれている。
・位...品位、品格。
 
前掲『白鷺』に続いて収められている詩。
白秋の言葉の選び方はここでも精緻を極め、もはやこれ以上動かしようがないという域にまで達しているように思える。
そして前作同様、一行12文字(5+7)でほぼ統一された言葉のリズムも美しい。
 
この『白牡丹』は、詩集『海豹と雲』に纏められる2年前 (1927年) に、他二編の詩とともに初めて発表されている。
その初出ヴァージョンと読み比べると、ある部分では語句が微妙に置き換えられ、また別の箇所では全く新しいものに変更されているのだ。
例えば冒頭の二行、初出ではこのようになっていた。
 
>白牡丹花籠に咲き、
>地の富を象徴す。
 
ここだけを取り出しても表現の深さ、そして読む者の心に投げかけるイメージの広がりと色彩感がまるで違うのがわかる
 
さらに詩の第二連、初出ではこうである。
 
>蝶は超ゆ、この世界より、
>また深き秘所(ひそ)へ舞ひつつ、
>昼闌けぬ、花びらのうら、
>照り満ちぬ、そよとも揺れず。
 
世界→現(うつつ)、うら→外 への推敲、"髭長の影" "雲の驕溢" といった鮮烈な言葉選び、それでいて "照る" "満つる" は決して捨てられたのではなく第一連の中に生きている...
こうした白秋の構成力とセンスにはただただ感服するのみである。
 
 
多田武彦は、組曲の第3曲にこの詩を選んでいる。
白秋の描いた白牡丹の比類なき美しさ、静寂の中にある圧倒的な存在感を余すところなく音楽にしていると思う。
 
 
(つづく)
 
 
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2017年04月07日

白秋の『白き花鳥図』〈1〉

 
この7月に農工大グリークラブと演奏する多田武彦/男声合唱組曲『白き花鳥図』。
北原白秋による同名の詩集 (厳密には詩集『海豹と雲』の中に『白き花鳥図』という題でまとめられた18の詩) から6編を選び付曲されている。
以下、それらの詩についてのメモを、僕自身の備忘録も兼ねて気ままに書いていこうと思う。
 
 
『白鷺』
 
白鷺は、その一羽、
睡蓮の花を食(は)み、
水を食(は)み、
かうかうとありくなり。
 
白鷺は貴くて、
身のほそり煙るなり、
冠毛(かむりげ)の払子(ほっす)曳く白、
へうとして、空にあるなり。
 
白鷺はまじろがず、
日をあさり、おのれ啼くなり、
幽(かす)かなり、脚(あし)のひとつに
蓮の実を超えて立つなり。
 
 
『白き花鳥図』中、第3編の詩。
多田武彦は、全6曲からなる組曲の終曲としてこれを用いている。
 
・かうかう...漢字で書くならば「皓皓」だろうか。あるいは耿耿?浩浩?行行?
・ありく...あちこち移動する意。動き回る。往来する。
・煙る...ぼうっとかすんで見える。
・払子...長い獣毛を束ね、これに柄を付けた法具。禅僧が煩悩・障碍を払う標識として用いる。
・へうとして...剽?あるいは漂?
・まじろぐ...まばたきする。
・日をあさり...昼間に餌を探しもとめる。
・おのれ...自然と。ひとりでに。
・幽か...物の形・色・音・匂いなどがわずかに認められるさま。さみしいさま。
 
全体を通して、静けさ、そして落ち着き払った高貴なたたずまいを感じさせる一編。
ほぼ全ての行が10文字(5+5)、もしくは12文字(5+7)で構成されており、言葉のリズム的にも揺るぎない安定感をもつ。
 
 
白秋は短歌でも白鷺を詠んだものをいくつか遺している。
例えば、
 
白鷺はくちばし黝(くろ)しうつぶくとうしろしみみにそよぐ冠毛(かむりげ)  (動物園所見)
 
春はまだ寒き水曲(みわた)を行きありく白鷺の脚のほそくかしこさ
 
〜いずれも歌集『白南風(しらはえ)』所収
 
これら二首、実に『白鷺』と響き合っているではないか。
白秋は、こうした白鷺の姿に神々しさを感じ取っていたように思える。
 
 
(つづく)
 
 
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2016年07月02日

伝記 ペーテル・ブノワ(17)

 
 
§第10章
 
[ペーテル・ブノワ、音楽学校の校長としてアントウェルペンへ赴く〜
王立フランデレン音楽院の創立へ]
 
 
1867年はペーテル・ブノワにとって重要な年となった。
アントウェルペン市当局は8月、ファンデンペーレボーム大臣の助言と支援のもと、アントウェルペン音楽学校の校長としてこのフランデレンの作曲家を任命する。
ブノワはこの学校が名実ともにフランデレン人の、そしてフラマン語による組織機構となることを条件に、このポストへの着任を受諾した。
同年11月のアントウェルペン音楽学校の開校、それはこの勇気ある男に大きな達成感をもたらしたに違いない。
ついに彼は、成功のための機会を活かし、熱意をもって働くことのできる職を手に入れたのだ。
まだ33歳の若さであったにもかかわらず、ブノワはすでに多くの業績を成し遂げており、またすべての人から積極的な人格の持ち主とみなされていた。
 
それでも彼は、単なる「音楽学校」を設立するという考えには同意できなかった...彼は当初から壮大な計画を抱いていたのだ。
彼によれば...
ー音楽学校とは、少年少女がソルフェージュや楽器演奏をただ学ぶという目的をもつだけでなく、彼らがフランデレンにおける音楽活動の中心人物となるための、いわばフランデレン音楽のための単科大学のようなものだ。
ーすべての科目はフランデレン語で教えられるべきである...ドイツ、ロシア、ボヘミア、ノルウェー、フィンランド、スペインなどの諸外国がそうであるように。
ー音楽は民族的伝統の中に、その最も美しく力強い価値を見い出すものである。
そのようにしてフランデレン音楽もまた、貴重な財産の中から引き出されるのだ...その財産とは、私たちフランデレン人の古い歌や舞曲である。
彼は、フランデレン独自の個性をそなえた音楽学校をこの地に与えようとしたのだ。
 
しかし当然ながら、対立や抵抗なくすべて事が運ぶということはなかった。
1879年11月 (この時点ですでにブノワは12年間にわたって彼の音楽学校のために尽力していた)、フランスの作曲家グノーは次のような手紙をブノワへ送る。
『フランスの音楽教育はフランス語で、ドイツではドイツ語で、イタリアにはイタリア語で行われています。
したがってフランデレン地域では、それはフランデレン語でなされるべきです。
これはきわめて理にかなったことです。
母国語を除外しての言語研究、また国外のそれのみによる音楽研究などというものは成立しません...この立場に反するいかなる論証も私は知りません。
私はこの問題、あなたの才能と誠実さが不屈の勇気と粘り強さをもってこれほどまで長く奉仕してきた問題が最終的に、理性をもって公正になされることを心から願っています...幸運を祈ります。』
 
周囲の様々な反対にもかかわらず、ブノワは自らの意向をかなえていった。
数多くの文書の中で、彼は熱意と信念をもって自身の主張を擁護している。
そして最終的に、敵対者は彼の前に屈せざるを得なかったのだった。
 
 
(第10章 つづく)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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2016年06月01日

伝記 ペーテル・ブノワ(16)

 
§第9章
 
[ブノワ最初の世俗的オラトリオ『リュシフェル』]
 
1866年6月、エマニュエル・ヒールとの協同作業によるブノワの新作、オラトリオ『リュシフェル』(独唱、二重合唱、小合唱と管弦楽のための)が世に出る。
 
[訳注]
エマニュエル・ヒール(1834-1899)
フランデレンの詩人、散文作家。いわゆるフランデレン運動にブノワらと共に参加。
 
この『リュシフェル』は、(ブノワの音楽的発展の過程としての) 宗教的作品から世俗的オラトリオへの転換を意味するものである。
楽曲自体はなお宗教的バックグラウンドを持つが、作品は教会のためにではなくコンサートホールでの演奏を企図している。
初演は同年9月30日、ブリュッセルのクーデンベルク宮殿にて行われた。
 
詩人E.ヒールのロマンティックな幻影の世界にブノワは大胆さと壮大な構想をもって付曲し、それは自国のみならず海外においても驚きをもって迎えられたー
フランデレン音楽芸術の新たな繁栄の到来を告げるものとして、また同時に力強い、確信をもった、そして不変なるフランデレン音楽の伸長の時代を知らせる作品として。
 
この作品のブリュッセルでの初演ーのちにヘントやアントウェルペンでも演奏されているーによって得た賞賛は、真に輝かしくまた驚異的なものであった。
当時、ブノワの師であるフェティスは予言的な言葉を述べている。
『あの作品は全世界で演奏されるようになるだろう!』
実際に、国境を越えてーオランダで、またとりわけロンドンでもー『リュシフェル』は熱狂的に受け入れられた。
人々は即座に、このように感じ取ったという...自分はいま、注目に値する事象[素晴らしい音楽]を彼固有の方法で語り伝えるすべを持った一人の芸術家の作品に向かい合っているのだ、と。
 
〈スコアの第1ページ〉
 
 
(第9章 完)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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2016年05月21日

伝記 ペーテル・ブノワ(15)

 
§第8章
 
[ブノワ最初のフランデレン語歌曲]
 
(前回からのつづき)
 
ブノワは次の仕事に着手する。
彼はここフランデレンにおいて、ドイツに倣った定期的な音楽祭のための準備を試みた。
そのために彼は、Neder-Rijn(ネーデルライン)地方における音楽祭の開催について行政に報告書を提出する。
その文書は次のように締めくくられた。
 
『こうした年毎の音楽祭は、ベルギーにとって真に恩恵となるでしょう。
ドイツにおいてこれらの祝祭は、これまでイタリアやフランスの音楽に慣れ親しんできた多くの国民に、自国の音楽を大いなる知的充足感をもって浸透させました。
ベルギーの芸術はこの清らかな湧き水(=音楽祭)にふれることによって若返るでしょう。
それは急速に発展し、そしてすぐにも、世界的名声を互いに競い合う高等教育によって、生気に満ちた華やかさをもって光り輝くでしょう。』
 
ブノワはさらに2つめのレポートを大臣へ送る。
その中で彼は、ベルギー国内でドイツを模範とした音楽祭を準備するための方法について述べたのだった。
 
これら2つの報告書の結果はどうであったか?
まずブリュッセルでは、ほどなくして女声のための声楽サークルが設立され、その翌年にはファンデンペーレボーム大臣が、作曲家フェティスを座長とする委員会を置いた。
その委員会では、全国の声楽協会の協力のもとでの音楽祭開催の可能性が検討された。
 
 
[訳注]フランソワ=ジョゼフ・フェティス (1784-1871)
ベルギーの作曲家、音楽教師。
ブノワの師でもある。
 
1866年、再びアントウェルペンで、そしてブリュッセルでも演奏会が開かれる。
なかでもアントウェルペンでは「アヴェ・マリア」「レクイエム」抜粋、次いで「ピアノ協奏曲」「フルート協奏曲」が演奏された。
 
ブノワの合唱作品に対する批判から生じる問題のひとつは、演奏に必要な人員を集めることの難しさだった。
その困難を軽視する者はいなかったのだが、ブノワはそれをどうしても必要なことと考え、誰も、また何事も彼の考えを転換させることはなかった。
彼は夢見たものを実際に見ようとしたのだ。
 
時の経過は彼が正しかったということを証明する。
なぜならば、優れた演奏家たちが数え切れないほどの聴衆、それまでブノワの作品に興味を示したことのなかった人々をも魅了してきたからである。
 
1865年以後、ブノワはフランデレン語のテキストによる歌曲を書く。
この年の10月には『ハネスとトリーンチェン』『彼らは笑った』『小作人ヤン』が出版された。
これらの歌曲は生き生きとして健全な、そして独特な発想で書かれており、その響きは驚くべき斬新さをもっている。
 
 
(第8章 完)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 00:38| Comment(0) | 音楽雑記帳

2016年03月31日

【中期のシューベルト4】ピアノソナタ イ長調

 
ピアノソナタ イ長調 D664
 
 
1819年夏、22歳のシューベルトは友人のバリトン歌手ミヒャエル・フォーグルとともに彼の故郷、上オーストリア州のシュタイヤーを訪れた。
美しい自然に恵まれたこの町の雰囲気は、シューベルトをこの上なく幸せな気分にさせたといわれている。
 
 
同地滞在中に作曲されたこのイ長調ソナタ、第1楽章Allegro moderatoは次のようなカンタービレな主題で始まる。
 
 
息の長いチャーミングな旋律がよどみなく、糸を紡いでゆくかのように生まれ出る、幸福感に溢れた楽章である。
(前に取り上げた嬰ハ短調ピアノソナタでの苦心の跡とは実に対照的だ)
展開部はいたってシンプル。
"無理をしていない" という印象。
 
 
第2楽章はAndanteの変奏曲。
ニ長調でありながらしっとりとした、夢みるような楽想が楽章全体を覆っている。
どことなく翳りを帯びた内声部の "綾" が美しい。
 
 
 
そして第3楽章。
最初の楽章と同様にソナタ形式をとる。
牧歌的な主題は次第に勢いを増し、ワルツにまで発展してゆく。
ここでシューベルトの筆は "有頂天" という言葉が当てはまるがごとく冴えわたっている。
 
 
 
前田昭雄氏はその著書の中で、シューベルト20歳代初め頃の充実ぶりを『若さの「完成」』という言葉で表現しているが、このイ長調ソナタはまさにその典型と呼んで差し支えないであろう。
 
 
【追記】
この曲の作曲年代については、1825年とする説もあるのだそうだ。
(シューベルトはこの年にもシュタイヤーへ赴いている)
 
 
 
posted by 小澤和也 at 22:58| Comment(0) | 音楽雑記帳

2016年03月06日

【中期のシューベルト3】ピアノソナタ嬰ハ短調

 
ピアノソナタ嬰ハ短調 D655(未完)
 
 
1819年4月頃に手掛けたとされている、73小節のみのソナタ楽章断片である。
【歌曲を中心に精力的な創作を続けていたシューベルトだが、ピアノソナタに関してはその前年に書かれた2曲も未完に終わっている。(ハ長調D613、ヘ短調D625)】
 
第一主題(譜例A)はユニゾンでうねるような上下行の旋律。
どことなく焦燥感を帯びている。
 
[譜例A]
 
前に挙げた「序曲ホ短調 D648」のそれと同様、リズムモティーフの積み重ねによって形成された主題であり、第6小節よりすぐに推移に入る。
しかしほどなくして、減三和音や即興的な(換言すればやや「取り留めのない」)フレーズを経てすぐにホ長調の第二主題が現れる。(譜例B)
主題旋律自体はゆったりとしたラインを描くが、内声部の小刻みに震える音型がやはり不安な気分を醸し出す。
 
[譜例B]
 
この第二主題は十分に確保される。
次いで再び第一主題のモティーフが展開風に扱われ、新しい楽想(譜例C)も登場。
 
[譜例C]
 
そして、嬰ト短調と嬰ト長調とを揺れ動くチャーミングな結尾をもって呈示部は締めくくられようとする...
が、その最後、譜例Dの下段4小節目の突然の全休止によりその流れは遮られてしまうのだ!
 
[譜例D]
 
この "不意の分断" は僕に、あまりにも有名なある曲を連想させる。
1822年作曲のロ短調交響曲D759(いわゆる「未完成交響曲」)の第1楽章、第二主題の終わりの部分だ。(譜例E)
 
[譜例E]
 
話題をソナタに戻そう。
全休止の後、曲頭(嬰ハ短調)へ戻るための半音階パッセージと反復記号を置いたところで、シューベルトの筆は途絶えている。
 
以下は僕の想像である。
シューベルトはこのソナタで、中期のベートーヴェン的ないわゆる「主題労作」による楽曲構成を改めて試みたのではないだろうか。
遺された呈示部までにおいてすでに、そのための懸命の努力の痕跡を感じるのだ。
そしていよいよ展開部へさしかかる...というところで、22歳のシューベルトは苦悩し格闘し、結果的に先へ進むことを断念したように思えてならない。
もしシューベルトがこの楽章だけでも完成させてくれていたならば...
 
 
【追記】
譜例Dの終わりから「再現部へ入る」と見なす解釈があり、実際そのように補筆され録音もされているということをインターネットで知りました。
なるほど!一理ある!と思いました。
それでも、上記本文のように僕が考え、感じたというのも(少なくとも僕の中では)紛れもない事実なので、これはこれで残すこととします。
 
 
posted by 小澤和也 at 12:38| Comment(0) | 音楽雑記帳

2016年03月04日

【中期のシューベルト2】序曲ホ短調

 
序曲ホ短調 D648
 
作曲:1819年2月
編成:フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルン、トランペット各2、トロンボーン3、ティンパニ、弦五部
 
6分ほどの演奏会用序曲。
シューベルトは1817年にも2つの序曲を書いており(イタリア風序曲D590、D591)、このジャンルでは当時より人気を得ていたという。
この頃ウィーンで評判となっていたロッシーニのスタイルに倣った作品ということで、のちに "イタリア風" と名付けられた。
 
さてこのホ短調D648、今回初めて知った曲なのだがなかなか面白い。
以下、古典派〜初期ロマン派の序曲ということでひとまずソナタ形式の枠に当てはめて見てゆく。
 
 
Allegro moderatoの冒頭、ホ短調という調性のもつ性格のとおり、劇的なユニゾンの強奏で始まる。(譜例A)
第一主題部は鋭い付点リズムと分散和音による音型により進んでゆくが、シューベルトらしい息の長い旋律は出てこない。(譜例B, C)
リズムモティーフの反復で執拗にたたみかけ、中期のベートーヴェンを思わせる楽想である。
 
最初のクライマックスののち、第二主題はト長調(平行調)で静かに現れる(譜例D)。
第一主題とのコントラストはそれほど強くなく、ここでも付点リズムモティーフが支配的である。
 
 
続いてヴァイオリンにより奏される譜例E(明らかに譜例Dから派生)は、この曲の中でもっとも旋律的なものといえよう。
そして小結尾はロ長調(同主調の属調ということになる)で輝かしく響きわたり、呈示部を閉じる。
 
続く展開部に相当する部分は非常に短い...ほとんどエピソード的である。
ほどなくして第二主題部が、上記譜例D→E→Fの順で型通りに再現される。
全休止ののち、テンポを速めて (Più moto) コーダに入る。
コーダもこれまでの素材を用い、喜ばしい気分のうちに華々しく全曲を閉じる。
 
第一主題部が展開部以降でまったく現れないことや、各要素の「繋ぎ」にやや不器用なところがみられる(ブルックナーの初期交響曲群に通ずるものがある)など "ツッコミどころ" も少なくはないが、それらを差し引いても不思議な魅力を感じる作品だ。
 
posted by 小澤和也 at 22:22| Comment(0) | 音楽雑記帳

2016年02月24日

【中期のシューベルト】双子の兄弟

 
『双子の兄弟』D.647
全1幕からなるジングシュピール
 
作曲:1819年1月完成
台本:ゲオルク・エルンスト・フォン・ホフマン
場面:ライン地方のある村
 
登場人物:
村長(Bass)
その娘リースヒェン(Sop)
アントン(Ten)
二人の負傷兵フランツ&フリードリヒ・シュピース(Bass)
地方官(Bass)
農夫たち(合唱)
 
シューベルト22歳のときの作品。
上演時間は約45分、ドイツ語による歌唱とダイアログ(台詞)からなる。
(モーツァルト『魔笛』と同じスタイル)
完成の翌年、ウィーンのケルントナートーア劇場にて7回上演されたというから、まずまずの評判であったのではないだろうか。
 
村長の娘リースヒェンはこの日が18歳の誕生日。
彼女にはアントンというフィアンセがいる。
そこへ突然、フランツ・シュピースという男が登場。
フランツはリースヒェンの名付け親であるとともに、彼女との結婚の約束を18年前に(!)村長に取り付けていた、というところから騒動が始まる。
フランツが役所へ出掛けている間に今度は、戦死したと思われていたフランツの双子の弟フリードリヒが帰ってきて...
あとは定番の人違い、勘違いのドタバタ劇となる。
(フランツは右眼に眼帯を着けているが、一方のフリードリヒは左眼に...など)
最後にはすべての誤解がとけ、リースヒェンとアントンは無事に結婚、双子の兄弟も再会が叶ってめでたしめでたし。
 
序曲はソナタ形式。
その明るさ、軽さはロッシーニ風であるが、旋律の歌ごころや転調の妙はシューベルトの個性そのものだ。
第1主題はリズミカルな弦のユニゾンと爽やかな木管のレガートで始まる。
 
第2主題は属調関係にあるイ長調ではなく、ヘ長調で示される。
朗らかでコミカルなクラリネット。
 
シューベルトらしい転調を経て、古典形式に則って属調に落ち着き呈示部を閉じる。
展開部はきわめて短い...モティーフの反復と、そしてここでもさりげなく美しい転調的展開をみせる。
 
再現部はほぼ型どおりに進むが、第2主題は原調で...と思いきや変ロ長調に。
(そう来ましたか!)
4分あるかないかの小品だが、『フィガロ』や『バルビエーレ』の序曲と並べても遜色ない完成度である。
 
ストーリーは他愛のないコメディであるが、シンプルに面白いと思う。
(個人的には好きである)
セミステージ形式、ダイアログは日本語にして上演...なんていうのはどうだろうか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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