2015年08月18日

伝記 ペーテル・ブノワ(9)

 
 
§第5章
[ドイツでのブノワ]
 
いよいよ、留学のときがブノワを待ち受けていた。
行き先はローマ?イタリア?
 
これまで長い間、イタリアの作曲家がヨーロッパ音楽の動向をリードしていた。
イタリアの楽派は全世界で大きな影響を及ぼし、この国の巨匠たちの指導や作品が唯一無二の優れたモデルであるとほぼ無条件に見なされていたのだ。
しかしながら、ドイツ・オーストリアは次第にその束縛から離れ、作曲家たちはドイツ的な形式と内容をもったこの国独自の音楽作品を創造することを目指して努力を続ける。
国内のムーブメントは力を増してゆき、まもなくイタリア楽派はドイツ国内から押し出されることとなった…ドイツは音楽的潮流の先頭に立ったのである。
バッハ、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンなどの大作曲家たちは、ドイツ音楽の名声を確立するために力を尽くした。
 
ブノワにとって、ドイツは無限大の価値と魅力を有する国であった。
彼はライプツィヒ、ベルリン、ドレスデン、ミュンヘン他、多くの都市を訪ね、偉大な先人たちの作品研究に注力する。
ブリュッセル音楽院長フェティスの勧めによって、ブノワはまずライプツィヒへと旅立った。
短い滞在ではあったが彼はここで新しい音楽の活況をこの目で確かめる…その勢いとは1843年、メンデルスゾーンが音楽院を設立して以来現れ出ていたものであった。
ブノワは1858年の夏をドレスデンで過ごし、その後プラハ、ベルリン、ミュンヘンを訪れる。
この間のブノワは研究だけでなく作曲もし、ある合唱曲をベルリンで演奏する機会を得た。
それは8声(訳注:二重混声四部合唱)で書かれた『アヴェ・マリア』で、大聖堂の合唱隊によって歌われたのだった。
 
「ローマ大賞」受賞によって、ブノワはベルギー王立アカデミーに対して新作を提出する義務を負っていた。
そこで彼は『クリスマス小カンタータ』をもってその責任を果たす。
そしてこの作品もまた、よい印象を聴衆に残した。
 
またこのときブノワは、フランデレンに自国の音楽芸術が存在しないこと、そして外国の音楽が自国のそれを押しのけているという現状についても熟考する。
誰もがみな自国の芸術に温かみを感じ、芸術家たちが民族精神の意をくんで考え、創造するドイツのような国と比べ、状況はなんと対照的であろうか。
ドイツにおいては、全国民が誇りとする輝かしく堅固な音楽の殿堂が高く立ち現れていた…この点、フランデレンではあらゆるものが未だ始まったばかりであった…
 
この問題に関してブノワは長大な論文を書き、『クリスマス小カンタータ』とともにベルギー王立アカデミーへ送る。
この論文(「フランデレンの音楽学校とその未来」とフランス語で記されている)の中で、ブノワは自己の行動指針を述べた。
そして彼は後年、そのプリンシプルを強い熱意と粘り強さとで守り抜き、現実のものとしたのである。
 
(第5章  完)
 
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2015年07月27日

『海寄せ』に寄せて〈5〉

 
多田武彦/男声合唱組曲『海に寄せる歌』
(三好達治作詩)
 
 
5. 『鷗どり』
 
ああかの烈風のふきすさぶ
砂丘の空にとぶ鷗
沖べをわたる船もないさみしい浦の
この砂濱にとぶ鷗
(かつて私も彼らのやうなものであつた)
 
かぐろい波の起き伏しする
ああこのさみしい國のはて
季節にはやい烈風にもまれもまれて
何をもとめてとぶ鷗
(かつて私も彼らのやうなものであつた)
 
波は砂丘をゆるがして
あまたたび彼方にあがる潮煙り その轟きも
やがてむなしく消えてゆく
春まだき日をなく鷗
(かつて私も彼らのやうなものであつた)
 
ああこのさみしい海をもてあそび
短い聲でなく鷗
聲はたちまち烈風にとられてゆけど
なほこの浦にたえだえに人の名を呼ぶ鷗どり
(かつて私も彼らのやうなものであつた)
 
 
達治の第六詩集『一点鐘』所収。
前出の『海 六章』(ある橋上にて/波/貝殻/既に鷗は/この浦に/重たげの夢) に続く詩である。
多田武彦が第3曲として取り上げた『涙』(『艸千里』所収) と並ぶスケールの大きさを持つ作品。
 
河盛好蔵氏が述べているように、これは『或る日の作者の自画像』であり、抗いきれぬ運命への反抗と挫折を繰り返していたであろう当時の心境を回想の形でうたったものである。
 
音楽は、闘争的なニ短調の力強い響きで始まり、展開する。
一方、リフレインの(かつて私も〜)では対照的に、すべてのエネルギーを己の内へに向け自問するように歌われる。
 
第三連「春まだき日を〜」の部分では曲想がにわかに変わり、回想の、あるいは憧れを帯びた色合いとなる。
(このあたり、聴き手によって異なる感慨をいだくであろう)
そして最後のクライマックス、テンポを減じて叫ぶように歌われるのが「人の名をよぶ鷗どり」。
人の名、とは…
理想のひと、愛するひとの名前であろうか。
 
この『鷗どり』、
「詩」と「音楽」との妙なる調和を味わえる歌だと思う。
 
 
(完)
 
 
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2015年07月16日

『海寄せ』に寄せて〈4〉

 
三好達治、昭和16年秋に第六詩集『一点鐘』を刊行。
37編の詩と1編の散文詩を収める。
うち半数近くが「海」に関連する題材をとった詩となっているのが特徴だ。
 
多田武彦も、この詩集の中から組曲の第4〜7曲のテキストを選んだ。
『海 六章』のうちの『ある橋上にて』『既に鴎は』『この浦に』の3編、加えて『鴎どり』である。
 
 
4. 『この浦に』
 
この浦にわれなくば
誰かきかん
この夕(ゆうべ)この海のこゑ
 
この浦にわれなくば
誰か見ん
この朝(あした)この艸(くさ)のかげ
 
 
水彩による小ぶりな、淡い色合いの風景画のような詩。
そのリズムは伝統和歌のように昔風であるが、同時に新鮮さをも感じさせる。
これに付けられた音楽も、1分足らずのひっそりとしたものである。
 
 
6. 『既に鴎は』
 
既に鴎は遠くどこかへ飛び去った
昨日の私の詩のやうに
翼あるものはさいはひな…
 
あとには海が残された
今日の私の心のやうに
何かぶつくさ呟いてゐる…
 
 
昨日と今日、
飛び去った鴎と残された海、
私の詩と私の心 etc.
これらあらゆるものの対比によって、詩人の心の虚しさが静かに浮き彫りにされている。
 
最初の二行はテノールの独唱によってしっとりと歌われ、短いながらも第3曲『涙』と並んでこの組曲の聴きどころとなっている。
 
 
7. 『ある橋上にて』
 
十日くもりてひと日見ゆ
沖の小島はほのかなれ
 
いただきすこし傾きて
あやふきさまにたたずめる
 
はなだに暮るるをちかたに
わが奥つきを見るごとし
 
 
組曲『海に寄せる歌』の終曲にあたる。
音楽の持つ気分は前曲『既に鴎は』に近く、人生の無常を優しく、淡々と歌う。
詩の第三連でにわかに感情が高まるものの、それもすぐに収まってゆく。
 
はなだ(色)【縹色】は、薄い藍色のこと。
おちかた【遠方】は文字通り、あちらの方を指す。
そして、奥つき【奥つ城】は…墓所である。
詩人によって選ばれたこれらの言葉の、哀しいほどの美しさよ。
 
 
組曲第5曲『鴎どり』は…項を改めよう。
 
(つづく)
 
 
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2015年07月06日

『海寄せ』に寄せて〈3〉

 
多田武彦/男声合唱組曲『海に寄せる歌』
(三好達治作詩)
 
 
3. 『涙』
 
とある朝(あした) 一つの花の花心から
昨夜(ゆうべ)の雨がこぼれるほど
 
小さきもの
小さきものよ
 
お前の眼から お前の睫毛の間から
この朝 お前の小さな悲しみから
 
父の手に
こぼれて落ちる
 
今この父の手の上に しばしの間温かい
ああこれは これは何か
 
それは父の手を濡らし
それは父の心を濡らす
 
それは遠い国からの
それは遠い海からの
 
それはこのあはれな父の その父の
そのまた父の まぼろしの故郷からの
 
鳥の歌と 花の匂ひと 青空と
はるかにつづいた山川との
 
ー風のたより
なつかしい季節のたより
 
この朝 この父の手に
新らしくとどいた消息
 
 
第五詩集『艸千里』所収。
前掲の『山果集』からおよそ4年を経た昭和14年に刊行された。
艸千里とは「阿蘇山の中央火口丘の一つ烏帽子岳北斜面の火口跡。直径約1kmの浅い窪地で、草原をなす」(広辞苑より)。
本詩集中に『艸千里濱』という題名の詩作がある。
 
これまでの四行詩から大きく変貌を遂げ、いっそうの円熟の域に達した達治のスタイル。
その内容は、これまでのような鳥や花などの形象にぴたりと焦点を当てたものから、より詩人自身の心境(それはしばしば孤独や失意の色を見せる)を語るものへと移っているように思える。
【昭和12年7月に日中戦争が勃発、達治は出版社の特派員として一ヶ月ほど上海に赴く。
また同時期には詩人中原中也死去の報に触れている。】
 
 
「お前」である達治の長男がふとしたときに流した涙。
「父」とはもちろん達治自身である。
父の手にこぼれて落ちた温かな涙に、詩人は自らの祖先や故郷を思うのだ。
 
『象徴詩の手法がこれほど見事に生かされた例は他に求めがたく、生命の持続をこれほど純粋に美しく歌った詩も稀有である。』
(河盛好蔵氏による文章より)
 
冒頭部分
「とある朝」〜「ああこれは これは何か」
までは、レチタティーヴォあるいはアリオーソのようなバスの独唱によって訥々と語られる。
そして詩の後半
「それは父の手を濡らし」
以降は一転して、男声独特の厚みとうねりを帯びた、文字通り温かくなつかしい響きをもって歌われるのだ。
 
本組曲中における「静かなるクライマックス」と位置付けるにふさわしい佳作である。
 
(つづく)
 
 
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2015年06月24日

ブノワ (35):オラトリオ『スヘルデ』[5]

 
(スコア最終ページ)
 
 
【第3部・後半】
 
オラトリオの第1部からここまでは "詩人" が語り手として、スヘルデの美しさやフランデレンの歴史、人のあるべき姿について歌い、語ってきた。
そして第3部の後半に至って "芸術家" が初めて登場する。
 
「ああ、私の努力はただの幻に過ぎぬのか?
それは虚しい夢想のように消えてしまうのか?
自分の心に生まれ来る生命を私が感じるとき、
私にとって、宝のように注ぐスヘルデが至高の存在であった。
しかし、それは幻影であったのか、
この川が与えてくれた喜びのすべては…
 
だが、それがどうしたというのだ!
私はその苦悩を癒すための何かを持っているのだ。
私は探し求める、純粋なる美の領域を。」
 
 
ブノワ研究者で王立フランデレン音楽院図書館長のJan Dewildeさんはフルスコアの序文の中で次のように述べている。
『この "詩人" と "芸術家"(後者は最後の部分にのみ登場する)は通常、1人のバリトン独唱で歌われる。これらの登場人物が二人の "作者" を描いていることは明らかである。』
彼の言う二人の作者とはもちろん、台本作者のエマニュエル・ヒールと作曲者ペーテル・ブノワのことであろう。
 
 
ここでまたも曲調がガラリと変わり、管楽器が晴れやかに鐘の音を響かせる。
アントウェルペン大聖堂のカリヨンだろうか。
そして少女と青年はじめ様々な人物たちが姿を現す。
 
少女と青年
「鐘が鳴っている、
私たちは町へ向かおう!」
船乗りたち
「鐘が鳴っている、
我らは町へ向かおう!」
少女
「祝祭、それは私の心を惹きつけます!
はやく!急いで!」
二人
「さようなら、スヘルデ、愛の川、
歓喜の声が岸で私たちを呼ぶ」
農民たち、漁師たち
「我らは積荷をどっさりと載せて、
声をあげて市場へ向け航海するのだ!」
商人たち
「我らは悦びにひたる、
今日もよく働いた、と!」
到着する水夫たち
「私の天使に挨拶を!
祖国に挨拶を!」
全員
「鐘が鳴っている etc.」
 
するとスヘルデ和音が輝かしい金管楽器によってハ長調で奏でられ、芸術家が再び登場。
 
「スヘルデ、おまえの雄大な和音を
人々の歌に付け合わせよ、
言葉の中に魂が溢れ出るところ、
そこでは愛と美が支配しているのだ。」
 
そして大団円。
オラニエ公の主題が二重合唱によって朗々と歌われる。
 
全員
「さようなら、スヘルデ、愛の川、
歓喜の声が岸で私たちを呼ぶ、
くねりながら進め、皆の恩恵のために、
自由の祖国を貫き通って、
力強く、華麗なる祖国ネーデルラントを!」
 
 
(オラトリオ『スヘルデ』完)
 
 
 
 
 
 
 
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2015年06月16日

『海寄せ』に寄せて〈2〉

 
多田武彦/男声合唱組曲『海に寄せる歌』
(三好達治作詩)
 
 
2. 『仔羊』
 
海の青さに耳をたて 圍ひの柵を跳び越える 仔羊
砂丘の上に馳けのぼり 己れの影にとび上る 仔羊よ
私の歌は 今朝生れたばかりの仔羊
潮の薫りに眼を瞬き 飛び去る雲の後を追ふ
 
 
昭和10年刊行の第四詩集『山果集』所収。
先にふれた『砂上』同様、これも冒頭に置かれた詩である。
『山果集拾遺』として収められているものを含め70編余りのすべてが四行詩だ。
 
この頃三好達治はボードレールの詩集『悪の華』の翻訳に携わっている。
このフランスの詩人については、以前にも散文詩集『巴里の憂鬱』全訳を出版する(昭和4年)など、達治にとって身近な存在であった。
 
「仔羊」とは、詩中にあるように達治の紡ぎ出した歌たちであろうか、あるいは視野をかっと広げつつ詩壇での新たな飛躍を期する達治自身の姿であろうか。
彼は実際、この翌年あたりから四行詩のスタイルからの脱出を試み、散文詩や小説への転換を図るのであった。
 
 
さて〈1〉で取り上げた『濶ヤ集』であるが、実はこの「濶ヤ」がどういう意味なのか長いことずっと解らないままであった。
改めて少し調べてみると
「野草濶ヤ」という語が出てきた。
 
野草濶ヤ無限趣
 
漢詩の一部と思われる。
(出典は不明)
ひっそりと野に生える草花には無限の趣がある、といった意であろう。
 
もうひとつ。
これは良寛上人の作であるそうだ。
 
庭階虫鳴秋寂寂
野草濶ヤ没杖滋
 
庭のきざはしで虫が鳴く ひっそりと寂しい秋
静かに野に生える草花は 私の杖が隠れるほどにおいしげっている
…概ねこのような内容であろうか。
 
「間」は本来は「閨vと書くこと、「間」は「閑」(のんびりとしている、ゆったりと落ち着いている)に通ずることなども今回初めて知った。
 
「濶ヤ」=ひっそりと静かに咲く花。
美しい言葉だ。
 
 
(つづく)
 
 
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2015年06月04日

『海寄せ』に寄せて〈1〉

 
8月の農工グリー演奏会で取り上げる『海に寄せる歌』。
「タダタケ」のニックネームで合唱ファンからこよなく愛されている多田武彦の代表作のひとつだ。
同時に僕が初めて歌った男声合唱作品でもあり、それゆえこの『海寄せ』には特別な思い入れがある。
 
全7曲からなるこの組曲、テキストに選ばれたのが三好達治の詩である。
その美しくたおやかな抒情性はタダタケ(敬愛の念をこめて敢えてこう呼ばせていただく)の音楽にピタリ合致していると、僕は思う。
 
 
1. 『砂上』
 
海 海よ お前を私の思ひ出と呼ばう 私の思ひ出よ
お前の渚に 私は砂の上に臥(ね)よう 海 鹹(しほ)からい水......水の音よ
お前は遠くからやつてくる 私の思ひ出の縁飾り波よ 鹹からい水の起き伏しよ
さうして渚を嚙むがいい さうして渚を走るがいい お前の飛沫(しぶき)で私の睫を濡らすがいい
 
 
昭和9年刊行の第三詩集『間花集』冒頭の詩。
[「間」は正しくは「門+月」]
ここの収められた50編近くのすべてが四行詩である。
 
達治はその数年前から胸を病んでおり、長野などで療養生活を送っている。
それでもこの年に結婚、さらには同人詩誌『四季』を創刊するなど、当時の詩壇の中心的存在となりつつあった。
 
回想としての「海」を明るい気分で爽やかに歌いあげた詩。
「お前」「私の思ひ出」「渚」「鹹からい水」など幾つもの言葉が自然な流れの中で繰り返され、心地よいリズムを生んでいる。
 
(つづく)
 
 
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2015年04月28日

ブノワ (34):オラトリオ『スヘルデ』[4]

 
 
 
【第3部・前半】
 
スコアの冒頭には速度記号・表情記号の代わりに
 "Een schoone frissche zomermorgen"
(美しく爽やかなある夏の朝)
と記されている。
ここで僕らは改めて気付く…
詩的で牧歌的な第1部は夕刻を、暗澹たる戦いの歴史を描いたドラマティックな第2部は夜の情景を示唆していたのだと。
 
 
第1部冒頭の和声進行
(スヘルデ和音)
 
第1部と同様に美しい「スヘルデ和音」で始まる第3部では、まず詩人が再び登場し哲学的ともいえるバラードを歌う。
 
「実在する魂を理解する者、
物質世界の意味を知る者、
それは物質から理想へと向かう、
その理想は精神と感覚とを高揚させ洗練させるのだ。
それはやってくる、薔薇色の陽の光が
スヘルデの川面に黄金の輝きを発するとき、
悦楽の白い波が
緑の岸辺で舞い踊るとき、
愛しい人に呼びかける妖精のように、
歌いながら真珠の涙をじっと見つめる葦の穂のように。
それはやってくる!…そして素早く姿を見せる、
善き人の姿がスヘルデの川面から、微笑みながら。」
 
[それ=善き人の姿、すなわち人間としてあるべき姿、であろうか。詩人はスヘルデの流れの中にその反映を見たのだ]
 
二人の恋人たちは心の動揺から少しずつ立ち直ってゆく。
「アイリスの光に囲まれた
青白いユリの花のように
僕の愛しい人は陽の輝きの中で悲しんでいる」
「なぜ亡霊が夜毎
スヘルデの上をさまようのでしょう?
ああ、私は身震いします!」
「泣くのはおよし、遠くに目をやろう、
川の上に帆船が浮かんでいる、
白鳥のように。
船乗りたちの歌が僕たちを
心から迎えてくれる!」etc.
 
そこへ、スヘルデやその周辺で生業を営む職業集団の姿が次々と登場する。
 
出航する水夫たち
「マストを立てよ、
出帆の準備だ!
万歳!
風はささやき告げる、
波立つ泡を通して、
私は歌いながらお前を連れていく…と。
万歳!」
 
二人
「ああ、暗闇の後から…」
「光と輝きがやってくる!」etc.
 
漁師たち
「星々の震えるような輝きのもとで
我らは網を投げる、
やさしく、静かに、やさしく!
魚たちよ、恋に落ちた愚か者のように
我が身を網の中へ投げかけよ、
やさしく、静かに、やさしく!」
 
すると二人は、なぜか突然に愛を語り合うのだ。
「神よ、恋とはなんと盲目なのでしょう…」
「神聖な愛が子孫をもたらすのです」
「愛が始まりました、
無上の喜びをもって、
それは涙のうちに終わることはありません…」
「愛しい人よ、僕の胸に、
もう一度、僕に口づけを!」etc.
 
なんとも唐突である。
 
貿易商たち
「花々の間を飛び交う蜜蜂のように、
船たちは波間をすべるように進む、
遠い異国の地へと!
船たちは多くの品々をもたらす、
遠い異国の地より!
船たちは絆を結ぶ、
人類愛と平和の、
遠い異国の地において!
すべての労働にとって、
船たちは繁栄をもたらす、
遠い異国の地より!」
 
二人
「スヘルデの川岸の小さな家、
腕の中には小さな赤ちゃん、
それは私の望み!」
「魂の救い主よ、僕の生命よ!」
「愛しい人よ、僕の/私の胸に…」etc.
 
やはり唐突である。
 
漁師たち
「ヘイ!我らの積荷はなんて大きいんだ!」
 
と、いささか取り留めなく物語は進んで行く。
 
次いで詩人に代わって芸術家が登場するのだが…後半は改めて。
 
(つづく)
 
 
 
 
 
 
 
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2015年04月22日

ブノワ (33):オラトリオ『スヘルデ』[3]

 
 
(オラニエ公ウィレムの霊魂の主題)
 
【第2部・後半】
前回と同様、オラトリオのテキストを紹介する前に、当時のフランデレン史についてざっと触れておこう。
 
15世紀末、フランデレンの地はスペイン・ハプスブルク家の領地となった。
この時期、フランデレンの呼び名は姿を消し、現在のオランダと合わせて「ネーデルラント」と称された。
その後、ドイツで興った宗教改革の流れを受け、16世紀後半よりスペインによるネーデルラント地域への圧政が目に余るようになる。
そこで立ち上がったのが、オラニエ公ウィレムを中心とした貴族たちであった。
彼らはスペイン陣営側から「乞食たち」と呼ばれ、また自らもそのように名乗っていたという。
オラニエ公は反スペイン勢力の中心的存在となり、のちのネーデルラント独立の礎となった。
 
 
第2部後半は、戦火に怯える少女と青年の会話から始まる。
「川面があんなにもかき乱れて!
ああ、私は怯えています!」
「臆病にならないで…
愛があなたを導くように
ただ祝福のみがあなたを待っています!」
「ああ、そこに死が、薪束、断頭台、絞首台とともに渦巻いている!」
「あれは流れに映る朝霧、
風に揺れるアシがざわざわと立てる音。」
「聞いて、なんという雷鳴!」
「ああっ!」etc.
 
ここでオラニエ公ウィレムの霊魂が現れる。
「民は苦しんでいる、
妄信の束縛が彼らを抑圧する!
来たまえ、ともに闘おう!
耳を貸さぬものはいるか?」
 
これに男声の二重合唱が力強く応える。
森の乞食党
「我らはゆく、馬でゆく
平原を駆け抜けて勇敢に!」
海の乞食党
「ああ!哀れな民の流した涙が血のようだ。
しかし、ネーデルラントは連帯する!」
乞食党
「我らは街を、そして港を解放する!
スペインの激しい暴政から!
前進せよ!我らは勝利する!」etc.
 
そして結びは壮大な男声合唱による賛歌となる。
「ヴィルヘルムス・ファン・ナッソウエ(=オラニエ公を指す)よ、
我らはネーデルラントの血統、
我らは祖国に忠誠を誓う、
神が永遠に護りたもう祖国に、
自由のための、真理の救済のための
聖域のごとき祖国に。
そして我らは喜びに満ちた歓声を上げる、
幸いなるかな、ネーデルラント!」
 
 
現代の我々から見れば多分に国粋主義的な内容とも取れるが、当時の、常に外圧と闘ってきたフランデレンの人々にとってはこれが偽らざる心境であったのだろうと思えてならないのだ。
そして〜繰り返しになるが〜ここでブノワの書いた音楽はほんとうに素晴らしい。
 
(つづく)
 
 
 
 
 
 
 
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2015年02月15日

ブノワ (32) : オラトリオ『スヘルデ』[2]

 
(アルテヴェルデの霊魂のアリア)
 
【第2部・前半】
ここでの登場人物は非常に多岐にわたり、しかもそれらのほとんどが史実に基づいたものである。
よって、第2部のテキストを理解するには、フランデレンの歴史を知ることが大前提となるのだ。
 
12-13世紀頃、フランデレンの地は自治都市の集まりであり、商業・貿易の要として大いに栄えた。
これを狙ったのがフランスである。
1297年、フランデレン伯領はフランスに併合される。
しかしその後、民衆が蜂起しフランス軍を追い出した。[1302年、金拍車の戦い]
このとき戦ったとされる『獅子爪党(フランデレン側)』と『百合党(フランス側)』、そして蜂起のリーダー『ニコラス・ザネキン』の霊魂がまず登場する。
2つの党は男声合唱で、ザネキンの霊魂はバスで歌われる。
 
詩人
「おお、美しいスヘルデの流れよ、
おまえは私の心の中に高潔な
我らの英雄たちの姿を呼び起こす
霊たちの行列がそこに現れる、
おまえの岸に、靄のように etc.」
獅子爪党
「もしスヘルデに自由がないのならば
墓の中より我らは叫ぶ、
"フランデレンの獅子!" と」
百合党
「我らはあいつらを滅ぼす、
野を駆ける者たちすべてを」
ザネキンの霊魂
「自由よ、
おまえは民を奮い立たせるだろう、
我らの種族は暴力を許さない!etc.」
百合党
「獅子爪よ、
もしお前たちが立ち向かうならば
我らはお前たちを怯えさせてやる」
フランデレンの人々
「フランデレンの獅子!
我らは決して奴隷にはならない!」
 
次いでフランデレンの政治家『ヤコブ・ファン・アルテヴェルデ』の霊魂が現れる。
彼はフランデレンの利権を巡りイギリス・フランス間で生じた百年戦争(1339-1453年)の時代における自治都市連合の指導者であった。
 
ここで彼(バリトン)の歌うアリアは全曲中の白眉といっても良いだろう。
(ただしテキストはやはり今ひとつ詩情に乏しい…)
「私は死の覆いを脱ぎ捨てる
フランデレンは生命の証を再び与えるのだ!
人々は墓より立ち上がるー
彼らは敬虔な種族であり、
法を守り、
平和の中に活力を求め、
そして交易をより尊ぶ
武人のように争うのではなく!」
 
フランデレンの人々
「自由!交易!
フランデレンの獅子!」
百合党
「我らは死んでゆく…
暗い墓よ、
我らの悲しみを和らげよ!」
 
ここで音楽は変わり、第1部で登場した二人の恋人のシーンとなる。
そして、自由を勝ち取るためのフランデレンのさらなる戦いの場面へと…
 
この続きは改めて。
 
(つづく)
 
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