2015年06月24日

ブノワ (35):オラトリオ『スヘルデ』[5]

 
(スコア最終ページ)
 
 
【第3部・後半】
 
オラトリオの第1部からここまでは "詩人" が語り手として、スヘルデの美しさやフランデレンの歴史、人のあるべき姿について歌い、語ってきた。
そして第3部の後半に至って "芸術家" が初めて登場する。
 
「ああ、私の努力はただの幻に過ぎぬのか?
それは虚しい夢想のように消えてしまうのか?
自分の心に生まれ来る生命を私が感じるとき、
私にとって、宝のように注ぐスヘルデが至高の存在であった。
しかし、それは幻影であったのか、
この川が与えてくれた喜びのすべては…
 
だが、それがどうしたというのだ!
私はその苦悩を癒すための何かを持っているのだ。
私は探し求める、純粋なる美の領域を。」
 
 
ブノワ研究者で王立フランデレン音楽院図書館長のJan Dewildeさんはフルスコアの序文の中で次のように述べている。
『この "詩人" と "芸術家"(後者は最後の部分にのみ登場する)は通常、1人のバリトン独唱で歌われる。これらの登場人物が二人の "作者" を描いていることは明らかである。』
彼の言う二人の作者とはもちろん、台本作者のエマニュエル・ヒールと作曲者ペーテル・ブノワのことであろう。
 
 
ここでまたも曲調がガラリと変わり、管楽器が晴れやかに鐘の音を響かせる。
アントウェルペン大聖堂のカリヨンだろうか。
そして少女と青年はじめ様々な人物たちが姿を現す。
 
少女と青年
「鐘が鳴っている、
私たちは町へ向かおう!」
船乗りたち
「鐘が鳴っている、
我らは町へ向かおう!」
少女
「祝祭、それは私の心を惹きつけます!
はやく!急いで!」
二人
「さようなら、スヘルデ、愛の川、
歓喜の声が岸で私たちを呼ぶ」
農民たち、漁師たち
「我らは積荷をどっさりと載せて、
声をあげて市場へ向け航海するのだ!」
商人たち
「我らは悦びにひたる、
今日もよく働いた、と!」
到着する水夫たち
「私の天使に挨拶を!
祖国に挨拶を!」
全員
「鐘が鳴っている etc.」
 
するとスヘルデ和音が輝かしい金管楽器によってハ長調で奏でられ、芸術家が再び登場。
 
「スヘルデ、おまえの雄大な和音を
人々の歌に付け合わせよ、
言葉の中に魂が溢れ出るところ、
そこでは愛と美が支配しているのだ。」
 
そして大団円。
オラニエ公の主題が二重合唱によって朗々と歌われる。
 
全員
「さようなら、スヘルデ、愛の川、
歓喜の声が岸で私たちを呼ぶ、
くねりながら進め、皆の恩恵のために、
自由の祖国を貫き通って、
力強く、華麗なる祖国ネーデルラントを!」
 
 
(オラトリオ『スヘルデ』完)
 
 
 
 
 
 
 
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2015年06月16日

『海寄せ』に寄せて〈2〉

 
多田武彦/男声合唱組曲『海に寄せる歌』
(三好達治作詩)
 
 
2. 『仔羊』
 
海の青さに耳をたて 圍ひの柵を跳び越える 仔羊
砂丘の上に馳けのぼり 己れの影にとび上る 仔羊よ
私の歌は 今朝生れたばかりの仔羊
潮の薫りに眼を瞬き 飛び去る雲の後を追ふ
 
 
昭和10年刊行の第四詩集『山果集』所収。
先にふれた『砂上』同様、これも冒頭に置かれた詩である。
『山果集拾遺』として収められているものを含め70編余りのすべてが四行詩だ。
 
この頃三好達治はボードレールの詩集『悪の華』の翻訳に携わっている。
このフランスの詩人については、以前にも散文詩集『巴里の憂鬱』全訳を出版する(昭和4年)など、達治にとって身近な存在であった。
 
「仔羊」とは、詩中にあるように達治の紡ぎ出した歌たちであろうか、あるいは視野をかっと広げつつ詩壇での新たな飛躍を期する達治自身の姿であろうか。
彼は実際、この翌年あたりから四行詩のスタイルからの脱出を試み、散文詩や小説への転換を図るのであった。
 
 
さて〈1〉で取り上げた『濶ヤ集』であるが、実はこの「濶ヤ」がどういう意味なのか長いことずっと解らないままであった。
改めて少し調べてみると
「野草濶ヤ」という語が出てきた。
 
野草濶ヤ無限趣
 
漢詩の一部と思われる。
(出典は不明)
ひっそりと野に生える草花には無限の趣がある、といった意であろう。
 
もうひとつ。
これは良寛上人の作であるそうだ。
 
庭階虫鳴秋寂寂
野草濶ヤ没杖滋
 
庭のきざはしで虫が鳴く ひっそりと寂しい秋
静かに野に生える草花は 私の杖が隠れるほどにおいしげっている
…概ねこのような内容であろうか。
 
「間」は本来は「閨vと書くこと、「間」は「閑」(のんびりとしている、ゆったりと落ち着いている)に通ずることなども今回初めて知った。
 
「濶ヤ」=ひっそりと静かに咲く花。
美しい言葉だ。
 
 
(つづく)
 
 
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2015年06月04日

『海寄せ』に寄せて〈1〉

 
8月の農工グリー演奏会で取り上げる『海に寄せる歌』。
「タダタケ」のニックネームで合唱ファンからこよなく愛されている多田武彦の代表作のひとつだ。
同時に僕が初めて歌った男声合唱作品でもあり、それゆえこの『海寄せ』には特別な思い入れがある。
 
全7曲からなるこの組曲、テキストに選ばれたのが三好達治の詩である。
その美しくたおやかな抒情性はタダタケ(敬愛の念をこめて敢えてこう呼ばせていただく)の音楽にピタリ合致していると、僕は思う。
 
 
1. 『砂上』
 
海 海よ お前を私の思ひ出と呼ばう 私の思ひ出よ
お前の渚に 私は砂の上に臥(ね)よう 海 鹹(しほ)からい水......水の音よ
お前は遠くからやつてくる 私の思ひ出の縁飾り波よ 鹹からい水の起き伏しよ
さうして渚を嚙むがいい さうして渚を走るがいい お前の飛沫(しぶき)で私の睫を濡らすがいい
 
 
昭和9年刊行の第三詩集『間花集』冒頭の詩。
[「間」は正しくは「門+月」]
ここの収められた50編近くのすべてが四行詩である。
 
達治はその数年前から胸を病んでおり、長野などで療養生活を送っている。
それでもこの年に結婚、さらには同人詩誌『四季』を創刊するなど、当時の詩壇の中心的存在となりつつあった。
 
回想としての「海」を明るい気分で爽やかに歌いあげた詩。
「お前」「私の思ひ出」「渚」「鹹からい水」など幾つもの言葉が自然な流れの中で繰り返され、心地よいリズムを生んでいる。
 
(つづく)
 
 
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2015年04月28日

ブノワ (34):オラトリオ『スヘルデ』[4]

 
 
 
【第3部・前半】
 
スコアの冒頭には速度記号・表情記号の代わりに
 "Een schoone frissche zomermorgen"
(美しく爽やかなある夏の朝)
と記されている。
ここで僕らは改めて気付く…
詩的で牧歌的な第1部は夕刻を、暗澹たる戦いの歴史を描いたドラマティックな第2部は夜の情景を示唆していたのだと。
 
 
第1部冒頭の和声進行
(スヘルデ和音)
 
第1部と同様に美しい「スヘルデ和音」で始まる第3部では、まず詩人が再び登場し哲学的ともいえるバラードを歌う。
 
「実在する魂を理解する者、
物質世界の意味を知る者、
それは物質から理想へと向かう、
その理想は精神と感覚とを高揚させ洗練させるのだ。
それはやってくる、薔薇色の陽の光が
スヘルデの川面に黄金の輝きを発するとき、
悦楽の白い波が
緑の岸辺で舞い踊るとき、
愛しい人に呼びかける妖精のように、
歌いながら真珠の涙をじっと見つめる葦の穂のように。
それはやってくる!…そして素早く姿を見せる、
善き人の姿がスヘルデの川面から、微笑みながら。」
 
[それ=善き人の姿、すなわち人間としてあるべき姿、であろうか。詩人はスヘルデの流れの中にその反映を見たのだ]
 
二人の恋人たちは心の動揺から少しずつ立ち直ってゆく。
「アイリスの光に囲まれた
青白いユリの花のように
僕の愛しい人は陽の輝きの中で悲しんでいる」
「なぜ亡霊が夜毎
スヘルデの上をさまようのでしょう?
ああ、私は身震いします!」
「泣くのはおよし、遠くに目をやろう、
川の上に帆船が浮かんでいる、
白鳥のように。
船乗りたちの歌が僕たちを
心から迎えてくれる!」etc.
 
そこへ、スヘルデやその周辺で生業を営む職業集団の姿が次々と登場する。
 
出航する水夫たち
「マストを立てよ、
出帆の準備だ!
万歳!
風はささやき告げる、
波立つ泡を通して、
私は歌いながらお前を連れていく…と。
万歳!」
 
二人
「ああ、暗闇の後から…」
「光と輝きがやってくる!」etc.
 
漁師たち
「星々の震えるような輝きのもとで
我らは網を投げる、
やさしく、静かに、やさしく!
魚たちよ、恋に落ちた愚か者のように
我が身を網の中へ投げかけよ、
やさしく、静かに、やさしく!」
 
すると二人は、なぜか突然に愛を語り合うのだ。
「神よ、恋とはなんと盲目なのでしょう…」
「神聖な愛が子孫をもたらすのです」
「愛が始まりました、
無上の喜びをもって、
それは涙のうちに終わることはありません…」
「愛しい人よ、僕の胸に、
もう一度、僕に口づけを!」etc.
 
なんとも唐突である。
 
貿易商たち
「花々の間を飛び交う蜜蜂のように、
船たちは波間をすべるように進む、
遠い異国の地へと!
船たちは多くの品々をもたらす、
遠い異国の地より!
船たちは絆を結ぶ、
人類愛と平和の、
遠い異国の地において!
すべての労働にとって、
船たちは繁栄をもたらす、
遠い異国の地より!」
 
二人
「スヘルデの川岸の小さな家、
腕の中には小さな赤ちゃん、
それは私の望み!」
「魂の救い主よ、僕の生命よ!」
「愛しい人よ、僕の/私の胸に…」etc.
 
やはり唐突である。
 
漁師たち
「ヘイ!我らの積荷はなんて大きいんだ!」
 
と、いささか取り留めなく物語は進んで行く。
 
次いで詩人に代わって芸術家が登場するのだが…後半は改めて。
 
(つづく)
 
 
 
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 00:13| Comment(0) | 音楽雑記帳

2015年04月22日

ブノワ (33):オラトリオ『スヘルデ』[3]

 
 
(オラニエ公ウィレムの霊魂の主題)
 
【第2部・後半】
前回と同様、オラトリオのテキストを紹介する前に、当時のフランデレン史についてざっと触れておこう。
 
15世紀末、フランデレンの地はスペイン・ハプスブルク家の領地となった。
この時期、フランデレンの呼び名は姿を消し、現在のオランダと合わせて「ネーデルラント」と称された。
その後、ドイツで興った宗教改革の流れを受け、16世紀後半よりスペインによるネーデルラント地域への圧政が目に余るようになる。
そこで立ち上がったのが、オラニエ公ウィレムを中心とした貴族たちであった。
彼らはスペイン陣営側から「乞食たち」と呼ばれ、また自らもそのように名乗っていたという。
オラニエ公は反スペイン勢力の中心的存在となり、のちのネーデルラント独立の礎となった。
 
 
第2部後半は、戦火に怯える少女と青年の会話から始まる。
「川面があんなにもかき乱れて!
ああ、私は怯えています!」
「臆病にならないで…
愛があなたを導くように
ただ祝福のみがあなたを待っています!」
「ああ、そこに死が、薪束、断頭台、絞首台とともに渦巻いている!」
「あれは流れに映る朝霧、
風に揺れるアシがざわざわと立てる音。」
「聞いて、なんという雷鳴!」
「ああっ!」etc.
 
ここでオラニエ公ウィレムの霊魂が現れる。
「民は苦しんでいる、
妄信の束縛が彼らを抑圧する!
来たまえ、ともに闘おう!
耳を貸さぬものはいるか?」
 
これに男声の二重合唱が力強く応える。
森の乞食党
「我らはゆく、馬でゆく
平原を駆け抜けて勇敢に!」
海の乞食党
「ああ!哀れな民の流した涙が血のようだ。
しかし、ネーデルラントは連帯する!」
乞食党
「我らは街を、そして港を解放する!
スペインの激しい暴政から!
前進せよ!我らは勝利する!」etc.
 
そして結びは壮大な男声合唱による賛歌となる。
「ヴィルヘルムス・ファン・ナッソウエ(=オラニエ公を指す)よ、
我らはネーデルラントの血統、
我らは祖国に忠誠を誓う、
神が永遠に護りたもう祖国に、
自由のための、真理の救済のための
聖域のごとき祖国に。
そして我らは喜びに満ちた歓声を上げる、
幸いなるかな、ネーデルラント!」
 
 
現代の我々から見れば多分に国粋主義的な内容とも取れるが、当時の、常に外圧と闘ってきたフランデレンの人々にとってはこれが偽らざる心境であったのだろうと思えてならないのだ。
そして〜繰り返しになるが〜ここでブノワの書いた音楽はほんとうに素晴らしい。
 
(つづく)
 
 
 
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 12:16| Comment(0) | 音楽雑記帳

2015年02月15日

ブノワ (32) : オラトリオ『スヘルデ』[2]

 
(アルテヴェルデの霊魂のアリア)
 
【第2部・前半】
ここでの登場人物は非常に多岐にわたり、しかもそれらのほとんどが史実に基づいたものである。
よって、第2部のテキストを理解するには、フランデレンの歴史を知ることが大前提となるのだ。
 
12-13世紀頃、フランデレンの地は自治都市の集まりであり、商業・貿易の要として大いに栄えた。
これを狙ったのがフランスである。
1297年、フランデレン伯領はフランスに併合される。
しかしその後、民衆が蜂起しフランス軍を追い出した。[1302年、金拍車の戦い]
このとき戦ったとされる『獅子爪党(フランデレン側)』と『百合党(フランス側)』、そして蜂起のリーダー『ニコラス・ザネキン』の霊魂がまず登場する。
2つの党は男声合唱で、ザネキンの霊魂はバスで歌われる。
 
詩人
「おお、美しいスヘルデの流れよ、
おまえは私の心の中に高潔な
我らの英雄たちの姿を呼び起こす
霊たちの行列がそこに現れる、
おまえの岸に、靄のように etc.」
獅子爪党
「もしスヘルデに自由がないのならば
墓の中より我らは叫ぶ、
"フランデレンの獅子!" と」
百合党
「我らはあいつらを滅ぼす、
野を駆ける者たちすべてを」
ザネキンの霊魂
「自由よ、
おまえは民を奮い立たせるだろう、
我らの種族は暴力を許さない!etc.」
百合党
「獅子爪よ、
もしお前たちが立ち向かうならば
我らはお前たちを怯えさせてやる」
フランデレンの人々
「フランデレンの獅子!
我らは決して奴隷にはならない!」
 
次いでフランデレンの政治家『ヤコブ・ファン・アルテヴェルデ』の霊魂が現れる。
彼はフランデレンの利権を巡りイギリス・フランス間で生じた百年戦争(1339-1453年)の時代における自治都市連合の指導者であった。
 
ここで彼(バリトン)の歌うアリアは全曲中の白眉といっても良いだろう。
(ただしテキストはやはり今ひとつ詩情に乏しい…)
「私は死の覆いを脱ぎ捨てる
フランデレンは生命の証を再び与えるのだ!
人々は墓より立ち上がるー
彼らは敬虔な種族であり、
法を守り、
平和の中に活力を求め、
そして交易をより尊ぶ
武人のように争うのではなく!」
 
フランデレンの人々
「自由!交易!
フランデレンの獅子!」
百合党
「我らは死んでゆく…
暗い墓よ、
我らの悲しみを和らげよ!」
 
ここで音楽は変わり、第1部で登場した二人の恋人のシーンとなる。
そして、自由を勝ち取るためのフランデレンのさらなる戦いの場面へと…
 
この続きは改めて。
 
(つづく)
 
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2015年02月11日

ブノワ (31) :オラトリオ『スヘルデ』[1]

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ペーテル・ブノワ『スヘルデ』
全三部からなる
ロマン的・歴史的オラトリオ

1868年完成、ブノワ34歳。
台本はエマニュエル・ヒールの作。
音楽はほんとうに素晴らしいのだが、歌詞がフラマン語であること、またテキストの内容も叙事詩的かつ啓蒙的で詩情に欠けること(有り体に言えば泥臭く、きな臭い)から、ベルギー国内ではまず演奏されにくい作品だ。

以下、その泥臭いテキストを抜粋して追ってみる。

【第1部】
主な登場人物…詩人、青年、少女、船乗り(たち)、農民たち

詩人は全三部を通し、各々の冒頭に登場する。
「おおスヘルデ、私はおまえの声を聞く
スヘルデは歌う、楽しげで優しい言葉を、
喜びと愛の言葉を!
また同時に深遠な和音を奏で、
その響きはあまねく伝わり、
そして心の中へ入り込んでゆく」

青年と少女(彼らも全三部に登場)はスヘルデを讃え、愛を歌う。
「歌え、美しいスヘルデよ、
眠っている恋人のために…
彼女が僕の夢を見ますように、
僕がおまえの岸辺の花を摘む間!」etc.
「歌って、美しいスヘルデよ、
私の心の安らぎのために!
私はおまえの岸辺で口づけされる、
愛の夢の中で!」etc.

〜とまあ、二人は終始こんな調子である。

そこへ船乗りの掛け声が。
「ホーイ、オー!
波が飛び跳ねている、
加わりたい者たちは皆、
出航せよ!」

続いて農民たちの歌。
「陽の光は傾き
そして穏やかに西へと沈む
入江の葦や小枝の中から
蛙やナイチンゲールたちの歌が
高まり始める」etc.

青年
「密やかな楽しい声が
僕をスヘルデへの船出に誘う」
少女
「豊かな魔法の歌が
私を船出への願望へと目覚めさせる」

このようなやり取りがしばらく続くと、

青年
「愛はすべての者を招き寄せる!」
「僕の腕の中に来て、
愛しい人!」
少女
「あなたの声は私の心を揺り動かす、
波のさざめきのように」
二人
「出航しよう!」
船乗りたち
「ホーイ、オー!
彼らは出航する!」

と、突然盛り上がって唐突に終わる。

この第1部は、ブノワ(と台本作者ヒール)による『フランデレン民族への励ましの呼びかけ』のようなものなのだと思う。
直情径行でかなり不器用ではあるが。

(つづく)


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2014年07月31日

佐川吉男音楽賞


立川市民オペラの会、
2014年3月公演『アイーダ』で
第12回佐川吉男音楽賞・奨励賞を受賞!

一昨年よりこのオペラ合唱団の指揮・指導を務めている者として、これはほんとうにうれしい出来事だ。


「佐川吉男音楽賞」とは…
音楽評論家・ジャーナリストとして長年にわたり活動した故 佐川吉男氏の業績を讃えるとともに、オペラおよびチェコ・スロバキアの音楽活動の振興を主な目的に創設された賞、とのこと。

音楽賞実行委員会のサイトによれば、今回の受賞理由は次の通りである。
(自由に引用させていただいた)

『実力派の歌手を若手中心に適材適所で起用、市民参加の合唱団、管弦楽団に地元音楽大学有志も加わって、好水準の公演となった。
出演者、スタッフらの意欲に満ちた取り組みが「アイーダ」の音楽の楽しさを伝え、きらびやかな衣装は目を楽しませた。
地域に根差したオペラとしてさらなる継続と発展が期待される。』

不覚にも、私は今回までこの賞の存在を知らなかったのだが、自分の携わるこうした活動が第三者の視点から高く評価されたことに、心からの達成感と幸福感を覚える。


合唱団メンバーもみな大喜び!
今回の受賞がいっそうの励みとなり、目下取り組んでいるドニゼッティ『愛の妙薬』の練習にもさらに弾みがつくというものだ。

合唱団の皆さん、
おめでとうございます!
『愛妙』、そしてその先のステージに向かって、さらなる高みを目指して歌っていきましょう!
posted by 小澤和也 at 23:02| Comment(0) | 音楽雑記帳

2014年02月14日

シューマンを辿る(5)

 
§ピアノ四重奏曲変ホ長調 op47
 
1842年10〜11月、前作のピアノ五重奏曲の完成からほとんど間を置かずに作曲。
この頃のシューマンの旺盛な創作力には、ただただ驚嘆するばかりだ。
 
これまでに書かれた室内楽曲と同様、全4楽章からなる。
第1楽章が、冒頭に象徴的な音型(モットー)をもつソナタ形式であること、また終楽章では対位法的要素を積極的に用いるなど、五重奏曲との構成上の共通点も多い。
一方で、第2楽章は終始不安の影を帯びたようなスケルツォ、第3楽章はひたすらに美しい旋律が展開されるアンダンテというふうに、前作と絶妙な対比をなしているのだ。
 
この四重奏曲もチャームポイントに溢れている。
例えば、冒頭楽章の序奏部で示されるモットー音型[g-f-g-as、階名で歌えばミ-レ-ミ-ファ]がアレグロの第一主題となって現れる瞬間には爽やかな朝の空気のようなものを感じる。
また第3楽章のテーマはいかにもシューマンらしいロマンティックなものであるし、さらにはその結びに次の楽章の主題の萌芽(階名でソ-ド-ラ、とV字を描く音型)が暗示される部分なども、心憎いほどの創意に溢れている。
 
そして今回スコアを読み、いくつかの盤で何度か繰り返して聴くうちにふと気付いたこと。
それは、作品のそこここに散りばめられている「ベートーヴェンへの思い」である。
まず、第1楽章の静かな冒頭はあたかもベートーヴェンの後期弦楽四重奏曲の奥深いたたずまいを思わせる。
(僕が特にイメージするのは、同じ調性で書かれたop127だ)
そして呈示部が終わろうとするとき、ふっと気配が変わり冒頭の序奏が回帰する…
この瞬間が『悲愴ソナタ』の同じ楽章を連想させるのだ。
 
さらに第3楽章、先に述べた「ソ-ド-ラ」の音型のあと、天に昇ってゆくような16分音符の音型がヴァイオリン、ヴィオラとピアノで奏されるのだが、僕にはこれが『荘厳ミサ』の「クレード」のエンディングと重なって聞こえる。
そして終楽章…
シューマンのこのポリフォニー、モーツァルト「ジュピター」のフィナーレのそれに例えられることが多いのだが、僕にはそれと同じくらいに『ハンマークラヴィーア・ソナタ』の痕跡を感じるのだ!
 
これらはすべて、僕の思い込みかもしれない。
でも…
この頃のシューマンの頭の中には、偉大なバッハ、そしてベートーヴェンの姿が大写しにされていたに違いない、そう思えてならないのである。
posted by 小澤和也 at 22:51| Comment(0) | 音楽雑記帳

2014年02月01日

シューマンを辿る(4)

 
§ピアノ五重奏曲変ホ長調 op.44
 
1842年9〜10月に作曲。
この年の夏に3つの弦楽四重奏曲を書き上げたシューマンが続けて手掛けたのがこの作品である。
もともとピアニストを志し、また技法的にもピアノ的発想で作曲することの多かったシューマンにしてみれば、この流れは至極当然のものだったであろう。
 
第1楽章はアレグロ・ブリランテ、ソナタ形式。
華麗で力強い第一主題がこの楽章の中心をなし、そしていわゆる「主題労作」の進歩の跡が著しい。
一方で、しっとりと優美に奏でられる第二主題はいかにも「夢見るロベルト」といったところか。
展開部も、先に書かれた弦楽四重奏曲に比べ充実が図られている。
この部分ではピアノが大活躍だ…クララはさぞ素晴らしく弾いたのだろうな。
再現部以降は型通りに進む。
 
第2楽章はロンド形式的。
行進曲のモードで、幅広くと記されている。
まず、単調なリズムに乗ってポツリポツリと主要テーマ(ハ短調)が奏される。
葬送行進曲風というよりも、感傷的な、訥々とした "語り" といった雰囲気か。
第一の副主題はハ長調。
「優しきうた」と勝手にタイトルを付けたくなるような、シンプルで胸に沁みる旋律だ。
弦楽器(八分音符)とピアノ(三連符)の伴奏音型のリズムの微妙なずれも味がある…ブラームスの先取りのよう。
主要テーマ回帰の後に、突如激しくうねるような第二副主題が現れる。
その余韻がさめぬ中で主要テーマがヴィオラによって再び呈示され、さらには第一副主題がエスプレッシーヴォで戻ってくる瞬間の美しさに、聴く者の心は静かに揺さぶられるのだ。
そして最後に、訥々と語るテーマが現れ、ひそやかにこの楽章を閉じる。
 
続く第3楽章は2つのトリオをもつスケルツォ。
主部は6/8拍子、リズミカルに音階の上行・下行を繰り返す、シンプルな力強さをもつもの。
第一のトリオは変ト長調に移り、「ド↓ファ|ソ↓ド|〜」と揺れ動く5度下行を含んだゆったりとした主題に始まる。
また第二トリオは2/4拍子、変イ短調でもってせわしない音型が16分音符で奏でられる。
全体に明快な構成、運動的な楽章である。
 
第4楽章はソナタ形式的であるが、主要な2つの主題以外にも耳に残るフレーズがあったり、第一主題の再現が主調でなされないなど、構成としてはかなり自由である。
(正直なところ、スコアを見るまではよく分からなかったことをこっそり告白したい)
コーダに入ってからも、新しい素材が登場したり、突然フガートが現れたりと目まぐるしく進む。
ところが…
最後のクライマックスと思われたその瞬間、第1楽章第一主題による堂々たる二重フーガが始まる!
これにより、音楽は一気に大団円の気分となるのだ。
 
元来シューマンの中に備わっていたロマン性に加え、バッハの対位法、さらにはベートーヴェン的な古典派様式の佇まいをも包含した「質的に巨大な作品」だと思う。
 
 
posted by 小澤和也 at 17:06| Comment(0) | 音楽雑記帳