§シベリウス/交響曲第1番ホ短調
渡邉暁雄指揮 ヘルシンキpo
('82年ライヴ録音)
実に久しぶりの「愛聴盤」投稿である。
ジャン・シベリウスは今からちょうど150年前のきょう(12月8日)、フィンランド・ハメーンリンナに生まれた。
これにちなんで、今日はシベリウスのディスクをあれこれ引っ張り出して聴いている。
まずは彼にとっての記念碑的傑作である第5交響曲。
その初演はシベリウス50歳の誕生日に行われた...すなわち1915年12月8日、ちょうど100年前のことである。
次に、5分ほどの小品だが実に味わい深い『鶴のいる情景』。
薄く広がる弦楽器の響きが冷たく澄んだ北欧の大気を感じさせる。
そこに突如現れる、胸に突き刺さるような鶴の声は2本のクラリネットで。
劇音楽『クオレマ(死)』中の音楽。
そして...
最近ほとんど聴いていなかった第1交響曲になぜか手が伸びた。
実は僕の中でこの曲は、もうこの演奏でキマリなのである。
初めて聴いたのは高校生の頃、FMで流れたヘルシンキpo初来日・シベリウスツィクルスの放送だ。
同行したフィンランドの指揮者オッコ・カムが第2、3、5&6を、そして渡邉暁雄が第1、4&7というふうに分担して振ったのだったと記憶する。
曲冒頭のクラリネット独奏から、フィナーレ大詰めの弦の死に絶えるようなピツィカートまで、鳴り渡るサウンドのすべてが僕にとってのシベリウス作品のイメージ形成に大きな影響を与え、作品の魅力を教えてくれたのだ。
やや暗い、弦のザラっとした響きは深い森のざわめき、その中を風の音のように通り抜けてゆく木管の歌、そして金管とティンパニの強奏は大地の咆哮だろうか。
初来日ということでヘルシンキpoも気合い十分であったことだろう。
そのオーケストラが隅々まで知り尽くしているシベリウス作品、加えてフィンランドに所縁の深いマエストロ渡邉のタクト...
様々な要素が重なり合って、このような実に濃密な演奏が実現したのではないだろうか。
こうして久しぶりに聴いたわけだが、30数年前の感動がほとんどそのままの色彩で蘇ってきた。