2011年08月14日

私の愛聴盤(25)

§ベートーヴェン/交響曲第7番
 クラウス・テンシュテット指揮北ドイツ放送響
 ('80年ライヴ録音)


とにかく人気の曲。
レコードの種類も多いし、プロ・アマを問わず演奏会でもよく取り上げられる。
これまでにどれだけこの曲を聴いただろうか…
加えて「のだめカンタービレ」がさらなるブームを巻き起こしたようだ。
僕自身は映画もコミックも見ていないので分からないのだが…


第1楽章の序章は、スコアの指示(Poco sostenuto)の通り、幅広さと格調の高さをもって始まる。
低弦の圧倒的なパワーと存在感、
そしてほのかに見え隠れするフルートの音色の美しさ。
主部に入ってからも、快活さの中に余裕を持った音楽が展開される。
第5交響曲や熱情ソナタ、あるいはラズモフスキー四重奏曲のような、たたみかけるような緊張感、凝縮された激しさとはひと味違うこの「第7」の作風・特徴を、この演奏ははっきりと感じさせてくれる。
そう…
これは「リズムの神化」であると同時に「カンタービレ」な交響曲なのだ。


続く第2楽章は「無為の美」である。
我がフルトヴェングラーのように慟哭することはなく(これはこれで大好きだ!)、静かに淡々と流れてゆく。
各楽器のブレンドされた音色…それだけで美しい。
それは取りも直さず、ベートーヴェンのオーケストレーションがいかに卓越しているかということだ。


熱狂と怒涛の第3楽章が終わった直後…
プレイヤー達が急いで譜面をめくるパラパラという音が録られている。
このあたり、ライヴらしくて面白い。
しかも、それを待ちきれないかのようにテンシュテットはタクトを振りおろしている(ように聞こえる)。
実際、すぐにでも始めたかったのだろうな…
そのフィナーレは予想通り、指揮者とオーケストラの「鍔ぜり合い」だ。


堂々と落ち着き払った前半二楽章、
そして突如燃え上がる第3、第4楽章…
何たる対比!
ライヴというものの楽しさ、素晴らしさがここにある。
 「音楽とは」
 「演奏とは」
 「ベートーヴェンとは」
  …
聴くたびにいろいろなことを考えさせてくれる、僕のお気に入りである。
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2011年07月19日

私の愛聴盤(24)

§ブラームス/交響曲第4番
 ハンス・シュミット=イッセルシュテット指揮北ドイツ放送響
 ('73年ライヴ録音)


ブラームスはウィーンの作曲家と呼んで差し支えないだろう。
ハイドン、ベートーヴェンなどのウィーン古典派に学び、30歳でこの音楽の都に定住、数々の名曲を書いたのだから。


でも、僕は彼の音楽のどこかに、北ドイツ的なある種の重さ、暗さのようなものをいつも感じる。
(彼の生地は港町ハンブルクだ)
S=イッセルシュテット指揮のこの演奏には、その「ドイツ的なるもの」がしっかりと刻印されているように思う。
それは例えて言うなら…
〜神秘的な暗い森、狩りの角笛、そして内に秘めた情熱、etc.〜


ウィーンフィルによる録音(特にケルテス指揮!)も大好きなのだが、僕にとっての「ブラームスのサウンド」のイメージは、この演奏がとても近いものを持っているのだ。
そして…僕好みの「作曲家の顔がはっきりと見える」演奏なのである。
posted by 小澤和也 at 23:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 愛聴盤

2011年06月01日

私の愛聴盤(23)

§J.S.バッハ/平均律クラヴィーア曲集
 エトヴィン・フィッシャー(pf)
 ('33〜36年録音)


別名「ピアノの旧約聖書」。
まさに絶妙の例えである。
(このようになぞらえたのはハンス・フォン・ビューローだったろうか)
そのおかげでというわけでもないが…
僕はこの曲集を長年「聳え立つ山の頂」のように捉えていた。
そして、聖なるものとして貴ぶあまり、逆に距離をおいてこれらに接して来たような気がする。


そんな呪縛から僕を解き放ってくれたのが、フィッシャーのこの演奏だ。
もちろん、彼の解釈が「俗っぽい」とか、単に「解説的で解り易い」ということでは決してない。
フィッシャーはここで、最大の畏敬の念をもってバッハと向かい合っている(と、僕は思う)。
加えてそこには「楽曲への深い愛」があるのだ。
それは、実に自然に、それでいてよく歌う演奏となって表れている。
特に、「バスがよく歌う」。


 ここで突然思い出したことがひとつ…
 僕は中学生の頃、吹奏楽部でテューバを吹いていた。
 そこで出会った二人の恩師がO先生とT先生。
 そのお二人が(それぞれ別の機会に)僕に向かって
 「君のバスはよく歌うねえ」とおっしゃったのだ。
 嬉しかった。
 テューバは前打ちばかりやらされるのだが、その中で
 自分なりに旋律や和声を感じて演奏していたからだ。
 …


話が大脱線してしまったが…
「歌うバス」、
これをバッハのクラヴィーア曲でこれほどまでに感じることができたのは(しかも品よく!)フィッシャーが初めてかもしれない。
大きな構えの中にも、しなやかさと立体感を持った佳演だと思う。
posted by 小澤和也 at 23:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 愛聴盤

2011年04月03日

私の愛聴盤(22)

§ドビュッシー/映像第1&2集、版画
 ジャック・ルヴィエ(pf)
 ('86年録音)


ときどき、無性にドビュッシーのピアノ曲が聴きたくなる。
あの何とも感覚的な、夢幻のような響きと旋律に浸りたくなるのだ。
「アラベスク」や「ベルガマスク組曲」はとってもチャーミング。
幽玄の極致、「前奏曲集」もいい…
でも、いま僕がいちばん好きなのがこの「映像」「版画」だ。


ドビュッシーはフランスの作曲家として、ドイツに代表される古典派音楽の図式的な形式感からの解放を常に意識していたという。
『論理の枠組みを嫌い、交響曲に手をつけず、展開の技法を遠ざけ、ソナタらしいソナタを書かなかった。』
(吉田耕一氏の文章より)


そんなドビュッシーが到達した、ピアノ作品の "ひとつの新しいかたち" が、「映像」「版画」の中に結実している。
各曲とも、中庸−緩−急の速度感を持つ3つの小品からなっており、斬新な和声法を用いつつも、モティーフの構成や展開はきわめて論理的だ。
作品としての有機的なまとまりとファンタジー、すなわち知と情のバランスが素晴らしい。
ルヴィエの演奏にも同じことが言えると思う。
磨かれた音色、過度の緊張からの解放、それでいて決して溺れてしまうことのない情感。


各曲に付けられた、無限のイマジネーションを呼び起こすかのようなタイトルも好きだ。

「映像 第1集」
  1.水の反映 2.ラモーをたたえて 3.動き
「映像 第2集」
  1.葉ずえを渡る鐘の音 2.そして月は廃寺に落ちる 3.金色の魚
「版画」
1.塔(パゴダ) 2.グラナダの夕暮れ 3.雨の庭
posted by 小澤和也 at 16:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 愛聴盤

2011年03月02日

私の愛聴盤(21)

§ディーリアス/管弦楽曲集
 ネヴィル・マリナー指揮 アカデミー室内管
 ('77年録音)


かなり昔のことである。
NHK-FMで「夜の停車駅」という番組があった。
ナレーションは江守徹さん。
(渋くていい声だったなあ…)
どういう企画構成だったのか、毎回クラシックを扱っていたのか…
今となってはまったく覚えていないのだけれど…

その日の放送では、江守さんの語りの合間にずっと、ディーリアスの音楽が流れていた。
フレデリック・ディーリアス(1862-1934、イギリス)。
この作曲家のことは何一つ知らなかったのに…
気がつくと、部屋のラジカセに食い入るようにして聴いていた、そのことだけは鮮明に記憶している。

ここに収められているのは、いずれも数分程度の小品やオペラの間奏曲である。
「春初めてのカッコウを聞いて」「河の上の夏の夜」「日の出前の歌」…
いずれも、季節や情景のさりげない描写を通して、甘美なノスタルジアを感じさせるチャーミングな作品だ。
民謡風の人懐っこいメロディに淡く優しい和声が寄り添い、独特の雰囲気を醸し出している。

実はもう一枚、サー・トマス・ビーチャム指揮のCDもお気に入りなのだが、今回はこちらを選んだ。
それは…
このマリナー盤には「エアーとダンス」という弦楽合奏の小曲が入っているから。
この曲は間違いなく、あの日の放送でもかかっていたのだ…
今でも耳に焼き付いている。
posted by 小澤和也 at 23:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 愛聴盤

2011年01月31日

私の愛聴盤(20)

§マーラー/交響曲第4番、歌曲集 他
 エリーザベト・シュヴァルツコプフ(S)
 ブルーノ・ワルター指揮 ウィーンフィル
 ('60年録音)


10代の頃、LPで既に持っていた、いわば「思い出の中の」レコードである。
そもそもなぜこの盤を手に取ったのか、その記憶は定かではない。
(ワルター協会盤という、かなりマニアックな体裁のそれであった)
「マーラーの流れを汲む名指揮者」としてのワルターの名前は、おそらく何かで読んで知っていたと思うが。

僕はこの第4交響曲を、カラヤンの演奏で初めて聴いた。
隅々まで磨き抜かれた、ひたすら美しい音楽だな…と思ったものである。
その後聴いたアバド&ウィーンフィルの録音でも、同様の感想を持った。

そこへ、このワルター盤である。
まず、録音のあまりの古さに(モノーラルのライヴだから当然)びっくり。
もっと驚いたのは、オケの濃厚なサウンドとその歌わせ方だった。
「なんだろう、この人懐っこさは…!」
全ての音が(Bassまでも!)徹底して歌い込まれている。

この演奏会がマーラー生誕100年に際して行われたこと、
ワルターとウィーンフィルとの長きにわたる関係、
この盤の演奏が両者の最後の共演となった(1962年に死去)ことなど…
様々な歴史的背景を識ったのは、だいぶ経ってからだった。

そして…
最近手に入れたこのCDを改めて聴く。
タイムカプセルを開けたかのように、当時の記憶が甦る。
ワルターの、1フレーズ1フレーズを慈しむような指揮ぶり…
老巨匠の棒に丁寧に応えてゆくオーケストラ。
声のみならず言葉で聴かせるシュヴァルツコプフの繊細な歌。

ワルターのマーラー解釈は、作曲家の書いたスコア指示に必ずしも忠実ではないと言われている。
その意味では、ワルターのみに許された表現だと思うが、決して忘れてしまいたくない甘い魅力に溢れている。
posted by 小澤和也 at 01:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 愛聴盤

2010年12月15日

私の愛聴盤(19)

§ペルゴレージ/スターバト・マーテル
 ミレッラ・フレーニ(S)、テレサ・ベルガンサ(A)
 エットーレ・グラチス指揮 ナポリ・スカルラッティ管弦楽団員
 ('72年録音)


このディスクはいつ頃手に入れたものだっただろうか…
そもそもこの曲を聴こうと思ったきっかけは?
よく覚えていないのだが、とにかく好きな演奏なのである。

演奏スタイルとしては間違いなく「旧式」であろう。
ヴィヴラートやポルタメントを多用するソリストの歌唱、ゆったりとしたテンポ、伴奏ももちろんモダン楽器による。
でも「それがどうした!」と強く言い切れるような魅力と説得力を、僕はこの演奏に強く感じるのだ。

ペルゴレージ(1710-1736)の時代は、後期バロック/前古典派のちょうど境目にあたる。
スターバト・マーテルはその早過ぎる最晩年、26歳の時の作品だ。
書式や器楽編成はバロックのスタイルであるが、その旋律線や和声の連なりは充分にロマンティックだ。

〜ここまで書いて少し思い出した。
第1曲(二重唱)の冒頭部において連続して現れる2度音程の衝突…
−悲しみに暮れる聖母の苦痛に満ちた表現−
に、学生時代の僕は大いに打たれ、惹かれたのだった。
その表現の「刺すような痛み」を、この演奏はより克明に描いている。

今では流行らないスタイルなのだと思うが、僕にとっては変わらぬ愛聴盤だ。
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2010年12月06日

私の愛聴盤(18)

§ブルックナー/弦楽五重奏曲ヘ長調
 ウィーン・フィルハーモニア五重奏団
 ('74年録音)


もう30年近く前のことだと思う。
ブルックナーの生涯とその作品を何週にもわたって取り上げるNHK-FMの番組があった。
土田英三郎氏の解説で、交響曲やミサ曲はもちろん、滅多に聴かれない初期のオルガン曲や、この番組のために収録したと思われるピアノ演奏(交響曲の草稿や「第9」第4楽章のスケッチなど)も放送されるなど、今にして思えば実に素晴らしい内容のプログラムであった。

そして…
番組のオープニングテーマとして使われていたのがこの「弦楽五重奏曲」の第3楽章である。
それも、なぜか楽章の冒頭ではなく、ヴィオラによって奏される美しい第二主題(第37小節〜)が流れるのであった。
毎週聴くうちに、いつのまにか耳がこのテーマを覚えてしまい、家のピアノで音を探って遊んだものである。
当時、僕は中学生。
不思議な転調感がとても神秘的に思えた…
(もちろん楽譜など持っていなかった)

この番組のおかげで、僕は主な交響曲に馴染む前に、このクインテットが大好きになってしまった。

ブルックナーにしては珍しい3拍子の第1楽章、
彼の交響曲のスケルツォをそのままミニチュアにしたような第2楽章、
いまひとつ掴みどころのないフィナーレ…
聴きながら思わずニヤリとしてしまう。

現存する録音をすべて聴いたわけではないが、このウィーン・フィルハーモニア五重奏団の演奏が僕の ゛遠い記憶゛ に最も近い。
posted by 小澤和也 at 01:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 愛聴盤

2010年11月02日

私の愛聴盤(17)

§モーツァルト/交響曲第41番「ジュピター」
 オトマール・スウィトナー指揮シュターツカペレ・ドレスデン
 ('75年録音)


これはLP時代からの愛聴盤だ。
珍しく「ジャケ買い」をした記憶がある。
廉価で再発売された限定盤だったと思うが、鮮やかでシンプルな色づかいの、抽象画のようなデザインのジャケットだった。
透明感のあるオケの音色(録音もよかった)、そして妙な人間くささが無くモーツァルトの音楽だけがそこに流れている…
そんな印象を持ったものだ。

第一楽章〜アレグロ・ヴィヴァーチェの指示通りに、素っ気ないほどの快速なテンポ。
まるで羽が生えているかのよう。
これと対照的に、第二楽章(アンダンテ・カンタービレ)はゆったりと、澄み切った夕映えを思わせる響き。
弱音器を付けたヴァイオリンのしっとりした音色がたまらなく美しい。
典雅な、それでいて「はかなさ」を感じさせるメヌエット〜アレグレットを経て、いよいよフィナーレ(モルト・アレグロ)へ…
あらゆる旋律線が縦横無尽に飛び交う様が手に取るようにわかるクリアさとバランス感覚。
結尾のフーガももちろん素晴らしいが、第一主題が再現してすぐ、233小節〜からの約30小節間にわたる「ジュピター音型」(ド-レ-ファ-ミ)の目くるめく展開が実に鮮やかなのだ。

シュターツカペレ・ドレスデンの管楽器の美しさも格別!
わざとらしくなく、実に自然な味わいのモーツァルトである。


※このCDには他に2曲のシンフォニーが収められている。
そのうちの「第32番ト長調 K.318」がまた素晴らしい演奏だ。
急・緩・急の3つの楽章が切れ目なく続く「イタリア風序曲」の形式を持っており、トータル8分程度の短い曲である。
(それゆえ滅多に演奏されない)
これも僕の大好きな曲だ。
posted by 小澤和也 at 23:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 愛聴盤

2010年10月11日

私の愛聴盤(16)

§ブルックナー/交響曲第8番
 カルロ・マリア・ジュリーニ指揮ウィーンフィル
 ('84年録音)


先日「第5」を取り上げたばかりなのだが、ふと思い立って今回もブルックナーである。
理由はいたってシンプル…
今日(10月11日)がブルックナーの命日だからだ。(1896年没)


「第8」にはちょっとした思い出がある。
初めてライヴで聴いたのは20年以上前…
若杉弘指揮の都響だったと思う。
この日、第3楽章の途中で地震があり、客席が少しざわついたのだ。
それでも、演奏は途切れることなく続けられ(楽団員も指揮者も完全に音楽に集中しているように見えた)、やがてその空気が会場中に伝播して素晴らしい演奏になったのである。
もちろん目には見えないが、ブルックナーの音楽が客席を落ち着かせ、聴衆の想いが演奏を後押ししたように思えてならなかった。


〜そんなわけで僕の大好きなこの曲、
数多あるCDもそれぞれに良さがあって迷うのだが、最もよく聴くのがこのジュリーニ盤だ。
テンポは全体にやや遅めである。
オーケストラ(特に弦楽器)に柔らかく、そして長めの音を要求しているためレガートの箇所はもちろん、そうでない部分も幅広くゆったりと流れるような音楽の運びとなるのだ。
(もっと男性的な表現が欲しい瞬間もあるが…これがジュリーニ流なのだろう)


それでも音楽が恣意的に聞こえないのは、この指揮者の楽曲への深い理解と愛情があるからだと思う。
そう思える所はたくさんあるが、中でも僕がいちばん痺れてしまうのが…
フィナーレの終わり近く、
第1楽章の主要主題が全合奏のffでドラマティックな回帰を遂げた後、
それを受けてヴァイオリンが高音でしっとりと奏でるメロディだ。
ここでジュリーニはさりげなくテンポを落とす。
そして、目の前にいる人をこのうえなく優しい手つきですっと抱き寄せるような、そんな柔らかさをもってヴァイオリンを歌わせる。
真に心からの「音楽への愛」なのだ。


ウィーンフィルの美音、そして絶妙のアンサンブルもこの演奏にさらなる彩りを添えている。
posted by 小澤和也 at 23:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 愛聴盤