2010年09月21日

私の愛聴盤(15)

§ハイドン/交響曲第104番「ロンドン」
 コリン・デイヴィス指揮アムステルダム・コンセルトヘバウ管弦楽団
 ('77年録音)


30年以上にわたって書き続けられ、その時々に与えられた編成や機会に合わせて発展を遂げてきたハイドンの交響曲。
その総決算がロンドンでの演奏会のために作曲された、円熟期の12曲(93〜104番)である。
どれも素晴らしい名曲揃いなのだが…
1曲だけ選ぶとなると、僕の中では断然これである。

第1楽章の堂々とした序奏、そして弱音で始まる落ち着いた主部主題にまず惹かれる。
陽気でユーモアたっぷりのハイドンも僕は好きだが、このノーブルな気品はやはり別格だ。
変奏曲形式の第2楽章、それに続くメヌエットにも、単に素朴で可愛らしいだけでない「構成感の確かさ」がある。
そして第4楽章。
賑やかで威勢のよいだけになることの少なくない(「お開きのフィナーレ」という言葉があるらしい)楽章であるが、この曲は違う。
全曲を纏めるにふさわしい、充実した音楽である。
「ここからベートーヴェンに繋がっていったのだな…」
と実感できる、全四楽章の交響曲としての完成度の高さを感じるのだ。

このデイヴィスの演奏に初めて触れたのは10代の頃。
FM放送をカセットに録って、繰り返し聴いた。
冒頭、トランペットとティンパニのファンファーレの音色に、子供ながらにグッときた記憶がある。
その後、カラヤン(ウィーンフィル)やヨッフム、クイケン(これは古楽器)もよく聴いたが、今でも真っ先に手が伸びるのがこのデイヴィス盤である。
「重厚」と「軽快」のバランス、適切なテンポ設定、そして明るさと渋さを併せ持つコンセルトヘバウのサウンドが僕を魅了する。
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2010年08月12日

私の愛聴盤(14)

§ブルックナー/交響曲第5番
 オイゲン・ヨッフム指揮アムステルダム・コンセルトヘバウ管弦楽団
 ('86年録音)


ブルックナーの音楽に何を聴くか−
僕にとってのブルックナーの音楽は、「時代・様式を超越した」「自然および神への畏敬と賛美」である。
この作曲家の精神は愚直なほどに純粋で、いつもひたむきに天上を見据えているように思える。
それゆえ、指揮者の手練手管が鼻につくような演奏は、僕は苦手だ。


わりと最近入手したこのディスク、ヨッフム最晩年のライヴである。
それ以前のセッション録音でしばしば見られたような、恣意的なテンポ操作やダイナミクスの扱いは影をひそめ、この巨匠の美点のみが奇跡的に前面に現れているのだ。
作品への温かい眼差し、常にゆとりをもったサウンド(特に金管)。
そして何より…
大いなる「無限の安らぎ」がここにはある。


加えて、マエストロへの楽団員の敬愛の情も感じられる、とは言い過ぎだろうか…
ヨッフムは、このオーケストラとの相性が本当に良かったのだと思う。


 [ケンペ指揮ミュンヘンフィル盤も、長いこと好んで聴いている。
  響きが豊かで、不自然な部分がほとんど無い。
  音楽の流れに安心して身を任せていられる、佳い演奏だ。
  〜今回は申し訳ないが、次点ということで…]
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2010年07月28日

私の愛聴盤(13)

§ヒンデミット/交響曲「画家マティス」
 ヘルベルト・ケーゲル指揮ドレスデンフィル('80年録音)


高校生の時に金管アンサンブルで "Morgenmusik"(朝の音楽)を演奏して以来、ヒンデミットは僕にとって不思議な存在となった。
古典派やロマン派における、いわゆる「調性に基づく音楽」とは異なるが、完全な「無調」でもない独特の和声感覚。
どことなく覚めた雰囲気の、飄々としてクールな旋律線。
渋いサウンドと緻密で職人的なオーケストレイションにも大いに惹かれたものである。


とにかく「ポーカーフェイス」なのだ。
モーツァルトの喜悦とも、ベートーヴェンの激情とも、もちろんヴァーグナーの陶酔とも違う、「理知的」で「情に訴えない」ヒンデミットの音楽。
こういう音楽があってもいい。
(一般ウケはしないだろう、とは思うが)


この「画家マティス」、オペラからの編作ということもあってか、淡々とした中にも美しい歌が散りばめられている。
自作自演盤も含めいろいろな録音を聴いてきたが、このケーゲル盤の演奏が僕にはいちばんしっくり来る。
歌い過ぎないメロディ、オーケストラの深い音色(特に金管)、そして合奏の精度…
この「ハードボイルドさ」が曲想にマッチするのだ。
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2010年07月16日

私の愛聴盤(12)

§ブラームス/ヴァイオリン・ソナタ集
 ゲアハルト・ヘッツェル(vn)ヘルムート・ドイチュ(pf)('92年録音)


このCDを聴いているとき、ふと"intimate"という言葉が頭に浮かんできた。
辞書には「親密な、くつろげる、内心の、…」とある。
そう、まさにそのような演奏なのだ。

ヘッツェルの弾くヴァイオリンの音色が深く渋い。
それは弱音においても太く豊かであり、フォルテでも決して粗くなることはない。
ドイチュのピアノとのバランスも絶妙だ。
そしてその歌わせ方も、大声を張り上げてアピールするのとは違い、傍らにいる親しい友人達に語りかけるような優しさを持っている。
(ヴィヴラートも実に柔らかい)

   〜文字通りの「室内楽」である〜

苦心して第1交響曲を書き上げたブラームス。
その重圧から解放されたかのように、翌年以降、一層ののびやかさと明るさを持った名作を次々と生み出してゆく。
その成果が第2交響曲、ヴァイオリン協奏曲であり、ヴァイオリン・ソナタ第1番だ。
この柔和さ、温かみ、そして人懐っこさ…!

そんな陽気なブラームスの「顔」を、誠実にそして真摯に描いてゆく二人。
世評からすれば「地味な一枚」なのかもしれないが、僕の大好きなCDである。
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2010年06月24日

私の愛聴盤(11)

§シベリウス/交響曲第6番
 オッコ・カム指揮ヘルシンキフィル('82年録音)


ヘルシンキフィルの初来日から30年近くが経つ。
ずいぶん昔になってしまったのだなぁ…

その時のシベリウス/交響曲ツィクルスがFM東京で放送され、当時まだ高校生だった僕の心を捉えた。
全曲目をエアチェックし、そのテープは僕の宝物となった。
「シベリウスは第1、第2がポピュラーだが、それ以降の曲は渋くて難解である」
などという予備知識(?)は、当時の僕には無かった。
(今思えばとても幸せなことである)
そんな僕の、一番のお気に入りがこの「第6」だった。

第1楽章冒頭、薄く拡がる透明な高弦の響きの中に、静やかで冷美な大気を感じる。
木管が加わり、しばらくしてホルンが入ってくる(Fの和音が響く)ところでは、柔らかく差しこむ陽の光を見るかのようだ。
もちろんこれは描写音楽ではない。
だが、その時の僕には確かにそのように「聞こえた」のだ。
またこの楽章、パッと聴いた感じではニ短調、あるいはヘ長調(いわゆる「フラット1個」の調)なのだが、なぜかしばしば(「シ♭」ではなく)「シ」の音が鳴る…
今ならば「ああ、ドリア旋法ね」の一言で済んでしまうのだが、それを知らない昔の僕にはとても新鮮に、そして神秘的に響いたのだった。

数年前にCD化され、久しぶりに聴いてみた。
当時の記憶が鮮やかに蘇ってくる…あのときの感触のままだ!
ライヴゆえの小さい疵もあるが、何より指揮者とオーケストラの、この曲に対する「愛」を感じる演奏である。
この演奏を聴くと、シベリウスの後期様式=難解、という図式が単なる思い込みのようにも思えてくる。
posted by 小澤和也 at 23:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 愛聴盤

2010年06月13日

私の愛聴盤(10)

§ベートーヴェン/交響曲全集
 ヘルベルト・ブロムシュテット指揮シュターツカペレ・ドレスデン('75-'80年録音)


僕の知る限り、最もストイックで真摯なベートーヴェン演奏のひとつである。
一切の虚飾を排し、ベートーヴェンのスコアそのものをひたすら音として刻み付けていくようなひたむきな音楽。
セル盤、ヴァント盤なども同じ指向のアプローチだが、オケのサウンドの魅力という点でこのブロムシュテット盤が僕の一番のお気に入りだ。


中高生の頃、FMやレコードで最も好んで聴いていたのがベートーヴェンの交響曲であった。
友人の家に全集のレコードがあり、借りてきてカセットにダビングもした。
「僕も全集盤が欲しい!」
当時、カラヤンやベーム、バーンスタインなどのセットはどれも一万数千円…子供には到底手が出ない。
そんなときに見つけたのがこの演奏〜たしか8枚組で10000円だったと思う。
(よし、これならば…)
高校の部活の帰り、横浜のレコード店でドキドキしながら買い求め、箱を抱えながら帰った記憶がある。
もう嬉しくて、しばらくこればかり聴いていたものだ。


エロイカや第5、第9など、一般にはもっとドラマティックな、起伏の豊かな演奏が好まれるのだと思う。
でも、ブロムシュテットのこの録音を聴くと、ベートーヴェンがいかに堅牢な、それでいて美しいプロポーションの音楽を書いたかがよく解るのだ。
ベートーヴェンの音楽が普遍性を持っているように、この演奏は何度聴いても飽きない。
posted by 小澤和也 at 23:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 愛聴盤

2010年05月26日

私の愛聴盤(9)

§ブラームス/交響曲第2番
 カール・ベーム指揮ベルリンフィル('56年録音)


二週続けての「愛聴盤」である。
(昨日〜今日とスコアを読んでいて、ふと書きたくなったのだ)
ブラ2…
言わずと知れた名曲であり、ライヴでもレコードでも様々な演奏を聴いてきたように思う。
10代の頃にLPで持っていたのは、たしかケルテス盤とバルビローリ盤の2枚だ。
理由は簡単。
「廉価盤」で「オケがウィーンフィル」だったから…
(ケルテス盤は今も聴く)

晩年のベームは日本ではとても人気があった。
最後の来日公演 ('80年)でのベートーヴェンの演奏会はFMで生中継され、僕は居間のステレオの前でじっと座って聴いていた。
「第7」が終わった直後の聴衆の絶叫にも似た歓声、終わらない拍手喝采…
「偉い指揮者なんだなぁ」と、子供心に感嘆したものである。
〜今にして思えば、良くも悪くも「巨匠的」なベートーヴェンであった。


さて、このブラームスはベームの壮年期(といっても60歳代だが)の記録である。
隅々まで目を光らせ、表情に一切の緩みは無く、オケのスタンドプレーを許さない(!)かのような、意志の力、統率力のみなぎる演奏だ。
かと言って、小賢しいテンポ操作や恣意的なニュアンス付けがあるワケでは決してなく、引き締まってはいるが実に自然な流れなのである。
(余談だが、終楽章のコーダで突然我を忘れて突っ走ってしまう演奏が僕は大の苦手だ)
加えて、当時のベルリンフィル(フルトヴェングラーが世を去ってまだ2年!)のサウンドが実に素晴らしい。
「カラヤン色」に染められてしまう前の、「渋い音色と高い機動性」を兼ね備えたこのオーケストラで聴くブラームス、僕のお気に入りである。
posted by 小澤和也 at 20:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 愛聴盤

2010年05月19日

私の愛聴盤(8)

§ブルックナー/交響曲第7番
 ヘルベルト・ブロムシュテット指揮シュターツカペレ・ドレスデン('80年録音)


僕が買った最初のCDである。
〜もう25年近く前になるのか…ちょっとビックリだ。
当時の定価がたしか3300円。
貧乏な学生にはキビシイ額だったなあ…
(思い出した…僕はこれを大学生協で1割引で買ったのだった)
大切に大切に、繰り返し聴いていた記憶がある。

第一楽章冒頭より、SKDの決して派手でない、すべてのセクションが溶け合ったサウンドが美しい。
チェロとホルンのブレンドされた音色、ヴァイオリンと木管楽器の妙なる調和、全合奏での金管群の柔らかい力強さ…

ブロムシュテットさん(ついついこのように呼びたくなってしまう)の音楽づくりも、丁寧であると同時にきわめて自然である。
だから、緻密であっても息苦しくならない。
ブルックナーの音楽に「アイディア」や「工夫」「ひらめき」などは無用だと、僕はいつも思っている。
演奏者が聴衆に対して声高に「説く」必要はないのだ。

第二楽章も、過度の演出を避け、淡々とした(それでいて愛に溢れた)ブロムシュテットさんの「筆の運び」が却って心にしみる。
その終わり近く、崇拝するヴァーグナーの死を悼んで書かれたと言われるヴァーグナーテューバのコラール。
その静寂を破って(この盤では21分22秒付近〜)肺腑に突き刺さるようなホルンの「悲痛な」叫び。
…何という音色のコントラスト!

いろいろな「第7」を聴いたが、やっぱりここに「還って」きたくなる、そんな愛聴盤である。
posted by 小澤和也 at 08:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 愛聴盤

2010年05月01日

私の愛聴盤(7)

§シューベルト/4つの即興曲 D.899
 ラドゥ・ルプー(pf)('82年録音)

昔、就職してまだ間もない頃、オーディオに凝っていた時期があった。
当時、何かの本で「優秀録音」として紹介されていたのがこのCDである。
その頃の僕は…シューベルトの歌曲や室内楽には親しんでいたものの、ピアノ曲には正直なところほとんど馴染みがなかったのだが…

ハ短調の第一曲で、いきなりハートを掴まれた気がした。
ルプーの絶妙のタッチが心を打つ。
弱音のなんという美しさ!
ある箇所はさりげなく通り過ぎ、かと思うと次のフレーズは表情豊かに歌い抜かれる。
しかもそのエスプレッシーヴォが湿っぽくないのだ。
  
  (ウィルヘルム・ケンプのシューベルトも好んで聴くが、
   彼の歌心はもう少し乾いている…逆にウェットなのが
   内田光子であろうか)

曲が始まって4分近く進んだ所からの、変イ長調の慰めるようなメロディ。
それが二度目に歌われる時に、応答するように現れるソプラノの短いパッセージがまた絶美である。
さりげないがゆえになおさら、淋しさや悲しさをより色濃く醸し出しているように思えるのだ。

第二曲以降も、晩年のシューベルトの中をよぎったであろう様々な心象を感じさせてくれる。
   喜びと憧れ。
   祈り。
   …そして諦念。
特に第三曲の澄み切った境地にはいつも心惹かれる。

僕の「癒し系」愛聴盤である。
posted by 小澤和也 at 21:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 愛聴盤

2010年04月16日

私の愛聴盤(6)

§モーツァルト/交響曲第40番ト短調
ケルテス指揮ウィーンフィル('72年録音)

今さら何を語れようか、というほどの名曲である。
作曲家の晩年の不遇、また宿命的な「ト短調」ゆえに、後世のわれわれはこの曲に対して様々に思いを巡らせてきた。
そして「苦悩」「哀愁」「疾走する悲しみ」といったキーワードがイメージとして定着する。
ヴァルターは「愛撫するようなカンタービレ」で、またフルトヴェングラーは「重い音色と焦燥にかられたようなテンポ」をもってこの曲を表現した。

イシュトヴァン・ケルテス。
まるでモーツァルトを指揮するために生まれてきた「もう一人の天才」のように、僕には思える。
ケルテスはこの40番に「暗さ」の解釈をしない。
スコアに対するひたすら忠実なアプローチ。
「楽譜通りにやれば佳いモーツァルトになるのだ」という揺るぎない確信を持っているかのようである。
テンポは常に自然であり、ウィーンフィルの音色も明るい。
それでいて、流れ出る音楽は実に表情豊かなのである。
端正だがロマンティックでもあり、微笑みを見せつつも密やかな涙がある。

ケルテスは1973年4月16日、遊泳中に高波にのまれて非業の死を遂げた。
43歳の若さであった。
posted by 小澤和也 at 22:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 愛聴盤