2026年04月04日

毛利文香さんのイザイ演奏を拝聴しました

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ベルギー王国大使館よりご招待を賜り、素敵なコンサートを拝聴しました。

毛利文香(ヴァイオリン)トークコンサート
日本・ベルギー友好160周年記念
主催: 日本イザイ協会

この日演奏されたのはベルギーの作曲家で名ヴァイオリニストであったウジェーヌ・イザイ(1858-1931)の無伴奏ソナタ作品27より「第5番ト短調」「第2番イ短調」「第4番ホ短調」の3曲。これらすべてが私にとって実演に触れる初めての機会でしたが、目くるめく超絶技巧の奥に確たる造形美が見て取れ、(佳い作品を聴いた!)という率直な感想を抱きました。

イザイについて、また彼の作品に関して私はこれまでほとんど表面的な知識しか持ち合わせていませんでした。そのような私の心をも震わせてくださった毛利文香さんの演奏は、単に「美しい音色が〜」「完璧なテクニックが〜」といった次元をはるかに超えて作曲家の精神に深く迫るものであったと思います。

終始真剣な面持ちで音を紡ぎ続ける毛利さんのお顔が、時折ふっと柔らかな笑みをたたえる瞬間が何度かありました。そのたびに音楽もさっと表情を変え、新たな方向へと進んでいきました。
(この感覚は耳で聴いただけではわかり得ない、これこそが“作品に触れる”ということなのだな)...それが判るほどの距離でこの日の演奏を聴けたことにこのうえない幸せを感じました。
毛利文香さんのイザイ、素晴らしかったです。

作品はいずれも優れたものでしたが、中でも目を引いたのが「第2番イ短調」の各楽章に付けられた標題でした。
T. Obsession (妄執)
U. Malinconia (憂鬱)
V. Danse des ombres (影たちの踊り)
W. Les furies (復讐の女神たち)

一瞥した瞬間に脳裡をよぎったのが、ペーテル・ブノワ「フルートと管弦楽のための交響詩」でした。この曲にも同じように「哀愁」「鬼火の踊り」といったタイトルが施されているのです。
ブノワはこれらを祖国フランデレンの伝承・民話から採っていますが、イザイのそれらはどのようにしてもたらされたのでしょう...実に興味深いです。

終演後のカクテルレセプションでは毛利さんやコンサートの司会進行をつとめられた村中由美子先生、日本イザイ協会の永田郁代会長ほか多くの方々とご挨拶かたがたペーテル・ブノワ研究会のことなどをお話しすることができました。こうした「ブノワを知っていただく」ためのさまざまなアクションが今後必要になってゆくのだな、と改めて感じ入りました。
posted by 小澤和也 at 11:07| Comment(0) | 日記

2026年04月03日

演奏会のご案内

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ご縁に恵まれ2024年夏よりご一緒している市民合唱団「富士山コール・アニバーサリー」(静岡県御殿場市) の演奏会が開催されます。


富士山コール・アニバーサリー
The 4th Concert

2026年4月26日(日)
13:30開場/14:00開演
御殿場市民会館 小ホール
(入場無料・全席自由)

プログラム:
田三郎/混声合唱組曲「水のいのち」
瀧廉太郎/組歌「四季」 
愛唱曲集   他

出演:
富士山コール・アニバーサリー
津田有紀(ピアノ)
小澤和也(指揮)

後援:
御殿場市教育委員会
御殿場市文化協会


みなさま
どうぞお運びください。
posted by 小澤和也 at 09:40| Comment(0) | 演奏会情報

2026年03月22日

御来場御礼

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PBIヴォーカルアンサンブル第2回演奏会(2026年3月20日、たましんRISURUホール)は、アントワン・エヴラー駐日ベルギー王国大使閣下のご臨席を賜り、盛会のうちに終演いたしました。ご来聴くださいました皆様に心より厚く御礼申し上げます。

フランダースの作曲家ペーテル・ブノワによる隠れた名作《レクイエム》の上演は私にとって長年の悲願でした。このたび、《フルートと管弦楽のための交響詩》とともに日本初演を実現できましたことはこのうえない喜びです。今回、フルート独奏をお引き受けくださいました岩下智子先生に心より感謝申し上げます。

また、本公演のために結成された管弦楽団ならびに合唱団の皆様による献身的な演奏は、作曲家への深い愛情とリスペクトに満ちたまことに素晴らしいものでした。ここに深く御礼申し上げます。

さらに、本公演へのご後援をご快諾くださるとともに日本・ベルギー友好160周年事業としてご認可くださいました駐日ベルギー王国大使館ならびに関係の皆様にも多大なるご支援を賜りました。改めまして厚く御礼申し上げます。

ベルギー本国におけるペーテル・ブノワ研究の第一人者でありPBI名誉顧問でもあるヤン・デウィルデ氏からは数々の貴重なご助言に加え、交響詩のオーケストラ・パート譜をご提供いただきました。ありがとう、ヤン!

そして最後に──本プロジェクトの発足から公演当日に至るまで、あらゆる面で私を支えてくださいましたPBI事務局メンバーの皆様には、どれだけ感謝してもし足りない思いです。ほんとうにありがとうございます。

この記念すべきひとときによき聴き手としてお立ち会いくださいました皆様、また温かくお心を寄せてくださいましたすべての皆様に重ねて御礼申し上げます。本公演を契機として、ペーテル・ブノワとその音楽が日本においてもさらに広く親しまれていくことを願ってやみません。

ペーテル・ブノワ研究会はこれからも活動を継続してまいります。今後とも変わらぬご厚情を賜りますよう、何卒よろしくお願い申し上げます。

ペーテル・ブノワ研究会(PBI)代表
小澤和也
posted by 小澤和也 at 14:56| Comment(0) | 日記

2026年03月04日

駐日ベルギー王国大使館を訪問しました

ペーテル・ブノワ研究会(PBI)事務局メンバーと駐日ベルギー王国大使館を訪問しました。
(画像中央がエヴラー大使、右端がヴァン=クルーネン公使参事官)

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席上にて、大使館より今回の「レクイエム」演奏会への後援をいただけたことへの御礼を申し上げるとともに、改めてアントワン・エヴラー大使閣下に本公演の開催を報告しました。
その後の話題も多岐にわたり、想像していたよりも何十倍も濃密な、そして有意義な時間をもつことができました。

PBIの活動に深く関心を寄せてくださったエヴラー大使閣下、そして内外の音楽関連機関に精通され多数ご助言をくださいましたヴァン=クルーネン公使参事官に改めまして深く感謝申し上げます。


〜チケット好評発売中です〜
チケットぴあ Pコード: 313684
もしくは本ブログ宛(小澤)までお知らせください!

【ペーテル・ブノワ「レクイエム」日本初演】
PBIヴォーカルアンサンブル第2回演奏会
2026年3月20日(金祝) 14時開演
たましんRISURUホール 大ホール

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posted by 小澤和也 at 09:51| Comment(0) | 日記

2026年02月10日

「水のいのち」考(3)…「川」


何故   さかのぼれないか
何故   低い方へゆくほかはないか

組曲「水のいのち」第3曲「川」の衝撃的な歌い出しだ。
第2曲「水たまり」とともに、高野喜久雄の既存の詩から作曲家が選びとったのがこの詩である。
先に掲げた拙文でも触れたように『「読む詩」から「きいてわかる詩」になおして』もらったと田三郎は述べている。


〈過去の投稿はこちら〉
「水のいのち」考
「水のいのち」考(2)...「水たまり」


ではその原詩はどのようなものだったのだろうか。
詩集のページを開いて ─ 私は驚きを隠せなかった。


高野喜久雄

何故   さかのぼれないか
何故   低い方へとゆくほかはないか
今日も
川はその河床をえぐり
その岸辺をけずる
川は   川でなくなることを願う
この情熱の   不条理はいつも   美しい

しかし
もっと美しいのは   そのかくされた苦しみだ
鋸き割ろうとして   ついに
右と左に   お前が鋸き割れなかったものは何か
「それは   大地でさえなかった」
いつでも
わたしはそれを考えている
考えながら
同じく苦しい者として   お前をよこぎる
お前が流れをくだるとき
必死にうつした   空を見る
雲を見る   鳥を見る
お前が流れをくだるとき
必死に育てた   渦を見る
淵を見る   魚を見る
その空が   何であれ
その魚が   何であれ
お前の問われているものを
わたしは   わたしの挫折の中でになう
わたしの胸の岩の中でになう

(高野喜久雄詩集(思潮社刊)〜「存在」所収)


3行目以降が組曲の歌詩と全く異なるのである。『なおした』というレベルにはもはや思えない。
原詩を、「水のいのち」の歌詩にできるだけ“引っ張られないように”注意しつつ読んでみる。


倦むことなく自らの底を、また岸をも削ってゆく川の“自己消滅への運動”に詩人は「美」を見る。
しかしもっと美しいものがある、と。
それは『かくされた苦しみ』、表面にあらわれることのない内なる葛藤である。
川の巨大なエネルギーをもってしても鋸き割れなかったものとは何だろう...

『お前が流れをくだるとき』以降、川は観察対象から共感の存在へと変化する。
(空、渦、淵、魚...ここで歌詩と共通のワードが現れて私は少しほっとするのだ)
『お前の問われているものを/わたしは わたしの挫折の中でになう』...詩の冒頭に掲げられた命題を詩人みずから引き受ける、と力強く宣言してこの詩は終わる。


一息いれて、改めて歌詩を眺める。
すぐに気づくのは『こがれ』という言葉の存在だ。
・こがれ【焦がれ】: こがれること。恋い慕うこと。
(広辞苑 第五版より引用)
原詩にはないこの語が、全17行の歌詩の中で7回も登場するのだ。
田三郎がいかにこの言葉を大切に思っていただろうかに思いを馳せる。

また歌詩の中では、石は『さからう』ものとして、魚は『さかのぼる』ものとしてうたわれている。
たとえ到達せずとも志向することこそが肝要なのだ...これも作曲家からのメッセージであろうか。


最後に、田自身による「川」の解説の一部をここに掲げる。
『(...)川がこがれているのは山であり、その切り立つ峰であり、その彼方の青い空なのだ。川底の石も水の流れに作用されて上流へと転がりのぼり、魚も力強く水中をさかのぼっていく。
それら、川上へのぼろうとするものすべてをみごもっている川が何であるかと尋ねることはもういらない。それは私自身なのだ、と繰り返してこの楽章は結ばれる。』

posted by 小澤和也 at 10:38| Comment(0) | 音楽雑記帳