2020年04月07日

【私的・珈琲備忘録】マラウイ: ウシンギニ

 
 
いま飲んでいるコーヒーのひとつが
マラウイ: ウシンギニ農園。
豆は艶よく光る深煎りに仕上がっている。
 
 
まずはいつものように
【豆11g、湯温83℃、160cc、蒸らし時間20秒】
で淹れてみた。
 
深煎りならではの香ばしさ、苦み強し。
その奥にかすかな甘みととろみ。
おいしいけれどやや単調な味だ。
 
そのまましばらく時間をおいてみる。
(ちょっと冷めたかな) と思ったところで再び口に含むと...
その瞬間にやわらかなコクと酸味がふわっと広がる。
 
なるほど!
 
それならば、と
【湯温: 82℃】に変えて再度ドリップ。
すると...
苦みの質感はそのままに、まとわりつくような甘みが同時に舌の上へ到達。
 
これはイケる!
 
淹れる際の湯温によって味が結構変わることを改めて学習。
そしてこれは他の豆でも感じることだけれど...
淹れたてのコーヒーを少しだけ冷ますと、最初とはまた違った味わいが楽しめる。
 
 
マラウイ共和国はアフリカ南東部の内陸国。
南北に細長い国土は日本の約1/3の広さ、北部州・中部州・南部州の3つの州に分かれている。
 
 
 
 
 
首都はリロングウェ(=中部州の州都)、経済の中心はブランタイヤ(=南部州の州都)。
そしてウシンギニ農園のあるカタベイ県・ヴィフィヤ高地は北部州に属しており、その州都がマラウイ第3の都市・ムズズである。
(地図上、ピンで示しているのがムズズ)
 
北部州はほぼ高原地帯とのこと。
カタベイ以外でもコーヒー栽培が盛んなのだそうだ。
機会があればそれらの違いも楽しんでみたいな。
posted by 小澤和也 at 09:47| Comment(0) | 日記

2020年04月05日

新生「音楽の泉」を聴く

 
日曜朝にNHKラジオ第1で流れる「音楽の泉」。
第1回放送が今から70年以上前、1949年9月なのだそうだ...驚異的な長寿番組だ。
初代解説者は堀内敬三氏 (およそ10年間)、次いで村田武雄氏 (およそ29年間)、つい先日まで担当されていた皆川達夫さんが第3代、実に32年間近くの長きにわたるご活躍であった。
 
 
その皆川さんが引退され、きょう4月5日の放送から新MC・奥田佳道さんが登場!
その記念すべき第1回オンエアを確と聴き届けるべく、パソコンの前にスタンバイ。
 
 
オープニングのテーマ曲が流れる...
これまでと同じシューベルト「楽興の時 第3番」であった。
そのときは気づかなかったのだが、番組中で『M.J.ピレシュの演奏でお送りします』と奥田さん。
いろいろと聴き比べたうえでのこだわりのセレクトだろうか。
(先週まではA.シフのものが使われていたのだそうだ)
 
 
さて、第1回の最初の曲はモーツァルト/交響曲第41番、いわゆる「ジュピター」。
王道をゆく、さすがの選曲!
流暢かつ痒い所に手が届く “奥田節” もすこぶる絶好調だ。
 
 
こうして休日の朝にラジオでモーツァルトを聴いていると、ずっと昔 (1980年代) にNHK-FMでお正月の何日間かにわたってザルツブルク・モーツァルテウムのライヴ収録 (音楽祭の公演の一部だったろうか...リサイタルや室内楽が多かったと記憶する) が流れていたのをふと思い出す。
新年ののんびりとした気分と相まってどこか雅な空気を感じたものだった。
 
 
「ジュピター」に続いて選ばれたのが、アリア『手にくちづけを』KV541。
イタリアの作曲家アンフォッシ (1727-97) のオペラ「幸福な嫉妬」を歌う友人のバリトン歌手のために書かれた挿入歌(?)的アリアとのこと。
そしてこのアリアのメロディが「ジュピター」第1楽章の終結主題に用いられていると!
 
 
一聴しただけなので定かではないが、このあたりの旋律が聞こえたような気がする。
これらのこと、ほんとうに今日はじめて知った...!
己の浅学を恥じるとともに、ご教示くださった奥田さんに改めて感謝。
 
 
あっという間の1時間。
実に佳いひとときでありました。
『またご一緒いたしましょう』
〜はい、またご一緒させてください!
posted by 小澤和也 at 10:55| Comment(0) | 日記

2020年03月27日

芸術のもつ力

 
 
 
 
 
一向に出口の見えない新型コロナウィルス禍。
仕方のないことだが、こういった時世では芸術や文化はいつも “後回し” だ。
実に歯痒く、そして苦しい。
 
 
ネット上でこんなニュースを目にした。
【文化大臣、文化機関と芸術家への支援を約束ーグリュッタース大臣「予期せぬ緊急事態と困難への対応」】
(2020.3.11. 連邦政府報道情報局 (BPA) より)
さすがは文化国家ドイツである。
 
 
この記事を読みながら、僕はとあるエピソードを思い出していた。
20世紀の大指揮者フルトヴェングラーの未亡人エリザベットさんの遺した回想録にある、第二次大戦中のベルリンでの話として述べられている文章である。
 
 
“前夜の空襲で家を破壊され、焼け出されたはずの知人がコンサート会場に来ている。
被災は誤報かと思って訊ねてみたら、
『いや、未明の空襲でたしかに家はやられました。でも、そうなってみると、フルトヴェングラーの演奏会へ行く以上のどんないいことがぼくにできるでしょう』
と答えたという......。”
 
[中野雄著: 丸山眞男 音楽の対話 (文春新書) より引用。文中の改行は小澤が施しました]
 
 
戦争と伝染病感染拡大とを同列に扱うことはもちろんできない。
でもこれだけは確実に言えるはずだ。
 
 
『どのような極限状態にあろうとも、人間には芸術が、音楽が絶対に必要である』
 
 
posted by 小澤和也 at 17:35| Comment(0) | 日記

2020年03月14日

3・11 祈りの日に

 
 
東日本大震災 追悼・復興祈願祭へ。
(11日、鎌倉・鶴岡八幡宮舞殿にて)
 
鎌倉の神道、仏教、キリスト教宗教者が一堂に会し、先の震災の犠牲となった人々へ祈りを捧げ、被災された方々に思いを寄せる。
 
 
僕自身は6年ぶりの参列。
毎年この時期はオペラの稽古と重なることが多いのだが、今年は運良く3/11がオフ日となった。
(結局は件のウィルス禍により公演そのものが中止に...皮肉なものである)
 
神職らによる「大祓詞 (おおはらへことば)」の朗唱のあと、僧侶らによる読経、カトリック司祭による祈りの言葉が続く。
「観世音菩薩普門品偈 (ふもんぼんげ)」の力強い合唱、そして讃美歌「いつくしみふかき」の奉唱が八幡宮の舞殿に響くさまは、厳かな空気の中にも大らかさを湛えていてなんとも清々しかった。
 
 
 
 
信仰の対象・在りようこそ異なれど、祈るという一点において心は互いに通じ合っているのだと思う。
式の大詰め、各宗教者による玉串拝礼が行われた。
榊の枝を携え、柏手を打ち礼をする僧侶・司祭の姿は実に新鮮かつ美しいものであった。
 
 
 
ウィルス禍により重苦しい空気が世界を覆い、僕ら表現者にとっても厳しい日々が続いている。
そのような中で彼らの祈りの声を聞くことができ、少しだけ気持ちが軽くなった気がする。
 
 
posted by 小澤和也 at 02:56| Comment(0) | 日記

2020年03月11日

無観客公演ライヴ配信考

 
先の見えない新型コロナウィルス禍、それに伴い数多くのコンサートや演劇などのイベントが開催中止を余儀なくされるなか、2つの公演のライヴ配信が大きな話題を呼んだ。
びわ湖ホールのヴァーグナー『神々の黄昏』(3月7&8日)、そしてミューザ川崎シンフォニーホール/東京交響楽団の演奏会 (3月8日) である。
僕はそれぞれを部分的に視聴したのだが、実にいろいろなことを考えさせられた。
 
 
ヴァーグナーの初日を観ながらのツイートより:
 
《美しい映像と(脳内で充分に補完できる)素晴らしい音響。
そしてここには決して姿を現さない舞台スタッフ・音楽スタッフほか全ての関係者お一人おひとりの「仕事」が結集されてゆくさまを僕は想像する...
感動と感謝で胸がいっぱいに。》
 
僕自身のことも含め (中止となった立川の『トゥーランドット』!)、オペラの現場で公演のために動く人々の姿を想い起こさずにはいられなかったのだ。
 
 
翌日、東響のライヴを観ながら僕はこんなことを呟いていた。
 
《びわ湖の『指環』同様、この音楽会に関わる全ての方々の心意気に感動。
ただ昨日と決定的に異なるのは無人の客席がずっと映し出されていること。
これが僕には辛い...あまりに辛い。
この厳しい状況が一日でも早く終息しますように。》
 
(そうなのだと納得していたとはいえ) 無人の空間へ向けて渾身の音楽を奏でていた楽団員の皆さんの心境はいかばかりであったろう。
 
サン=サーンスの交響曲が終わると同時に画面上は拍手とブラヴォーの弾幕 (画面を埋め尽くすほどのコメント表示をこう呼ぶのだそうな) が怒涛のように流れ続けていた...
 
《6万数千人のオーディエンスの拍手喝采がオケとマエストロに届きますように。》
 
 
この日は改めてヴァーグナーを視聴。
ジークフリートの死の場面からブリュンヒルデの自己犠牲〜終幕まで。
美しい舞台と精緻な音楽...これは間違いなく “歴史的瞬間” だ!と僕は感じた。
 
《芸術への献身、無償の愛、心意気...言葉にするとあまりに陳腐であるけれど。

2つのライヴ配信をきょう体験して、音楽に対する向き合い方、自分はどうあるべきかということを改めて学んだ気がする。》
 
『神々の黄昏』終演。
静寂の中、粛々と続くカーテンコールに再び胸を締め付けられる思いがした。
そんな僕の気持ちをほんの少し和らげてくれたのが、完全に下りた緞帳の向こう側から聞こえてきた拍手と歓声であった。
 
 
インターネットによる今回の試みはもちろん成功であったと思う。
クラシック音楽ファンの裾野を広げることにも貢献したに違いない。
それでも...
たくさんの人々に視聴されて良かったね、で済んでほしくはないし、ましてや今回の公演関係者の方々の懸命の努力と決断を美談として扱われておしまい、となっては困るのだ。
 
現在のこの状況がひと段落したら...
みなさま、ホールへそして劇場へお運びください。
そこには真に生きた音楽、そして表現が溢れていますから。
 
 
 
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 00:28| Comment(0) | 日記