2017年05月07日

専修大学フィルと

 
専修大学フィルの春合宿@岩井海岸 へ。
 
 
この駅に降り立つのはちょうど一年ぶり。
跨線橋からの眺望が懐かしい。
 
 
 
今回のお宿は、以前にたびたび横浜の吹奏楽団ホルツ・ブラス・カペーレとともにお世話になった大謙館さん。
 
 
曲目はスッペ/軽騎兵序曲、マスネ/絵のような風景、そしてベートーヴェンの第5交響曲。
 
 
他の作曲家の作品が簡単、というわけではもちろんないけれど、やはりベートーヴェンの演奏に求められる深い思慮と集中力は別格だ。
奏者ひとりひとりが正しくしかも美しい音を究め続けなければならない。
細かいパッセージやフレーズを取り出し、じっくりと時間をかけてそのことをメンバーに伝える。
この先の進化に期待。
 
専フィルのみなさん、お疲れさまでした。
また会いましょう!
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 23:58| Comment(0) | 日記

2017年05月03日

白秋の『白き花鳥図』〈5〉

 
 
『黎明』
 
印度画趣
 
白き鷺、空に闘ひ、
沛然と雨はしるなり。
 
時は夏、青しののめ、
濛濛と雨はしるなり。
 
早や空(むな)し、かの蓮華色(れんげしょく)。
二塊(ふたくれ)の、夢に似る雲。
 
くつがへせ、地軸はめぐる。
凄まじき銀と緑に。
 
白き鷺空に飛び連れ、
濛濛と雨はしるなり。
 
 
・黎明(れいめい)...よあけ。物事の始まり。
・沛然(はいぜん)...雨のさかんに降るさま。
・濛濛(もうもう)...霧や小雨などで薄暗いさま。
・凄まじい...色などさめきって白っぽい。
 
 
『白き花鳥図』全18編中、14番めの詩。
多田武彦はこの『黎明』を組曲の第1曲に選んでいる。
"闘ひ" "雨はしる" "くつがへせ" など、力や勢い、はやさや厳しさを想起させる語句が並ぶこの一編 (特に "雨はしる" は三度にわたり用いられている) は実際、作品の冒頭を飾るに相応しいと思う。
 
題名の傍らには「印度画趣」と添えられている。
白秋の見た (想像した) 画がインド風のそれであったのか、あるいは "蓮華色"=朝焼けの空の色からハチスの花が連想されたのだろうか。
 
これまでにも述べてきたが、白秋の 「言葉の選び方へのこだわり」がこの『黎明』においても強く感じられる。
この詩の初出は昭和2年4月 (詩集としてまとめられる2年前) だが、それと読み比べるとほとんどの行が推敲され書き換えられているのに気付く。
長くなるが、以下に全文を掲げてみよう。
 
 
『黎明』
 
白き鷺空に闘ひ、
沛然と雨はしるなり。
 
時は夏、青しののめ、
瀉(かた)はいま雨はしるなり。
 
現(うつゝ)なり、善きも悪しきも、
超えよ、かの夢に似るもの。
 
くつがへせ、地球はめぐる、
水天の幻と帆と。
 
蜃気楼(かいやぐら)、紫の市、
たちまちに雨はしるなり。
 
 
※原文には全ての漢字にルビが振られているが、煩雑となるため一部を除き省略した。
 
 
以下はあくまで個人的な感想だが、初出版を目にしてから改めて最終形を読み込むと、洗練の度が格段に高くなっているのがわかる。
"かの蓮華色" が後に足されたものである、という点がやはり最大のインパクトであろうか。
(したがって副題の "印度画趣" も初出版にはない)
これも新たに加えられた "凄まじき銀と緑" と互いに響き合って、暗さや青白さが支配的な驟雨の風景の中にあって差し色のような効果を生んでいるように思える。
 
"沛然と" に呼応する "濛濛と" も良いし、"夢に似るもの"→"夢に似る雲"、あるいは "地球はめぐる"→"地軸はめぐる" への改変も、表現の輪郭をより鮮明に浮き上がらせている。
一方で、"蜃気楼、紫の市" という魅力的な一行を敢えて外した詩人の潔さにも感嘆するばかりだ。
最終連がこのような形になったことで、あたかも音楽における「主題回帰」「ソナタ形式における再現部」のようなフォルムの美しさを感じずにはいられない。
 
 
(つづく)
 
 
posted by 小澤和也 at 16:31| Comment(0) | 音楽雑記帳

2017年04月23日

白秋の『白き花鳥図』〈4〉

 
『珠数かけ鳩』
 
    唐画
 
珠数かけ鳩はむきむきに
落ちし杏(あんず)をつつくなり。
 
しめりまだ乾(ひ)ぬ土のうへ、
杏(あんず)はあかし、そこここに。
 
珠数かけ鳩の虔(つつ)ましさ、
脚(あし)にひろひぬ。飛び飛びに。
 
空に杏(あんず)の葉はにほひ、
羽根に雫の色涼し。
 
珠数かけ鳩は行き過ぎて、
あかき杏(あんず)につまづきぬ。
 
 
『白き花鳥図』全18編中、12番めの詩。
題名の傍らにやや小さな活字で「唐画」と記されている。
 
 
 
本詩集の中にはこの『珠数かけ鳩』を含め、同じように副題が添えられているものがある。
 
『辛夷』唐画 (5)
『蓮の実』唐画 (10)
『鵲』唐画 (11)
『珠数かけ鳩』唐画 (12)
『鳩』元画 (13)
『黎明』印度画趣 (14)
(カッコ) 内の数字は収録順
 
『辛夷』とともに歌われているのは黄鳥 (コウライウグイス)、同様に『蓮の実』にカワセミ、『鵲』に車前草 (オオバコ)...
たしかに、大陸の趣を感じなくもないか。
 
珠数掛鳩はシラコバトの別称。
数羽の鳩たちが思い思いに、熟して落ちた杏の実をついばんでいるさまを愛らしく描く。
一貫した7+5文字のリズム、また "むきむきに" "そこここに" "飛び飛びに" といった弾むような語感も読んでいて心地よい。
 
"脚にひろひぬ"、意味を掴みづらいのだがおそらくは "拾い足" (道の比較的よい所を選んで歩くこと) を指すのだと思う。
杏の実を踏まぬよう慎重に脚を運ぶ珠数かけ鳩、それでもときおり歩幅を誤って躓いてしまう...
そんなユーモラスな情景が目に浮かぶようだ。
 
この詩は前述のように、組曲の第2曲として置かれている。
モティーフの繰り返しを多く用いるとともに、単語のイントネーションとそこに充てられた旋律線が美しく調和しており、素朴で温かみのある「語り」をゆったりと聴いているような気分を醸し出す。
 
 
(つづく)
 
 
posted by 小澤和也 at 12:00| Comment(0) | 音楽雑記帳

2017年04月22日

白秋の『白き花鳥図』〈3〉

 
 
『鮎鷹』
 
鮎鷹は多摩の千鳥よ、
梨の果(み)の雫(しづ)く切口、
ちちら、ちち、白う飛ぶそな。
 
鮎の子は澄みてさばしり、
調布(たづくり)の瀬瀬(せぜ)のかみしも、
砧うち、
砧うつそな。
 
鮎鷹は初夜に眼の冴え、
夜をひと夜、あさりするそな。
ちちら、ちち、
鮎の若鮎。
 
水の色、香(かを)る泡沫(うたかた)、
眉引のをさな月夜を
ああ、誰か、
影にうかがふ。
 
   註  多摩川のほとりには梨畑多し
 
 
・鮎鷹...コアジサシ。チドリ目カモメ科。
・澄む...曇りがなく明るく見える。
・砧...槌で布を打ちやわらげ、つやを出すのに用いる木または石の台。また、それを打つこと。
・初夜...古くは前日夜半〜その日の朝。のちには夕方〜夜半まで。
・ひと夜...夜じゅう。
・あさり...動物が餌を探し求めること。
 
 
『白き花鳥図』全18編中、9番めの詩。
夜の静けさ、張りつめた空気の中に鮎鷹の動き回る気配とかすかな鳴き声が淡いタッチで描かれている。
言葉のリズム(終始5+7で運ばれてゆく)が実に心地よい...ここでも白秋の言葉の選択の確かさを味わうことができる。
"ちちら、ちち" と "砧うち"、また "夜をひと夜" と "鮎の若鮎" といった軽妙な語感の対比も面白い。
 
加えて、季節の表現に詩人の遊びごころを感じるのは僕だけではないだろう。
梨の切り口から果汁が滴る、といえばやはり実りの秋。
一方、砧打ちは晩秋から冬にかけての夜なべのイメージ。
そして若鮎は春に川をさかのぼる元気の良い鮎だ。
時の経過をもさりげなく詩に織り込んでいるかのよう。
 
 
多田武彦はまず、ピアノ伴奏付き同声三部合唱の形で組曲『白き花鳥図』を書いた。
1964年のことである。
ただしこのときの構成は、選んだ詩・曲順ともに現在知られる形とは異なっていた。
すなわち、
1. 黎明  2. 白鷺  3. 白牡丹  4. 鮎鷹  5. 柳鷺
の全5曲であった。
 
その後「柳鷺」を省くとともに「数珠かけ鳩」「老鶏」の二編を加え、無伴奏混声合唱組曲として再構成する。
新たな曲順は以下の通り。
1. 黎明  2. 数珠かけ鳩  3.白牡丹  4. 鮎鷹  5. 老鶏  6. 白鷺
 
以降この形がベースとなり、男声合唱版 (今回農工グリーが歌うのがこれである)、さらには女声合唱版 (再びピアノ伴奏付き!) が編まれ現在に至る。
 
「黎明」はポリフォニックな要素を含んだ堂々たる急速楽章、「白牡丹」は軽やかにはばたく中間部を伴う神秘的な緩徐楽章、「老鶏」は烈しいスケルツォ、そして宗教的な気分を湛えたアダージョ=フィナーレの「白鷺」といった有機的な楽曲配置を見ることができる。
「数珠かけ鳩」と今回の「鮎鷹」は素朴で抒情的な間奏曲といったところか。
 
 
(つづく)
 
 
posted by 小澤和也 at 00:42| Comment(0) | 音楽雑記帳

2017年04月16日

白秋の『白き花鳥図』〈2〉

 
『白牡丹』
 
白牡丹(はくぼたん)、大き籠(こ)に満ち、
照り層(かさ)む内紫(うちむさらき)、
豊かなり、芬華(かがやき)の奥、
とどろきぬ、閑(しづ)けき春に。
 
蝶は超ゆ、この現(うつつ)より、
うつら舞ふ髭長(ひげなが)の影。
昼闌(た)けぬ。花びらの外(そと)、
歎かじな、雲の驕溢(おごり)を。
 
白牡丹(はくぼたん)、宇宙なり。
また  薫(かを)す、専(もはら)なる白。
この坐(すわり)、ふたつなし、ただ。
位のみ。ああ、にほひのみ。
 
 
・内紫...ウチムラサキガイ。殻の表は灰黄白色で密な輪脈がある。
・芬華...派手に飾り立てること。
・闌ける...真っ盛りになる。盛りが過ぎる。
・驕溢...おごりたかぶって分に過ぎること。
・坐...物体の安定度、おちつきぐあい。
・ふたつなし...くらべるものがない。すぐれている。
・位...品位、品格。
 
前掲『白鷺』に続いて収められている詩。
白秋の言葉の選び方はここでも精緻を極め、もはやこれ以上動かしようがないという域にまで達しているように思える。
そして前作同様、一行12文字(5+7)でほぼ統一された言葉のリズムも美しい。
 
この『白牡丹』は、詩集『海豹と雲』に纏められる2年前 (1927年) に、他二編の詩とともに初めて発表されている。
その初出ヴァージョンと読み比べると、ある部分では語句が微妙に置き換えられ、また別の箇所では全く新しいものに変更されているのだ。
例えば冒頭の二行、初出ではこのようになっていた。
 
>白牡丹花籠に咲き、
>地の富を象徴す。
 
ここだけを取り出しても表現の深さ、そして読む者の心に投げかけるイメージの広がりと色彩感がまるで違うのがわかる
 
さらに詩の第二連、初出ではこうである。
 
>蝶は超ゆ、この世界より、
>また深き秘所(ひそ)へ舞ひつつ、
>昼闌けぬ、花びらのうら、
>照り満ちぬ、そよとも揺れず。
 
世界→現(うつつ)、うら→外 への推敲、"髭長の影" "雲の驕溢" といった鮮烈な言葉選び、それでいて "照る" "満つる" は決して捨てられたのではなく第一連の中に生きている...
こうした白秋の構成力とセンスにはただただ感服するのみである。
 
 
多田武彦は、組曲の第3曲にこの詩を選んでいる。
白秋の描いた白牡丹の比類なき美しさ、静寂の中にある圧倒的な存在感を余すところなく音楽にしていると思う。
 
 
(つづく)
 
 
posted by 小澤和也 at 23:44| Comment(0) | 音楽雑記帳