2017年04月16日

白秋の『白き花鳥図』〈2〉

 
『白牡丹』
 
白牡丹(はくぼたん)、大き籠(こ)に満ち、
照り層(かさ)む内紫(うちむさらき)、
豊かなり、芬華(かがやき)の奥、
とどろきぬ、閑(しづ)けき春に。
 
蝶は超ゆ、この現(うつつ)より、
うつら舞ふ髭長(ひげなが)の影。
昼闌(た)けぬ。花びらの外(そと)、
歎かじな、雲の驕溢(おごり)を。
 
白牡丹(はくぼたん)、宇宙なり。
また  薫(かを)す、専(もはら)なる白。
この坐(すわり)、ふたつなし、ただ。
位のみ。ああ、にほひのみ。
 
 
・内紫...ウチムラサキガイ。殻の表は灰黄白色で密な輪脈がある。
・芬華...派手に飾り立てること。
・闌ける...真っ盛りになる。盛りが過ぎる。
・驕溢...おごりたかぶって分に過ぎること。
・坐...物体の安定度、おちつきぐあい。
・ふたつなし...くらべるものがない。すぐれている。
・位...品位、品格。
 
前掲『白鷺』に続いて収められている詩。
白秋の言葉の選び方はここでも精緻を極め、もはやこれ以上動かしようがないという域にまで達しているように思える。
そして前作同様、一行12文字(5+7)でほぼ統一された言葉のリズムも美しい。
 
この『白牡丹』は、詩集『海豹と雲』に纏められる2年前 (1927年) に、他二編の詩とともに初めて発表されている。
その初出ヴァージョンと読み比べると、ある部分では語句が微妙に置き換えられ、また別の箇所では全く新しいものに変更されているのだ。
例えば冒頭の二行、初出ではこのようになっていた。
 
>白牡丹花籠に咲き、
>地の富を象徴す。
 
ここだけを取り出しても表現の深さ、そして読む者の心に投げかけるイメージの広がりと色彩感がまるで違うのがわかる
 
さらに詩の第二連、初出ではこうである。
 
>蝶は超ゆ、この世界より、
>また深き秘所(ひそ)へ舞ひつつ、
>昼闌けぬ、花びらのうら、
>照り満ちぬ、そよとも揺れず。
 
世界→現(うつつ)、うら→外 への推敲、"髭長の影" "雲の驕溢" といった鮮烈な言葉選び、それでいて "照る" "満つる" は決して捨てられたのではなく第一連の中に生きている...
こうした白秋の構成力とセンスにはただただ感服するのみである。
 
 
多田武彦は、組曲の第3曲にこの詩を選んでいる。
白秋の描いた白牡丹の比類なき美しさ、静寂の中にある圧倒的な存在感を余すところなく音楽にしていると思う。
 
 
(つづく)
 
 
posted by 小澤和也 at 23:44| Comment(0) | 音楽雑記帳

2017年04月12日

宮沢賢治の芸術論

 
NHKテレビの「100分de名著」、宮沢賢治スペシャルを観る。
その最終回で紹介された『農民芸術概論綱要』の中の文章がにわかに僕の心をとらえた。
 
1926年春、29歳の賢治はそれまで就いていた教員の職を辞し自給自足の生活をスタートさせ、同年夏に私塾を開く。(羅須地人協会)
そこでは地元農民を対象にした自然科学や語学の講義とともに、レコードコンサートや童話の読み聞かせなども催されたのだとか。
 
賢治は上記の他、自らが提唱する「農民芸術」というものについても講義を行った。
そのテキストとして書かれたのが『農民芸術概論綱要』なのだ。
 
「おれたちはみな農民である ずゐぶん忙がしく仕事もつらい」
という書き出しからも分かるように、この綱要は当時の地元農民を主語とした内容である。
しかしながらこれは、現代のすべての人々にもピタリと当てはまるものなのではないか、と改めて思うのである。
 
この機会に全文を読んだ。
以下、番組で紹介されなかった部分も含め、はたと膝を打った箇所を自由に引用してみよう。
 
 
「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」
「われらは世界のまことの幸福を索ねよう  求道すでに道である」
("序論" より)
 
求道すでに道である...
これにまずグッと来た。
 
 
「曾てわれらの師父たちは乏しいながら可成楽しく生きてゐた
そこには芸術も宗教もあった
いまわれらにはただ労働が  生存があるばかりである
宗教は疲れて近代科学に置換され然も科学は冷く暗い
芸術はいまわれらを離れ然もわびしく堕落した」
("農民芸術の興隆" より)
 
現代にもそのまま当てはまるであろう厳しい指摘。
先人たちの時代においては生活と宗教、芸術、科学が一体のものであった、と。
 
 
「いまやわれらは新たに正しき道を行き  われらの美をば創らねばならぬ
芸術をもてあの灰色の労働を燃せ
ここにはわれら不断の潔く楽しい創造がある」
(同前)
 
 
「芸術のための芸術は少年期に現はれ青年期後に潜在する
人生のための芸術は青年期にあり  成年以後に潜在する
芸術としての人生は老年期中に完成する」
("農民芸術の(諸)主義" より)
 
難解だが含蓄に富む。
 
 
「強く正しく生活せよ  苦難を避けず直進せよ」
「なべての悩みをたきぎと燃やし  なべての心を心とせよ
風とゆききし 雲からエネルギーをとれ」
("農民芸術の制作" より)
 
対象は自然の中にある、ということか。
 
 
「われらの前途は輝きながら嶮峻である
嶮峻のその度ごとに四次芸術は巨大と深さとを加へる
詩人は苦痛をも享楽する
永久の未完成これ完成である」
("結論" より)
 
永久の未完成これ完成である...
これも名言だ。
求道すでに道である、の一文とともにひとつの大きな円環をなしているように思われる。
 
 
誰のための、何のための芸術であるか/あるべきか?
音楽に携わる者として、折にふれ考え続けていきたい言葉たちだ。
 
番組中でもうひとつ、『マリヴロンと少女』という短編が取り上げられていた。
こちらもなかなか面白い...
機会があったらこれについても触れてみよう。
 
 
(追記)
先に引用した
「世界がぜんたい幸福に〜」のくだり、どこかで見たことがある文章だなあ、とキーボードを打ちながらしばし考えて...
 
思い出した。
 
 
石巻市立大川小学校の跡地にて。
(2013年11月撮影)
校舎、もしくは施設の壁面に描かれたものだろうか。
(平成13年度卒業制作とある)
 
これを見たときのことは...言葉にならない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 00:36| Comment(0) | 日記

2017年04月07日

白秋の『白き花鳥図』〈1〉

 
この7月に農工大グリークラブと演奏する多田武彦/男声合唱組曲『白き花鳥図』。
北原白秋による同名の詩集 (厳密には詩集『海豹と雲』の中に『白き花鳥図』という題でまとめられた18の詩) から6編を選び付曲されている。
以下、それらの詩についてのメモを、僕自身の備忘録も兼ねて気ままに書いていこうと思う。
 
 
『白鷺』
 
白鷺は、その一羽、
睡蓮の花を食(は)み、
水を食(は)み、
かうかうとありくなり。
 
白鷺は貴くて、
身のほそり煙るなり、
冠毛(かむりげ)の払子(ほっす)曳く白、
へうとして、空にあるなり。
 
白鷺はまじろがず、
日をあさり、おのれ啼くなり、
幽(かす)かなり、脚(あし)のひとつに
蓮の実を超えて立つなり。
 
 
『白き花鳥図』中、第3編の詩。
多田武彦は、全6曲からなる組曲の終曲としてこれを用いている。
 
・かうかう...漢字で書くならば「皓皓」だろうか。あるいは耿耿?浩浩?行行?
・ありく...あちこち移動する意。動き回る。往来する。
・煙る...ぼうっとかすんで見える。
・払子...長い獣毛を束ね、これに柄を付けた法具。禅僧が煩悩・障碍を払う標識として用いる。
・へうとして...剽?あるいは漂?
・まじろぐ...まばたきする。
・日をあさり...昼間に餌を探しもとめる。
・おのれ...自然と。ひとりでに。
・幽か...物の形・色・音・匂いなどがわずかに認められるさま。さみしいさま。
 
全体を通して、静けさ、そして落ち着き払った高貴なたたずまいを感じさせる一編。
ほぼ全ての行が10文字(5+5)、もしくは12文字(5+7)で構成されており、言葉のリズム的にも揺るぎない安定感をもつ。
 
 
白秋は短歌でも白鷺を詠んだものをいくつか遺している。
例えば、
 
白鷺はくちばし黝(くろ)しうつぶくとうしろしみみにそよぐ冠毛(かむりげ)  (動物園所見)
 
春はまだ寒き水曲(みわた)を行きありく白鷺の脚のほそくかしこさ
 
〜いずれも歌集『白南風(しらはえ)』所収
 
これら二首、実に『白鷺』と響き合っているではないか。
白秋は、こうした白鷺の姿に神々しさを感じ取っていたように思える。
 
 
(つづく)
 
 
posted by 小澤和也 at 23:59| Comment(0) | 音楽雑記帳

2017年03月29日

演奏会のごあんない

 
 
今年もこの季節がやってきた。
農工グリーとともに歌を紡ぐ春、そして夏。
 
今回は地元・小金井での開催。
宮地楽器ホールは新しく、響きのとても良いホールだ。
それをことさら意識したわけではないのだが、結果としてア・カペラ作品を多く取り上げる形となった。
 
学生による音楽団体の (良くも悪くも) 常として、構成メンバーが毎年入れ替わってゆくという特徴がある。
現メンバーも (演奏会ではこれに新一年生も加わるわけだが)、まだおぼろげではあるものの独自の確たる "色" を持つ。
それを形にし、農工グリーの "今" として客席に届けることができたらと願っている。
 
 
東京農工大学グリークラブ
第37回演奏会
 
2017年7月2日(日) 14時開演
小金井 宮地楽器ホール 大ホール
(JR中央線・武蔵小金井駅下車すぐ)
入場無料、全席自由
 
§多田武彦/北原白秋
男声合唱組曲「白き花鳥図」
§北川昇/みなづきみのり
女声合唱のための「かなうた 第2集」
§北川昇編
男声合唱のための熱唱曲集「夢をあきらめないで」
§信長貴富/谷川俊太郎他
無伴奏女声合唱曲集「なみだうた」より
 
指揮:小澤和也、佐伯大地 (学生)、木下春奈 (学生)
ピアノ:宮代佐和子
 
 
みなさま、どうぞおはこびください。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 22:59| Comment(0) | 演奏会情報

2017年03月22日

ご来場御礼

 
 
立川市民オペラ公演2017『カルメン』、二日間にわたる公演が無事終了しました。
おかげさまでチケットは両日とも完売、たくさんのお客さまにお楽しみいただくことができました。
 
 
≪カルメン≫の魅力 〜合唱曲で綴るミニコンサート〜リハーサル風景
2016.12.15.@RISURU小ホール
指揮/小澤和也
 
 
昨年春からの譜読みと仏語ディクションのレッスン、そして秋より演出:直井研二先生および演出助手:原純さんのご指導のもとでの立ち稽古と、合唱団は絶え間なく研鑽を積んできました。
その甲斐あって、今回は一段と素晴らしい出来映えでした。
(手前味噌ですが...)
 
ある日の立ち稽古より
カルメン:増田弥生さん、エスカミーリョ:大川博さん
 
マエストロ、キャスト、そして音楽スタッフ
 
 
素晴らしいソリストの皆さん、合唱パートを支えるだけでなくしばしばソロパートも歌い、稽古を円滑に進める手助けをしてくださったコーラスサポートのメンバー、さらには舞台・衣裳他スタッフの方々...
ただただ感謝の気持ちでいっぱいです。
 
 
本番中はこのような出で立ちで、映写室 (通称:金魚鉢) と楽屋、オーケストラピットなどの間を駆け回っておりました。
 
 
直井先生の演出は、実に登場人物たちへの愛にあふれるものでした。
なかでも第1幕、
《ミカエラ&ドン・ホセの二重唱、ホセが遠い故郷に暮らす母親からの手紙をミカエラより渡される場面。
〜二人の短いやり取りのあと、ミカエラが舞台中央で彼の母親の様子を歌う。
〜その間に、ホセは手紙と一緒に受け取った小遣い (財布) をそっとミカエラの手提げ籠の中へ戻す...》
僕はこのシーンがたまらなく大好きでした。
 
そして公演終了後のレセプション席上、直井先生がお母様との思い出をちらりと話されたのです。
(ああ...あの場面はご自身の心境そのものだったのか...)
ふたたび胸が熱くなりました。
 
 
立川市民オペラの次回公演は来春、ふたたび直井先生の演出でヴェルディ『椿姫』をお送りします。
どうぞご期待ください!
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 23:59| Comment(0) | 日記