2019年05月26日

合唱団あしべ 春の舞台

 
江戸川区 第40回中央地域まつり。
今年も合唱団あしべのみなさんと出演しました。
(26日、東小松川公園)
 
快晴。
暑い...とにかく暑い。
正直に告白すると、屋外イベントは天気が良すぎるのも困りモノ(苦笑)
 
あしべの今年の曲目は
「瀬戸の花嫁」「いつでも夢を」そして「ハナミズキ」。
年初よりじっくりと、大切に歌いこんできた愛唱曲たち。
 
 
 
 
炎天下にもかかわらず、あしべの皆さんは普段どおりの爽やかな歌声を聞かせてくださいました。
「ハナミズキ」は本番がいちばん上手だったかも♪
 
あしべの皆さん、今回もお疲れさまでした。
秋の合唱祭へ向けて、来週からまた楽しく歌っていきましょう。
posted by 小澤和也 at 23:08| Comment(0) | 日記

2019年05月19日

カフェ・ベルニーニと城山幼稚園

 
ある日の仕事帰り。
行きつけの珈琲豆店のマスターから「このお店、よかったですよ」とお話を伺っていた都内某所のカフェを訪れてみた。
 
 
静かで落ち着いた雰囲気のこぢんまりとした店内。
(僕の好きなタイプだ)
さっそく“今週のコーヒー” ボリビアを注文する。
 
 
カップを近づけると...うーん、いい香り。
中深煎り、苦みと酸味のバランスがGood!
ちょっとでも雑味があるとこうはいかないだろう。
焙煎からピッキングまで、さぞ丁寧なお仕事をされているのだろうなと直感。
 
そうなると別の種類のものもいただいてみたくなる。
そんなときに決まってオーダーするのはマンデリンだ。
 
 
このカップのデザインも素敵。
苦みとコクが主体のマンデリンだが、実にすっきりとした後味...純度の高さを感じる。
 
ここにいつまでも腰掛けていろいろなコーヒーを味わいたかったのだけれど、この日はもう一つの用事があったので、これにておいとま。
帰り際、マスターより
『深煎りのコーヒーがお好きですか?』
と声をかけられた。
(どうして分かったのだろう...?)
 
 
店を出てしばし散策。
実はこの界隈、僕の生まれ育った町のすぐ近所なのだ。
しかも通った幼稚園はカフェから歩いて10分足らず。
半世紀近く前のかすかな記憶と現在の景色がどれほど重なり合うものか、ちょっぴり確かめてみたくなったのだ。
地図を頼りに向かってみると...
 
 
この細い路地。
手を引かれて歩いた気がする。
左手奥のマンションもあの頃からあったような...
 
 
幼稚園の入口に到着。
熊野神社...そうだ、熊野神社だ!
鳥居も縁石ももちろん新しいものであろうけれど、この佇まいは当時のままのように思えた。
 
 
Time goes by...
posted by 小澤和也 at 23:26| Comment(0) | 日記

2019年05月11日

演奏会のご案内

 
 
 恒例、夏の農工グリー演奏会のご案内です。
 
 
東京農工大学グリークラブ
第39回演奏会
 
小金井宮地楽器ホール 大ホール
(武蔵小金井駅下車すぐ)
入場無料、全席自由

§相澤直人/さくらももこ
無伴奏男声合唱曲集「ぜんぶ ここに」
§松下耕
女声合唱のための「湖国うた紀行」
§松下耕/八木重吉
男声合唱組曲「秋の瞳」
§大田桜子/まど・みちお
女声合唱組曲「ねこにこばん」

小澤和也 (指揮)
金主安、菅原万梨夏 (学生指揮者)
後藤佐和子 (ピアノ)

 
暑い盛りとは思いますが、みなさまどうぞおはこびくださいませ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 23:01| Comment(2) | 演奏会情報

2019年04月30日

ケルテスのラスト・セッション

 
久しぶりにイシュトヴァン・ケルテスの新しい音源を入手した (ロンドン交響楽団との1964年東京ライヴ) のを機に彼の録音データについていろいろと調べていたところ、こんな資料を見つけた。
 
“The LSO Discography”
 
“The Vienna Philharmonic on Decca
 
これらを見ると、ケルテスがいかに精力的に両オーケストラとレコーディングを行ってきたかが手に取るように分かる。
 
データをあれこれ眺めつつ、僕の興味は自ずと彼の「最後の録音」のことに。
ご存じのとおりケルテスは1973年4月16日、不慮の事故により43歳の若さで突然この世を去った。
その結果ブラームスの録音の一部が未完となり、オーケストラが遺された部分を録音したというエピソードがある。
CD解説等に書かれているのは「ハイドン変奏曲」なのだが、「第4交響曲の終楽章である」という説もあって、そのあたりのことが何となく気になっていたのだ。
 
ディスコグラフィには次のようにある:
 
 
1973年2月26日〜3月1日にウィーン・フィルとブラームス第1&第3交響曲、そして「ハイドンの主題による変奏曲」を録音していることが分かった。
そして最終行には
「ケルテスの死を受けて、ハイドン変奏曲が指揮者なしで完成された」とも。
 
 
もう少し調べているうちに、1975年リリースの第3交響曲&ハイドン変奏曲のLPレコード (London Records CS6837) のジャケット裏面にケルテスへの追悼文があることに偶然気付いた。
 
↑CS6837のジャケット
↓“His Last Recording”との記載がある
 
↑ジャケット裏面
↓右下部分
(これらの画像はネット上にあったものを拝借しました)
 
デッカのマネージャー、Terence A. McEwen氏のよるものだった。
以下、その拙訳を掲げる。
やはりハイドン変奏曲の、おそらくはあのパッサカリア風のフィナーレが遺されたものと思われる。
 
 
その早すぎる死の少し前、イシュトヴァン・ケルテスは第1、第3および第4、それに既存の第2の録音を加えてブラームスの交響曲全集を完成させました。第3交響曲はレコード1枚の分量に満たないので、“ハイドンの主題による変奏曲” が加えられることが決定されました。録音セッションが完了する前に時間切れとなりましたが、すぐ後に再びウィーンに戻ってさらなるレコーディングを行う予定であったため、ハイドン変奏曲の終結部はその機会へと持ち越されました。
そして運命は並外れた感性を持つこの若い指揮者を現世から奪い去ったのです。
ウィーン・フィルはケルテスと多くのレコードを制作しました。彼らは周知のとおり指揮者にとっては手強いオーケストラであるのですが、ケルテスが亡くなるとすぐ、高く評価するその指揮者に対しある特別な行為によって敬意を表したいという彼らの願望を我々の会社に伝えてくれました。リスペクトと愛に溢れた雰囲気の中、ウィーン・フィルは指揮者無しでこの若きマエストロの最後のレコーディングを完成させました。
これは私がこれまで体験した中でも類のない賛辞であります。そして同時に我々ロンドン・レコードは、その卓越した美的規範が西洋諸国において賞賛された、また多くの素晴らしい録音によって決して忘れられることのないであろうひとりの音楽家に最後の敬意を表するものであります。
 
T. A. McEwen
Vice President 
Manager - Classical Division
 
 
“To pay homage to the conductor it so much esteemed by means of a very special gesture.”...
ケルテスがウィーン・フィルにどれほど愛されていたかがひしひしと感じられる文章だ。
posted by 小澤和也 at 21:55| Comment(0) | 日記

2019年04月28日

『湖国うた紀行』紀行

 
この夏に東京農工大学グリークラブ女声メンバーと手がける『湖国うた紀行』(松下耕)。
その世界に少しでも近づけたらと思い、夜行バスを使って滋賀まで0泊3日の旅に出かけた。
 
早朝、南草津駅に到着...あいにくの雨。
結局この日は残念ながらずっと降られっぱなしだった。
 
 
レンタカーを借り、まず向かったのは彦根。
夏の風物詩「きせない行列」の地元を訪ねる。
 
青龍山大雲寺。
こちらのご住職が「きせない」を復活させた。
 
 
 
お隣が保育園、すぐ脇の細い路地を入ると...
 
 
 
割烹やスナックの並ぶエリアが見える。
かつて袋町と呼ばれたこの辺りは県内でも有数の歓楽街であったそうな。
 
彦根城へ向かって少し歩いてみた。
 
 
時が止まったかのような街並み。
 
 
 
彦根城もぜひ観たかったのだけれど、時間に限りがあるため断念...
犬上郡甲良町へ向かう。
 
 
甲良神社。
人影もなく濡れそぼった境内はどこかさびしい。
 
 
 
続いて訪れたのが町立図書館&歴史資料館。
総檜造りの旧小学校校舎を活用しているとのこと。
 
 
 
 
資料室の窓から見える美しい風景に心も和む。
 
 
甲良町・長寺地区へ車で向かう。
楽譜によれば、ここが『甲良の子守歌』発祥の地らしい。
民家もより少なく、田畑よりも空き地 (荒地) が目立つように感じられたのは気のせいだろうか。
 
 
ねんねしてくれ 寝る子はかわいーィ
起きて泣く子は 面(つら)にくいーィ
 
良い娘嫁入(よめり)する 悪い娘は残るーゥ
嫁入せん娘は わしひとりーィ
 
子守歌 (寝させ歌) というよりは「守り子歌」、一種の労働歌である...それもおそらくは10歳前後の少女たちの。
自身の境遇の辛さ、裕福な家への羨望のようなものが歌詞にあらわれていると思う。
そしてこの地区がいわゆる被差別部落のひとつであったこととも無関係ではないだろう。
 
次の目的地は近江八幡。
『まゆとり歌』について何かしら知ることができたらと思ったのだが、事前の調べではどの辺りで養蚕業が営まれていたのかよく分からぬままであった。
(旧安土町の繖山桑實寺は天候不良のため断念)
 
移動の途中、末広町に歴史資料館があることを知り、訪ねてみることに。
その施設は広く一般に公開している様子ではなかったのだが、アポイント無しで押しかけたにもかかわらず職員の方々は親切に応対してくださった。そして...
 
 
この地域にも被差別部落としての不幸な歴史があることを知る。
かつては食肉業・皮革加工業が産業の中心であったとのこと。
それでも、館内に展示されていた末広地区の古い地図には桑畑の記号があちらこちらに見られた...きっと養蚕が盛んに行われた時代もあったのだろう。
 
最後の目的地は大津市・堅田。
琵琶湖大橋を渡って湖の西岸へ。
『船おろし歌』のルーツを訪ねたかったのだけれど、調査不足そして時間切れのため叶わず。
唯一期待を寄せていた「湖族乃郷資料館」、なんとこの日は休館日!
 
 
気を取り直して...海門山満月寺の浮御堂へ。
 
 
 
 
晴れていたら琵琶湖はこの何十倍も綺麗だったことだろう。
 
 
南草津へ戻り、レンタカーを返して夕食。
店を出た頃、ようやく雨が上がっていた。
 
 
 
走行距離190km、およそ10時間の旅。
歌の核心に迫ることのできた瞬間は多くなかったけれど、「湖国」の風景は深く僕の心に残った。
来月からのグリーメンとの練習が楽しみだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 00:00| Comment(0) | 日記