2017年04月12日

宮沢賢治の芸術論

 
NHKテレビの「100分de名著」、宮沢賢治スペシャルを観る。
その最終回で紹介された『農民芸術概論綱要』の中の文章がにわかに僕の心をとらえた。
 
1926年春、29歳の賢治はそれまで就いていた教員の職を辞し自給自足の生活をスタートさせ、同年夏に私塾を開く。(羅須地人協会)
そこでは地元農民を対象にした自然科学や語学の講義とともに、レコードコンサートや童話の読み聞かせなども催されたのだとか。
 
賢治は上記の他、自らが提唱する「農民芸術」というものについても講義を行った。
そのテキストとして書かれたのが『農民芸術概論綱要』なのだ。
 
「おれたちはみな農民である ずゐぶん忙がしく仕事もつらい」
という書き出しからも分かるように、この綱要は当時の地元農民を主語とした内容である。
しかしながらこれは、現代のすべての人々にもピタリと当てはまるものなのではないか、と改めて思うのである。
 
この機会に全文を読んだ。
以下、番組で紹介されなかった部分も含め、はたと膝を打った箇所を自由に引用してみよう。
 
 
「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」
「われらは世界のまことの幸福を索ねよう  求道すでに道である」
("序論" より)
 
求道すでに道である...
これにまずグッと来た。
 
 
「曾てわれらの師父たちは乏しいながら可成楽しく生きてゐた
そこには芸術も宗教もあった
いまわれらにはただ労働が  生存があるばかりである
宗教は疲れて近代科学に置換され然も科学は冷く暗い
芸術はいまわれらを離れ然もわびしく堕落した」
("農民芸術の興隆" より)
 
現代にもそのまま当てはまるであろう厳しい指摘。
先人たちの時代においては生活と宗教、芸術、科学が一体のものであった、と。
 
 
「いまやわれらは新たに正しき道を行き  われらの美をば創らねばならぬ
芸術をもてあの灰色の労働を燃せ
ここにはわれら不断の潔く楽しい創造がある」
(同前)
 
 
「芸術のための芸術は少年期に現はれ青年期後に潜在する
人生のための芸術は青年期にあり  成年以後に潜在する
芸術としての人生は老年期中に完成する」
("農民芸術の(諸)主義" より)
 
難解だが含蓄に富む。
 
 
「強く正しく生活せよ  苦難を避けず直進せよ」
「なべての悩みをたきぎと燃やし  なべての心を心とせよ
風とゆききし 雲からエネルギーをとれ」
("農民芸術の制作" より)
 
対象は自然の中にある、ということか。
 
 
「われらの前途は輝きながら嶮峻である
嶮峻のその度ごとに四次芸術は巨大と深さとを加へる
詩人は苦痛をも享楽する
永久の未完成これ完成である」
("結論" より)
 
永久の未完成これ完成である...
これも名言だ。
求道すでに道である、の一文とともにひとつの大きな円環をなしているように思われる。
 
 
誰のための、何のための芸術であるか/あるべきか?
音楽に携わる者として、折にふれ考え続けていきたい言葉たちだ。
 
番組中でもうひとつ、『マリヴロンと少女』という短編が取り上げられていた。
こちらもなかなか面白い...
機会があったらこれについても触れてみよう。
 
 
(追記)
先に引用した
「世界がぜんたい幸福に〜」のくだり、どこかで見たことがある文章だなあ、とキーボードを打ちながらしばし考えて...
 
思い出した。
 
 
石巻市立大川小学校の跡地にて。
(2013年11月撮影)
校舎、もしくは施設の壁面に描かれたものだろうか。
(平成13年度卒業制作とある)
 
これを見たときのことは...言葉にならない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 00:36| Comment(0) | 日記

2017年04月07日

白秋の『白き花鳥図』〈1〉

 
この7月に農工大グリークラブと演奏する多田武彦/男声合唱組曲『白き花鳥図』。
北原白秋による同名の詩集 (厳密には詩集『海豹と雲』の中に『白き花鳥図』という題でまとめられた18の詩) から6編を選び付曲されている。
以下、それらの詩についてのメモを、僕自身の備忘録も兼ねて気ままに書いていこうと思う。
 
 
『白鷺』
 
白鷺は、その一羽、
睡蓮の花を食(は)み、
水を食(は)み、
かうかうとありくなり。
 
白鷺は貴くて、
身のほそり煙るなり、
冠毛(かむりげ)の払子(ほっす)曳く白、
へうとして、空にあるなり。
 
白鷺はまじろがず、
日をあさり、おのれ啼くなり、
幽(かす)かなり、脚(あし)のひとつに
蓮の実を超えて立つなり。
 
 
『白き花鳥図』中、第3編の詩。
多田武彦は、全6曲からなる組曲の終曲としてこれを用いている。
 
・かうかう...漢字で書くならば「皓皓」だろうか。あるいは耿耿?浩浩?行行?
・ありく...あちこち移動する意。動き回る。往来する。
・煙る...ぼうっとかすんで見える。
・払子...長い獣毛を束ね、これに柄を付けた法具。禅僧が煩悩・障碍を払う標識として用いる。
・へうとして...剽?あるいは漂?
・まじろぐ...まばたきする。
・日をあさり...昼間に餌を探しもとめる。
・おのれ...自然と。ひとりでに。
・幽か...物の形・色・音・匂いなどがわずかに認められるさま。さみしいさま。
 
全体を通して、静けさ、そして落ち着き払った高貴なたたずまいを感じさせる一編。
ほぼ全ての行が10文字(5+5)、もしくは12文字(5+7)で構成されており、言葉のリズム的にも揺るぎない安定感をもつ。
 
 
白秋は短歌でも白鷺を詠んだものをいくつか遺している。
例えば、
 
白鷺はくちばし黝(くろ)しうつぶくとうしろしみみにそよぐ冠毛(かむりげ)  (動物園所見)
 
春はまだ寒き水曲(みわた)を行きありく白鷺の脚のほそくかしこさ
 
〜いずれも歌集『白南風(しらはえ)』所収
 
これら二首、実に『白鷺』と響き合っているではないか。
白秋は、こうした白鷺の姿に神々しさを感じ取っていたように思える。
 
 
(つづく)
 
 
posted by 小澤和也 at 23:59| Comment(0) | 音楽雑記帳

2017年03月29日

演奏会のごあんない

 
 
今年もこの季節がやってきた。
農工グリーとともに歌を紡ぐ春、そして夏。
 
今回は地元・小金井での開催。
宮地楽器ホールは新しく、響きのとても良いホールだ。
それをことさら意識したわけではないのだが、結果としてア・カペラ作品を多く取り上げる形となった。
 
学生による音楽団体の (良くも悪くも) 常として、構成メンバーが毎年入れ替わってゆくという特徴がある。
現メンバーも (演奏会ではこれに新一年生も加わるわけだが)、まだおぼろげではあるものの独自の確たる "色" を持つ。
それを形にし、農工グリーの "今" として客席に届けることができたらと願っている。
 
 
東京農工大学グリークラブ
第37回演奏会
 
2017年7月2日(日) 14時開演
小金井 宮地楽器ホール 大ホール
(JR中央線・武蔵小金井駅下車すぐ)
入場無料、全席自由
 
§多田武彦/北原白秋
男声合唱組曲「白き花鳥図」
§北川昇/みなづきみのり
女声合唱のための「かなうた 第2集」
§北川昇編
男声合唱のための熱唱曲集「夢をあきらめないで」
§信長貴富/谷川俊太郎他
無伴奏女声合唱曲集「なみだうた」より
 
指揮:小澤和也、佐伯大地 (学生)、木下春奈 (学生)
ピアノ:宮代佐和子
 
 
みなさま、どうぞおはこびください。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 22:59| Comment(0) | 演奏会情報

2017年03月22日

ご来場御礼

 
 
立川市民オペラ公演2017『カルメン』、二日間にわたる公演が無事終了しました。
おかげさまでチケットは両日とも完売、たくさんのお客さまにお楽しみいただくことができました。
 
 
≪カルメン≫の魅力 〜合唱曲で綴るミニコンサート〜リハーサル風景
2016.12.15.@RISURU小ホール
指揮/小澤和也
 
 
昨年春からの譜読みと仏語ディクションのレッスン、そして秋より演出:直井研二先生および演出助手:原純さんのご指導のもとでの立ち稽古と、合唱団は絶え間なく研鑽を積んできました。
その甲斐あって、今回は一段と素晴らしい出来映えでした。
(手前味噌ですが...)
 
ある日の立ち稽古より
カルメン:増田弥生さん、エスカミーリョ:大川博さん
 
マエストロ、キャスト、そして音楽スタッフ
 
 
素晴らしいソリストの皆さん、合唱パートを支えるだけでなくしばしばソロパートも歌い、稽古を円滑に進める手助けをしてくださったコーラスサポートのメンバー、さらには舞台・衣裳他スタッフの方々...
ただただ感謝の気持ちでいっぱいです。
 
 
本番中はこのような出で立ちで、映写室 (通称:金魚鉢) と楽屋、オーケストラピットなどの間を駆け回っておりました。
 
 
直井先生の演出は、実に登場人物たちへの愛にあふれるものでした。
なかでも第1幕、
《ミカエラ&ドン・ホセの二重唱、ホセが遠い故郷に暮らす母親からの手紙をミカエラより渡される場面。
〜二人の短いやり取りのあと、ミカエラが舞台中央で彼の母親の様子を歌う。
〜その間に、ホセは手紙と一緒に受け取った小遣い (財布) をそっとミカエラの手提げ籠の中へ戻す...》
僕はこのシーンがたまらなく大好きでした。
 
そして公演終了後のレセプション席上、直井先生がお母様との思い出をちらりと話されたのです。
(ああ...あの場面はご自身の心境そのものだったのか...)
ふたたび胸が熱くなりました。
 
 
立川市民オペラの次回公演は来春、ふたたび直井先生の演出でヴェルディ『椿姫』をお送りします。
どうぞご期待ください!
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 23:59| Comment(0) | 日記

2017年03月16日

歌う「魔王」、語る「魔王」

 
 
"ドイツリートで歌う   義太夫で語る「魔王」"
を聴く。
(15日、渋谷にて)
 
出演は河野克典さん、豊竹英太夫さん他。
ステージにはグランドピアノと緋色の演台が並ぶ。
滅多に見られない組み合わせ。
 
 
前半はまず、河野さんの独唱による日本歌曲のアンソロジーから。
あたかも字幕を見ているかのように、言葉のひとつひとつががクリアに耳に届く美しい歌唱。
なかでも、今回初めて聴いた『鴉』(信時潔/清水重道)、『つくだ煮の小魚』(中田喜直/井伏鱒二) の2曲が楽しめた。
 
続いて豊竹英太夫さんによる浄瑠璃『艶容女舞衣 (あですがたおんなまいぎぬ)』〜酒屋の段のサワリが語られる。
義太夫節を生で体験するのはほとんど初めてだったのだが、僕が勝手に抱いていたイメージとは異なり、力強さと繊細さとを兼ね備えた語りであった。
 
 
いよいよプログラム後半。
この日のメインである2つの『魔王』の歌い比べだ。
はじめに河野さんの歌うシューベルト。
声の色、顔の表情を駆使して四役 (語り手・父親・息子・魔王) を描き分ける圧巻の演奏...ライヴだからこそ味わえる醍醐味。
 
続いて、ゲーテの原詩を河野さんが訳したものをベースとして英太夫さんが編作されたという『義太夫版・魔王』。
...これはほんとうに聴いてよかった!
 
「父上 聞こえませぬか
  鬼がすぐそこに」
「あれは 樹木のざわめき
  木立の囀り 案ずることはない」
「かわいい子よ 一緒にくるのだ
  麗しい娘やともたちが大勢で待っている」
  etc.
 
歌唱とは異なり純粋に「語りの芸術」である義太夫では、声色の使い分けにおいて制約が圧倒的に少ない。
シンプルに、そしてときに打楽器的なインパクトをもって語りを支える太棹 (三味線) の存在感も絶大。
ひとつの試みとして実に素晴らしい「魔王」。
 
新鮮な驚きと感動の余韻の残るなか、河野さんがふたたび登場。
最後にシューベルト、シューマン、ヴォルフによる珠玉のリートを聴かせてくださった。
 
 
歌うということ、そして語るということについて考え、味わうことのできたゴージャスなひとときであった。
 
 
posted by 小澤和也 at 01:06| Comment(0) | 日記