2019年07月14日

拙編 ドーデー/アルルの女 (1/2)

 
 
ドーデーの戯曲「アルルの女」を櫻田佐の訳で読む。
(岩波文庫刊)
“農家の青年が都会の女に寄せる熾烈な恋慕、子を思う母の痛ましい愛、可憐な乙女の恋心、老人達の慎ましやかな情熱”(訳者序文より引用)を描いた佳作。
これにビゼーが “流麗な音楽を付して一層の光彩を加えた”(同前)のである。
 
以下、僕自身のための備忘メモを兼ねて各景ごとに要約を試み、ビゼーによる付随音楽 (全27曲) が物語にどのように寄り添っているかをまとめてみようと思う。
ビゼーの音楽が挿入されている箇所に
[♪No.7: パストラール(間奏曲と合唱)]
のように曲番号とタイトルを記す。
 
 
※櫻田訳の文中、主人公フレデリの弟の名前は「ばか」となっている...これではあんまりなので、ここではビゼーのスコアに記されている “L’INNOCENT”(リノサン) という呼称を使うことにした。
(“innocent” とはフランス語で「無垢な人、幼児、世間知らず、うすのろ」のことである)
 
 
 
アルフォンス・ドーデー (Alphonse Daudet)
『アルルの女』L’Arlésienne (1872)
 
 
【主な登場人物】
§フランセ 
(カストゥレの農家の老主人。フレデリの祖父)
§バルタザール
(フランセの農家に長く仕える羊飼いの老人)
§フレデリ
(農家の若主人。フランセの孫)
§ローズ
(フランセの息子の嫁でフレデリ&リノサンの母親)
§マルク
(ローズの兄。船乗り)
§リノサン
(フレデリの弟。白痴)
§ミティフィオ
(馬の番人。アルルの女の情夫)
§ルノーばあさん
(カストゥレの近くに住む老婆。バルタザールのかつての恋人)
§ヴィヴェット
(ルノーばあさんの孫娘、ローズは彼女の代母)
 
 
【第1幕】カストゥレの農家
 
[♪No.1: 序曲]
・第1景
豪農の老主人フランセとそこに仕える羊飼いバルタザールが、フレデリの嫁取りについて話をしている。
[♪No.2: メロドラマ(白痴のモティーフ)]
フレデリは3ヶ月前にアルルの街で見初めたある女性にすっかり心奪われているのだ。
 
・第2景
[♪No.3: メロドラマ(白痴のモティーフ)]
リノサンがバルタザールにおとぎ話の続きをねだる。彼は「スガンさんの山羊」の物語を話して聞かせる。『勇ましい山羊は一晩中闘った...そして夜が明け、とうとう山羊は体を横たえ、狼は山羊を食べてしまった』
リノサン『すぐ食べられてしまう方がよかったのに...』
 
・第3景
ヴィヴェットが農場の手伝いのために隣村からやってきた。彼女はフレデリに密かに想いを寄せている。バルタザールは、家族の中にイノサンがいることはその家にとっての守護(おまもり)になる、その子が智慧づいたら家族の星回りが変わるかもしれない、とヴィヴェットに話す。
[♪No.4: メロドラマ(白痴のモティーフ)]
 
・第4景
そこへやってきたローズがヴィヴェットに、フレデリの結婚話が進行中であること、そしてアルルの女の素性を知る彼の伯父マルクをフレデリが馬車で迎えに出かけていることなどを話す...ヴィヴェットは激しく動揺する。
 
・第5景
フレデリが「良い報せ」を持って街から戻ってくる。はしゃぐフレデリ、そして落胆するヴィヴェット。バルタザール『一方が幸福になると片方が不幸になる...これがうき世だ』
 
・第6景
アルルの女とその家族に会ってきたというマルクはフレデリの結婚相手を褒めちぎる。『俺を信用してくれ...父親も母親も娘も...純金だよ、あの家の香甘酒(ラタフィア)のように』
 
・第7景
マルクの猟銃、獲物袋、長靴などを背負って彼の部下である水夫が入ってくる。フランセ、ローズらは祝杯のための麝香葡萄酒(ミュスカ)の準備を始める。
 
・第8景
かわいそうなヴィヴェットの心情を案じつつひとり佇むバルタザール。同時に彼女の祖母で自分がかつて愛したルノーのことを思う。
[♪No.5: 合唱とメロドラマ(ミティフィオのモティーフ)]
そこへ一人の男がやってくる。『旦那はいるかね?』しかし男はフランセとだけ話をしたいと言って中へ入ろうとしない。
 
・第9景
その男ミティフィオはフランセに、フレデリが嫁に取ろうとしている女は二年前からの自分の情婦であること、女からの恋文もここに持っていることを話す。
[♪No.6: メロドラマとフィナーレの合唱〜メロドラマ(ミティフィオのモティーフ)]
驚き戸惑うフランセは孫にこれを見せて女を諦めさせるからと手紙を預かり、ミティフィオは出て行く。
 
・第10景
バルタザール『女は布地のようなものだ。蝋燭の光で選んじゃ駄目だ』
フランセ『ああ、なんて言おうか...』
 
・第11景
喜びの絶頂にいるフレデリにフランセは手紙を見せる。『いけない...コップをお棄て。その酒はお前には毒だ』手紙を読むフレデリ。『ああ!...これは...』彼はは苦しそうに叫ぶと倒れるようにがっくりと座り込む。
[♪No.6: メロドラマとフィナーレの合唱〜フィナーレの合唱]
 
 
【第2幕第1場】カマルグのヴァカレス湖の畔
 
[♪No.7: パストラール(間奏曲と合唱)]
・第1景
マルクが蘆の茂みに隠れて狩の獲物を狙っている。そこへローズとヴィヴェットがフレデリを捜しにやってくる。マルクは彼女らが声を上げたせいで嘴太鶴(フラミンゴ)を逃してしまったと悔しがる。
 
・第2景
フレデリはまだ見つからない。彼の行方を心配する女二人。ローズはヴィヴェットに、失意のフレデリを助けてほしい、お前からあの子へ想いを伝えてほしいと頼む。
 
・第3景
[♪No.8: メロドラマ(白痴のモティーフ)]
リノサンはバルタザールにばかり懐き母親の言うことを聞かない。ローズ『この子は私達よりお前の方が好きなんだね』。バルタザールはローズに、リノサンにもっと愛情を注いでやらなくてはいけない、この子はこの家の守護神(まもりがみ)なのだからと強くたしなめる。
[♪No.9: メロドラマ(白痴のモティーフ)]
ローズはリノサンを抱きしめると、ひとり家へ帰ってゆく。
 
・第4景
リノサンが羊小屋の奥に隠れていたフレデリを見つける。
[♪No.10: メロドラマ(フレデリの苦悩のモティーフ)]
苦しい、いっそ死んでしまいたいと漏らすフレデリに、バルタザールは彼自身の若い頃の苦い恋の思い出を語る。『この恋をしてから何年もたったけど...今でもその話をすると涙が零れるほど、わしはその人を思っているのだ...』
牧童たちの呼び声が遠くから聞こえてくる...日暮れ。
[♪No.11: 合唱]
 
・第5景
アルルの女がミティフィオに宛てた恋文を何度も読み返しては悲嘆にくれるフレデリ。
[♪No.12: メロドラマ(フレデリの苦悩のモティーフ)]
そんな彼のそばへやって来て話しかけるリノサン『読んじゃいけないよ、泣いちまうんだもの』。代わりに面白い話を聞かせてあげる、と「サガンさんの山羊」の物語を話しだす...そのうちにリノサンは眠ってしまう。
[♪No.13: メロドラマ(子守歌)]
 
・第6景
そこへヴィヴェットがやってくる。フレデリの気持ちを自分へ向けさせようと懸命に話しかけるヴィヴェットだったが、フレデリは終始冷たい態度。『俺はお前なんか好きじゃないんだ...どこかへ行っておしまい、その方がいい...放っといてくれ』彼は走り去る。
 
・第7景
泣き崩れるヴィヴェット、驚くリノサン...ローズが駆けつける。そのとき、フレデリの出て行った方角で銃声が響く。不吉な予感に立ちすくむ二人。しかしそれはマルクが獲物に向けて放ったものであった。ローズはある決心を固める。
[♪No.14: メロドラマ]
 
 
(つづく)
posted by 小澤和也 at 12:10| Comment(0) | 日記

2019年07月11日

「自分のほんとう」

 
先日のプローべは楽しかったな。
男声合唱版『ぜんぶ ここに』。
楽譜に記号として書かれた単なる「音符」の連なりが「表現」へと変貌してゆくプロセスをグリーのメンバーと共有することができた。
(真の完成はまだまだ先だけれど...)
 
スコアとその行間から見えてくるもの、そして歌詩から感じ取ることができるもの...
心の受信感度を最大にして、それらのすべてをメンバーに、そして客席に届けたい。
 
 
いま僕の頭の中でずっと鳴り響いている詩がある。
 
「自分のほんとう」
 
ほんとうのことは
人生と同じだけの
時間がかかるから
説明できないけれど
こうして生きていることは
まちがいないので
それだけはほんとうです。
誰でも
ほんとうのことは
自分しか知りませんでした。
 
(さくらももこ『まるむし帳』より全文引用させていただきました)
 
 
この曲集の最後に置かれた「自分のほんとう」。
曲集は2017年に出ている (ちなみに『まるむし帳』の発刊は1991年) から、この歌 (詩) をさくらさんの死去 (2018年8月) と重ね合わせることはまったく意味を持たない。
それでも...
 
誰でも
ほんとうのことは
自分しか知りませんでした。
 
この三行を読むたび、「“コンプリートされた” さくらさんの人生を言葉にしたもの」のように思えてならないのだ。
(もちろん...53歳での死はあまりに早すぎるけれど)
 
そしてもう一つ。
この詩を終曲として選んだ相澤直人さんのやわらかなセンス!
人気曲「ぜんぶ」(大切なことは/ぜんぶここにある。etc.) の後に「自分のほんとう」をもってくるとは!
相澤さんはさくらさんの訃報を知った日の夜、この歌の混声版を作られている...きっと彼にとっても特別な曲なのだと思う。
 
 
演奏会まであとひと月。
考え抜いて、ひたすら感じて、さくらさんの世界を歌いたい。
みなさま、ぜひお運びください。
 
 
東京農工大学グリークラブ
第39回演奏会
 
小金井宮地楽器ホール 大ホール
(武蔵小金井駅下車すぐ)
入場無料、全席自由

§相澤直人/さくらももこ
無伴奏男声合唱曲集「ぜんぶ ここに」
§松下耕
女声合唱のための「湖国うた紀行」 他
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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2019年07月09日

カリンニコフ(3) 『管弦楽のための組曲』

 
 
 
§管弦楽のための組曲
 
作曲:1891-92年
初演:1892年11月21日、モスクワ
演奏時間:T 約10分、U 約5分、V 約19分、W 約6分 計 約40分
編成:フルートx2 (ピッコロ持ち替え)、オーボエx2、クラリネットx2、バスーンx2、ホルンx4、トランペットx2、トロンボーンx3、ティンパニ、トライアングル、シンバル、バスドラム、ハープ、弦五部
 
楽章構成:
第1楽章  Andante, 4/4(拍子), ロ短調
第2楽章  Allegro scherzando, 3/4, ニ長調 - Moderato, 2/4, ト短調
第3楽章  Adagio, 4/4, ニ短調 - Andante con moto, 2/4 , ニ短調
第4楽章  Allegro moderato, 2/4, 変ロ長調
 
 
カリンニコフ25-26歳頃の作品。
1892年、チャイコフスキーはモスクワ・マールイ劇場の指揮者として彼を推薦する。
しかし結果は虚しいものであった...選考委員会は彼の才能をはっきりと認めていたものの、最終的には経験不足が批判の対象となったのだ。
組曲の初演は同年11月、フィルハーモニー協会のシンフォニーコンサートにおいて。
各楽章とも熱狂的な喝采を受けたと伝えられる。
 
 
第1楽章では古い物語を訥々と語るような、懐かしさと哀愁を帯びた旋律が綿々とつづられてゆく。
のちの交響曲ほどの規模ではないが、すでにポリフォニックな展開を見せる部分もある...この時期においてすでに対位法的書法への志向が彼のトレードマークとして姿を現しているように思える。
 
第2楽章は (交響曲などにおける) 典型的なスケルツォ/三部形式的な快活な音楽。
中間部は第1交響曲第3楽章の同じ部分に楽想・雰囲気ともにそっくり...ロシアの土の香りが色濃く漂っている。
 
続く第3楽章は長大なエレジー。
これだけを独立した楽曲と見なしても良いほどだ。
この楽章も大まかに捉えると三部形式的であるが (この構成感覚もカリンニコフの特徴といえそうである)、第1および第3部に比べ中間部Andanteの規模が著しく大きい。
構成的にはかなり “緩く” 感じられるが、遺憾なく発揮されている彼のメロディメーカーとしての力量で終わりまで一気に聞かせてしまう、そんな印象である。
途中、第1交響曲第2楽章の主要主題を彷彿とさせる美しい旋律が姿を見せる。
 
第4楽章はふたたび明るさを取り戻し、快活な、それでいてややひなびた民謡風の楽想が繰り広げられる。
ここで特徴的なのが「音列のモティーフ」である...ざっと聞き取れただけでも次の3種類ほど。
“ソ-ファ-ミ-レ-ミ-ファ-ミ-レ-ド”
“ラ-↑ド-ド-レ-ミ-↑ラ”
“ド-シ-ラ-シ-ド-レ-↓ソ”
これらがさまざまなリズム構成で奏され、この楽章の主要な旋律線を描いている。
途中、第1楽章のメロディを再出させるなどしながらパレードの行列のように賑々しく曲が進むが、それが突然やむと第2楽章中間部の土臭いフレーズが静かに回想される。
しかしそれも長くは続かず、ふたたび曲頭の明るさがかえってくる。
そして第3楽章の短い回想を挟んで、バレエ音楽の大団円のように華やかに全曲を閉じる。
 
この終楽章、それ自体はもちろんとても魅力的であるのだが、第1/第3楽章に比べて掘り下げの浅いところがやや物足りない気もする。
加えて、ロ短調で始まりニ長調、ニ短調と進んできたのが最後に変ロ長調で終わるという (古典的組曲の視点からすると) 収まりの悪さも否めない。
〜これらの弱点は第1交響曲において見事に克服されることとなる〜
 
全編にわたって民謡風で素朴な息の長い旋律にあふれ、その一方でポリフォニックな書法にも目を向けている点、そして終楽章においてはそれまでに出てきた主要主題を回想的に再現する手法を用いるなど、カリンニコフの個性はこの時点ですでに確立されているように思われる。
posted by 小澤和也 at 09:06| Comment(0) | 音楽雑記帳

2019年07月07日

ビゼー『アルルの女』の源流を探る

 
機会に恵まれてビゼー『アルルの女』劇音楽版の読譜を進めている。
 
1872年 (ビゼー33歳) の中頃、パリ・ボードヴィル座の支配人L.カルヴァロの依頼により劇音楽『アルルの女』の作曲は始められた。
きわめて短期間のうちに音楽は完成し、この戯曲は同年10月1日に初演...ただし成功とはいえなかったようである。
その直後、知人らの勧めでビゼーは4曲からなる (第1) 組曲を編むが、これの初演が11月10日...なんという仕事のはやさ!
組曲の初演は大成功であった。
ビゼーは1875年に早世、その数年後に友人の作曲家E.ギローが第2組曲を完成させる。
現在、ビゼーの『アルルの女』といえば一般にはこれら2つの組曲を指すといって良いだろう。
 
さて...劇音楽版である。
第7曲「パストラール (第2幕第1場への間奏曲)」、これは第2組曲の第1曲「パストラール」にほぼ相当する。
イ長調 (4/4拍子) のたっぷりとしたメロディに続いて現れる嬰へ短調 (3/4拍子) の弾むように流れる音楽が混声合唱で歌われることを初めて知った。
(歌詞はなく、旋律・伴奏音型ともにLa la, la...のみ)
組曲版での、あの茫々とした平原を吹き渡る風のような木管楽器の美しさは実に美しいが、これが人の声で歌われるとき、作品に内在するドラマ性 (あるいは人間くささ) が俄然強調されるように感じられる...今更ながら僕の中での新たな発見であった。
 
(劇音楽版ヴォーカルスコアより)
 
 
もう一点。
第2組曲の第4曲、有名な「ファランドール」の大詰めである。
それまで個別に登場していた2つの主題 “三人の王の行列” および “馬の行進” を最後に合体させるアイディアは編曲者ギローによるものだとなぜか僕は思い込んでいたのだが、そうではなかった...浅学を反省。
この場面、ビゼーは “三人の王” を合唱で、“馬の行進” を笛と太鼓で表した...その色彩効果たるや!
 
 
(劇音楽版ヴォーカルスコア、第23曲より)
 
 
 
アルベール・ヴォルフ指揮による劇音楽『アルルの女』のディスクである。
仏語による脚本の朗読と音楽との融合。
これを聴いて僕の中の作品観、ひいてはビゼー観が一変した。
 
『アルルの女』の源流を探る旅、もうしばらく続けてみよう。
 
 
組曲版と劇音楽版の対照はおおむね次のとおりである。
 
【第1組曲】
第1曲:前奏曲 ...... (劇)第1曲「序曲」
第2曲:メヌエット ...... (劇)第17曲「間奏曲」
第3曲:アダージェット ...... (劇)第19曲「メロドラマ」の後半部
第4曲:カリヨン ...... (劇)第18曲「第3幕第1場への間奏曲 (カリヨン)」
 
【第2組曲】
第1曲:パストラール ...... (劇)第7曲「第2幕第1場への間奏曲 (パストラール)」の編曲
第2曲:間奏曲 ...... (劇) 第15曲「第2幕第2場への間奏曲」
第3曲:メヌエット ...... 歌劇『美しいパースの娘』の音楽より
第4曲:ファランドール ...... (劇) 第23曲「合唱」第2部分の編曲、第21曲「ファランドール」の編曲、ギローによる再構成の要素大
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 00:49| Comment(0) | 日記

2019年06月30日

カリンニコフ(2) 『ニンフ』

 
 
僕のささやかなカリンニコフ研究。
年代を追って、まずは彼の管弦楽曲を眺めていきたいと思う。
(第1交響曲まで無事たどり着けますように...)
 
 
§交響的絵画『ニンフ』
 
作曲:1889年
初演:1889年12月16日、モスクワ
演奏時間:約10分
編成:フルートx2、オーボエx2、クラリネットx2、バスーンx2、ホルンx4、トランペットx2、トロンボーンx3、ティンパニ、トライアングル、タムタム、弦五部
 
 
カリンニコフの書いた最初の大管弦楽作品。
1889年の作曲、当時彼は23歳の学生であった。
初演は同年12月16日、モスクワでの「貧困児童慈善事業のための音楽と文学の夕べ」においてヨシフ・アントノヴィチの指揮によって行われるが、演奏会評が新聞等に取り上げられることはなかったとのこと。
再演の機会に恵まれることもなく、その後総譜も失われてしまった。
1954年、(第1バスーンを除き) 残存していたパート譜からスコアが復元される。
失われたバスーンのパートは校訂者V.キセリョフによって補作された。
 
この交響的絵画『ニンフ』はツルゲーネフの同名の散文詩から着想を得ている。
ツルゲーネフは1818年、ロシア中部オリョールの生まれ...カリンニコフはこの同郷の文豪にリスペクトの感情を抱いていたであろうか。
 
 
作品は次のような構成になっている。
(1-29 などの数字は小節番号を、カッコ内の数字は小節数を表す)
 
1) 序奏部 Andante, 4/4(拍子)...1-29 (29)
2) 主部A Allegro scherzando, 3/8...30-205 (126)
3) 主部B Allegro molto, 2/2...206-316 (111)
4) 序奏部回帰 Andante, Tempo I, 4/4...317-328 (12)
5) 主部A回帰 Allegro, 3/8...329-431 (103)
6) コーダ Vivace〜Vivacissimo, 3/8 ...432-476 (45)
 
 
1) 序奏部冒頭のオーケストラ全奏はシベリウス『フィンランディア』にそっくりである。
(ただし作曲はカリンニコフのほうが約10年早い...念のため)
続いて何種類かのリズム・音型からなるモティーフが登場し念入りに展開されていくが、曲調は一貫して暗く神秘的だ。
そして、ここまででは第1交響曲のような息の長い、歌うような旋律はまだ現れない。
 
2) 主部は上記のように2つの部分に分かれている。
主部Aもいくつかの素材・モティーフを丹念に組み上げていくスタイルである。
オーケストラの響きとしてはチャイコフスキーのそれに近いだろう。
第52小節ではじめて「旋律主題」と呼べるようなロ短調の軽快なテーマが登場する。
ところどころに短い総休止を挟みつつしばらく進むと新しいテーマらしきものが聞こえてくるが、先の主題とのコントラストはあまりなく、第2主題として扱うほどではない...このあたりはカリンニコフの若さを感じさせる。
 
3) 主部Aから切れ目なくホ長調、2/2拍子の新しい部分に入る。
まず聞かれる素朴な舞曲風の主題、これはいかにも (ああ、カリンニコフ!) と思えるようなものかもしれない。
途中に現れるファンファーレ風のエピソード部を除けば、主部Bではほぼこの舞曲風主題が扱われている。
そのファンファーレ風の部分で感じたことがひとつ。
ここでカリンニコフは高音域の旋律音型をトランペットに (他の楽器と同音域で重ねずに) 宛がっている...これは第1交響曲でもときおり聞かれたオーケストレーションだ。
独特の個性とまでは言えないまでも、カリンニコフらしい響きがこの若い作品で既に用いられていることにこの先も注目したいと思ったのだった。
 
4) 音楽は途切れることなく、序奏部の気分に戻る。
ただし前述のとおり、この部分は全12小節と極めて短い...“回帰” というよりは “回想” 程度かもしれない。
 
6) そして先ほどの 1)→2) への移行とは異なり、Andanteから次第にテンポを速めつつ主部A回帰へと入る。
ここで聞かれる素材はすべて 2)で使われたものである。
 
7) 短い総休止のあと、ここではじめてタムタムが用いられる。
(しかも弱音で!)
弦の激しいトレモロから全奏での一気のクレッシェンド→総休止...この流れが再度繰り返され、またも総休止。
沈み込むような弦のピツィカートののち、最後の力を振り絞るように『ニンフ』はあっけなく終わる。
 
第1交響曲のようなしなやかさや豊かな流れにはやや欠けるものの、楽器の組み合わせ方は充分魅力的であるし主題労作的な手堅さも好感がもてる。
サウンドの基調はロシア的であるが、民謡的な雰囲気やいわゆる “土臭さ” に頼った作風でないところに若きカリンニコフの非凡さを見ることのできる作品だと感じた。
 
 
次は1891-92年の作品、『管弦楽のための組曲』に触れたいと思う。
posted by 小澤和也 at 02:26| Comment(0) | 音楽雑記帳