2017年02月13日

フルトヴェングラー・スイッチ


ここのところ僕の中で久々に "フルトヴェングラー・スイッチ" がONになっている。
年に数回、無性に彼の遺した音盤を集中的に味わいたくなるのだ。
 
ずっと聴きたいと思っていた『トリスタン前奏曲と愛の死 '42年録音』や『モーツァルトpf協20番 '54年ルガーノライヴ』(いずれもベルリンフィル) のCDを先日ようやく入手、彼ならではの破格の音楽表現を堪能。
 
そして一昨日。
『フルトヴェングラー オペラライヴ』なるBoxが我が家に届いた。
 
 
箱が大きい!
それもそのはず...全41枚組である。
内訳はヴァーグナーが最も多く24枚 (『'50年ミラノの指環』を中心に)、あとはザルツブルク音楽祭での『フィガロ』『ドン・ジョヴァンニ』『フィデリオ』『魔弾』『オテッロ』など。
 
さっそく『ラインの黄金』を聴く。
録音の古さはほとんど気にならない。
むしろ、貧しい音ゆえの生々しさが僕の音楽的興味の矛先を刺激する。
それは「フルトヴェングラーが求めたかった音の "重みと形"」、そして「ある楽想から次の楽想へとうつりゆく、その間の "推移の表現技術"」だ。
 
(音楽家のくせに他人様の演奏を聴いて喜んでいるなんて)
と言われそうだが...
好きなものは好きなのだから仕方ない。
今夜は『ヴァルキューレ第1幕』を聴こう。
 
posted by 小澤和也 at 08:26| Comment(0) | 日記

2017年02月07日

名曲アルバム『マーラー第6交響曲』

 
先日、NHKテレビの番組表をチェックしていてこんなプログラムを見つけた。
 
『名曲アルバム
「交響曲第6番」マーラー作曲』
 
!!
マーラーの6番といえば全4楽章、およそ80分の大作だ。
まさか「名曲アルバム」でこの作品が取り上げられるとは!
 
さっそく録画して視聴する。
僕の興味はただ一点。
放送時間は5分間...その中でどこをカットするのか、否、どこを残しどうやって繋ぐのだろうか?であった。
 
このとき脳裏をよぎったのは、以前同じ放送局の某音楽番組で流れた、やはりマーラーの交響曲第1番〜第4楽章である。
あのときのカット (17-18分の曲を7分ほどに縮めたのだったと記憶する) があまりにも酷かったのだ。
 
さて...第6交響曲である。
録画を聴いて納得、答えは明快であった。
流れたのは第1楽章アレグロ・エネルジーコ、ソナタ形式で書かれた20分強の充実した楽章である。
まずその呈示部 (第1主題部〜ブリッヂ〜第2主題部) をノーカットで演奏...ここまでで約4分20秒。
その先の展開部、再現部はすべて割愛され、一気にコーダへと飛ぶ。
その終盤 (444小節以降) から楽章の終わりまでを演奏...この部分が約35秒、トータルで4分55秒という実に潔くかつ音楽的なアレンジだったのだ。
【厳密にいうと、この35秒の間には18小節のカットが施されていた (457-474小節) のだが、これがまた極めて巧みな接続で、不自然さはかなり軽減されていた】
 
番組の性質上、どのように編集したところで「伝えきれないもの」は出てきてしまう。
その中で何を捨てて何を採るか...
今回の「5分に収めたマーラー第6」は見事な解を示していると僕は思う。
 
この番組の良かった点は他にもある。
マーラーについて、また当時の楽都ウィーンを取り巻く芸術的環境についての字幕解説が簡潔にして当を得たものであった。
加えて映像の編集も素晴らしい。
始まって1分45秒ほど、全曲のモットーである特徴的なリズム、およびイ長調→イ短調の和音交替が現れる場面 (57小節〜) では『前衛芸術家の本拠地セセッション (分離派館)』の美しい装飾が映し出される。
 
 
そして極め付けは2分30秒過ぎ、堰を切ったように魅力的な第2主題がへ長調で流れ出す、その瞬間に『運命の女性アルマ』の写真が。
音楽と映像の絶妙なシンクロナイズ!
 
最後にもう一つだけ。
この交響曲の俗称、マーラーのまったく預かり知らぬところでいつの間にそう呼ばれるようになってしまった『悲劇的』の文字が、番組中に一度も現れなかった。
ここでは触れないが、その生涯と作品を考えるうえで、理解の妨げあるいは誤解に繋がる "通説" や "アヤしい逸話" がマーラーには多々つきまとうという。
『悲劇的』の呼称もそのひとつだ。
この番組ではおそらく、そのあたりを意識して排したと思われる。
この点も大いに評価されてよいのではないだろうか。
 
 
今後の放送予定 (飯森範親さんのTwitterを参照させていただいた) は次のとおりだそうだ。
2/8(水) 10:50〜 Eテレ
2/9(木)   5:55〜 BSプレミアム
2/11(土) 5:55〜 Eテレ
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 11:52| Comment(0) | 日記

2017年02月03日

佳境のカルメン

 
 
立川市民オペラ公演『カルメン』のプローべがいよいよ佳境に差し掛かってきた。
今週から合唱団の立ち稽古に助演の皆さんが合流、次回からは児童合唱も参加する。
 
合唱団、動きを伴うにつれ歌に磨きがかかり、それがさらに演技に立体感とリアリティをもたらす、そんな好循環が始まりつつあるところだ。
 
 
 
キャストの立ち稽古も着々と進行中。
一昨日は第3幕をじっくりと。
演出・直井研二先生によって描かれる、各登場人物の細やかな心理の襞に納得の連続。
ドン・ホセ澤崎一了さんの美声には棒を振りながら思わず聴き惚れる。
 
二回公演のうちの初日 (3/19(日)) のチケット、SS席は完売、S席もほぼ埋まっているとのことだった...有難い限りだ。
 
 
立川市民オペラ公演2017
ビゼー『カルメン』
2017年3月19日(日)/20日(月祝)
たましんRISURUホール
 
みなさま、どうぞおはこびください。
 
posted by 小澤和也 at 22:36| Comment(0) | 日記

2017年01月24日

埼玉県立近代美術館

 
 
埼玉県立近代美術館へ。
『日本におけるキュビスムーピカソ・インパクト』を鑑賞する。
 
 
これまでキュビスムやその作品に強く惹かれたことはほとんどなかったのだが、今回の "日本における" という切り口にはなぜかちょっぴり興味を覚えたのである。
 
萬鐵五郎《もたれて立つ人》
 
東郷青児《コントラバスを弾く》
 
今西中通《マンドリンを弾く女》
 
飯田善國《オーケストラ》
 
...ついつい、音楽をモティーフとした絵に目が行ってしまう。
 
キュビスムを主導したピカソやブラックの作品も展示されていた。
 
パブロ・ピカソ《静物》
 
1910-20年代に伝えられるも、日本では深化を遂げるには至らなかったキュビスム。
そして第二次大戦後、国内で開催されたピカソ展が日本の美術界に与えた衝撃...
素人の目には (え?これもキュビスム?) と思えるほど大胆に踏み込んだ展示であり、個人的には頭の中が若干疲れたけれど、その疲れが心地良く感じられる好企画だったと思う。
 
展示室を出ると...
ロダンとブールデルがお出迎え。
 
 
 
収蔵品展 (MOMASコレクション) ではドラクロワやモネ、ユトリロを観ることができた。
キュビスムの後では何と優しく眼に映ることか...
 
素敵な美術館だった。
春にまた行こう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
posted by 小澤和也 at 23:48| Comment(0) | 日記

2017年01月19日

恋の鳥

 
 
 
新潮文庫の北原白秋詩集を読んでいて、『恋の鳥』という詩を見つけた。
 
  捕らへて見ればその手から、
  小鳥は空へ飛んで行く、  etc.
 
ん?...これは!
カルメンの歌う『ハバネラ』そのものではないか!
調べるとすぐに分かった。
大正8 (1919) 年1月、芸術座が上演した『カルメン』の劇中歌とのこと。
作曲は中山晋平、歌ったのは芸術座の看板女優・松井須磨子である。
神西清氏の巻末解説によれば、「歌劇『カルメン』の英訳本から意訳したものだそう」だ。
七五調の、リズミカルで洒脱な詩になっている。
 
その他、この本には載っていないが『煙草のめのめ』『酒場の唄』といった劇中歌も書かれているらしい。
オペラの中で女工達が歌う所謂『けむりの歌』、リーリャスパスティアの薄暗い酒場の光景が浮かんでくる。
どんな内容なのだろう...?
 
 
恋の鳥
ー『カルメン』の唄よりー
(カルメンのうたふ小曲)
 
捕らへて見ればその手から、
小鳥は空へ飛んで行く、
泣いても泣いても泣ききれぬ、
可愛い、可愛い恋の鳥。
 
たづねさがせばよう見えず、
気にもかけねばすぐ見えて、
夜も日も知らず、気儘鳥、
来たり、往んだり、風の鳥。
 
捕らよとすれば飛んで行き、
逃げよとすれば飛びすがり、
好いた惚れたと追つかける、
翼火の鳥、恋の鳥。
 
若しも、翼を擦りよせて、
離しやせぬとなつたなら、
それこそ、あぶない魔法鳥、
恋ひしおそろし、恋の鳥。
 
(詩集より引用させていただきました)
posted by 小澤和也 at 12:35| Comment(0) | 日記